037ある夏の日に
「ファリオンに会える気がしない!」
私の叫び声が真っ白な空間に吸い込まれた。
目の前にぼんやり浮かび上がる女性の姿が、呆れたような表情に変わる。
『なーに、愚痴るために呼び出したの?アカネちゃん。
私コイバナ系の愚痴って聞くの苦手なのよねー』
「ユーリさん分かってませんね!
コイバナとかそんな甘酸っぱい話じゃないですから!」
苛立ちが伝わっていないらしいと語気を荒げて否定する。
『コイバナ=甘酸っぱいって思考が甘酸っぱいわー』なんてユーリさんの呟きはスルーした。
そう、目の前にいるのはユーリさん。
どうしてもこの気持ちをぶつけたかったので、久々に夢に出るよう訴えたのだ。
「リードは魔王のはずなのに結構いい奴だし…
いいことだけど…
弟のヴェルナー君も生きてるみたいだし…
いいことだけど…」
『やったね、いいことばっかじゃん』
「ちーがいますっ!
問題はっ…ファリオンがどうなってるかわかんないこと!
この感じだとちゃんといずれ勇者になるか…
いや、今盗賊団にいるかどうかも怪しい!」
私の訴えに、ユーリさんはふむ、と顎に指を当てた。
『そうだね、一つだけ言える事があるよ』
「なに?」
『前に、あなたは誰よりもこの物語を愛してることを忘れないで
って言ったのを覚えてる?』
少しだけ優しい表情で言われて、私も少し肩の力を抜く。
「…うん、覚えてます。
この物語を愛してることは誰にも負けないし、
あれからこの言葉を何回も思い返しました」
聞いた瞬間はなんだかこっ恥ずかしい気持ちになったけれど、時折思い返すことのあった言葉だ。
そしてユーリさんは大きく頷き。
『あれ、撤回するわ。
こんだけ変わってたらストーリー覚えてるのなんか
何の利点にもなりゃしないもんね』
「でーすーよーねー!?
私も何度もそう思ったよ!
この物語を愛してるが故に混乱するんですけど!?って!」
カラリとした笑いと共にそんなことを言われて、私の発狂がピークに達する。
「やっぱりここまで話が変わってるのはおかしいんですね?」
『うん。普通は原作に沿ってキャラクターが動くからねー。
アカネちゃんと出会うことで行動が変わることはあっても、
その前からここまで過去が変わってるのはちょっと想定外』
肯定されて、やっぱりかぁとため息をつく。
「あの、それってもしかして…本が破れたせいなんじゃ」
『そうなんだよねー…私もそんな気がしてる』
思い出すのはこの世界に来る前の出来事。
私は"ホワイト・クロニクル"の本を踏んづけて滑って転んだ。
ページが破れた無残な姿を未だに覚えている。
『確かにあれのせいで最初の方の物語が
大きく変わっちゃった可能性はあるかもね。
前例が無いから断言はできないけど』
あの時ユーリさんもすごく焦ってたもんなぁ。
ページが破れることによってこの世界の展開に影響が出るとか…
もう原理を気にしたって仕方ないことは分かってるけど、本当に不思議だ。
『でもね、やっぱりこの世界を愛してるからこそ、
今こうして過ごせてるわけじゃない?
伯爵令嬢としての暮らしなんて、
元の世界での生活を思うと大変なことも多いはずなのに』
ユーリさんはにっこり微笑んでそんなことを言う。
私は半眼になって睨んだ。
「なんかいい感じの話にしてまとめようとしてません?」
『あらら、アカネちゃんってば鋭くなってきたなー』
あっけらかんと認められて、思わず口から舌打ちが漏れる。
『こらこら令嬢が舌打ちなんてしちゃダメだよー』
「…うるさいですよ。
ねえ、もしかしてユーリさんって
ファリオンがどこにいるか知ってます?」
ユーリさんの飄々とした態度に、ふと気になったことを聞いてみた。
確かファリオンが居る場所の近くっていうことで私はここに来たはずだ。
ってことは、それくらいの情報なら持っているのでは?
けれど返されたのは満面の笑み。
『それは過干渉になるから言えなーい』
「なっ」
ただでさえイレギュラーな事態なんだったら、それくらいいいじゃんか!
