067女神と魔王のお仕事
王城の貴賓用客室へと滞在することになった私とファリオンは、歓迎会の翌日から早速会議の場に招かれた。初回の会議の場で私達がこの国の貴族ではなくなることが明言され、カデュケート貴族ではなく独立した立場の女神と魔王として扱われることになった。
歓迎会の場で私やファリオンに含みのある態度をとっていた人々は、予想通り会議の場でも奥歯に物がたっぷり挟まったような物言いで魔王の危険性や恐怖を訴える。
こちらは魔物を操れるファリオンの有用性についても説くけれど、議論は平行線のまま。実際のところ、ファリオンの危険性については否定しきれない。こちらが不利になる情報はぼかしているけれど、ファリオンが歴代魔王と同じように人間と敵対しない保証がないという彼らの訴えはもっともだ。だから、三週間くらい続いた会議を終わらせるために私が告げた言葉はこれだった。
「万が一のことがあれば、私が魔王を討ちます」
そんなこと、万が一にも起きてほしくはない。何よりもやりたくないことだ。けれど人々を安心させるために、ファリオンを守るために、私が決めなければいけない最大の覚悟。この覚悟を決めるのに、時間がかかってしまったけれど……
震える手を握ってくれたファリオンの手の力強さに後押しされて、私はようやくこの言葉を口にした。
国王陛下とベルブルク公爵をはじめとした穏健派の人々は大きく頷き、アドルフ様は目を閉じた。過激派は色めき立つ人と言葉を失う人に分かれたものの、この一言で一気に会議は決着へと向かい……
魔王は魔物被害を減らすために尽力し、楔の女神は魔王のフォローと勇者としての責務を果たすこと、そしてカデュケート王国は国をあげて私達をサポートするという結論に至ることができた。
「よくやってくれた。アカネ嬢」
人々がいなくなった会議室に残り、アドルフ様は私をねぎらってくれた。その目には気づかわしげな色が浮かんでいるけれど、私はゆっくり首を振る。
「いえ……少し時間をかけすぎたかもしれませんが」
「いや。タイミングとしてはベストだった」
魔王と楔の女神本人へある程度不満をぶつけてガス抜きできた後だからこそ、今日の話がまとまったとアドルフ様は言う。不満も意見も一通りできって話が堂々巡りをはじめ、わずかに過激派側の気が緩んだように感じたそのタイミングで差し込んだ私の宣言は十分な効果を発揮したらしい。
もともとしばらく過激派を泳がせることは作戦の範疇だった。会議の裏で誰がどんな動きをするのかベルブルク家が探るためにも時間が欲しいと言われていたし、あまり早いうちに楔の女神が前のめりで説得にかかれば足元を見られるという駆け引きもあった。
けれど実際にどのタイミングで私が終止符をうつのかは一任されていたわけで、かなり責任重大だった。胃が痛い。会議の期間中は周囲の目がある。ベルブルク家や王家と明確に接触していれば過激派を刺激するとあって、こうして三人で会うのは本当に久々のことなのだ。大枠はあらかじめ決めていたとはいえ、国の重鎮が集まる会議の場で自分の判断で発言をするのはそれだけでも勇気が必要だった。こちとら元はただの女子高生ですよ……内容があれなのだからなおさら気が重くて仕方がない。
「おかげでようやく調印式に向けて動き出せそうだ。ラカティ連合国ともおおかた話はついているし、三月には調印式を行えるだろう。しばらくは外交に関する話し合いになる。二人を呼ぶ頻度は下がるはずだ。少しゆっくりしていてくれ」
「はい。有難うございます」
アドルフ様に笑顔で答えて、私はファリオンと共に退室した。
「話がまとまって本当に良かった」
「……ああ」
「ファリオンもずっと気が張ってたでしょ?嫌なこと言われたりもするしね。しばらくのんびりしよう。お忍びで城下に出てもいいかも」
「アカネ」
つないでいる手をぐっと引いて、ファリオンは前を歩く私を引き留めた。
「……どうしたの?」
首をかしげて見せると、ファリオンは周囲に軽く視線を走らせてから、部屋へ向かう道とは違う方へと歩き出した。
「え、ど、どこに……」
「部屋はちょっと遠いだろ」
確かに私達が滞在している建物はこの棟から少し離れたところにあるので、徒歩だと二十分くらいかかる。ファリオンは人気のない廊下を進み、大きな柱の陰で足を止めた。
「一体どうし……」
