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魔王の隣で勇者を想う  作者: 遠山京
第二部 第二章 令嬢と勇者

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201/224

051アメフラシと魔物海域

ドロテーアがフラグを立てたのではと怯えたあの出航日から一週間。船は順調に進んでいた。ただ……


「……嵐って言うか」


雨がしのげる場所から甲板を眺めて溜息。この三日ほど降り続けている雨のせいで、甲板はビショビショだ。雷が鳴るわけでも強風が吹きつけるわけでもないから危険は感じないんだけど、ただひたすら長雨にさらされているのも地味にきつい。気温が下がっているから水浴びも辛いし。


「こりゃアメフラシの群れに沿って通っちまってるかな」


そう言ったのはベオトラだ。


「アメフラシ?」


って、海の軟体生物のアレ?


「海底にすむ魔物の一種ですわ。船を襲うことはないんやけど、あたり一帯に雨を降らせるもんでアメフラシって呼ばれとるみたいです」


ベオトラの代わりに、ダニエルが答えてくれた。ダニエルも知っている魔物らしい。この世界のアメフラシは本当に雨を降らせるのか……


「船旅では水の補給が難しいんで、歓迎されることもあるとか」

「ああ、なるほどね」

「でもこうして大規模な群れに遭遇しちまうと、長いこと雨に降られる羽目になる。俺らは水に困ることはないし、ありがたみは全くないな」


ベオトラが正直な感想を寄こした。

確かに、そろそろ太陽が恋しい。


「あと、進む先々でこうして雨が降るんで、陸地の近くを通るとその地域にも長雨の影響が及ぶとか、その海域の生態系にも影響が出るとか、漁師町では嫌われがちやそうです」


ダニエルが勉強の成果を披露してくれる。


「この三日間、ずっとその群れと一緒になっちゃってるってことは、かなり大きな群れなのかな?」


船のスピードを考えれば、ずいぶん長距離を移動しているはずなのに。


「大きな群れだと百キロにおよぶこともあるらしいからな。加えてやつらは移動速度が速い。この船とそう変わらんスピードで移動していれば、ずっと群れの範囲から抜けられていなくてもおかしくはない」

「……そんな速いの?」


この速度で移動するアメフラシの群れを想像して、ぞっとした。

陸地で遭遇する生物じゃなくて良かった。


「流石にこれ以上雨が続くとかなわんし、ちょっと航路ずらしますわ」


ダニエルがそう言って舵取りに行くのを見送って、ベオトラは肩を竦めた。


「もし陸地近くならアメフラシの姿を見ることもできたんだがな」

「見たかったの?」

「俺はもう何度も見てるが、アカネやドロテーアが見たら喜びそうだと思ったんだよ」

「……アメフラシを?」

「女子供が好きそうな見た目してるからな」

「え、そうなの?」


てっきり姿かたちは同じだと思っていたけれど、この世界のアメフラシは名前こそ同じでも見た目も性質も全く違う生き物なのだろうか。そう言われると気になるのが人間の性だ。もし近くに居たらファリオンの力で呼び寄せられたりしないだろうか。部屋でトレーニング中のファリオンの元を訪ねてみた。


「アメフラシ?」

「うん、海面付近に居たりしないかな?」


私の問いに、ファリオンは視線を上に彷徨わせながら眉根を寄せる。


「……んー、それらしきものは海面付近にはいないな」

「そっかぁ」

「あんまうまくないと思うぞ」

「食べないし。見てみたかっただけだし」


肩を落とす私を見て、ファリオンは苦笑する。


「そういうことか。それなら最初からそう言え。待ってろ」

「え?」


私の頭を軽く撫でてから、ファリオンは濡れるのも厭わず船首の方へと歩いて行った。慌ててその背を追いかける。


「ファリオン?」

「あ、こら待ってろって言っただろ。濡れるぞ」

「そんなのファリオンもでしょ。何するつもり?」

「細かい指示出そうと思うと近づかないと難しいんだよ」

「指示って……」


何を誰に?と聞くより先に、眼前で大きな水しぶきがあがった。


「わ!?」


水面から勢いよく顔を出したのはイッカクだ。ロープがついていないから、おそらく待機中の子だろう。その子が頭にのせていた小さな何かをこちらへと放り投げる。小さな影が宙へ舞うのを慌てて追いかけた。おそらくこれがアメフラシ……


