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魔王の隣で勇者を想う  作者: 遠山京
第三章 令嬢と姉
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048物置の陰から

長い指が私の頬をなぞる。

鮮血のように真っ赤な瞳の中には驚くほど近い距離の私の姿が映りこみ、ぞわぞわと私の背筋をなぶった。



「アカネは本当に綺麗だね」


「……」


「オニキスのように艶やかな黒髪、時にタイガーアイのような輝きを見せる濃茶の瞳…まるで宝石箱みたいだ」



暗いな、その宝石箱。

例に挙げられた宝石は黒と茶色の石だ。

まあ、私の外見の配色はごく普通の日本人だから致し方ない。

ごめんね、ルビーとかサファイヤとか言わせて上げられなくて。


彼のもう片方の腕が私の腰へ回され、ほとんど無かった二人の体の距離がゼロになる。

真一文字に結ばれた私の唇に、彼の吐息がかかった。



「どうにかして僕の物にしてしまいたいくらいだけど…」



朗々と語っていた彼は、ぐっと私の耳元に口元を寄せ…



「もう少しマシな反応しろよ。笑い堪えてんのが丸分かりだろ」


「い、いや…さっきの今でこの小芝居見せられて平常心って無理だわ…」



小声で叱られ、私も小声で囁いた。

傍目から見れば仲睦まじく囁き交わしているようにも見えるだろう。

…私の唇や目元が震えていることに気付かれなければ。


ここは中庭の隅だ。

比較的人目につきにくいものの、しかしポイントはコゼットお姉さまの部屋の窓からよく見える場所だということ。

つまり、いちゃいちゃを見せ付けてお姉様本人をおびき出そうという事らしい。


なお、この間にもリードのもとへは色々な物が飛んできている。

私に危害が及ぶことの無いよう正確にリードだけを狙っているらしいけれど、フォークやらスプーンやらをキャッチしては地面に放り投げるリードの足元にカトラリーの山ができていく様を見るとぞっとする。

まあ、昨日の麻痺針なんかよりはマシ…なのかな?



「でもいくらリードとくっついたところで、お姉様本人が出てくるとは思えないんだけど…」



彼女の引きこもりは筋金入りだ。

これまでのことを考えたって、躍り出てくるのはメイドくらいなものでは。



「いや、そうでもないらしいけどね。でもたぶんアカネの前には出てこないかな」



何か知っているかのような口ぶりでそんなことを言う。

いや、私の前に出てきてくれないんじゃ意味が無いんですが。



「リードの前に出てくるっていうの?」


「たぶんね」


「…話をしたいのは私なんだけど」


「分かってるよ。僕は前座だ」



おどけるようにそう言ってリードは私の髪を一すくいして口づけ、サッと体を離す。

あまりに自然な動きだったから、笑う間も照れる間も無くて私は変な表情で固まってしまった。



「しばらくそこで花を愛でていてね、僕のお姫様」



事前打ち合わせが無ければ『キャラを思い出せ』と胸倉掴んで揺さぶるところだ。

妖艶キャラこそあれど、私をお姫様と甘やかすほどリードは盲目していない。

薄っぺらな甘い言葉に肌を粟立てつつ、言いつけどおりその場に留まる。

夏の日差しを浴びながら鮮やかな色彩で咲き誇る花をのんびり眺めて五分も経っただろうか。



「アカネちゃん…」



掻き消えそうな声で私に呼びかけ、庭の片隅にある物置の裏から現れたのは…



「…コゼットお姉様…!」



…何故そんなところから?