尋ねようとした私の声は、抱きしめられて途切れた。服越しでも伝わる体温。そして脈打つ鼓動が肌から、耳から確かに届く。その温度、感触、音のすべてが私の頭の中を揺さぶって、鼻の奥がツンと痛んだ。
「ファリオン」
「ああ」
布ずれの音に掻き消えそうなくらい小さな声で呼んだ私に、ファリオンが返事をする。
「私……顔に出てた?」
「いや……全く出てなかった。平静装うのがうまくなったな。驚いた。でも絶対……今のアカネは泣きたいだろうと思って」
人の我慢を知っていながら、それをぶち壊すなんてひどい。そう思うのに声が出ない。音を紡がないまま震える唇をファリオンの指がそっと撫でて、そのまま触れるだけのキスを落とされる。
「ファリオン」
唇が離れた瞬間にまた名前を呼べば、応えるように唇をついばまれる。ねだるように何度も名前を呼ぶ度、なだめるように、優しく撫でるように。
「俺が、魔王じゃなかったら」
何度目かわからない口づけの後、不意にファリオンがつぶやいた。
「……そしたら、出会えてなかったかもしれないよ」
そう返すと、ファリオンはコツンと私の額に自分の額を当ててくる。至近距離で、銀色の瞳が私を見つめていた。
「そういうもんなのかな………勇者でも魔王でもなくて、なんの肩書もないファリオンのままだったとしても、アカネのこと絶対見つけた自信があるけど。でも、アカネと出会う前にはそんな自信無かったからな」
「何それ、当たり前じゃない」
思わずこぼれた笑い声を封じるように、またファリオンの唇が触れる。
「でももし、魔王にならなきゃアカネと出会えないっていうなら……もしやり直せたとしても、俺はたぶん魔王の魂を受け入れてたと思う。アカネに負担をかけることになったとしても」
「……負担なんて、言わないで」
ファリオンの魔王化を抑えられるこの能力も、勇者になったことも……確かにプレッシャーを感じたことはあるけれど、今となっては他の誰にも譲れない。私だってきっと、やり直せたとしてもまた聖剣を抜いたと思う。いつか訪れるかもしれないその選択を、ベオトラや他の人に任せるなんてしたくない。
そう告げる私の頭を優しく撫でて、ファリオンは『そうだな』とつぶやいた。
=====
アドルフ様の言葉通り、三月の終わりに調印式が行われた。ラカティ連合国の四人の王様が他国に勢ぞろいすることなど史上初のことで、城下はお祭り騒ぎ。外国からも観光客が大勢来ているそうだ。
とくにこの北大陸には一度も上陸したことが無かったというエルフやドワーフはその種族だけでも注目の的。ドワーフの王は愛想よく対応しているけれど、エルフの王はとても嫌そうで、エスコートを買って出たベオトラにおとなしく従って隠してもらっている。……思ったより二人の関係は順調なのかもしれない。いや、先日聞いた話だと、滞在中にデートしようというお誘いはお断りされたらしいけど。ベオトラドンマイ。
それでもこの調印式の場に出てきてくれるくらいなのだから、エルフの王はかなり考えを譲歩してくれるようになったのだと思う。破滅派の人間にとって、全く考えの違う北大陸の国と友好関係を築き、自国を開いて文化を交わらせることはかなり抵抗があるはずだ。きっとこの譲歩には、ベオトラの熱心なアプローチの成果も少しはあるんじゃないかと思う。
そしてさらに一か月後。
「ここがラカティか」
国王夫妻とアドルフ様がラカティの地に足を踏み入れていた。強く照り付ける太陽とその暑さに驚いているようだ。四月のカデュケート王国は春でまだ時折涼しい日もあるくらいなのだけれど、ラカティは常夏の国なので、四季のある国しか知らない人々にとっては新鮮なんだろう。
今回の視察は両国の友好関係を象徴するものとして調印式の前から決まっていたことだ。ついでに魔王との友好関係アピールもかねて、移動手段は魔王が作りだした魔物だ。
私が飛行機の話をしたせいでそこから着想を得たファリオンは、いつぞやの風見鶏を改良した魔物を作り上げたため、『鉄の塊が飛ぶのはおかしい、海の真ん中に落ちるんじゃないのか』とアドルフ様を真っ青にさせた。おそろしい半日旅になってしまったようなので、私もちょっと責任を感じている。ごめんね。
あと、コンドルみたいなフォルムに改造された風見鶏もごめん。たぶんアイデンティティの崩壊にあってると思う。
