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魔王の隣で勇者を想う  作者: 遠山京
第二部 最終章 令嬢と魔王

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065楔と魔王

「うーん……やばい、頭パンクしそう」


アドルフ様が帰るのを見届けた後、私達は休憩がてらお茶をしていた。アドルフ様から聞いた今後の動きは、私にとって規模が大きすぎて整理に時間がかかる。


「ラカティ側の使者がカデュケートに一か月以内に行く……私たちがその時一緒に帰れるかはまだ分からないんだよね?」

「ドロテーア嬢達は戻るだろうけどな」

「ヴォルシュ侯爵とアカネ様は難しいだろうね。この国がもう少し落ち着くまでは、何かあれば前に出る必要があるだろうから」


ローザが淡々と答えてくれる。そう、そうだよね……そもそもこの間の演説を聞いたのは、神都に居た人だけだ。ラカティはそれなりに大きな国だし、ラカティ以外にも南大陸には国があって、トエロワの思想はそれなりに影響しているという。刻竜王様の勘違いでしたという謝罪行脚は各地で行う必要がある。人づてに話が伝わって意識が変わるのを待っていたら何十年、何百年とかかってしまう。

トエロワやマイルイだけでそれらの人々を説得出来ればいいけれど、何せこれまで信じていたトエロワ自身が教義をひっくり返した形だ。それに不満を持った人たちはトエロワの言葉を聞き入れないおそれがある。その時にはもう一人の信仰対象である魔王……ファリオン自身が言葉を重ねるしかない。


「でも調印式の二か月前には一度戻ってきてほしいって話だったじゃない?調印式っていつ頃で調整できるんだろうね」


カデュケート王国としては本格的な国交正常化の証として、ラカティ連合国との友好を約束する調印式を行いたいらしい。ドロテーア曰く、主に政務を担当している人間の王は前向きだそうだ。エルフの王だけ反応が悪いようだけれど、そこの説得は人間の王にしてもらうとして。


「もうすぐ十月でしょ。ラカティの使者が十月中にカデュケートへ向かったとして……」

「内部での調整はベルブルク家や国王も始めてるはずだが、本格的な議論が始まるのはおそらくその使者が到着してからだ。って言っても、議論っていうより不満噴出大会だろうな」

「不満?」

「アカネ様、今回の件は単にラカティと国交正常化するっていうだけの話じゃないだろう?さっきも話にあったように、魔王であるファリオン様、その伴侶であり制御の要のアカネ様、時の神に浄化の女神。全部ひっくるめて国としての対応を考えることになる。特に魔王と聞けばすぐに討伐したがる連中は、勇者様がまさか魔王のパートナーになっているなんて知ったら大騒ぎだよ」

「う……でもさ、、トエロワやマイルイの後押しがあったら、多少は意見変えてくれたりとか」

「少しはいるだろうけど、あんま希望的観測を広げてもな」

「うーん……」


ファリオンはあまり期待していないらしい。ローザも何も言わないところを見るに、ファリオンと同意見のようだ。


「で、その不満をアドルフ達が一つ一つ潰して説得する。この期間だけでも一か月じゃすまねーだろうな。年内いっぱいはかかると見ておいた方がいいだろ。で、俺達を会議の場に引っ張り出して、論破しながら話をまとめて……これも一か月で落ち着くとは考えにくいが、表面上だけでも取りまとめられたらラカティに調印式の日取りを正式通達。まあ、ラカティには非公式の調整がそれより前には入ってると思うけど。そっからは調印の内容や他国との連携についての会議があるだろうから、たぶんそこにも少しは意見を求められる」

「うわあ……」

「だからまあ……調印式自体は早くて来年の二月、現実的な数字としては三月頃じゃねーか?カデュケートでの調印式が終わったら今度はカデュケート側の使者を連れてラカティの視察。この時にも同行は求められるだろ」

