025魔力泉とダンス
「アカネ様、随分魔力の調整が上達されましたね」
リードが正式にメアステラの一員となった数日後のこと。
魔術のレッスンを終えた私に、見学していたリードがそう言った。
シェドはすでに執務に戻っており、廊下を歩くのは私達二人だけ。
「もう日が無いからね。
結構頑張ってるんだよ、私なりに」
セルイラ祭は二日後の4/8から一週間続き、最終日の4/15には舞踏会がある。
私の社交界デビューもその時だから、それまでにはしっかり調整できるようにしないと…
ちなみにこの世界の暦は現実世界と変わらない。
原作ではわざわざ暦の描写なんて無かったんだけどね。
チョーカー無しの状態で自力で制御した私の魔力は、カルバン先生いわく低級モンスターのファハギンくらい。
ファハギンはRPGでよく見るいわゆるサハ○ンだ。
半漁人のような外見で、三叉槍を持っている。
仲間と共に魔術で水面に渦巻きを作って小船を沈没させ、乗員を襲う。
群れなければたいしたこと無いよ、くらいのモンスターだ。
元がドラゴンとは思えない退化?…いや、私の場合は進歩…である。
カルバン先生は毎回こうしてモンスターに例えてくれているが、なんか若干楽しんでいるきらいがあり、たまにシェドと議論を交わして大喜利みたいになっている。
シェドに言わせれば今の私はウンディーネ、とのことだ。
…ウンディーネは湖に住む精霊で、心の清いものが旅の最中に立ち寄ると、その力で疲れを癒してくれるという有難い存在。
魔力は確かにそんなに高くは無いらしいが、とても美しい人魚の姿をしているという話だから、シェドは多分に私を美化しているのだろう。
カルバン先生もしらっとした目で見ていた。
私が言い出したわけじゃないのに大変居た堪れなかった。
そんなことより、だ。
「ねぇリード…
いい加減私に対しては様付けと敬語やめない?」
リードは年齢的に私の兄に当たる。
本来であればお互いの口調は逆であるべきだ。
でも今更リードにかしこまるのも違和感があったので、私は公の場ではきちんとすればいいと両親からも許可をもらっている。
私くらいは砕けた態度で接した方が、リードも打ち解けやすいだろうという配慮らしい。
ただ、リードが私にかしこまる必要も大義名分も無い。
しかしその指摘に、リードはにっこり微笑んだ。
「それがご命令とあらば」
「だーかーらー…」
彼は対外的に兄妹という立場になることに理解は示しても、二人でいる時はあくまでも奴隷という姿勢を崩さない。
まぁ、本当の奴隷がどんな態度かなんて知らないし、単にかしこまられてるだけな気がするけど。
「わかっていますよ。
他の方達の前では兄として振る舞います。
アカネ様と同じでしょう?」
「いや…それ違…え、同じなのかな?」
「普段はお互い楽なようにして、
然るべき時に然るべき振る舞いをする…
普通のことでしょう?」
詭弁としか思えないけれど、うまい言い返し方が思いつかない。
「舞踏会の時にうっかりアカネ様とか呼ばないでよ?」
舞踏会にはリードも参加する。
スターチス家の次男として招待客へ紹介するためだ。
でもリードは商人の息子なわけで、もちろんダンスなんか踊れない。
つまり、今回はただのお披露目だけだ。
どちらにしろ挨拶回りが忙しくて踊ってる暇なんかほとんど無いだろう。
両親にくっついてにこにこしていればいいだけなので、口を開く機会もあまり無い。
私の苦しまぎれの皮肉に、リードは苦笑した。
「僕はアカネ様の方が心配ですがね」
「……」
思わず黙り込む。
私も自分の方が心配だからだ。
うっかりリードって呼んじゃいそう…
「リード様、私はこの後ダンスレッスンに向かいます。
リード様もマナーレッスンでしたよね?」
「アカネ様、その口調は却下します」
間違えないように練習しておくか、と口調を正したら、すぐさま冷ややかな声色で拒否された。
「なんでよ」
「僕は貴女の奴隷だからです。
奴隷を様付けする主人がどこにいるんですか」