意外にも国王夫妻は興味津々といった様子で、疑問や恐怖より好奇心が先立っていたようでケロリとしていた。アドルフ様が繊細過ぎるんだろうか。
「ベルブルク公爵も来たがっていましたから、いつか来られるといいですね」
「父には国で目を光らせていてもらわなければ困りますから」
私にそう言って肩をすくめるアドルフ様は、出発直前まで公爵にごねられていたらしい。国王に加えてベルブルク公爵まで国を開けてしまうと、過激派が鬼の居ぬ間に大暴走するおそれがある。まだまだ一枚岩とは言えない今のカデュケート王国は放任できる状態ではないので、ベルブルク家からは次期公爵であるアドルフ様だけが今回の視察に参加しているのだ。
「それにしてもこの暑さは……確かにラカティから持ち込まれた衣装の方が快適なのだろうと実感するな」
「気候が違えば文化も変わりますからね。面白いですよね」
私は元の世界では海外旅行をしたことが無かった。けれどいつかはいろんな国を見てみたいと思っていた。できればファンタジー世界にどっぷりつかれそうなヨーロッパとかにまず行ってみたかった。英語は苦手だけれど現代は日本人向けのツアーとかがたくさんあるから有難い話だ。笑顔で異国文化について語る私を見て、アドルフ様は意外そうに目を丸くする。
「……楔の女神は、異なる文化に対しては寛大で抵抗が無いのですね」
「なんですか。意外ですか?」
「失礼。内向的なイメージがあったもので」
人前に立つのは苦手だけど、異国文化についてはそりゃ別で……いや、それは私がネットやテレビで多様な情報を得られる現代人だからか。普通はこの世界に生きる貴族令嬢は形式ばったガチガチのマナーの中で育ち、それ以外の文化をほとんど知らないまま一生を終える。ラカティのように全く違う文化には抵抗を感じる人が多いはずだ。
そう考えるとドロテーアもかなり柔軟な方なのだろう。お金持ちの上流貴族ではなく、平民との距離が近い貧乏貴族なのが良かったのかもしれない。
「ドロテーア嬢でもやはり異国の地には戸惑いとストレスがあったようなのですが」
「あー……」
元の世界で外国を色々知っていた私とは違って当然だろう。事前知識があるのとほとんど無いのとでは全く違う。ドロテーアだって出発前にはいくらかラカティの情報を得ていただろうけど、文字や伝聞の情報には限界がある。写真や映像で外国のことを色々知っている私に比べれば実際に目にした異文化のショックは大きかったに違いない。まあ、私だって気候や食事や考え方の違いで少なからずストレスはあったんだけどね。
「心強いことです。楔の女神様は今後、世界中の国を回ることになるでしょうから」
「……来月からは北大陸の主要国を外遊する予定のはずですが」
笑顔のアドルフ様に、私は口元をひきつらせた。世界中とは聞いていない。
「ええ、来月からの予定はそうなります」
「北大陸だけ回って終わりとはならねーだろうな。魔王や神の存在が広まるほど、その存在を認めない地域との軋轢は起こる。マイルイやトエロワは人間たちに対して深くかかわらないっていうスタンスをこれ以上崩したくないみてーだけど、俺達はそうもいかない。こうなったらとことん顔を売って、自分たちの優位性、有益性を売り込むしかないだろ」
ファリオンの言葉を聞いて、溜息を飲み込んだ。いや、その通りだと思う。世界には北大陸だけでなく、南大陸もあるし、その他の島国もあるのだ。当面は手近なところで精一杯とはいえ、いずれは他の国々にも顔を出して私達の存在を周知しなければトラブルの種になるし、世界中に存在する魔物の対策を練ることが魔王であるファリオンの命題だ。一部の国にだけ加担して他はほったらかしなんてしたら、怒りや憎悪がこちらに向かう。
本当に……しばらく忙しそうだなぁ。
ラカティの視察は、思ったより穏便に終わった。他国の国王が来るとなれば破滅派の人々の抵抗が強いのでは、もしかしたら暴動やら暗殺やらが起きるのではと私は常に気を張っていたのだけれど……神や魔王が直々に案内している中に特攻してくる人はいなかったようだ。
ラカティのお城は私達が離れている間に少しだけ華やかになっていた。廊下や部屋に花が飾られるようになっていたり、お城で働いている人の中には綺麗な染め物の服を着るようになっている人も。それでもアドルフ様達にとっては質素に映ったようで、言葉少なに驚いていたけれど。