「あれ、北大陸の主要国を外遊するっていう話は?」

「視察の後だな。外遊が終わる頃には北大陸の首脳を集めて会議があると思う。そこにも呼ばれる可能性がある」

「しゅのうかいぎ……」


会議に出たことなんかない元女子高生の私が首脳会議……恐ろしい冗談だ。


「それが終わればようやく諸国の対応も決まって俺らも落ち着けるかどうかってとこだな。まあ、どういう立ち位置で落ち着くかわかんねーけど……」

「貴族じゃなくなるかもしれないんだもんね?」


何せ、今のファリオンはもはや魔王ということを隠せなくなっている。これまでは暗黙の了解というか公然の秘密というか、口にしてはいけない事実みたいな扱いだった。だけどトエロワが魔王としてのファリオンに接触してきて北大陸を混乱に陥れたこの一連の事件で、もうファリオンを一介の貴族だと言い張ることは不可能になってしまったらしい。その結果、私とまとめて神格化してしまおうというのがアドルフ様やカデュケート王家の結論なのだという。そしてダニエル主催、トエロワとファリオン主演の演説会が繰り広げられたわけだ。

保安上のことだけを考えれば私もファリオンもさっさと殺されてもおかしくなかった。アドルフ様達が私とファリオンを祀り上げる方向へ舵を切ったのは、私達を守るためだと理解している。こうなった今、私達はただの貴族としてカデュケート王国には戻れない。王国に属さない女神と魔王として訪れるという形になるだろう。カデュケート王国が女神や魔王を抱き込んでいるとなっては、カデュケート王国にとっても他国にとっても都合が悪いのだから。


「……屋敷のみんなは大丈夫かな?」

「今はまだそこまで火の粉が降りかかることはねーはずだ。一応アドルフの方でも気にしてくれてるだろ。あいつのことだから」

「アドルフ様に頼りっきりだね。もし二度とお屋敷に戻れないってなったら……あのお屋敷や使用人たちはどうなるのかな」

「国の預かりになるだろうな。屋敷自体は立て直したばかりで綺麗だし、どこかの貴族に売ることになれば使用人ごと引き抜かれるかもしれない。まぁ、まだ憶測にすぎないが」

「そもそもこっちが落ち着かないと動けないんだもんね。表面上の動きが落ち着くだけでも数か月はかかるって考えたら……やっぱりアドルフ様から呼び出しがかかる年明けくらいまでは帰れなさそうかな」

「そうだな。ラカティについては教義が変わったことで生活に変化が出てきたり、ひずみが生まれだすのは年単位だろうから、一時帰国したとしてもそこそこの頻度で足を運ぶことにはなるんじゃねーか?調印式の後は転移魔術具を置けるように交渉することになるだろうから、移動時間は気にしなくてよくなると思うが」

「北大陸での動きとかも考えたら、最低でも一年位は忙しそうだね……」

「……結婚まで遠いな……」

「そこ?」

「むしろそこじゃなかったら何なんだよ」


今まで政治なんて場に縁のなかった身だから緊張とか不安とか普通にあるんですけど……?確かに結婚が遠のいていることも気にはなるけれど、待ち受けているイベントへの責任が重すぎてそれどころじゃないのが本音だ。

いずれのイベントにも、私とファリオンは勇者と魔王として出席しないといけない。お偉いさんたちに囲まれた会議に出席とかどんな悪夢だ。いっそ本当に神様になって『よきにはからえ』の一言で済ませたい。

けれどそういうわけにもいかないことは分かっている。魔王であるファリオンの立場を安定させるには、勇者としての私の発言には重要な意味がある。私は私の役割を果たさないといけない。ファリオンを討伐したがっている人達の不安を取り除き、平和的な解決策で納得してもらうためにも。下地はアドルフ様達が用意してくれるんだから、最後にバシッと決めるところは頑張らなくちゃ。

めげそうな心をそう叱咤していると、ノックの音が響いた。


「どうぞ?」


私の返事を受けて、お茶を入れてくれていたローザがドアを開けにいってくれる。この場では一番身分が低いこともあって、自主的にメイドのような働きをしてくれているのだ。『アカネ様の専属メイド』とか言って嬉しそうにしているので、遠慮するのも悪いかと思ってそのまま好きにさせている。

入ってきたのはリードとヴェルだ。ローザの顔を見てちょっと嫌そうにしているけれど、ローザもヴェルを見て渋面だ。最近成長著しいヴェルはローザの好みから外れつつあるらしい。おめでとう、ヴェル。今夜はお祝いだね。


「ファリオン、城の兵士達が一緒に鍛錬してほしいらしいから来い」


リードの誘いに、ファリオンは嫌そうな顔をした。


「……めんどくせー。俺はやめとく」

「魔王様と一緒に鍛錬ってことに意味があるんだからアニキが来ないと始まらないだろ。今は好感度上げるために地道な活動も大事だぞ」


弟分に冷静に窘められて、ファリオンはチラリと私を見た後しぶしぶ立ち上がった。たぶん私と離れるのが嫌なんだろう。昨夜もちょっと様子がおかしかったし、魔力をすぐに流し込んでもらえる状態じゃないと不安なのかもしれない。


