060聖剣が選んだ勇者
先週更新できずにすみませんでした。
「ダニエルに何かあったの!?」
「そうよ。ベオトラはいないの!?」
「えっと……ベオトラはまだちょっと取り込み中かも?」
とりあえずすぐには連れ出せない。服着てないかもしれないし……
「ならアカネと魔王だけでもいいわ!一緒に来てちょうだい!」
「分かった!ファリオン、大丈夫!?」
「ああ。リード、ヴェル、この場は頼んだ」
「任せとけ!」
「女神、俺たちにできることはないんだな!?」
力強く請け負ってくれるヴェルと、置いていかれることに少し不満げなリード。その問いかけに、マイルイは首を振った。
「どうしても何かしたいなら、ベオトラを連れて北門の方に来なさい!」
「分かった!」
どうやら北門で何か起こっているらしい。
「アカネ、いいわね?あたしの言うことをよく聞いて!」
「うん!」
「風魔術で真上に飛び上がって、光魔術で明かりを周囲にまとわせながら飛ぶことはできる?」
「任せて!」
風魔術で自分とファリオンをふわりと浮かせた。光についても、光源を出すくらいなら全く問題ない。小さな明かりがくるくると私たちの周りを旋回する。すでに昼なので、果たしてこれが必要なのかはよく分からないけれど、マイルイの口調では詳しい説明をしている時間もなさそうなので言うことを聞くしかない。
ガールウートの枝を避けて、城の上に出る。上空ではトエロワも待機していて、マイルイと何か頷きあっている。トエロワまで協力してくれるというのだろうか。心強いけれど、一体何が……
目を細めながら周囲を見渡すと、風に運ばれて喧騒が耳に届いた。北へ眼を向ければ、北門前の広場に大勢の人が集まっているのが見える。この街中の人が押し寄せているのではないかと思えるほどの人だかりは異様な光景だ。そのままそちらに近づけば、広場の中央にある噴水に向かって人々が群がっているのが分かった。なぜかみんなびしょ濡れだ。水遊びでもしていたのかと突っ込みたくなるほどに。雨が降らないせいで神都でも水が不足気味らしく、噴水の水は止まっている。あたりを濡らしている水は一体どこから来たのだろうか。
「アカネ、噴水の方へ飛ぶわよ!」
「う、うん。分かった!」
「アカネ、ダニエルはあそこだ」
ファリオンが声を上げる。噴水の淵に足をかけて立っている人影が目に入った。確かにダニエルだ。けれど、人々はまるでダニエルを取り囲むかのように集まっている。どうして噴水なんかに追い詰められてるの!?
「アカネ、噴水まで全速力よ!」
「分かった!」
「噴水の真上に来たら減速して、ゆっくり降りるの!」
「うん!」
「噴水の水が触れないぎりぎりのところまで来たら光をその場で激しく散らせてそのまま静止!」
「うん?」
なんで?けれど詳しく聞く時間もなかったので、言う通りにした。すると私たちの姿に気付いた人々から嵐のような歓声があげられる。何を言っているのかさっぱり聞きとれない。とりあえず大興奮していることだけはわかるし、こちらに敵意がないこともなんとなくわかる。みんな熱のこもった目でこちらを見ていた。
「お待たせしました、皆さん!ついにお披露目の時です!ここにおわす御方こそ!魔王様、そしてその伴侶である楔の女神です!」
「は!?」
女神!?
