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魔王の隣で勇者を想う  作者: 遠山京
第二部 最終章 令嬢と魔王

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068魔王の覚醒

山に囲まれた谷合。ドラゴンの上から眼下を見下ろせば、青い狼の群れが走っているのが見えた。


「あれが集落にとっては脅威ってことだよね。あの狼って、月の満ち欠けに応じて毛が生え変わっていくムーンウルフでしょ?新月の時に丸坊主になっちゃう変な狼。センフィーノ国では満月の時にとれた毛皮が高級品として取り扱われてる種類じゃなかったっけ」


確か今の月は下弦を過ぎたくらいだ。毛代わりの時期までもうすぐなせいか、ムーンウルフの毛もくたびれている。センフィーノの市場で見た毛皮はすごくきれいだった。艶が比べ物にならない。満月と下弦じゃここまで違うのか。


「センフィーノは冒険者が多いし、生息地の周辺に村は無かったからな。ここはあまりに縄張りと集落が近すぎる。ムーンウルフにとっては手近に人間がいるとなれば、向かわずにはいられないんだろうな」


魔物はすべからく、人間を襲う性質がある。人間を食べるものもいるし食べないものもいるけれど、その食性にかかわらず襲ってくる。神話によれば、魔力は人間から生み出され、魔物は魔力から生み出されているので、魔物は人間に引き付けられてしまうらしい。できれば懐くとか、もっと穏便な形で引き付けられてくれたらいいのに。


「この人間に引き付けられるっていう性質は変えられないんだよね」

「魔王として覚醒しきってないせいか、魔物共通の特徴ってのはどうも触れる気がしねーんだよな。俺が生み出した魔物や、直接触れた魔物は襲わなくさせられるんだが」


どちらかというと調教しているようなイメージなのだろうか。


「集落にまで入ってくるのが一番困るっていう話だし、やっぱりガールウートみたいに忌避する植物とかを決めて、集落の周囲に植えてもらうのが一番いいかな?」

「そうだな。冬場も枯れない、この土地にあった植物を調べるか」


そんな言葉を交わしながら、木が茂っている山の中へと降り立った。


「このあたりの白い木とかどうかな。たぶん冬だって枯れないんだろうし、これがずらーっと並んでるのは景観的にも綺麗なんじゃないかなって」


このあたりは寒い地域なので早くも紅葉していたり、葉が落ちている木もある。サクサクとそれを踏みしめていると、急にその音が重く響くようになった。足の裏に伝わる感触は変わっていない。だというのになぜ、と周囲を見渡してみると、一面に広がっていた赤や黄色、緑の錦が鋭い質量をもったように目に刺さった。木々を縫う風の音も、何かの唸り声のように意思を感じる響きを持つ。


「っ……ファリオン!?」


離れていたのはほんの数メートルだ。振り返ると、こちらに背を向けて立ち尽くすファリオンの姿があった。ほんの数メートル。駆け戻るのに要した時間は数秒のはずなのに、妙に長く感じた。

勢いを殺せないままその背中に抱き着いた。私の存在に気を払えていなかったかのように一瞬ファリオンの体がよろめいたけれど、すぐにぐっと体勢は立て直される。その間にも触れているところ全体から魔力を叩き込むと、すぐにおかしな音は鳴りやんだ。よく見てみれば、ファリオンは自分の手首に触れていた。ローザの作った魔術具を身に着けていたようだ。あれから改良されて少し小型になった腕輪には、私の魔力が込められている。覚醒が始まっても今回は理性が残っていたのか、ちゃんと腕輪を起動していたらしい。


「……もう、大丈夫だ」


私の手にファリオンの手が触れる。かすれた声だ。動揺を隠せていない。大丈夫だと言っているのに、ファリオンは抱き着いたままの私の手をきつく握り、離そうとしなかった。だから私も、魔力を流し込むのをやめない。