「……アメフラシ?」


なんとかキャッチしたのは想像とは全く違う小さな生き物。プルプルした質感に、丸いフォルム。全体的にほんのり青い。小さな円らな瞳がちょこんとついて、耳のような突起が頭の上にある。足らしき小さな突起も下の方に六本ほど。シルエットだけで言えばアメフラシと言うよりメンダコだ。怖かったのか、小刻みに震えている。本当にこれが高速移動できるのだろうか。


「え、え、これどうしたら!?」


確かに可愛い。水族館でこんな見た目のぬいぐるみとかキーホルダーありそう。だけど海の生き物をこんな空中に放り出して居たらあっという間に死んでしまうのでは。人間の体温も、魚とかには高温すぎると聞いたことある気が。


「忘れたのかよ、こいつ魔物だぞ」


ファリオンは私の手の上のアメフラシをひと撫でした。


「これでこいつはもう陸でも生きられるし、命令すれば雨を降らせない」

「……魔王様、万能」

「だろ?」

「海底のアメフラシ達はこれからも雨を降らせるんだよね?」

「命令しない限りはな。生態系にどんな影響あるかわかんねーからそのへんの性質は大幅に変えない方がいい」


その返事に安心した。アメフラシの雨のおかげで水不足解消している船もあるという話だし、習性が完全に変わってしまうと困る人がいるかもしれない。


「気に入ったなら飼えばいい。これくらいの小さな魔物なら、闇魔術使える人間は大抵使役できる」

「それじゃあ……今日からあなたの名前はアメプーだよ。よろしくね」


アメプーの耳?がほんのり下がった。肯定を意味しているのだろうか。

室内に戻ろうとしていたファリオンがゆっくりこちらを振り返り、『俺らの子供が出来た時には俺が名前つけるからな』と言い残していった。何か名づけにこだわりでもあるんだろうか。その時になってから考えればいいのに、気が早いんだからもう。


いつも一緒のヒナ吉ももちろんこの旅に連れてきている。動いているところをベオトラに見られると『見たことのない魔物を使役しているな?』と怪しまれそうだから、あくまで私のお気に入りのぬいぐるみとして、だ。勇者として各地を旅してきたベオトラ相手に、新種の魔物を見せるのはリスクが高いから仕方ない。先住魔物であるヒナ吉と新入り魔物のアメプーが喧嘩しないか心配していたけれど、二人ともすぐに仲良くなった。アメプーを見たドロテーアは頬を緩ませ『ほんまに可愛い』とニコニコしている。ドロテーアが可愛い。


その日のうちに雨は止み、無事にアメフラシの群れから離れたらしい。イッカクのおかげで動力に全く心配のない私たちの船は、拍子抜けするほど順調に進んでいった。トラブル続きの船旅になるやもと心配していたけれど、事前準備をしっかりしていて魔物が敵どころか味方になるこの状況で事件なんて起きようもない。

それでも出発から二週間を過ぎたころに差し掛かった、魔物だらけの海域では流石に手を焼いた。


「船を引くイッカクは一頭に減らせ!残りの奴らが遊撃に回ってくれるならその方が今は助かる!」

「了解!」


ベオトラの言葉を聞いて私が頷き、ファリオンがひっそりとイッカクに指示を出す。初めは数匹、海面を飛び跳ねる魚の魔物が見え始めたくらいだった。船の上に上がって来そうになるその魚を、男性陣がかわるがわる叩き落す。

それが一時間も続いた頃、次第に魔物の数は増えていき、魚と言うよりは海獣に近い魔物が姿を見せ始めた。そして今はひっきりなし、休む間もなく魔物の相手をしている。


ファリオンはどうもカッセードでの戦いで反省したらしく、戦闘中に魔物の特性をこちらに有利なものに変えるのはやめたらしい。それなりに腕のある相手にはどうしてもばれるそうで、ベオトラの前では無理だとのこと。自分自身へ魔物が襲ってくる様をいかに自然に見せるかに注力すると言っていた。魔王様も大変だ。


