040裏話:ローザ・ベネディクトの半生
私は少年愛者じゃない。
これが十年以上前から心の中で叫んでいる、今も変わらない私の本音だった。
==========
本当の親がどんな人間だったのかは全く記憶にない。
孤児院の院長は私を拾ったのが三歳くらいの時だと言っていたから覚えていてもよさそうなものだが、一番古い記憶は孤児院の薄暗い部屋の隅で破れた本を読んでいたことだろうか。
院長は同業者の中では教育をきちんとしてくれる人で、簡単な読み書き算術は全ての子供に教えてくれていた。
院長と親しかったルーカス・ベネディクトの目に留まったのは、私がその中でも出来が良かったからだ。
「僕は聖遺物の研究をしているんだ」
彼はそう言った。
当時私は十歳。
彼は三十歳だった。
研究に没頭して無精してしまうんだと語る彼の体躯は細く、髭が伸び放題なせいで年かさに見えた。
「聖遺物って、神様が作ったというあの?」
「そうだよ。よく知っているね」
そう言って私の頭を撫でたルーカスの顔を今でも覚えている。
とても嬉しそうに、笑っていた。
「だけどその研究をしている人は少なくてね。国もあまりお金を出してくれないから、助手をしてくれる人間も捕まらない。君に手伝ってもらえると助かるんだ」
彼が私を拾ったのは、なんていうことはない。
単に人手が欲しかったのだ。
だからこそそれなりに地頭のいい子供を欲しがった。
彼の目に留まるような頭に生んでくれたことだけは、実の親に感謝している。
「どうして聖遺物の研究を?」
聖遺物といえば太古から残る魔術具で、それを再現できる者はこの世にいないと思えるほど高度な道具だと言う。
それゆえ神が作ったとされているが、神という単語を聞くのはこの聖遺物について語るときくらい。
神などいない、昔の人の想像の存在というのが一般的な考えだ。
大昔に今より発達した技術があるというのも信じがたいが、とにかく聖遺物とはロストテクノロジーの結晶。
見つかっても国が回収して宝物庫にしまい込むことが多いので、名前は知っていても実物を見たことがある者は少ないと言う。
「確かにね、聖遺物の研究をしている人間っていうのは少ない……というか、僕以外の研究者に会ったことがない。だけどね、僕は聖遺物こそが人間達の未来を救う鍵だと考えている」
「未来を救う?」
「人々は日々魔物と戦っている。その戦闘力も魔術の威力も年々増している。だというのにいつまで経っても魔物は消えない。むしろ魔物被害が増えている地域すらあるんだ。今後もその傾向が続くとしたら、いずれ人間は魔物に潰される」
「そんな……」
「馬鹿な話だと思うかい?だけどもしそんな未来が起きた時、今の技術では太刀打ちできない。聖遺物にも匹敵するような技術を今から研究しなくては。必要に迫られてからでは間に合わないんだよ」
そう語る鳶色の目はとても真剣で、この短時間でも彼が誠実で純粋な研究者であることが伝わってきた。
「とはいっても、兵器を生み出したいわけじゃないんだ。聖遺物をもとに、まずは人々の生活に役立つような……大勢の人を助けられる物をまずは作りたい。きっとそんな技術の末に、魔物に対処する術も生まれてくるだろう」
「分かりました。私はその手伝いをします」
遠大な夢を持ちながら、彼は現実的で、そばに居る人々の幸せを見据えられる人だった。
そんな彼の力になれるならと、私はより勉学に打ち込み、彼のことを必死にサポートした。
私を養子として迎え入れてくれたベネディクト家。
そこの子供たちは突然現れた私に驚きつつも気を遣ってくれていたし、ルーカスの妻である養母も、最初の数年は私に親切にしてくれていた。
そうして、あっという間に七年が経った。
「ルーカス、またこんなところで眠っているの?」
「ううん……ローザか、今何時だ」
屋敷の片隅に埋もれた小部屋。
魔術具や本の山に埋もれたこの部屋こそが彼の研究室だった。
本を枕代わりにして眠りこけているルーカスを起こすのは私の役目だ。
すっかりここでの生活にも慣れた私は、成人女性になっていた。
「もう十三時になるよ。人をお使いに行かせておいて昼寝とはいい身分だ」
「そう言うなよ。昨夜眠ったのは五時だったんだ」
「それは昨夜じゃなくて今朝っていうんだよ。昼夜逆転するような生活はやめた方がいいと何度も言っているのに」
「やれやれ、可愛い女の子がすっかり口うるさくなってしまったな」
「誰のせいだと……」
あくびをする姿に溜息をつく。
無精で生えた髭は不ぞろい。
伸ばされた髪は無造作に一つに束ねられている。
とても女性受けする容姿とは言い難い。
だというのに。
「ローザ、どうした?」
「……なにも」
いつからだろう。
鳶色の目を真っすぐ見れなくなったのは。
とても男らしいとは言えないけれど、彼の手は大きく、筋張った首も低い声も、どれもこれもが私の胸をざわつかせる。
家には年頃の男の子だっている。
恋愛対象にするならばおそらくそちらの方が普通だろう。
二十も年上の……外見だけなら四十以上にも見えるような男を相手に、色気づくなんて……
「おーい、具合が悪いのか?」