…この奴隷設定、いつまで続けるつもりなんだろう。
「ねぇ、その奴隷っていうのそろそろ」
「やめると言うなら自害します。
僕に死んでほしくないんでしょう?」
食い気味に脅された。
何コイツ。
「自分の命を盾に脅す魔王って何なのよ…」
「魔王の命を慮ってくださるアカネ様が変わってるんですよ」
小声で悪態をつく私にそう返すリードは、言葉に反してどこか嬉しそうで。
そんな顔をされると強い拒絶をしにくい。
「…好きにして」
シェドといいリードといい、あんまり逆らえる気がしない。
私って、押しに弱いのだろうか。
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夕暮れ。
ダンスの講師が帰った後、私は一人練習場所の広間に残っていた。
ティナはレッスンの間、別の仕事をしていることが多い。
朝と夜の世話以外は別行動をしていることも少なくないのだ。
一人残っている理由は他でもない。
自主練習だ。
演奏してくれる人も帰っているので、ただのステップ確認。
ダンスがある程度踊れる体になったとはいえ、やっぱり得意とは言えない私。
基本的なステップならまだしも、ここ最近習っているのは難しい曲だった。
この世界における貴族が踊るようなダンスは主に十種類。
曲が始まる前に決まったメロディを流すことで、どのステップの曲なのかを判別する。
難易度で言えば低が3曲、中が4曲、高が3曲といったところだろうか。
最近習っているのは高の3曲のうち、一番簡単なものだったけれど…
それでもやっぱり難しい。
つい足元を見てしまう。
教わった事を思い出しながらステップを踏むけれど、いつも同じところで足がもつれた。
たいていの令嬢は足捌きの激しいところで苦戦するという。
普段おっとりした動きの多いご令嬢に、せかせかした動きは難しいという事か。
けれど私は元庶民。
激しい部分はノリでなんとなくこなせるんだけど、その後少し曲がゆっくりになった部分が苦手。
リズムがどうにもうまくつかめず、足が無駄な一歩を踏んでしまう。
ダンスの先生も『ここが苦手なんですか』と首をかしげていた。
そういえば私、音楽ゲームも激しい曲よりゆったりした曲の方が苦手だったんだよね。
「あぁもう、うまくリズム取れないなぁ」
足をもつれさせつつ思わずそうごちると。
「取れないというより、
リズムの取り方が間違っている気がしますね」
思いがけず返事が返ってきて、慌てて振り向いた。
「リード!」
彼は広間の隅に立ち、こちらを見ていた。
「い、いつから見てたの…」
私の無様につんのめる姿を観察していたのか。
羞恥に赤くなる顔を自覚しつつ睨み付けると、彼は両手を上げて苦笑した。
「レッスンの終わりがけからです。
入室の際に声がけはしたのですが…
先生は目礼してくださいましたよ」
今日教わった内容は難しかった。
…必死でステップを踏んでいて、気付かなかったようだ。
つまり、先生に頭を抱えられるレッスン終盤から、私のぎこちない自主練までずっと見られていたと。
「アカネ様。
踊れもしない僕が口を挟むのは
さしでがましいかもしれませんが、
少し気付いた事を申し上げても?」
「…何よ」
今更取り繕っても仕方ない。
それならせいぜいいいアドバイスをもらおうじゃないか。
妙に偉そうになってしまった私に、リードは気にした風でもなく口を開いた。
「アカネ様、踊る際に音楽を聴いていませんか?」
きょとんとする。
何がいけないんだ。
「アカネ様が苦戦なさっているあたりのステップは、
前半とリズムの取り方が異なります。
これが前半、これが後半です」
そう言いながら、リードは手で拍子をとった。
…確かにちょっと違う。
「前半と後半で曲調は変わっていませんし、
メロディの節目を追いかけると
つい前半と同じリズムを追いたくなります。
後半に差し掛かった際は一拍の半分置いてから動き出すおつもりで。
何より、曲を追いかけすぎる癖は