本当にお姉様を連れ出せるなんて、ということより何よりまずそこが気になる。

いつの間に物置の裏なんかに回り込んだのか。

ていうかいつから居たのか。

リードが歩いて行ったのは正反対の方向だったんだけど、二人が接触したんだとしたらこの位置取りはおかしい。


しかしいつものノリで突っ込むにはお姉様との交流経験値が足りなさすぎる。

このモヤモヤを一体どこにやれば。

悶々としつつ言葉を継げなくなる私に、コゼットお姉様が困ったような表情で一歩下がった。



「ま、待ってくださいお姉様!」



それ以上下がるとまた物置の裏に行ってしまう。

花も恥じらう美貌のお姫様がそこから顔を出しているのはあまりにシュールだ。

出てくるように促しつつ、私もゆっくりと近づく。

警戒心の強い野良猫を相手にしているような気分。



「お姉様、私お姉様とずっとお話したかったんですよ…お姉様は私の事がお嫌いですか?」


「そんな、そんなわけないわ…」



焦ったように、お姉様は一歩こちらへ歩み寄る。

けれどすぐに臆したようにその足先が止まった。

そしてその視線は、地面を彷徨う。

その様子は怯えているというより、こちらを気遣っているように見えた。

…なんだかまるで、接触することで私を傷つけてしまうとでもいうような…



「お姉様、私、先日舞踏会デビューしたんですよ」



とりあえず何とか引き留めるべく、そう切り出すと、お姉様はピクリと反応した。



「ええ、知っているわ…」


「すっごく緊張してたけど…リードがフォローしてくれたおかげで、最後のほうはそこそこ上手くやれたと思うんです」



お姉様は目を細め、まるでその光景を思い浮かべて眩しがるような表情を見せた。



「だからお姉様…ほめてください」



新緑の瞳が見開かれ、きょとんとこちらを見据える。

いつも私に視線を固定するのを避けていたお姉様だから、こうしてしっかりと目が合うのは…もしかしたら生まれて初めてかもしれない。

突拍子もない発言のようだけど、ちょっと我儘な妹が姉に甘える姿と考えればそう不自然ではないはず。

私がお姉様との間に求めている関係性はそういうものだ。

これで、嗜めるでも、甘やかしてくれるでもいい。

ただ家族として当たり前のコミュニケーションをとりたい。



「…アカネちゃんは、立派ね。私の誇りよ」



少し戸惑ったように、けれどお姉様は吐息交じりに…こちらまでしっかり伝わる万感の思いをこめた声色でそう褒めてくれた。

たかだか初めての舞踏会でちょっと踊れただけのこと。

だけど、そう知っているのであろうお姉様は、それでも心からこうして褒めてくれるのだ。

大げさに思えるけれど、やっぱり嬉しい。



「お姉様だって、私の誇りですよ」



件の舞踏会でだって、いくどもお姉様の話を聞いた。

ほとんどがお姉様を引き合いに私を貶める陰口だったけど、だからといってお姉様を恨むほど私は馬鹿じゃない。

これだけ容姿に差がついていると悔しいと思う余地もなく、自分の身内を褒められること自体は嬉しい。

私が別の世界からやってきたただの女子高生だからそう思うのであって、本当に同じ両親から生まれてずっと育ってきた姉妹ならこうも割り切れなかったのかもしれないけど。

お姉様やリードのような美貌は、いまだにファンタジー感が強い。


しかし、私の誉め言葉にお姉様は瞳に影を落とす。



「…王子の妃としての務めを果たせていない私でも、そうかしら」



そのあたりの自覚はあるのか。

そりゃそうだ。

お姉様は決して頭の悪い人ではないのだと思う。

分かっていて、それでもどうしようもないくらいの理由が、きっとあるんだ。


だって、私は知っている。

お姉様は怠惰で色々な義務を放棄しているわけではない。

できるけどやらない人だとずっと感じていたけれど、なぜそう思うのか…

思い出したのは、ダンスのレッスンをしていた時のことだった。



「私ね、ダンスあまりうまくは無いんですよ」


「難しい曲も上手に踊っていたと聞いているけれど…」


「はい、頑張って練習しました。でもね、正直なところ…そこまでやる必要あるかなって思ったりもしました。難しい曲の誘いは断って、簡単な曲だけ踊れたらいいんじゃないかなって」


「…そうしているご令嬢はたくさんいると聞くわ。ダンスはあくまで社交の手段の一つだもの。他で補う方法はいくらでもあるはずよ。だけど…それでもアカネちゃんは頑張ったのね」



まるで途方もない偉業を語るような声色だ。

私の持ち上げっぷりがすごい。

こっそり苦笑しつつ、頷いた。



「それはね、お姉様の影響なんですよ」


「…私?」



エメラルドの瞳が、かつてないほど見開かれる。

零れ落ちてしまいそうだ。



「ほら、お姉様も昔…頑張って練習していたでしょう。あの姿を思い出して、私も頑張らないとって思えたんです」



カッセードの屋敷、それほど広くはないホール。

ぼんやり記憶に残っているのは黒髪の美しい少女がひとり、一生懸命ステップを踏む姿。

あまり詳しくは覚えていないけれど、あれは紛れもなく姉がダンスを練習していた時のものだ。

私はホールのドアをこっそり開けて、それを覗いていたことがあったんだろう。


ダンスレッスンで詰まった時、不意にそんな記憶が蘇って私の心に生まれた妥協を叱咤した。

たとえ避けられていても、社交界を避けていても。

…ちょっと変な趣味があっても。

私は美しく聡明なお姉様を尊敬していたし、憧れもあった。

きっとこういう小さい頃に見た姿を無意識に重ねていたからだろう。

だから私だってもう少しくらい頑張らないといけないかな、なんて思ったんだ。


そんなことを思い出しながら語っていると、不意に大きなエメラルドの瞳から輝く雫が零れ落ちているのに気付いた。

女優さんとかもそうだけど、鼻水も垂らさず綺麗に泣ける人ってどうなってんの?