「……ファリオン」


聞かなくてもわかる。ファリオンは、魔術を使っていないんだ。


「ついに、きちまったかな」


自嘲気味の言葉が耳に届いて、私はファリオンを抱きしめる力を強くした。

ちょうど一年位前、トエロワに時間を進められた時にもファリオンは何もしていなくても覚醒が始まろうとしていた。どれだけ時間を進めたのかトエロワに聞いても『覚えていない』の一点張りだったのだけれど……一年。おそらくそれが進められた時間だ。もしかしたらトエロワ本人は覚えていたのかもしれない。それでいて、あえて教えなかった可能性も。


「……ファリオン。急いでここの魔物対策を片付けよう。それで、一度帰ろう。幸い、ここで一周目の訪問は一区切りするでしょ。二度目の訪問依頼は各地から来てるけど、すでに一度は行ってるんだから深刻な案件は減ってるはずだよ」


実際は状況が変わっていて、急ぎ対応してほしいことがあるかもしれない。けれどファリオンの魔王覚醒の方が緊急度は高い。万が一ファリオンが魔王に飲まれて魔物の強化を始めたら、これまでの改良が水の泡になるかもしれないのだから。


「そうだな」


ファリオンも分かっているのだろう。数秒の逡巡の後に頷いた。



=====



「有難うございました!女神様!魔王様!」


数日後、集落の人たちの盛大な見送りを背中に受けて、私達はまたドラゴンの背に乗っていた。あれから覚醒は起きていないけれど油断はできない。もしファリオンの魔王化がはじまれば、ドラゴンが驚いて振り落としてくるおそれもあるので、私は緊急時には風魔術を展開して二人の身を守る必要がある。安全性だけでいえば私の風魔術で飛んで移動するのが一番なんだけど、ここから帰るまでずっと魔術を使っていればかならず途中で枯渇するし、いざ覚醒が始まったときに魔力切れでは話にならない。魔力の温存は必須だ。


「ちょうどよかったね。先月、屋敷が完成したって連絡があったところだから」


私達が帰るのはカデュケート王国ではない。どの国にも所属していないことになった私達。そんな私達が帰る場所として用意されたのが、北大陸と南大陸の間にある無人島だ。

北大陸からは小型の舟でも一日でつける場所にあるその島に、各国が資金を出し合って私達の屋敷を建ててくれた。名目としては、各国での活動のお礼。本音をいえば、どこかの国に属さないよう、そして滞在場所が明確になるように、監視しやすいようにといったところだと思う。そして島という形で隔離されているのは、万が一のことが起きても被害がその島の中に収まるからだ。まあ、それならそれでこちらとしては都合がいい。距離がある分、他国からの干渉も受けにくいわけだから。

屋敷の現物はまだ確認していないけれど、仮にも女神と魔王が住む場所なので、掘っ立て小屋なんてことはないはずだ。完成連絡をくれたのはアドルフ様だったし、建設についても気を配ってくれているだろう。


「………」


ファリオンは何も言わない。あの日以降、ずっと何か考え込んでいるようだ。後ろから回された腕にそっと触れて祈る。

どうか、これ以上覚醒が酷くなりませんように。時々覚醒しそうになっても、私が魔力を流したらすぐ収まって……そんな状態がずっと続くだけなら、やっていける。けれど、そう上手くはいかないだろうことも、頭の片隅で理解していた。


木々に覆われた島の中央。大きく切り開かれたそこに屋敷は立っていた。カッセード領にあるスターチス家の屋敷より小さなそのお屋敷は、それでも二人が暮らすには十分すぎるくらいだし、外観は美しい。手を抜かずに作られているだろうことがうかがえる。


「あ」


屋敷に向かって降下していくと、手を振っている人影が見えた。屋敷の周囲に庭らしい庭はなく、ただ草が刈られただけのような殺風景さ。そこで草むしりをしていたらしいメイドが飛び跳ねながら大きくこちらに手を振り、もう一人のメイドに窘められている。懐かしい光景に思わず笑みがこぼれた。この屋敷に来るという連絡は誰にもしていないから、二人が外に出ていたのはたまたまだろう。


「エレーナ!ティナ!」


ドラゴンから私が下りるより先に、エレーナが飛びついてくる。


「アカネさまぁ……心配したんですよぉ」


涙声だ。エレーナ達とはラカティ連合国へ向かう際に、会合だと偽って屋敷を出たっきりだった。二人に余計な目が向かないよう、連絡をとることも控えていたから、実に一年以上会っていないことになる。