お止めになった方が良いでしょう」
途中までなるほど、と頷きながらステップを確かめていたけれど、最後の言葉に首をかしげる。
「曲を聞かないと踊れないでしょ」
「一人で踊るならばそれで構いませんが、ダンスは二人で踊るもの。
そしてアカネ様はリードされる側になります。
…聞いた話になってしまいますが、
社交界では時折、独創的なリズムで踊る方もいるそうです。
アカネ様が磨かれるべきは曲を聞いて踊る能力ではなく、
リードする男性に合わせ、恥をかかせないよう踊る能力でしょう」
「恥をかかせないように?」
「リードされる能力ですね。
もちろん男性側はうまくリードできるように腕を磨くのですが、
女性側にもリードされるのが
上手い人というのはいるそうですよ」
「まぁ…そうだよね」
「うまく合わせられずに足を踏んでしまったり、踏まれたり…
特に傍目からわかるほど動きが止まるのはよろしくありません。
いくら相手のリズムの取り方が悪いのだとしても、
それは言い訳になりません。
本当に上手い人はそれにも合わせてしまいますから」
「言ってることはわかるけど…」
難しい事を言う。
一人でステップを踏むのにも苦戦しているのに。
しかめっ面で黙り込んでしまった私。
慌てたようにフォローが入った。
「とはいえ、もちろん基本があってこそです。
いきなり全ての人に合わせるのは難しいでしょう。
社交デビューしたばかりとなれば、
そういった粗相も寛大な目で見られます。
多くの人のお相手をして、経験を積まれればよろしいかと」
そこまで言われて訝しむ。
「…リードって、商人の子だったのよね?」
ダンスを踊れないと自分でも言っている割に、なんだかやたら具体的なアドバイスだが。
私の問いに、リードは貼り付けたような笑みで返す。
「少々耳年増なだけですよ」
まぁ、商人の子として貴族の家に出入りすることもあったようだし、奴隷期間中も貴族の手に渡って何か見聞きしたことがあったのかもしれない。
詳しく聞くと嫌なこと思い出させちゃうかもしれないな。
「…分かった、相手に合わせるっていうことを
忘れないようにする」
一切経験の無い私より、耳だけでも年増なリードのいう事を素直に聞いておこう。
それにしても、ダンス経験が無いはずなのにリズムの違いとかに気付けるのは…センスの差なのだろうか。
これでも令嬢として小さい頃からダンスを習っている私だ。
ちょっとへこむ。
しゅんとしているのが目に見えて分かるらしく、リードは苦笑した。
「すみません。
出すぎた事を言いました」
「ううん…リードのアドバイスが無かったら
ずっとどこが間違ってるのか分からなかったし、
舞踏会で特殊なステップの人に会ったら
動揺しちゃってたと思う…」
「そうですね…それなら褒美をくださいませんか?」
「褒美?」
いきなり図々しくきたな。
「主人に助力できた奴隷めに志を頂ければと」
かと思えばやたらと下手に出てくる。
何なんだ。
「少しアカネ様の魔力を浴びさせてください」
「は?」
聞けば、魔力暴走が落ち着いた後も私のもれ出る魔力には心地よさを感じるという。
しかし今の私はあくまで魔力を押さえている状態。
レッスン中にガッツリ抑えていた反動で、今はちょっと制御がゆるんでいるけれど、もちろんチョーカーはつけているし全力でもない。
魔力暴走時は私の魔力でそれが安定する、なんてこともあったが、元気になった今、私の魔力を浴びたからどうなるということもない。
ただの娯楽だ。
ちょっとしたマッサージくらいの感覚だろう。
「いけませんか?」
「…衛兵が気付いたら
何事かと飛んできちゃうかもしれないし…」
「全力でなくてもかまいません。
チョーカーを外すだけでも。
魔力制御の練習中ということで」
畳み掛けるように交渉される。
そんなに魔力浴をしたいのか。
カッセードの魔力泉にでも連れて行けば喜ばれるだろうか。
リードにとっては温泉感覚になれるかもしれない。
「じゃあ、ちょっとだけね」