しかし、文句を言おうとしたところで、どこからか聞き覚えのある低い男性の声が聞こえてきた。
『ユーリ、それ以上喋るな。
そろそろ戻れ』
少し考えて、思い出す。
あの時のさび猫の声だ。
ユーリさんはその呼びかけに頷いて、私に手を振り始める。
『はあい、じゃあねーアカネちゃん。
呼びかけに応えてあげるサービスもここまでだよー。
本当はダメなんだから。
後はなんとか自力で頑張って!』
「えっ、ちょ」
呼びとめる間もなくユーリさんの姿は薄れていった。
瞬きをして目を開ければ、そこに見えたのはすっかり見慣れた天井。
アカネ・スターチスの自室は、夜明け間近のうっすらした明かりが差し込んでいた。
「…くそう、逃げられた…」
以前にユーリさんは言っていた。
『物語がクライマックスに差し掛かる時期に、アカネちゃんは選択を迫られる』と。
つまり、物語のクライマックスまでは私はこの世界で過ごすことになるはずだ。
この話のクライマックスといったら…やっぱりファリオンが魔王を倒すところだろう。
今、ファリオンは14歳くらいのはず。
そして、ファリオンが魔王を倒すのは19歳…
この、訳の分からないことになっているホワイト・クロニクルの世界で、私は5年間過ごさないといけないらしい。
「…まあでも…」
なんだかんだでもうこの世界に来て四か月も経っていることに気付き、ここでの生活もそう悪くないかな、なんて笑みを零した。
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「お姉様が帰ってくるのは今日ですよね?」
暑さが日を追うごとに増す8月の始め。
いつものようにダイニングで家族そろって朝食をとりながらそう問いかけると、母が笑顔で頷いた。
「そうねぇ、予定通りの行程で来ているなら
夕食は一緒に食べられるはずよぉ。
昼頃にはお使いが来るんじゃないかしらぁ」
毎年恒例となっている姉の帰省。
こうして言葉にするとなんだか普通のことのようだけど、この世界ではお嫁に行ったのに毎年帰ってくるなんて普通しない。
ましてや他国の王室に嫁いだのに里帰りなんて、一般的にはゴシップネタになってしまう。
夫であるスチュアート王子が一緒に来るからまだマシっていうくらいか。
完全に姉のわがままに周囲がつき合わされている。
隣国の視察という名目になっているけれど、毎年同じルートでやってきて、長期滞在するのはこのセルイラ領のみ。
その上姉はほとんど自室から出てこない。
スチュアート王子が建前上、各地で要所の見学をちらほらするだけ。
お出迎えをしないといけない立場の人たちからすれば、いい迷惑だろう。
何せ隣国の王子夫妻の来訪なわけで、それなりに大事だ。
セルイラ領までの通り道にある地域はみんなもてなす準備をするし、自分の領で何かあってはまずいと領主は冷や汗を流しながら領内の安全確保に奔走する。
近衛騎兵が馬車の周囲を固め、二人の荷物用の馬車だけでも三台ついてきて(これでも王族にしては少ないほうらしい)、前方の安全を確認する先遣隊とは別に、目的地の安全を確認し、本隊が近づいている事を知らせる使者が半日前くらいにやって来るのだ。
…と、こんなに大変なことなのに、うちはなぜこんなにのほほんと朝食をとれているのだろうか。
いくら仕事に甘いお父様でもやっぱり娘の安全確保には真剣で、去年はそれなりにばたついていたと思うんだけど…
「セルイラ内の警備は大丈夫なんですか?