華美ではないもののしっかりともてなされ、三日後にはリゾートを満喫している三人の姿があった。視察はどうしたんですか、視察は。
二週間の視察は滞りなく、強いて言うなら予定より視察場所が減って神都でのんびりする日が増えたくらいで終わった。まあ……これまでバリバリ働いてきた人たちだから、ちょっとくらい羽伸ばしても罰は当たらないだろう。でもお留守番のベルブルク公爵夫妻がかわいそうだから、いつか連れてきてあげたい。
両国合意の下、許可された人間だけが使用できる転移の魔術具も設置されたので、今後は私とファリオンも短時間でラカティを訪れることができるようになる。まあ、急な呼び出しなんて無いにこしたことはないんだけどね。
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「息つく間もなく今度は北大陸外遊かぁ……」
帰国して数日後、私とファリオンは再びドラゴンの背に乗っていた。
「仕方ねーよ。これでもだいぶ待たせた方だ。カデュケート王国ほどではないにしても、他国にも魔物はいるしその被害も少なくないからな。少しでも早く自国に来て魔物をなんとかしてほしいって依頼は多い」
ファリオンはカデュケートでも、多くの魔物の改良を行ってきた。会議が決着してから調印式までの間にも国内のあちこちに飛んで魔物被害の実情を聞き取り、被害が減るような改良をするために奔走していたのだ。もちろん私も一緒に行っているので、なかなか大変だった。
アドルフ様はもう少し体を休めていいと言ってくれていたけれど、こうして精力的に動き回る姿を見せることも魔王無害キャンペーンの一環だということで、私達は頑張った。そしてその成果は確かに表れていて、実際に魔物被害は減っていき、後半は魔王の訪問を歓迎してくれる土地も多かった。
その情報を聞きつけた他国からは、わが国にはいつ来てくれるのかという催促がカデュケート王家にあったくらいだ。『女神様と魔王はもう我が国の所属ではないのでお二人次第です』というのが王家のスタンスなのだけれど、実際カデュケート王国に私達は滞在中だったので無視するわけにもいかない。代わりに私達が返答を行い、要望があった順に国々を回ることになった。要望があった順となると非効率な回り方にもなるのだけれど、致し方ない。こっちで勝手に順番を考えるとクレームのもとになる。
「どれくらいかかるかなー……」
「一つの国に行くだけでも、歓迎のパーティーがあって、会談があって、事前打ち合わせがあって、実際に現地回りながら魔物対策……となれば、最低でも一週間、長ければ二週間以上だろうからな……」
「今のところ要望があった国は六か国だけど……」
「どこかに滞在中にもさらに要望は届くだろうし、北大陸で一部の国にはいきませんでした、なんてわけにもいかねーだろうから、北大陸の国、十か国全部回るって考えておいた方が良い。国としては認められていない独立地域なんかも合わせればもっとだろ」
パラディア王国のように広い国を対応するとなれば一か月近くかかることもありそうだ。北大陸すべてを回るには、三か月ではきかないようにに思う。そしてそんな広いパラディア王国が最初の一か国目なわけだけれど……
「ようこそおいでくださいました」
王宮の正門から尋ねた私達は王宮の応接室へと案内された。そこで迎え入れてくれたのはスチュアート様とお姉さまの二人だけだ。
「お二人がお出迎えですか?」
眉をひそめるファリオンに、スチュアート様は苦笑する。
「申し訳ありません。正直に申し上げますと二人への対応については王家でももめていて……国王である父上が出迎えることには反発が大きく、知己である私達が対応することでひとまず話が落ち着いたところなのです」
「女神を出迎えるのにずいぶんな態度ですね」
ファリオンの言葉はもっともだ。カデュケート王国では王族が勢ぞろいして外まで私達を出迎えた。私を神として扱い、ファリオンを他国の王と同じ扱いとしたからだ。この情報は他国にも、ましてやパラディア王国にはしっかり伝わっているはずで、対応のお手本はすでにあったようなもの。だというのに来訪の要望をいち早く出しておきながら謁見室でも歓迎の宴の場でもなく応接室に案内した上、肝心の国王は出迎え無しというのは明らかにこちらを侮っている。実姉がいれば文句はないだろうと言わんばかりだ。