…って、違う違う。



「お、お姉様?」



絵画のように非現実的なほど美しい泣き顔に思わず反応が遅れたけれど、これってもしかして私のせいで泣いてるの?

慌てて声をかけると、お姉様は自分でも初めて泣いているのに気づいたようにうつむき、ハンカチで目元を押さえた。

この涙はどっちだろう。

何か辛いことを思い出させた?

それとも…



「私の姿が、今の、貴女に…つながっているの?」



途切れながら紡がれた言葉を聞いて、安堵する。

良かった、嬉しい方だった。



「はい。努力家のお姉様を、私は尊敬してますから」



そう返すと、お姉様はゆっくり顔を上げて私を見据える。



「つらい思いはしなかった?頑張るのが怖いと思ったりはしなかった?」



嗚咽交じりに寄こされたのは、ざっくりとした質問だ。

けれどお姉様にとってすごく意味のある問いなのだろう。

それだけはよくわかったから、私は力強く頷く。



「辛いことが無いわけじゃありません。でも、大好きな家族に囲まれているから大丈夫です。こうして頑張ったら褒めてくれるお姉様もいますし」


「そう…アカネちゃんは、私とは違うのね」



少し切なげなその言葉の意味はよくわからなかった。

分からなかったけれど…なんだか線引きをされたようなことだけはわかって、このまま引き下がるわけにはいかないとお姉様の手を取る。



「…アカネちゃん?」



そう呼ぶ声も、掴んだ細い指も震えていた。

…さて、掴んだはいいけどプランはない。

ならとりあえず。



「お姉様、一緒に踊りましょう!」


「…え?」


「男性パートできるかな」



戸惑うお姉様をそのままに、私は記憶を頼りに男性側のポジションをとる。



「そんな…本当に?」


「…嫌ですか?」



本気でこんなところで踊る気か、というより、本気で私に踊らせたいのかというような問いかけ。

あえて分からないふりをして、上目遣いで懇願してみる。

誰に効果があるんだと自分でも突っ込みたくなる上目遣いも、お姉様にはしっかり効果があったらしい。

お姉様はぽっと頬をそめて小さく呻きながら視線をそらした。



「…期待を裏切ってしまうかもしれないわ」



こんな妙なお願いに、どれだけ高いハードルを想定しているのだろうか。

何かの発表会でもあるまいし…



「応えてほしい期待なんて寄せてません。私はお姉様と踊ってみたいだけです。」



お姉様は優しいんだな、きっと。

何でもないひと時にまで、私ががっかりしないようにって考えてしまうくらい。



「こんな我儘にまで肩ひじ張らないでください。スチュアート様がありのままのお姉様を愛しているように、私だってそうですよ。姉妹なんですから」


「スチュアート…そう、そうね…」



手を取り合って向き合い、一番簡単なステップでリズムを取りながら体を揺らす。

簡単なはずとはいえ慣れない男性パートを踊る私のステップはめちゃくちゃで、お姉様は小さく笑いながら私の手を解き、代わりに男性パートを踊ってくれた。

多分そんなことをするのは初めてのはずなのに、ぎこちないながらも踊れている姿に、思わず感嘆の息が漏れる。

少し照れたようにはにかむお姉様は、独り占めしてしまうのがスチュアート様に悪いななんて思ってしまうくらい魅力的だった。


そうして次のレッスンの時間が迫り、ティナが呼びに来るまでお姉様とじゃれあっていた私。

きっとこれからは姉妹として新たな関係を築いていける。

そんな高揚に胸を膨らませていた私は、事の発端について聞くのを忘れていた。


結局お姉様がどうしてそんなに私にこだわっているのか、私は知らないまま。

…変な収集癖に気付いていることを、お姉様は知らないまま。

だけどそんなお姉様に感謝する日がそのうちやってくるのを、今は誰も知らない。

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