おかげで見事に混戦が続いている。戦い慣れているメンバーは体力もあるし危なげなく魔物の相手をしているし、私も膨大な魔力に物を言わせて船が損傷しないよう結界で守ったりできているけれど、本来戦闘向きではないダニエルが辛そうだ。前線に立つのではなく甲板の上に落ちてきた瀕死の魚の止めを刺すとか、その魚の仕分け(リードの指示により、売り物になる魚だけ残してそれ以外は海へ放り込む)に奔走している。

もちろんドロテーアは室内の安全なところに避難してもらっている。一人だけ避難することに恐縮していたけれど、適材適所っていうやつだから気にしないでほしい。ダニエルも避難させる予定だったのに、本人に固辞された。男の意地らしい。この国はまだ男の人は力強くあるべきみたいな価値観が強いからなぁ。ロッテが聞いたらいつもの調子で『どうしてですの?』って言うだろうし、気にしなくていいと思うんだけど。本人が自分でそうしたいならそれを尊重しようと言うことで今の形に落ち着いた。


それにしても、この状況がかれこれ二時間。魔力はまったく問題ないものの、私も集中力が切れ気味だ。結界を維持しているだけではあるんだけど、逆に言えば船が持つかは全て私にかかっている。責任重大だ。

早くこの海域を抜けたいけれど、魔物が多すぎて船が思うように進めず、イッカクも戦闘に加わってもらっているので馬力が落ちている。

いつまでこれが続くのかと焦れた空気が蔓延しだした頃、ファリオンが戦闘の隙を見計らってこちらに駆け寄ってきた。


「アカネ、大丈夫か?」

「魔力は全然平気だけど、魔物ってまだまだいそう?」

「俺が感知できる範囲だと、あと一時間は抜けられねーと思う」

「いちじかん……」


聞くんじゃなかったと膝の力が抜けそうになった。


「流石にこのメンバーじゃそこまで持たせるのは難しい。アカネの魔術で片づけたい」

「……そうだね……このままじゃそのうち崩れちゃうかもしれない」


精鋭揃いとはいえ、流石にこの人数では休憩もまともに取れない。ベオトラは火と光の魔術が使えるみたいだけれど、海の中の魔物相手には分が悪い。

最も手っ取り早いのは、私の大規模な魔術で魔物を片付けてしまうことだろう。

それをしていなかったのにはもちろん理由がある。それほどの大規模な魔術を使いながら結界を維持するのが、今の私にはまだ難しいからだ。

そうなると当然、ファリオンの力を借りることになる。

魔力の操作をファリオンにゆだねて魔術を使う。これまではそれで魔王の覚醒に繋がったことはないけれど、最近不安定になりつつあるファリオンには、間接的にでも魔術を使ってほしくなかった。もしこの場で魔王の片鱗を見せてしまえば、ベオトラがどんな反応をするか分からない。

ファリオンの魔力を受け入れる私の方にも影響があるかもしれないとあって、これは最終手段にしようと相談してあったのだ。


「そんな不安そうな顔するな。大丈夫だ」

「もし危ないって思ったら、すぐに止めてね」

「ああ。その時はすぐ俺に魔力流し込んでくれ。アカネの方でも異常を感じたらすぐに抵抗して魔力を切れよ」


頷きあい、ファリオンが私の手を取る。


「結界かなり分厚く張ってくれてるな。その割によく安定してる」

「そうでしょ?」


褒められて気分よく胸を逸らした私に、ファリオンは笑った。


「ああ。でもこの結界にあんま負担かけたくねー。水魔術や風魔術だと船にも影響が出るから結界に頼ることになる。闇魔術で周辺の魔物を散らした方が効率がいいと思う」

「闇魔術?対象限定するの難しくない?」


この船に襲い掛かってくる魔物の範囲は結構広大だ。遮蔽物が無い海だと遠くからも船が見えるので、半径一キロくらいは対象にしないと向かってくる魔物は減らせない。その範囲に闇魔術で催眠などを施すことは難しくないけれど、その威力を維持しつつ味方を避けるのはかなり精密な操作が必要になるのだ。