「じゃあ私も見学に行こうかな」


私とファリオンはセットで顔を売らないといけないわけだし、ファリオンが広報活動をするなら付き合うべきだろう。そう思って私も立ち上がろうとしたのだけれど、ローザに制された。


「あ、ちょっと待ってくれ。アカネ様はまだ話したいことがあるんだ」

「いや、あのねローザ」

「その代わりといっては何だけれど、ヴォルシュ侯爵にはこの魔術具をつけていってほしい」


そう言ってローザが取り出したのはかなり幅広の武骨な腕輪だった。中央に大きな魔鉱石がついていて、正直なところデザイン性としては今一つ。


「まだ調整の余地はあるんだけれど、ひとまずは実用に耐えそうなものができたから持ってきたんだ。アカネ様の魔力を流し込んでおくとその魔力をため込み、この魔鉱石の部分を丸く撫でれば、ため込んであった魔力がそのまま接地面全体から放出されるようになってる」

「あ、前々からお願いしてあったやつね?」

「ああ。お二人から聞いた限りだとアカネ様が侯爵の為に流し込む魔力量はかなり多いだろう?調整が難しくてね……その流量を維持しようと思うと溜めて置ける魔力は五分間分が限界なんだ」

「私がいないときに何かあったらその魔術具で当座しのいでもらって、五分以内に私がファリオンのところにいければ問題ないってことよね」

「まあそうなるね」


十分安心材料ができたと思う。さすがに四六時中一緒っていうわけにはいかないし……五分凌げると分かれば互いの行動範囲も広がる。話を聞いていたリードとヴェルも興味深そうに、私が腕輪の魔鉱石に魔力を流し込む様子を見ていた。


「その魔鉱石をなでるっていうのは誰でもいいのか?」

「ああ。撫でる動きに反応するだけだからね。もし侯爵の様子がおかしくなって、自分では腕輪の操作ができないという場合にも、近くにいる誰かが起動してあげられれば問題ない」

「確かに、急激に飲まれた時にはこの魔術具のことが頭から抜ける可能性はあるな……」

「そこは意思を強くもってくれよ、アニキ」

「俺もそうしたいとは思ってる」


意思でどうにかなるなら今までだってピンチにはならなかったはずだ。パラディアでの決闘騒ぎの時の様子を思うと、確かに腕輪を操作することなんて頭になさそう……というか、自分が飲まれかけている自覚すら無さそうだった。またああいう状態になれば、周囲のフォローが必要になる。

魔力をたっぷり吸いこんだ腕輪を身に着けて、ファリオンはリード達と一緒に部屋を出て行った。部屋の隅でアメプーと一緒に飛び回って遊んでいるヒナ吉に視線をやる。もしファリオンの身に異変が起きれば、きっとヒナ吉も察知して知らせてくれるだろう。


「それで、話ってなに?ローザ」

「まずは簡単な健康診断をさせてほしい。南国マンドラゴラの摂取や聖剣の影響なんかもありそうだから、念の為ね」

「ああ、なるほどね。了解」


部屋の鍵をしっかり閉めて、ヒナ吉にもファリオンに音声をつながないように頼む。ファリオンからは不満げな声が一瞬届いたけれど、さすがに乙女のプライバシーは守ってもらわなければ。聞かれたくないことだってあるのは理解してほしい。緊急事態になればヒナ吉が自分の判断でつないでくれるし、問題ないはずだ。

準備を整えて、ローザからの診察を受ける。彼女は医者ではないけれど、私の元で働くようになってからは医学や薬学の勉強もしている。私が口にするものは自分が作るのだと息巻いているのは口だけではないようで、最近は主治医のような立ち位置だ。普段はまだベテラン医師を伴っての診察しかしていなかったのだけれど、この場にはいないのでローザ一人での診察になる。


「疲れてはいるみたいだしちょっとむくみもあるけれど、南国マンドラゴラや聖剣の影響だといえるような症状はなさそうだね」

「そうだね、私も自覚症状は特にないし……」


魔王や勇者のことではさんざん頭を悩ませているので、そりゃ疲労は出ているだろう。ああそうだ、聖剣のことですっかり頭から抜けていたけれど、迷宮にはかつてのマリーみたいに閉じ込められている人がたくさんいるんだった……