「心配かけてごめんね……この屋敷に仕えるメイドに志願してくれたって話は聞いたよ。有難う」

「当然ですよぅ。アカネ様のお世話は他の人に任せられませんっ……」

「エレーナ、離れなさい。それに呼び方もそれではいけないわ。申し訳ございません。楔の女神様」


そう言って頭を下げるティナの姿も懐かしい。けれど私は首を振った。


「ティナ。今この屋敷に居るのは二人だけ?」

「はい。補給船は昨日来たばかりですので本日は来ないかと……いつお二人がいらしても良いように食料も寝室も準備は整っておりますのでご安心を」

「そうじゃないの。もし二人だけなら、ティナもエレーナみたいにアカネって呼んでくれないかな」

「ですが……」

「お願い。他の人がいる時にはもちろん女神扱いで構わないの。だけど最近じゃ私の名前を呼んでくれる人って、本当に一部なんだよ」


トエロワにマイルイ、そしてファリオン。私を対等に扱える人が、本当に減ってしまったから……


「……分かりました。もう十八歳になられたはずですのに、まだまだ甘えん坊ですわね。アカネお嬢様」


私の訴えが響いたようで、ティナは仕方なさそうにため息をつきつつも受け入れてくれた。


「久しぶりだな、二人とも」

「ファリオン様もお元気そうですね」

「長旅でお疲れでしょう。どうぞお休みください」


ドラゴンから下した荷物を受け取りながら、二人がファリオンを労う。何でもないように見せてはいるけれど、ファリオンの表情はどことなく固かった。


「二人には伝えておく。このスライムを島中に離すから、駆除しないようにしてほしい。人は襲わない。ただ、島の内部に不審な者が潜んでいないか監視するための魔物だ」


ファリオンがどこからか取り出した手のひら大のスライム。今は一匹だけだけれど、分裂して増える習性があるので、明日には島のあちこちをうろつく姿が見えるようになるだろう。


「わかりました。この子たち、食事とかはどうするんですか?」

「島の草を食べるから放っておいていい。半径五十メートル以内に同種がいる場合は分裂しないようになっているから、増えすぎることもないはずだ」

「ふわぁー……本当に便利ですね、魔王様って」


魔王を便利グッズか何かのように表現するエレーナ。ファリオンも、ここまでストレートに言われると不快感もないようで笑っている。


「他に不便に感じていることがあれば言ってくれ。多少は魔物で解決できることもあると思う」

「そうですねぇ。ローザ様がかなり魔術具を持ち込んでくれていますし、スターチス家からも献上品という形で魔鉱石がたくさんあるので結構便利に暮らしてますけど……何かあれば言いますね」

「ローザ様といえば、お二人が戻られたらすぐに連絡が欲しいとおっしゃっていましたわね。連絡しませんと」

「ローザが?何かあったのかな?」

「いえ、アカネ様のお傍にいたいだけのようですが」


……ローザ。


「エレーナ、お二人にお茶を。私は通信室に参ります」

「りょーかいですっ!」


その後、エレーナが淹れてくれた懐かしいお茶を味わいながら、私はたっぷりエレーナから文句をきかされた。色々隠していたこと。黙っていなくなったっきり連絡が無かったこと。お母様達から説明を受けた時には目を回したこと。この屋敷の使用人も各国から人が派遣されそうになったのを、『女神様のお世話は長年やってきた私達にしか無理ですから!』とカデュケート王国に直談判し、女神の機嫌を損ねても知らないぞと散々脅してなんとか権利をもぎとったこと。そして、その代わり二人もカデュケート王国の国民としての権利を失ったこと……


「……エレーナ」

「何も言わないでください。ティナにもですよ。謝ったり気を遣ったりしたら、私達怒りますからね。ヴォルシュ家にだってついていったんですよ。いまさら離れるわけないじゃないですか。むしろ誇らしいんです。伯爵家のメイドっていうだけでも個人的には大出世だったのに、侯爵家のメイドを経て今では女神様のメイドですよ。これ以上ない就職先じゃないですか?」