しかし私の驚愕の声に、返ってきたのは澄まし声だ。


「アカネ様」

「……"僕を誰だとお思いに"?」

「分かってんじゃねーか」


懐かしいセリフだと思わず笑う。確かにこんな時のファリオンは、私の期待を裏切ったことなど無い。


「いくぞ。ちゃんとアカネも狙いつけとけよ」

「分かってる」


細かい操作はファリオンがしてくれるとはいえ、魔術を使うのは私。イメージは大切だ。

ファリオンの魔力がゆっくりと流れ込んでくる。暖かくて、心地いい。微睡みそうなほどの気持ちよさに、思わず目を閉じてしまいそうなほど。うっとりしそうな頭を叱咤して、魔術に集中する。

周囲の魔物を、味方のイッカクを除いて眠らせる。広範囲をカバーできるよう魔力を練り上げる。その間も船の結界を維持する魔力は繋げていないといけない。私の意識が逸れそうになるたびに、ファリオンがそっとその出力を維持してくれているのが分かる。


「……いくぞ」


範囲が正確に絞られた感覚を掴み、それと同時にファリオンがそう呟いた。頷いて魔術を展開する。

効果はてき面だった。飛び跳ねていた魔物はそのまま重力に従ってその場に落ちていき、突進を繰り返していた魔物も動きを止める。

船の上に落ちてきた魔物も居るけれど、すぐさまベオトラ達が対処してくれた。


「……アカネの魔術か」


リードはすぐに状況を把握したようだったけれど、私の魔術を始めてまともに見たベオトラは口を開けていた。

さきほどまでの喧騒が嘘のように静まり返った海。魔物が跳ねる水しぶき一つ全く見えなくなった海を見渡した後。


「……アカネ一人で良かったんじゃないのか?」


何でもっと早くやってくれなかったんだと言わんばかりの呟きを零された。ファリオンの事情を知らない人からしたら尤もだ。


「ごめん、でも……」


どう言い訳したものかと思っていたけれど、こちらを振り返ったベオトラは半眼になり、納得したように頷いた。


「……いちゃつかないと実力が発揮できないってのは難儀だな」

「えっ」


私とファリオンの体勢を見てそう判断してしまったらしい。

ファリオンは後ろから抱きしめるようにして、私の腕を掴んでいる。確かにはたから見たらいちゃついているようにも思えるだろう。


「いちゃつくなって頼んだのは俺だからな……だが、今後も緊急時にまでそんなことは言わないから、もう少し早めに頼む」

「わ、分かった」


言い訳はできないだろうと判断して、せめて早く離れようとするのに、こうして触れ合うのが久しぶりだからなのかファリオンがなかなか離してくれない。こちらを見ないように目を逸らすベオトラ。うんざりしたように溜息をつくヴェル。じっと睨んでくるリード。赤面しながらも横目で見てくるダニエル。

あまりにも居た堪れなくてジタバタと暴れる私を、ファリオンは楽し気に押さえ込むだけだった。


再びイッカクが船を引っ張り始めて二時間。闇魔術の範囲から漏れていた魔物が時折襲ってきたけれど、数がかなり少なかったのでずいぶん楽になった。

ようやく魔物海域を抜け、休憩もそこそこにリードは確保していた魚をさばいて干物にする準備を始めた。ラカティで売れそうなら売るつもりらしい。商魂たくましい。『そういう作業なら任せてください!』と、ドロテーアが嬉々として手伝っていた。


そして四日も経った頃。夜中ノックの音が聞こえて、私とドロテーアは飛び起きた。


「起きろ。島が見えてきた」


扉の向こうでそう告げたのはファリオンだ。フェドーラさんから聞いていたのと同じ特徴の島が前方に見え始めたらしい。二十日弱の航海を経て、私たちはついにラカティ連合国へとたどり着いた。

いつもご覧いただきありがとうございます。


(魔物Aと魔物Bがこんな会話をしたとかしないとか)

「おたくもそんな名前を……」

「おたくもですか……」

「悪気が無いのは分かるんですがね……」

「いや全く……同じ枷を負ったもの同士、仲良くしていただきたい」

「ええ、是非」

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