その事実を思い出してから、ふと疑問が頭をよぎる。そういえば、マイルイはどうして私に楔のことを言おうとしなかったんだろう。以前、マイルイは私の為に楔のことを話したくないといっていた。真実を話せば私が悩むだけだと。そして先日、ようやく明かしてもらえた『大勢の人が今も迷宮の地下にとらわれている』という事実は、確かに重大な問題で、私の頭を悩ませている。けれど……マイルイが私に隠したかったのは本当にこのことなのだろうか。

私には話せないと言った時、マイルイはローザにヒントを出したのだ。『魔王の魂は神が作った魔術具』だと。この言葉と楔とのつながりが、全く分からない。


「ねえローザ、マイルイからのヒントの意味は分かったの?」


前置き無くよこした私の言葉に、ローザはピクリと体を震わせ、ため息をついた。


「………そうだね、一つの仮説が有力だという結論には至ったよ」

「え、そうなの!?教えて!」

「けれどそのためには、アカネ様に先に教えてほしいことがあるんだ」

「教えてほしいこと?」

「アカネ様は迷宮に行ったことはないと、スターチス伯爵夫妻から聞いている。それは本当かい?」

「本当、だけど……」


わざわざうちの両親から聞き取り調査まで行ったらしい。一体何だというのだろうか。


「楔について調査をする中で、迷宮の魔女から接触があったんだ。彼女は迷宮の地下に囚われていた人物で、おそらく私の予想が確かなら、彼女が囚われていた魔力の結晶こそが魔力の楔だ」


私はマイルイから聞いた話をまだローザには伝えていない。それなのにローザは、マリーが閉じ込められていた結晶が楔であることを既に予想していたらしい。本当に優秀な研究者だ。変態だけど。


「こちらとしても彼女の証言はとても参考になるものだったから、喜んで協力関係を築いた。けれどその時、彼女とアカネ様の体質があまりに酷似していることを知った」


ごくりと喉を鳴らす。ローザは、アドルフ様とドロテーアに次いで私やファリオンの情報を明かしている人物だと言っていい。けれど私が異なる世界から来たということは、ファリオン以外には誰も知らない。だから私がこの世界で本来起きるはずだった出来事を知っていたり、マリーと同じ能力を持っていることだって、教えていないのだ。


「強大な全属性の魔力、そして魔王と近づくと心地よいと感じる性質、世界の記憶に触れることができる能力も同じだそうだね。魔女の話を聞いて納得したよ。通常の人間が得られる性質ではないと思っていたんだ。聖遺物に長年閉じ込められていたなんていう特殊な経歴を持つ魔女ならば、原理は分からないまでも納得はできる。全属性の魔力を持っていることだって、魔王と魔女なら同じ神に作られた魔術具の影響下にある者同士、共通しても不思議じゃない。だけどアカネ様だけが、その輪から外れているんだ」

「……それは」

「教えてほしい。私はアカネ様にとって不利になるようなことは絶対しないと約束するから。本当に、迷宮に行ったことがないの?」


一体どこまで誰に明かしていいのか分からなかった。悪いことに利用されるかもしれないし、気味悪がられるかもしれないし……だからファリオンにしか話さなかったし、彼もそれを推奨していたように思う。けれど、話がここに及ぶならばずっと隠しているわけにもいかないだろう。ローザは……彼女は味方でいてくれると信じられるし、私の話を信じてくれるだろうと思える。それならば……


「迷宮に行ったことがないのは本当……だけど……あのね、ローザ。信じられないかもしれないんだけど、私……」

「アカネ様。私はアカネ様の言うことなら信じるよ」

「……ローザ」


真剣なまなざしに後押しされて、私はすべてを話した。別の世界にいたこと、この世界のことが本になっていること。マリーと同じ能力を持ってこの世界に来たこと。


「……この世界の外側の世界か……非常に興味をそそられるね。まったく違う文化や技術力か……ぜひ行ってみたいなぁ」

「研究者魂がくすぐられるのはわかるけど、本題はそこじゃないからね」

「分かっているよ。この世界の外にある理なんて、紐解こうにも今は手がかりが無さそうだ。とにかく……やはりアカネ様の能力は迷宮の魔女と同じものなのだね。それならばすべてのつじつまが合うな……」