私の叫びは歓声にかき消された。ダニエルは手に魔術具のようなものを持ち、その声を広場全体にまで響かせている。マイクのようなものだろうか。取り囲まれているのかと思ったら、噴水をステージにワンマンショーを繰り広げていただけのようだ。訛りも取り払って一体何をしているのか。目を白黒させている間に、ダニエルは続ける。
「魔王様は神の遺志を引き継がれました!これまでの魔王はその強大な力にのまれてきましたが、この魔王様は別格!魔王の魂を正しく受け入れ、魔物を人間のために扱うこともできるのです!!その証拠はさきほどご覧になった通り!南の地に雨をもたらしたアメフラシのアメプーに、再度大きな拍手を!」
おおおおおと嵐のような歓声が沸く。なんかアメプーまで拝まれている。アメプーは得意げに耳をピョコピョコさせていた。『ア・メ・プー!』というコールに力が抜ける。
「さあ魔王様!その真のお力を皆様にお示しください!」
ダニエルがそう言いながらファリオンを振り返った。どうやら魔王の力を示しつつ、人々の味方であるとアピールしたいらしい。それはすぐに察せられた。察せられたけれどどうしてこうなった。魔王もしょせん人という流れにしてほしいと思っていたのに、真逆の方向に走っている。ファリオンもさすがに戸惑っているかと思いきや、まるで知っていたかのように頷いた。
「派手にやっていいんだな?」
「もはや魔王様は人間たちのルールに縛られることはありません!どうぞご随意に!」
ダニエルが早くしろと言わんばかりに言い募る。人間のルールに縛られないとは大きく出たものだ。その言葉は、これまでアドルフ様達に禁じられていたすべての制約を、ファリオンから取り払うと同義。周囲の魔物を操るだけでなく、好きに新たな魔物を作り出して見せつけてもいいということだ。
「それなら、まぁ……」
そう言うとファリオンは目を閉じて、噴水のてっぺんに触れた。白い石が光を帯びたかと思えば盛り上がり、何かの形を模していく。噴水が立ち上がっていく様子に、民衆がどよめいた。噴水は巨大なドラゴンへと変わり、私とファリオン、ダニエルを掬い上げてその背に乗せてから、大声で咆哮する。それと同時に口から水が噴き出して、周囲に水をばらまいた。歓声が上がる。
「ごらんください!魔王様はこうして新たな魔物を作ることもできるのです!そしてもちろん、この魔物が人を襲うことはありません!」
ダニエルの声にこたえるように噴水ドラゴンは飛び立って周囲を旋回した。ファリオンがその背から身を乗り出して、周囲の街路樹に触れていく。順番に光ったその木はゆらゆらとその枝を揺らし、ぶわっと花吹雪を舞い散らせた。
……ヤシの木から桜みたいに薄いピンクの花びらが舞ってるのはどう考えてもおかしいと思うんだけどね?ヤシの花ってそういうんじゃないから。けれどその通常ではありえない、そしてただただ美しく一切害のない光景に、人々は本当に自在に魔物を作り出せるのだと興奮している。
頭上にドラゴンを高く飛び上がらせ、ファリオンは一言、『来い』とだけつぶやいた。するとその小さな声を聞き届けたように、周囲から空を飛ぶ魔物が吸い寄せられるように集まってくる。グリフォン、ハーピィ、見たことのない虫のような魔物まで、その数は三十以上だと思う。本来ならこの数に囲まれれば絶体絶命だ。眼下で人々が恐怖に叫んでいるのがわかる。けれどファリオンはその魔物たちに触れることもなく、睥睨してつぶやいた。
「行け」
その一言で魔物の群れは編隊をなし、明らかに統率のとれた動きでその場を飛び回った。誰も見たことがないであろう光景に、もはや人々の歓声は狂乱といっても差し支えないレベルに達している。
「ダニエル、これ大丈夫なの?収拾つく?けが人とかでない?」
「あ、あはは……予想以上です」
マイクを切って乾いた笑いを零したダニエル。もはや彼にも手に負えない事態になっているらしい。とりあえず既にケガ人が出ていないか心配なので、治癒魔術を周囲に振りまいておいた。治癒の光が降り注ぐ様に、ますます人々は大騒ぎ。女神様コールが起きた。……火に油を注いだかもしれない。私は女神様じゃない……
そして少し離れたところで様子を見ていたトエロワとマイルイが、私たちの横にふわりと並んだ。トエロワの翼が打ち出した風が広場を打ち、ひと時静寂が訪れた。それを知っていたかのように、トエロワは咆哮をあげる。