今年は騎士達の動きも鈍いみたいですけど」
領境まで迎えに行くなら昨日のうちに発っていないといけないはず。
けれど出て行ったのは一小隊のみ。
一人の指揮官に10名の部下がついたその隊だけで警備をするなど有り得ない。
昨年は二十倍以上の騎士を送っていたはずだ。
思わず心配を口にすると、父はにっこり笑って頷いた。
「今年はシェドの口添えもあって、遠方の警備をギルドへ委託したんだ」
「冒険者を使うってことですか?」
初めて聞く話だ。
王族の警護は自領の誇りにかけて自らの騎士団で護衛するのが通例。
思わずシェドを見ると、その視線を受けて頷いた。
「昨年は騎士団で警護をしていたが、
そこに人員を割きすぎてその他の対応に影響が出た。
騎士団で王族を出迎えるパフォーマンスは市街地に入ってからでいい。
それなりに礼儀をわきまえたA級以上の冒険者をギルドに見繕ってもらった。
身なりを整えさせた上で潜伏の形を取ってもらい、
形式上はうちの騎士団が一小隊ついている」
なるほど。
警備力はそれで十分だし、一応騎士団をつけることで相手側への礼儀も通していると。
セルイラはカッセードに比べれば騎士団は充実している。
しているけれど、カッセード以上に大きな街を持っているわけで、人の往来も激しく、その分揉め事も起きやすい。
王族への警備に人を借り出して余裕があるわけではなかった。
それにしても…前世で言えば要人の訪問に対して、本来自衛隊や警察が警備するところを民間企業に委託しているようなものだ。
シェドとギルドの信頼関係があるからこそできることというか…
なかなか他所には真似できないし、聞く人が聞けばお叱りもうけそう。
私の微妙な表情に気付いたか、母が困ったように微笑んだ。
「初めて聞くと、ちょっとびっくりしちゃうわよねぇ。
私も本当に大丈夫かしらって少し心配なのよぉ」
「冒険者が一般的に粗野なイメージを
もたれていることは事実ですからね」
母の言葉をシェドは否定しなかった。
「しかし…確かに無法者もおりますが、
礼儀正しく聡明な人間も少なくない。
そしてそういう者達は、こちらが侮ることなく
礼を通して依頼すれば業務遂行に忠実なのです」
「分かってるわよぉ。
シェドは今回みたいな実績を少しずつ残して、
冒険者の地位向上に繋げたいのよねぇ?」
頷くシェドの姿に、なるほどねと感心する。
そういえば前に、冒険者と騎士団の住み分けがどうとか言ってたな。
騎士団は動くのに色んな手順が必要で、他所への影響も大きい代わりに儀式的、定型的な仕事もできる。
いわば所属する地域のシンボルだ。
その分散発する事件への対応に弱いところもあるから、そういうところを冒険者が埋めているんだと。
冒険者の格式を上げて、フォローできる部分を広げたいっていうことなんだろう。
うちのご先祖様しかり、功績をあげた冒険者が貴族の仲間入りをすることはあるわけだし、これからの時代はそういう柔軟性も大切なのかもなぁ。
全員食事を終え、そろそろ席を立とうかという雰囲気になってきた、その時だった。
にわかに屋敷の外が騒がしくなる気配を感じた。
聞き取れないが、衛兵達が何か叫んでいるのが聞こえる。
いち早くシェドが立ち上がり、ダイニングを出ようとした瞬間、メイドがその場に転がり込んできた。
「旦那様っ!使者様がっ…お見えになりました!」
そう叫んだのは、よく見たらエレーナだった。
リドアカ同盟とか言うわけの分からないものを立ち上げた、明るいメイド。
しかしその表情は必死で、初めて見る険しいもの。
使者の到着は、息を切らし、顔を青くして言う事ではない。
エレーナは完全に言葉足らずだ。
しかし、そんな状態で告げるような状態の来訪であったことだけはよく伝わった。
シェドは彼女の肩を軽く叩き、父と目配せをして二人そろって足早に外へと向かう。
「まぁ…何があったの?」
残された私と母、リードは、息も絶え絶えのエレーナに水を渡してやりながら事情を聞く。
「アカネ様、達には…」
ようやく私達の存在を思い出したらしいエレーナが口ごもり、私は微妙な表情を返す。
私達に聞かせるのをためらうような情報なら、あんなに取り乱して飛び込んできてはいけない。
そもそも、自らお父様達の下へ行くのではなく、執事やメイド長に取り次いでもらうのが筋だ。
母も同じ事を考えているのか、溜息をつく。
「まだまだ勉強が必要ねぇ、エレーナ。
まあそこはカメリアに任せるとして…
この際構わないわ。うちの子達は強いもの。
貴女の知る範囲の情報くらいお話しなさいな」
母の真剣な声に押されて、エレーナは震える唇を開いた。
「コゼット様達がシルフドラゴンに襲われ…安否不明です」