憂い顔で前髪をかき上げるローザに、私は首を傾げた。


「……私がマリーと同じ能力だってことが、何かまずいの?」

「いいや、たとえアカネ様のことがなくても変わらなかったかな。第三の秘密が出てくるかもしれないだけで、結論は同じだ」

「楔と魔王の関係がなんなのかっていう話の結論なんだよね?」


ローザはコクリと頷いた。


「本当に聞きたい?たぶん私の結論は、女神様と同じだよ。アカネ様を悩ませることになると思う」

「……教えて。知らないままじゃ、対策だって打てないじゃない」

「それは……そうだね。分かった、話そう」


私の空になったカップをとり、お茶を入れなおしてくれながらローザは口を開く。


「魔術具は、魔力が無ければ動かない。だとすると魔王の魂はどうやって動いているのだと思う?」

「どうやってって……魔王の魂の器になっている本人の魔力じゃないの?」


今だってファリオンの中に溶け込んでいる魔王の魂は、たぶんファリオンの魔力を使っているのだと思う。


「その本人の魔力が問題だ。ヴォルシュ侯爵は本来、光と炎しか扱えない魔力の持ち主だったはずだよね?だけど今は全属性だ。おそらくだけど総魔力量も生来の魔力より比較にならないほど上がっているのだと思う。その魔力はどこから来ているのか考えてみたことはあるかい?」

「どこ……って……本人の体質が変わっただけなのかと……」

「そうだね、もちろんその可能性もあった。おそらくだが迷宮の魔女は、楔の中に長年留まることでじっくりねっとりその体を改造されているだろうな。つまりアカネ様も同じ状態なわけだ」

「その表現やめてくれない……」


小声で抗議したけれど、ローザは無視ししてカップを私の前に置いた。憮然としつつもお茶を口に運ぶ。……あっつ。


「だけどね、器というのには限りがあるものなんだ。たとえばアカネ様は強力な魔術を打ち出せる。魔力の枯渇を感じたことは?」

「枯渇とまではいかないけど……残量があとこれくらいなんだろうなって何となくわかるくらいまでは減ったことがある」

「うん。やっぱり元の保有量が多いから枯渇に至るまではなかなかいかないんだろうね。加えて全属性ともなれば、周囲に漂う魔力のすべてを自分の体に蓄積できるわけだから、自然回復力も高いんだと思う。けれど魔王はどうだろう?」

「ファリオンだって同じだと思うけど……」


ローザは首を振った。


「お二人の結婚式……まあ、未遂に終わってしまった結婚式だけれど。その少し前にね、ヴォルシュ侯爵にある実験に付き合ってもらったことがあるんだ」

「実験?」

「王都の近くで魔物を捕まえてきて、ヴォルシュ侯爵の前に連れてきた。その上でいくつかの行動をとってもらいながら、私はその場の魔力の動きを計測していたんだ」


随分科学的なことをしている。ローザはいつの間にか、魔力の計測なんてことまでできるようになっていたらしい。熱意と環境がそろった鬼才は強い。


「実はね、この眼鏡が魔力を測定できる魔術具になっているんだ」

「あ、それが?」


新調したのかと思っていたら、魔術具だったらしい。


「で、これを使って実験をしていたんだけれど……魔物がいる場所に侯爵に近づいた時、おそらく本人がその存在を認識するより先に、侯爵から魔力が噴き出して消費される現象が観測できた。その時の魔力が放たれた方向は魔物を隠してあった場所だ。何が起きたかまではわからないけれど、おそらく侯爵の中にある魔王の魂のなんらかの機能が自動的に発動していたのだと思う」

「魔物が魔王のことを襲わなくなるような機能、とか?」

「おそらくね。催眠機能のようなものなのかもしれない。それだけでも少なくない魔力の放出だったよ。そしてその後、魔物の性質を書き換えたり、命令通りの動きをさせたりと、魔王としての権能を振るってもらったけれど、催眠機能とは比にならないほどの魔力の放出が行われていたんだ。魔物の性質を書き換えるものに至っては、宮廷魔術師が一度放てば魔力枯渇を起こす魔術よりうんと上……計測できないほどの魔力が放たれていた」

「……宮廷魔術師が魔力枯渇」

「クラウス様に協力いただいてテストをしたことがあるから間違いないよ。自分ができるギリギリのラインまで魔力を凝縮した魔術を撃ってもらったんだ。魔王が魔物の情報を書き換える時、それと同じくらいの魔力が消費されている」