「皆の者に告ぐ!我は今日まで思い違いをしていた!わが友であり、貴様らを何よりいつくしんできた神ヴァイレ!ヴァイレを忘れた罪は決してなくならぬ!しかしヴァイレはその罪を許している!忘れられてなお、ヴァイレは貴様らを愛し続けているのだ!」
ただただ無秩序な興奮に沸いていた広場にどよめきと戸惑いが生まれた。これまで刻竜王が説いてきた話と真逆なのだから無理もない。
「ヴァイレが作った魔王の魂!それに選ばれた者が次代の魔王となってきた!しかし今代の魔王は人を襲うことなく、その共存を願っている!それはヴァイレの意志に背くことだと我は考えていた!しかし違ったのだ!ヴァイレはこのような魔王をこそ待っていた!」
ファリオンに視線が集中する。これだけの視線を一身に浴びても、ファリオンは平然としていた。
「この魔王こそが、貴様らの罪を払い、救うための希望である!神が貴様らを許しているという事実を、我の教えに従っていた者たちはにわかに信じられぬことであろう!しかし、これを見よ!その証拠がこの聖剣である!」
トエロワに視線で促され、慌てて聖剣を取り出して掲げる。これであっているのかとオロオロしていると、眼下にヴェルやリード、ドロテーア、そして妙に血色のいいベオトラまでやってきたのが見えた。全員がポカンとこちらを見ている。……これ、私とベオトラの立ち位置交換した方がいいシーンじゃない?なんか私が勇者みたいになっちゃってない?あ、だからマイルイはベオトラも連れて行きたかったのか。
「我もこれまで聖剣をこの目で見たことが無かった!そのためにヴァイレの意思に気付けなかった!しかし一たび目にすれば分かる!魔王を打倒するとされているこの聖剣!これもまたヴァイレが作ったものである!見よ、この白銀の輝きを!高潔なる刃を!これぞ偉大なる神、ヴァイレにしか作り出すことのできぬ一筋の光なのだ!」
この時私は、突然放り込まれた狂騒にのまれていて、思考能力が著しく落ちていたのだと思う。ダニエルのピンチかと思ったら違ったし、ファリオンだけでなく私まで女神として紹介されるし、何の説明もないままトエロワの演説が始まるし。だからトエロワの言葉の勢いに押されて、私はただ聖剣の刃を見せないといけないのだとだけ判断した。左手に聖剣の鞘を、右手に柄を握り、刃を見せるべく、手を動かしたのだ。その瞬間、歓声に紛れてベオトラの声が聞こえた気がした。
「ダメだアカネ!抜くな!」
「え?」
シャラリと、涼やかな音がその場に響いた。それはまるで神様が祝福しているかのように、神々しい音色だった。ダニエルが呆けたように私の名前を呼ぶ声が、私の腰を抱くファリオンが息を呑む音が。ざわめきに掻き消えることなく、嫌にはっきり耳に届いた。何が起きたのかまだ理解していない私の眼前に、太陽の光をはじき返して力強くきらめく刃が見えていた。それが本来見えてはいけないものだと気づいた瞬間、手が震える。
「……え、抜け…………やだっ!」
咄嗟に刃を鞘に押し込み、収納魔術具にしまい込んだ。あまりの事態にトエロワの演説も止まっていたけれど、民衆の熱狂は過熱する一方。何が起きたか気付いていない様子で、魔王、女神、勇者とあらゆる名前がコールされている。
「アカネ……」
マイルイまでも唖然とした声を出している。これは誰にとっても予想外のことだったらしい。当たり前だ。だって私は……ファリオンは。
「こ、この通り神の意志の元に聖剣は在る!魔物を御し、人々を守る魔王!そして魔王が万が一に暴走することがあっても、それを阻止するための聖剣をヴァイレは残したのだ!」
トエロワが慌てて演説を再開した。
「これまで我の思い違いによって苦しめてきた者たちには詫びよう!これらはすべて我の罪である!喜びを律し、生を憂い、死に迎合してきた者たちには我の持てる力すべてで報いよう!悲嘆の中で死した者には祈りを捧ごう!しかしながら今こうして我の言葉を聞く貴様らにはこの先の時間がある!もはや我の言葉に縛られることはない!自由に生きよ!喜びを求め、生を謳歌し、死を悼み、実りある時を過ごすが良い!これからは我も魔王や勇者と共に貴様らを守ると誓おう!我は時の神!ヴァイレに代わり、貴様らの時を守り、その生を見守る者!誠実であれ!幸福であれ!そしてどうか、人類を愛した神ヴァイレを忘れることなかれ!」