キャッキャッとはしゃぐエレーナに、私はただお礼を言うしかなかった。正直二人の結婚がものすごく遠のいていることが心配だけど……それこそ突っ込んだら怒られるだろう。


「本当はね、アルノーとエドガーも付いてきたがってたんですよ。でも武人を送り込むのは女神様の気に障るのでは、とか、女神様に護衛など不遜である、とかで却下されました」

「まあ……確かに護衛は今のところいらないけど……エレーナ達は男手が欲しいと思ったりするこはない?」

「男手って、重いものを運ぶとかですか?アカネ様ってばまだ私のことかよわいメイドだと思ってるんですかぁ?」

「武人って話なら、エレーナはアルノー達と同レベルだよな……」


ファリオンの補足に驚いた。エレーナが戦えることは知っていたけれど、あの二人と同レベルだったとは。


「失礼ですね。遠距離から戦闘開始するなら勝つ自信ありますよ」

「あるんだ……」


エレーナって実は万能だよね……

絶句する私の横で、ファリオンはティーカップをテーブルに置き、エレーナへと向き直った。


「それで……エレーナ達は俺のことはどこまで聞いてる?」


そのどこか焦りをはらんだ表情を受けてか、エレーナもおどけた空気を消して姿勢を正した。


「もはや魔王という存在が元人間だったということは全国民が知っていることです。もちろんファリオン様が魔王の魂という聖遺物によって、新しい魔王となったことも」


そう。私はすっかり忘れていたのだけれど、本来魔王が人間であったことは最高機密。けれどファリオンの存在を公表するにあたり、下級貴族や平民たちにもその情報は伝わって大騒ぎになったらしい。私とファリオンはそういう喧噪の外にいたのであまり実感がないけれど。平民の間では過去の魔王が誰だったのかの推測で盛り上がっているらしいし、いつか自分や親しい人が魔王になる可能性もあるのかと怖がっている人もいるようだ。情報が錯綜して混乱が大きくならないうちに、正しい情報を公表することを王家は検討中らしい。とりあえずこのままだと子供達への脅し文句のバリエーションに、『いい子にしてないと魔王になって討伐されちゃうよ』が追加されると思う。


「それから……この屋敷に仕えるにあたって、機密事項も教えていただきました。今のファリオン様の状態はとても危うい。覚醒していないからこそこうして言葉を交わすことができ、覚醒を阻止するにはアカネ様が魔力を流す必要があるのだと」

「ああ。もし覚醒すれば、俺は歴代魔王と同じように人間に敵対するおそれがある。もちろん、そんなことが起きないようにはしたいが……側に仕えるエレーナ達は、正直なところかなり危険だ。俺はたぶん、万が一の時には真っ先にアカネの安全を優先する。二人の安全にまで気を回す余裕があるかはわからない」

「承知しています」


エレーナより先にそう答えたのは、部屋に入ってきたティナだ。追加の御茶菓子をテーブルに置きながら、ティナはいつものように淡々とした声で言う。


「ローザ様より、緊急時に自動展開されるバリアの魔術具をいただいております。もちろんアカネ様とファリオン様の分も預かっておりますので、後ほどお持ちいたしますわ」

「バリアって……え、あのカデュケートの王城につけられたようなやつ!?」


確かあれは酷い魔力食いで、しかも機構が複雑で本体が大きかったはずだ。個人が持てるようなサイズ感ではなかった。


「お二人がいらっしゃらない間、ローザ様はずっと研究室にこもっておいででした。お二人の役に立つようにとあらゆる魔術具を開発されていて、こちらもその一つです。バリアの魔術具の小型化は難しかったようで、このお屋敷の完成より後、つい最近出来上がったものですわ」


ティナが首元から引っ張り出したネックレス。大きな石がついたそれが魔術具らしい。


「攻撃を感知すると同時に、身に着けている人間の表面を膜のようなバリアが覆うそうです。必ず肌に触れている状態で身に着けていなければならないという制約がありますし、範囲から外れた髪や服は被害にあいますが、命は守られるだろうと」