それを口実に魔力制御をやめて休憩できるのは、私としても悪い話じゃない。
近くに人がいる時は基本的に制御を意識しているので、私も疲れるのだ。
場所を庭の片隅に移す。
私が初めて魔力を暴走させた場所だ。
ここは正門の衛兵から目に付く場所ではあるが、距離があるので魔力制御を緩めても気付かれまい。
見回りの兵が巡回してきても、自主練中ですといえば咎められることは無い。
花壇の花たちは、あの時私の降らせた豪雨で弱ったものの、庭師が頑張ってくれたおかげで持ち直してきている。
庭師のエデンさんは気難しいおばあさんだけれど、腕は確か。
私が花壇を乱したことには怒っていたものの、私が心から謝罪し、この花が好きだったことを伝えると花壇再生に力を注いでくれた。
この花を眺めながらちょっと羽を伸ばすとしよう。
チョーカーを外し、魔力制御を少し緩めた。
ああ、やっぱり解放感あるな。
「やっぱり気持ちいいですねー」
私と同様、リードもリラックスした表情をしている。
庭の花を眺めているフリで二人してしゃがみ込み、のんびり話をする。
「私はもうリードと接してても
魔力あんまり分からないけどねー」
「それはそうでしょう。
暴走も収まって完全に制御できるようになりましたから」
抑えてるのか…
問題なく制御できている事実が心から羨ましい。
ちらりとリードの方を見て、確かに魔力放出を全く感じないことを再確認。
それと同時に目があって、赤い瞳を意識した瞬間に背筋にぞくりとしたものが走る。
「…目を見るとざわざわするのは変わらないのね」
「目?」
言われてリードはきょとんとする。
「そういえば僕を拾った理由も目がどうとか
おっしゃってましたね。
目から魔力が放出されるとか聞いたことありませんし、
自覚もないんですが…」
目から魔力って…目からビームみたいなイメージになるな。
「魔力を感じるわけじゃないよ。
なんか気になるっていうか、
落ち着かない感じがするっていうか…」
魔力は表面から体内にかけてざわざわする感じだけど、リードの目を見た時に感じるのは…
まさしく心がざわざわする感じ。
うまく表現できない感覚をぽつぽつ語っていると、リードがこちらをじっと見ているのに気付いた。
「何?」
「いえ…口説かれてるのかな、と」
「はぁっ!?」
真顔で言われて、思わず変な声が出た。
無意識に立ち上がっていたようで、苦笑気味のリードが私を見上げていた。
顔が熱い上に頭の中で心臓が脈打っている気がするのは、一生懸命説明しようとしているのにふざけられて怒っているからだ。
そうに違いない。
「からかわないでよ!」
「ええ…冗談のつもりだったのに
思いの外良い反応をいただけて気分が良いです」
「私はすっごく気分が悪いわ!」
「それは申し訳ない事を。
それよりアカネ様、魔力が暴走してますので
少し落ち着いて…」
リードがそこまで言ったところで、目を細めて勢い良く上空を見た。
何事かと私も上を見ようとした瞬間…
地響きのような音とともに、それは地に降り立った。
私の魔力射程範囲は5m…そう言われていたことに甘えて油断していたのかもしれない。
カルバン先生は授業の時にいつも『心を落ち着けて』と言っていた。
集中しろということだと思っていたけれど、こうして興奮状態になれば影響範囲が広がることを知ってたんだろうな…
ましてや魔力は上昇する性質があるそうだから、上空への影響は更に強まるんだろう。
マリエルが村から出て行くことになった原因の一つ。
そして私が恐れていた事態の一つ…
みんなに迷惑をかけたくないと思っていたのに、気を緩めるからこうなるんだ。
カルバン先生の言うとおり、やっぱり私は歩く魔力泉。
後悔したってもう遅い。
目の前の、お気に入りの花壇を踏み荒らしてくれている犯人は、2mを超える体高を持つ、獣と鳥を融合させたような魔物。
リードの小さな呟きが耳に届いた。
「グリフォン…」
セルイラ祭までの日数が間違っていたため修正しました。