ひときわ大きな歓声が沸いたのを聞き届けて、トエロワがこちらを振り返る。
「戻るぞ」
私達だけに聞こえる声は低く、強張っているように聞こえた。私は頷くこともできないまま、ぐらぐらと揺れる視界の中で、王宮へと飛び立つトエロワの背をぼんやり認識する。ファリオンの腕が、私の腰を強く抱いた。その感触を意識した瞬間、私の意識はプツリと途切れた。
=====
<Side:ケージ>
「ケージ君」
周囲の歓声を酷く遠く感じている中、その呼び声だけは耳に良く通った。振り返るとそこには、猫の獣人である中年の夫婦が立っていた。女性の方の毛色は、忘れたくても忘れられない。赤い染みがその毛色に散る光景がフラッシュバックして、思わず目を伏せた。
「魔王様のお姿を貴方も見に来たの?」
「……女神様と刻竜王様に、直々に連れてこられたので」
妻の方に尋ねられて、思わず正直に答えていた。
北大陸から来たという連中におせっかいをした後、俺はまた島でいつも通りの生活を送っていた。本当に手助けするべきだったのか。刻竜王様と神様の為を思うならば、奴らはここで殺すべきだったのではないのか。そんな後悔に幾度も襲われながら。
それから十日ほど経った今日、ほんの三時間ほど前に、俺の前に刻竜王様が現れた。過去に数度遠目に見たことがある雄大なお姿。一枚一枚が黒曜石のようにきらめく鱗が神々しい。海から飛んできたということは、北大陸へ向かっておられたのだろうか。俺が仮眠をとっている間に、どうやらお出かけになっていたらしい。刻竜王様は隣に美しい女性を連れていた。これが女神様なのだろうと一目でわかった。あまりに現実離れした美貌と空気をまとっていたからだ。
その場に平伏する俺を、刻竜王様は見下ろして唸る。
「ふむ。ここに一人見張りの男がいるというのは事実だったか。マイルイ、この男で良いのだな?」
「そのはずよ。名前はケージ、あってるわよね?」
「は、はいっ」
女神様が俺の名前を知っている。なぜだという疑問が頭を巡った。
「じゃあ、悪いけど王宮の前まで一緒に来てもらうわね」
「えっ、え?」
あれよあれよという間に、俺は刻竜王様の背に乗って空を飛んでいた。刻竜王様に乗せていただくなど、親に知られたらどれほど叱られるだろうか。酷く不敬だという感情と、光栄だという感情。しかしそれも初めて空を飛ぶ感動や恐怖に押し流されてしまう。理由を尋ねたいが、刻竜王様のお言葉に逆らってはならないと幼いころから言い聞かされてきた理性が先に立って、何も聞けない。
そんな俺の感情を見透かしたように、並んで飛んでいた女神さまが口を開いた。
「強引に連れ出して悪いわね。ダニエルって子に頼まれたのよ」
「ダニエル……ダニエル!?」
あの連中の一人だと気付いて声がひっくり返った。なんでも彼らは実は五代目の魔王様一行だったらしい。それだけでも信じがたいというのに、仲間に勇者までいたというのだからますます訳が分からない。なぜ魔王と勇者が共に行動しているのだろうか。彼らは無事、刻竜王様に目通りし、北大陸に設置されたという魔術具の解除を願い出た。
それを了承した刻竜王様はさっそくそれを解除するべく城を出て、けれどその時にダニエルに頼みごとをされたというのだ。帰ってくるときには俺を王宮前まで連れてきてほしいと。
……誰に何を頼んどんじゃ。
会ったら一発殴ろうと思った。ダニエルは魔王様自身ではなく、あくまで魔王様のお付きの一人のようなので構わないだろう。二発くらい殴っておこう。
刻竜王様達の手にかかると、馬車で十日の道のりも一瞬だった。おそらく三十分もかかっていないのではないかと思う。人通りの多い朝の広場に刻竜王様たちが現れると、当然大騒ぎになった。慌ててその背から降りるも、目立たないわけがない。その衆目にさらされた俺からすぐさま場を奪ったのは、ここに俺を連れてくるよう依頼したという少年、ダニエルだ。彼は拡声機能のあるらしい魔術具を使って何やら演説をはじめた。