「……正直なところ、気心のしれたお二人を見たときに肩の力が抜ける思いがあったのは事実ですが……」
「アカネちゃん……」
コゼットお姉様が痛ましげに表情を歪める。きっと疲れが顔に出てしまっているのだろう。ゆっくりと首を振り、俯きかけていた顔を上げた。
「ですが、この対応を受け入れるのはこちらとしても、そしてパラディア王家にとっても良くないことだということはお分かりいただけるかと思います」
「パラディアにとっても……?」
険しい表情のスチュアート様と違い、お姉様はよくわからないようで首を傾げた。
「聞いておられませんか?カデュケート王国ではスターチス伯爵夫妻も、私に最上位の礼を取りました」
この言葉でお姉様はようやく事態を理解したらしい。なぜお母様達がそうしたのか。それはただ私を立てるためだけではなく、邪推や余計な火の粉を振り払うため、スターチス家を守るために私から一線引いたという意味合いもある。パラディア王国でこの対応を許せば、他国からはどう見えるだろうか。私と姉が相当親密であり、パラディア王国には融通をきかせているようにも映るだろう。そうなれば他国からの突き上げを受けるのはパラディア王国だ。
「スチュアート殿下。パラディア王国への滞在期間は三週間を限度とします。そして国王夫妻がこちらへ挨拶に来ない限り、魔物対策について私も魔王も一切手を貸しません。そしてこれ以上の非礼があるようでしたら私達は今後一切この国には立ち寄りません。そのようにお伝えください」
「……承知いたしました。楔の女神様」
チラリとファリオンを見れば、頷き返された。もともと想定していたことだ。招待しておきながら、こちらを侮り無礼を働く国はきっとあるだろうと。まさか親しいつもりだったパラディアにこれをされると思っていなかったけれど、よく考えればこの国は北大陸において随一の発言権を持つ大国だ。加えて精霊信仰が強く、大精霊のマイルイならまだしも神と言われてもピンときていないに違いない。ましてや私はポッと出の神……もともとは隣国の貴族だったのだから、そのつもりで対応すればこんなものなのかも。
けれどそれを甘んじて受け入れるつもりはない。隙を見せればファリオンや私の立場が危うくなる。カデュケート王国が私達を守るために作ってくれた立場が台無しにならないよう、向こうが礼を尽くさない限りは手を貸さないということはあらかじめ二人で打ち合わせ済みだ。
「私はすぐに国王へお言葉を伝えてまいります。コゼット。お二人のもてなしは任せたよ」
「え、ええ……」
コゼットお姉さまは事態についていけずに戸惑っているようだ。冷たい言葉を告げた私のことも、困ったように見つめている。スチュアート様が出て行って三人残された室内には沈黙が落ちかけたけれど、それを破ったのはファリオンだ。
「コゼット様。この部屋に控えているのは貴女とスチュアート殿下の使用人だけではありませんね?」
「……はい。国王陛下直属の文官もおりますわ」
「では貴女が信頼する直属の使用人以外は下がらせてください。礼も尽くさず情報だけ得ようとするなど、無礼も甚だしい」
ファリオンの言葉にお姉様は少し身をすくませて、壁際に控えていた使用人たちに目配せした。そのうちの四人が慌てて退室していく。
「……これで、正真正銘あなたの使用人だけですね?」
「はい。お約束いたします」
その言葉を聞いてから、ファリオンは懐からヒナ吉を引っ張り出した。机の上にポテリと座る兎のぬいぐるみをみて、お姉様は目を丸くする。
「まあ……もしかしてこれは、アカネちゃんが可愛がっているという魔物……あ、失礼いたしました。楔の女神様」
思わずポロリと口をすべらせたお姉様に、ファリオンはさきほどまでの険しい表情を消して笑った。
「アカネちゃんでいいんじゃないですか?今の私達の声は、そこの使用人たちにすら聞こえていないはずですよ」
壁際に控えている使用人たちは、急に音もなく喋り出した私達を見て戸惑っている様子だ。ヒナ吉の口はほとんど閉じていて、私達三人にしか互いの声は聞こえない状態になっているはず。
「……アカネもずっと気を張ってたんだし、少しくらい姉妹水入らずの会話をしたっていいだろ」
「ありがとう、ファリオン」
そう答えてお姉様に微笑みかければ、緊張の糸が切れたように緑色の瞳に涙がいっぱい溜まっていく。