クラウス様、王族なのに研究者の実験台になって魔力枯渇を起こしていたらしい。ローザの首が今もつながっているあたり、クラウス様は寛容だ。ローザと同じ研究馬鹿なのでクラウス様もノリノリだった可能性あるけど。


「それなのに、ヴォルシュ侯爵の中にある魔力量に変化は無かった」

「……変化がなかった?」

「ああ。それで思った。おそらく彼は、体の中に魔力のタンクを二つ持っているような状態なんじゃないかと」

「魔力のタンクが二つって……そんなことありえるの?」

「通常ではありえない。魔王の魂の影響だろうね。そもそも不思議だったんだ。アカネ様に魔力を流し込んだり、魔王としての力を振るうのは平気でも、魔術を使えば魔王の力に飲まれてしまうんだろう?どちらも魔力を消費することに変わりはないはずなのに、一体どういう条件で処理が分かれているのだろうかと」

「処理って」

「ああ、すまない。魔術具作成者としての視点が入ってしまった。とにかく、私が立てた仮説はこうだ。魔王としての力を振るうときは、魔王の魂が新たに作り出した魔力タンクを使用する。魔術を使用するときには、もともと持っていた魔力タンクを使用する」

「もともと持っていた魔力タンクを使うのに、全属性の魔術が使えるの?」

「魔力の変換機能のようなものは魔王の魂が担ってくれているのではないかな。もともと持っている光魔力を水魔力に変換するような。魔術の扱いも以前より上手くなっているということだし、なんらかのフィルターがかかっているんだと思う。全属性の魔力タンクを人の体内に作り出すことに比べれば容易いことだと思うよ」


ふむふむ、と頷いた。


「これでヴォルシュ侯爵が実際に魔術を使うところを計測させてもらえれば確証が持てるのだけれど」

「む、無理だよ!ダメ!」

「だろうね、分かっているよ。だから仮説のままではあるけれど、こう推測している。本来の自分の魔力タンクを使用するのは魔術を行使するときだけ。そしてその時、魔王の魂が本人の意識の乗っ取りを強める機能がある。あるいは、本来の自分の魔力で抗っているのが、魔力を使うことで抵抗が弱まってしまうのかもしれない」

「……なるほど」


魔術を使った時だけ魔王の覚醒が始まるのは、確かにその説明で納得がいく。


「……それと、楔との関係は?」

「そこだよ。魔王の魂に追加された魔力タンクの方、その魔力はどこから補充されているか」

「その口ぶりだと……普通の自然回復とは違うのね?」

「その通り。なぜならヴォルシュ侯爵が魔物を操っていた時、ヴォルシュ侯爵の中の魔力に揺らぎはあれど減っている気配はなく、かといって周囲に漂う魔力を取り込んでいる様子も無かった。一筋の魔力を除いては」

「一筋?」


初めて聞く表現だ。


「魔王としての力を使った瞬間、ヴォルシュ侯爵に向けて糸のような魔力が伸びているのが観測できた。普段もうっすら伸びてはいるようだけど、補給の瞬間にはその糸がはっきりと濃くなる」

「一体どこか……ら……」


尋ねようとして、途中で気付いた。


「……まさか」

「そのまさかだよ。お二人が旅に出てすぐ私は迷宮へと向かい、英雄ベオトラが魔王と戦ったとされる場所を訪れた」

「ローザが!?」

「もちろん一人ではないよ。冒険者の護衛と、国から支援もあったから騎士や補給部隊もつけてもらった」


魔王に関連する調査は保安上の最優先事項だから、バックアップが手厚かったらしい。


「そして迷宮の魔女が閉じ込められていたという場所らしき空間を見つけた。かなり崩落してしまっていたし、残念ながら彼女が閉じ込められていた結晶の破片なんかは見つけられなかったけれど、たぶんあそこで間違いない。本来はどこにも道がつながっていなくて、攻撃の余波で壁が壊れただけだろうと思われる場所だった。魔女の証言からして一致するのはそこだけだ」

「マリーはついてこなかったの?」

「迷宮には極力近づきたくないらしい」

「そうだった……」


マリーにとって閉じ込められていた日々はトラウマだ。極力近づきたくなくて、本の中でも魔王を倒すために仕方なく入り、その結果パニックを起こして暗闇に囚われるような描写があったのだから。