魔王様が生み出したという人を襲わない魔物の力でこの地に雨を降らしてみせた。さらに、この後また刻竜王様と魔王様がこの場に現れるという。実はこの地には今、女神様も魔王様も、そして魔王様の伴侶である別の女神様も揃っていて、ついにこの国は役目を果たしたのだと、彼は語った。
熱を帯びてどんどん増えていく人波に、俺は何が何だかわからないまま埋もれていった。
そして、言葉通り刻竜王様と魔王様はその場に現れ、全てを覆す言葉を発した。
刻竜王様は、ずっと思い違いをしていたのだという。神様は人を恨んでなどいない。魔王様は人類を魔物から守るために生まれた御方で、けれどその力に呑まれて歴代の魔王は人類を襲ってきた。そして遂に力に呑まれることなく、その力で人類を守ろうとする魔王様が現れたのだと。もう教えに縛られる必要はない。すべては己の罪だと刻竜王様は語った。教えが誤りだったことを認めたのだ。
生きていたいと望むことも、教義のない国へ逃げることも、本当は罪じゃなかった。
それならフェドーラは、俺が殺した女は…………俺は一体、何のために……
「……俺は、取り返しのつかんことを」
フェドーラを連れて亡命しようとしていた女。その女は幾度か目にしたことがあった。フェドーラも俺も基本的に王宮の中で生活することが義務付けられていたが、月に一度だけ王宮の外に出ることが許される日があった。そのとき、フェドーラは猫の女とよく会っていた。いつも笑顔で明るく、かえってそのことを両親にとがめられることもあるフェドーラだったが、その女と話している時はひと際楽しげにしていたものだった。その女と会う為に度々訪れていた薬店。そこに立つ夫婦のこともまた、俺は目にしたことがあった。
うつむく俺の肩に、女性がそっと触れる。思わずはねのけそうになるのをぐっと堪えた。たとえここで刺し殺されたとしても、俺は文句を言える立場にない。
「……ケージ君のことは、あたしらも知っとったんや。時々通りの向こうから、店の様子見に来てくれとったやろ?」
「フェドーラからもよう話を聞いたわ。真面目で世話焼きで、いつも自分のことを心配してくれるええ友達がおるんやって」
「っ……」
手のひらに食い込んだ爪が、ギシリと音を立てた。
「自分のことも刻竜王様のことも責めたらあかんで。ケージ君は自分の仕事をしただけなんやから」
「そんなっ……仕事いうても!間違っとったんやないですか!今、刻竜王様もそうお認めになったやないですか!」
思わず顔を上げてそう吠える俺に、男性は真剣な顔で首を振った。
「それはちゃうわ。刻竜王様のお言葉がきっかけやとしても、そのお言葉を教義として定めて色んなルールを作ったのは国や。それを受け入れてきた国民全体の責任や。国として、亡命を罪と定めとったんも事実や。そしてケージ君は罪を犯す人間を捕える仕事をしとった。君はその仕事をしただけやろ」
それは、ずっと自分で言い聞かせていた言い訳と同じ。けれどまさか、殺した女の親の口からそんな言葉が出るとは信じられなくて。
「……なんでですか。俺はお二人の娘を殺した男ですよ!」
「ケージ君」
「なんで……なんで割り切れるんですか!」
「割り切れてなんか、おらん」
震えた声が聞こえて、視線を女性に向ける。その瞳には、今にも零れ落ちそうな涙が溜まっていた。
「割り切れるわけないやんか。大事な娘や。ええ子やった。フェドーラのことが大好きで、だからこそ生きることを肯定されるほかの国で二人一緒に暮らしたいいうて。ただそれだけのことを望んだだけやったのに。ほんまはあたしらも付いていきたかったんや。足手まといになる思て、やめただけや。大事な大事な、娘やったんや」
「クレア、やめなさい」
「キーベルだってそうやないの!あの子が死んだて聞いて、何日泣いたか!」
窘めるように男性が声を呼んでも、クレアと呼ばれた女性は言い募るのをやめない。
「どうしてフェドーラだけやったんか、キーディーはなんで見逃してくれんかったんかって、何度思ったことか!」
「クレア!」
握りしめていたはずの指先が、力を失って冷え切っていた。当然だ。こんな言葉を投げかけられると思っていた。この人達が初めに優しい声で話しかけてくれたのは、ただただ強がっていただけだ。さらに傷口をえぐるような言葉を投げかけてしまったのだと気づいて、膝から崩れ落ちそうになった。
そんな俺を睨みつけながら、クレアはついに零れ落ちた涙をぬぐう。