「あ、アカネちゃん……私っ……ずっと心配して……」
「はい、お姉様。ご心配をおかけしました。きっとラカティに行っていたことも、お姉様ならいち早く情報を掴んでおられたことでしょうし……この楔の女神なんて呼び名も、戸惑わせたことだと思います」
「いいえ、アカネちゃんが女神だというのはとても納得したのだけれど」
それはしなくてよかった。
「でも……もうお姉様なんて、呼んでもらえないのかと思ったわ」
私の肩書がどうなろうと、私を見つめるお姉様の瞳に映るのは慈愛だけ。
「ありがとうございます、お姉様」
その無償の愛情が、家族としての表情が、今はかけがえのない尊いものに思える。
……でも、私は一つだけお姉様に言わないといけない。
「そういえばラカティで着ていた服がいつの間にか無くなっていたのですが」
「………」
「お姉様、また回収してませんよね?」
「………」
「私の過去の衣装で一体王宮のお部屋をいくつ使うおつもりですか?恥ずかしいのでいい加減捨ててくださいね?」
王子妃として申し分のない張り付けた笑顔で黙殺された。
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その後、私達は順調に諸国を回っていた。パラディア王家はあの後、慌てて場を整えて私達へ謝罪とあいさつを行った。どうやらヒナ吉の消音能力についても報告が上がったようで、魔物を生み出したり操ったりする能力について現実味がわき、ようやく上下関係を察したらしい。建前上の立場としては女神である私が上になっているけれど、国として本当に仲良くしておくべきなのはファリオンだ。魔物をけしかけられては困るし、魔物被害を減らすという直接的な利益をくれるのもファリオン。私の実態なんてファリオンの付属品に過ぎない。
大国パラディアも頭を垂れたという噂が広まったのか、他の国では手扱い歓待を受けた。最初のころむず痒かった扱いも、何か国も回っていれば次第に慣れてくる。向こうが神として扱おうと腹をくくってくれているのに、こちらがいつまでもまごついていてはかえって申し訳ないというものだ。堂々とした振る舞いを心がけていれば、少しずつでも身についていくものだと実感する。
魔物対策も順調だ。各国で深刻な被害を出している魔物を聞き取り、現地を見て、その被害が抑えられるように魔物の特性を書き換える。魔物自体を消滅させることはできないのかと時折聞かれることもあったけれど、それはできないと答えている。
実のことをいえばこれは嘘だ。ファリオンいわく、消滅というわけではないものの、その種族を根絶やしにすることは少し時間をかければ可能だという。たとえば本来水の中では呼吸できない魔物に、水場を見つければ顔を沈めずにはいられないなんていう特性をつけ足せば、次第にその魔物は溺死していき数を減らすだろう。
けれどそれを教えないのはトラブル回避のため。魔物は人々に害をなすこともあるけれど、活用されているケースもある。私の大好物の大羊だって魔物だけれど、その味はとても美味しいし、食べられなくなったら悲しい。魔物の素材がとれなくなると困る地域もあるかもしれないのだ。一種一種、各地での扱いを調べている暇はない。取り急ぎの対応として、その魔物の弱点を明確に設定してそれを教えたり、致命的な攻撃を封じたりするような調整が一番無難だという結論になっている。カデュケート王国では十分これで成果が出たので、他国でもその方針は変わらない。
各地で感謝の言葉を聞きながら、主要な国を回り終えたのは夏も過ぎたころだった。暑さが遠のき、秋の色が深まってきた九月の終わり。十九歳になったファリオンと十八歳になった私は、国家認定されていない小さな集落に滞在中だった。北大陸を外遊中に訪問依頼があった集落にも訪れるようにしているので、外遊期間はずいぶん伸びている。各地を回れるのは少しだけ観光気分もあって楽しいけれど、さすがにそろそろゆっくりしたいなぁなんて思ったり……
なんて考えつつも、今日もファリオンと共に要望のあった魔物の改良方法を検討中。そんな中だった。恐れていたことが起きたのは。
何の前触れもなく、ファリオンの覚醒が始まった。
ご覧いただきありがとうございます。
いよいよ物語も終わりに近づいています。あと少しお付き合い願います。