「その周辺を探索して、他にも向こう側に空洞がありそうな壁を見つけたから総出で壁を破壊してみたんだ。そこに……他の結晶を見つけた。おそらくあれが、女神の語っていた魔力の楔だ」


魔術具で計測しなくとも分かるほど、いや、むしろ正確な値が計測できないほどに高濃度の魔力が詰まった結晶だったらしい。迷宮はただでさえ魔力が濃い場所らしいのに、それでもハッキリ分かったということは相当な魔力量だったのだろう。その結晶を二つ見つけて、どちらにも人が閉じ込められていたという。


「……その人たちを、どうしたの?」

「何も。救出すべきだという意見も上がっていたけれど、あれほど濃い魔力が詰まっている結晶を壊せば、何が起きるか分からない。その魔力を求めて迷宮内の魔物が一斉に集まってくるおそれがある。中に居る人が無事で済む保証もない。とてもではないけれど手が出せないよ」

「そう……」


マイルイも言っていたことだ。その魔力が放出されれば、世界にただよう魔力の濃度が上がる。マイルイの負担は増えるし、処理しきれない魔力がどれだけの悪影響を及ぼすのか分からない。


「そしてその楔から、一筋の魔力が伸びていた」

「……」

「二つ見つけた楔の両方からだ。方角を確かめて、迷宮を出てからも魔力の糸を探してみた。するとね、二本どころじゃない。何百本もあったんじゃないかな。正確な数は数えられなかった。おびただしい数の魔力の糸が、迷宮の地域一帯から一斉に伸びていたんだ」

「……それ、が……」

「海の向こう、ラカティの方角だったよ。ドラゴンに乗せてもらっている間も、その糸を辿っているような旅だった。そしてさっき会った時にハッキリわかった。魔力の糸は間違いなくヴォルシュ侯爵につながっている」


楔は、魔王の魂につながっている……


「これも私の仮説だけれど、あの楔と呼ばれる結晶は魔王の魂を動かす動力源なのだと思う。あれら全てを壊せば、ひょっとすると魔王の魂は動かなくなるのかもしれない」

「……魔王が、二度と誕生しなくなる?」


ローザの口ぶりが重い。魔王が二度と誕生しないというだけなら、私はそれほど悩まない。だとしたら、私が他に悩む要素が……思い至った瞬間、息が止まるかと思った。


「……もし、すべて楔を壊したとして……ファリオンは、どうなるのかな?」

「……現在その魔術具を取り込んでいる人物の安全は保証されない。わからないんだ。何が起きるのか」


ああ、そういうことか。

楔の中の人たちを助けようと思えば、ファリオンの命を天秤にかけないといけなくなる。強くかんだ唇から血の味がした。そもそも今は楔を壊した場合、魔力の噴出が問題になる。けれどその問題が解決したとして、今度はファリオンの命が危険になってしまうかもしれない。

……マイルイやローザが私を気遣っていた理由がよく分かった。


「……よく、わかった」

「アカネ様」

「マイルイもローザも、優しいね」


チラリとヒナ吉に視線をやった。首をかしげるそのウサギは、たぶん私達の会話を理解はしていない。簡単なお願いや会話は理解しているようだけれど、小難しい話にはこれまでも反応したことがなかった。手招きすると、その小さな体が飛んでくる。


「ねぇ、ファリオンへの通話は切ったままだよね?」


コクリと頷く様子を見て安堵した。健康診断の流れのまま話をしてよかった。ファリオンにはとても聞かせられない。いや、もしかしたらファリオンのことだから……もう気付いている可能性もあるけれど。


「魔力の楔が動力源……」

「もはやこれらの問題を解決できるとしたら、神だけだよ。もちろん浄化の女神でも時の神でもない。ただ、すでに神は消え……いや、いたとしても神は魔力に蝕まれていたと聞くから、魔力に耐性をつけた神だけだ。実は神はどこかで力を溜めていて、魔力を克服しようとしている……なんて都合のいい話があればいいけれど」


ローザの言葉に曖昧に頷いた。もしそんな未来を考えていたのなら、神様はトエロワやマイルイにあんな言葉を残さないだろう。年々増え続ける魔力も、魔王も魔力の楔も、人間たちでどうにかするように、神様が宿題を残したとしか思えない。

なんとかできるのだろか。問題の中枢に私やファリオンは誰よりも近い位置にいる。試されているのはきっと、私達だ。

いつもご覧いただきありがとうございます。ちょっと長くなってしまいました。

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