「すごい……」


人類への貢献度で言ったらローザの方が私より何倍も上だ。むしろローザこそ女神扱いされていいのでは。発明の女神ローザ。


「ここまでの成果をだされると、恨みを忘れるどころか借りができちまうな……」

「ローザは貸しって思ってないだろうけどね」


感心を通り越して呆れた様子のファリオンだけれど、きっとローザが聞いたら喜んだだろう。ローザはいつも私のことばかり口にするけれど、やはり負い目があるようでファリオンの反応も気にしている。


「次にあったら褒めてあげてよ」

「……考えとく」



=====



翌日には早速ローザがやってきた。魔術具を使ってティナが連絡をとったらしい。この屋敷には通信室というものが備えられていて、手紙や小物くらいなら転送できるような転移魔術具がいくつも置かれている。魔術具はペアで動くもので、片方は今回私達を招いてくれた各国に置かれている。小島に住む私達と連絡をとろうと思ったら、この魔術具があるかないかで所要時間が大幅に変わってしまう。ローザが開発したこの魔術具はカデュケート王国を経由して提供されるので、カデュケートは国際的にかなり影響力を示せたようだ。あの時ローザを手放したことをパラディアが悔しがっているという噂もある。

そんなわけで各国の上層部とすぐ連絡がつくようになっているんだけど、それとは別にアドルフ様直通の魔術具も個人的に用意されている。ティナはそちらに連絡をとったらしい。そしてアドルフ様から話を聞いたローザはすぐに船を用意してこちらへ来たというわけだ。


「会いたかったよアカネ様ー!」


いつぞやと同じ光景が繰り広げられた。ファリオンが私を抱き寄せて避けさせてくれる。勢い余ったローザを受け止めたのはエレーナだ。


「……さすが。安定感のあるキャッチだね」

「こうして魔物を捕まえたこともありましたから。昔の癖でついこのまま首をシメたくなっちゃうんですが」

「やめてくれよ!?」


慌ててエレーナから距離を取るローザ。うちのメイドは物騒だ。


「ところで、急な帰還だったようだね?まだ再訪を望んでいる国はあると聞いたけど」

「それを全部きいてたら私達が休む隙なんてないじゃない。とりあえず一周はしたんだから、しばらく休みたいなって思って」


ファリオンが重い口を開くより先に、後付けの理由を話す。エレーナやティナにもファリオンのことはまだ話せていない。私の中にはまだ希望があった。あれは偶然……何かのはずみで覚醒が始まっただけで、もう二度とそんなことはおきない、そんな可能性だってあるんじゃないかと。


「まあそれもそうだね。あ、そうそう。ファリオン様への魔力供給用魔術具の改良品をいくつか持ってきたんだ」

「有難う、助かる。……あの、できるだけ数を用意してほしいんだけど」


さりげなく頼むつもりだったのに、かなり直接的な表現になってしまった。ローザの表情が険しくなる。


「何かあったのかい?」

「い、いや……その何かが起きてからじゃ遅いじゃない?魔力に余裕がある時に溜めて置いて、複数つけておけたらファリオンももっと安心だろうし」

「……そうだね。確かに複数着けておいてくれればそれだけで効果時間は何倍にもなる。まあ、ガントレットみたいになってしまいそうだけれど」


確かにファリオンは腕が重くて大変だろう。私とペアになっている転移魔術具の腕輪もつけているし、すでに両手首が埋まっている。


「いや……俺なら大丈夫だ。保険はどれだけあってもいい」

「分かった。研究開発用の道具も持ち込んでいるからすぐに取り掛かるよ。屋敷を一室私に与えてもらえないかな?」

「もちろん。ティナ、ローザを空いている部屋に案内して、彼女が望む部屋を提供してくれる?」

「かしこまりました」


ティナの案内についていこうとしたローザがくるりと振り返った。


「そうだ、アカネ様。あとで診察させてほしい」

「ん?ああ、旅の疲れが残ってないかってやつね」

「それもだけど、もし処女じゃなくなったなら妊娠の可能性も考慮しないといけないだろう?」

「なっ……!?」


口がハクハクと動く。怒りたいのに何を言っていいのかわからない。


「……心配いらねーって言っとけば?」


ローザの背中を見送って、ファリオンがちょっと拗ねた口調で言う。そう……私達はこの長期間二人きりで旅をしてきたにも関わらず、一線を越えていない。忙しかったというのもあるし、そもそも万が一妊娠して体調を崩しでもしたら魔王への批判に繋がるという判断もあった。おかげでファリオンはしょっちゅう頭を抱えて『いつになったらいいんだよ』と唸り、私がなだめ、『逆効果だ』と押し倒されるループが発生していた。