「腹立ってしゃーないわ。守ろうともせんとただ送り出して泣いてただけのくせに、そうやってあんたのことばっかり責めたなる自分に」
「……え?」
「あんたがずっとこの一件を引きずって、数年前に兵士を辞して島で暮らしとるって話、人から聞いて知っとった。その時も、そのまま一生後悔しとってほしいなんて、あたしは最低なこと考えとった」
「……最低なんて……当然のことです」
「でも、キーディーは……満足、しとったんや」
そう言ったっきり、クレアはボロボロと泣き始めて言葉を継げなくなった。戸惑う俺に、キーベルが続けた。
「……あの島で、亡命希望者の案内人をしとった人間がおったやろ?」
「……バジル……数年前に亡くなった人ですか」
「そうや。あの人がな、フェドーラが乗った船が出て行った後に教えてくれたんや。君がフェドーラを見逃したことも。そして……キーディーが笑顔で逝ったことも」
笑顔だった?正直、彼女の死に顔は覚えていない。泣き叫ぶフェドーラの顔以外、その時の記憶はおぼろげだ。そして彼女の遺体は、フェドーラがともに連れて行った。
「あの子はフェドーラのことが大好きやった。ほんまに好きやったんや。海の果てまで一緒に逃げよう思うくらい。せやからきっと、フェドーラが死なんかったって事実だけでも嬉しかったんやないかと思う」
「………そんなん……」
一緒に逃げれたら、それが一番やったんやないか。
けれどそれは自分が一番口に出してはならないことだ。きつく食いしばった歯が軋んだ。
「死んだ人間は戻らん。過去に飲み込んできた感情も、今更吐き出す先がないこともある。正直なところ、俺もまだ整理はついとらん。ついとったらさっさとあの島におる君に会いに行って、もう苦しまんでええって言ったれた。すまん」
「……そんな……俺に謝らんとってください」
「せやけどな、少なくともフェドーラは君を大事に思っとる」
「……フェドーラ?」
思わぬ言葉に息が止まるかと思った。
「魔王様達がフェドーラからの手紙を届けてくれはった。キーディーを死なせてしまったことへの謝罪とともに、君のことも書かれとった」
「なん、て……」
かすれた声が漏れた。そんな俺に、数枚の紙が差し出される。指さされた場所を読めば、懐かしい文字が並んでいた。
『ケージのことは、わたしのせいです。わたしのことをいつも心配してくれていた彼には、きちんと納得してもらえるまで説明するべきでした。それをせずに彼の元を離れてしまいました。わたしが何も言わずに消えようとすることで、彼が誰に剣を向けるのか、もっと考えないといけなかった。わたしがケージとちゃんと話ができていたら、キーディーは死なずに済んだし、ケージを苦しませずにすみました。』
直接的な謝罪の代わりに、後悔の言葉が綴られていた。そしてそれ以上に、キーディーやこの夫婦への感謝が手紙いっぱいに書かれている。ところどころインクが滲んでいるのは、誰の涙なのだろうか。
「君のことを許せとは一言も書かれとらん。せやけど、恨むなら自分にしてほしいといわんばかりの言葉がこれだけ並んどるのを見れば、フェドーラの気持ちはわかるやろ?」
手紙にまた一つ、染みを増やしてしまった。それを謝罪することもできずに、俺は顔を伏せた。
「お互い、すぐには考えを変えられんし、誰にぶつけてええか分からん恨みややるせなさは一生抱えることになる思う。でもこの手紙だけは君に見せたりたかったんや。ここで会えて良かった」
おそらく、この国の教義を巡って起きた対立や悲劇は山ほどある。俺たちのことはほんの一例。今広場に集まっている者達の何割が、刻竜王様のお言葉を前向きに受け止められただろう。興奮している者たちの中にだって、我に返った時むなしさを抱く者がいるだろう。
俺の罪は、決して許されたわけではないのだと思う。けれどこの日がこの国の歴史の転換点になったことは間違いなく、これ以上の悲劇を繰り返さないように、俺はこの先の時間を生きていくしかない。この日、俺の為に勇気を振り絞って声をかけてくれた、この夫婦の優しさにこたえられるように。
いつもご覧いただきありがとうございます。
この章はこのお話でおしまいです。
裏話を二話ほどはさみまして、少し執筆期間をいただいてから最終章に入りたいと思います。