この屋敷に用意された主寝室は一つだけで、私達は昨夜も一緒に寝ている。もうティナやエレーナも何も言わなかった。けれど昨夜も何事もなく休んだのだ。もうこれだけ拒む日々が続いてしまうと、私としてもどう受け入れていいのか分からなくなりつつある。


「……あ、あとで話しておく」


とりあえず、ファリオンの機嫌を悪くして立ち去るのはやめてほしい。ローザめぇ。



=====



「ぐっ……」


そんなうめき声が聞こえて目が覚めた。事態を把握するより先に、隣の体温を探り当てて魔力を流し込む。ファリオンの腕をつかんだらしい私の手に、大きな手が重なってきつく握りしめてきた。

そのころにはいくらか目が覚めて、薄暗い室内の様子が分かってくる。ベッドの上で、横たわったまま苦悶の表情をしているファリオンが見えた。


「ファリオン……」

「……大丈夫だ。意識はある」


息を乱しつつも、ファリオンはそう答えた。もう衝動は収まっているのかもしれないけれど、念のため魔力を流し続ける。


「……やっぱ、この前のはたまたまってわけじゃなさそうだな」

「…………そう、だね」


前回起きたのは二週間前。短期間に二度も起きてしまえば、さすがに偶然では片付かない。確実にファリオンには異変が起きている。ようやくハッキリしてきた頭が事態を把握して、手が冷たくなっていく。


「アカネ、アドルフに連絡をとれ」

「え……」

「もし各国への通達が必要なら、楔の女神であり勇者でもあるアカネが主体になった方がいい。先んじてアドルフに連絡して、今後の対応を相談しておかねーと」


連絡……今後の対応?それって……ファリオンが、魔王になった時のことを?


「ま、待って。まだそこまで緊急性が高いって決まったわけじゃ」

「何言ってんだ。魔術を使ってなくても覚醒しようとしてるんだ。こっちじゃ気を付けようが無くなってんだから、十分緊急事態だろ」


ファリオンの言い分は分かる。私だって、冷静なところではそう思ってる。だけど……他の誰かに知られれば今すぐ討伐しろなんて言われるんじゃないかと思って、いまだにローザにも相談できていない。

……万が一の時には私が魔王を討つと誓った。けれど最悪の事態を避けられる可能性があるなら、最後まですがりたい。わずかな可能性にかけるくらいは、許してほしい。


「……時間かけたって、アカネが辛くなるだけ……」


なおも何か言い募ろうとするファリオンの唇を塞いだ。強引に押し付けた唇にわずかに歯が当たって痛む。ファリオンは触れ合う唇の隙間から呆れたような吐息を零した後、そのまま私を抱きしめた。

次第に激しくなるキスに私が息を乱す頃、ファリオンはゆっくり唇を話した。薄闇の中に浮かぶファリオンの顔は、まるでわがままを言う私を愛おしむような……


「本当にバカだな、アカネは」


バカだなんて言葉なのに、耳元で愛を囁く時のような甘い声で言うから。銀色の瞳がまっすぐ私を見つめてくるから。背筋がしびれて動けなくなる。


「……バカでもいいから。お願い……」


ギュッとファリオンの背に腕を回して強くだきついた。


「ファリオン、大好きだよ」

「………全く…………俺も愛してるよ」


そんな甘い言葉と、ついばむようなキスからそれは始まった。ファリオンは本当に私を諦めさせたいのだろうか。生れて初めて奥深くまで感じる体温に、私はファリオンが今生きていることを改めて思い知る。抑えきれない声が漏れ出る度に愛おしさだけが積もっていく。

降り積もった分だけ、きっとこれはいつか切なさに変わる。世界で何より好きな人を、自分の手で討たなければならない日が近づいていた。

ご覧いただきありがとうございます。

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