いつの間にか俯いていた私の顔を、ルーカスが覗き込む。
その時、もっとうまく振舞えていたら。
そう何度思い返したことだろう。
「わ、あっ!」
大げさなほど体を跳ねさせて飛びのいた私の姿を、ルーカスはぽかんとした顔で見つめた。
ああ、ダメだ。
そう思うのに顔が熱い。
「ローザ、お前……」
眉が下がっていく。
大好きな顔が、困った表情になる。
嫌だ、違う。
どうしたらいい。
違う、違う。
「違う!」
「ちがうって……」
「わたっ……私は……私が好きなのは少年だ!」
妙なことを口走った。
もっと若い男が好きだと伝えたかっただけなのに。
貴方が恋愛対象になることはないと安心させたかった。
それだけなのに。
もうじき十八になる女が、少年愛を叫んでしまった。
流石に無理がある。
「……ローザ、君が年頃になってから、僕は僕なりに養父としての務めを果たそうとしてきたつもりだ」
「……」
「総勢五名、結婚後も君が助手として働くことに理解を示す、貴重な男性たちを断り続けてきたのは……」
ルーカスは頭を抱えた。
「まさか、少年が好きだったからだとは」
「え?」
「え?」
「あ、いや続けて?」
「ああ、うん。僕だって変わり者と言われる人間だし、人の趣味趣向に口を出したくはない。しかし、未成年を相手にした恋愛というのは、かくも障害がつきものであるしだな……」
……ルーカスは、純粋な人だった。
なんでこれでだませるのかとこちらが頭を抱えたくなるほどに。
けれどこのやり取りをたまたま夫人に見られていたのがいけなかった。
数年前から私への当たりが強くなっていた夫人。
彼女は……私の気持ちに気付いていた。
どんな思いだっただろう。
善意で娘として迎えてやった子供が年頃の女になり、自分の夫に秋波を送る様を見るのは。
娘は受け入れることができても愛人は受け入れられない。
当然だろう。
夫婦関係に亀裂を入れかねない存在を敵視するのは、何も不自然なことじゃない。
=====
「……ローザ、私、貴女を嫌いになりたくはないのよ」
それから数か月後の夜。
私が淹れたお茶をその場にぶちまけ、彼女は涙を零しながらそう言った。
何がきっかけかと言えば、特に思い至ることは無い。
けれどきっと彼女にとって、恋敵になりうる女がずっと夫のそばに居るという事実がずっと不安となって蓄積されていた。
それが決壊したのがたまたまその日だったのだろうと思う。
「……もうじき、王立研究所の試験があるんです」
「研究所……?」
「それに何としても受かり、研究員になります。そうすれば寮に入れます。研究員になった後もルーカスの助手は務めますが、研究場所を研究所内の共同研究エリアに作ってもらいましょう。そうすれば他の研究員も居ますので、彼が私と二人きりになることはありません」
実際には他の研究員がたまたま居ないこともあるだろうし、休憩時に二人で食事をする可能性もある。
けれど少なくとも同じ屋根の下で私とルーカスが二人過ごしていることを感じるストレスからは解放されるはず。
夫人は涙で目を腫らしながら私を見つめた。
「……王立研究所は、夫も何度も試験を受けたけれど受からなかった」
ルーカスの論文は少し癖が強いから。
そう言おうとして口を噤んだ。
彼女はそんな言葉を聞きたくないだろうと思い直して。
「試験の内容は多岐にわたります。その年によって内容も違うので、運もあるでしょう」
「それでは貴女も受かるかわからないわ」
「その時は……結婚します。彼の助手もやめて、この家を出ます」
そうでなければ夫人の……養母の心が壊れてしまう。
彼女にとって私は恋敵であったかもしれない。
けれど私にとって、彼女は母だ。
ルーカスは父にならなかったのに、私を敵視している彼女の方を家族のように思えるなんて皮肉な話だった。
「それで、いいのね?」
今すぐにでも私を追い出したいはず。
だというのに彼女の目にはまだ私を慮る色がある。
優しい、人なのだ。
私のことを嫌いになりたくないと。
まだ嫌いじゃないなんてことを、言ってくれるくらいに。
「はい」
それなのに私はずるい。
彼女のことを思うなら、試験を待たずに家を出るべきだ。
彼の隣に立つ余地を残さないべきだ。
私は逃げ道を用意した。
死ぬ気で勉強し直して研究員になれば、まだ彼の隣に居られるように。
そんな逃げ道を、用意した。
=====
「おや、子供たちが遊んでいる」
試験の前日、ルーカスと買い出しに出た。
私と二人行かせてくれたのはきっと夫人の気遣いだろう。
私は試験と同時に出ていくと約束したから、今日が最後になる。
帰る途中に広場で見かけたのは、走り回る子供達だ。
家の手伝いをせずに遊んでいるのだから、それなりに裕福な家の子達だと見えた。
「……ローザ?」
すぐに視線をそらす私に、ルーカスは首を傾げた。
「なに?」
「いや、君はどういう子が好みなのかと」
一瞬何を言われているのかわからなかった。
そういえば私は少年愛者ということになっていたのだと気付いて焦ってしまった。
正直、子供に興味は無い。
しかし今更ルーカスに真実を知られるわけにもいかない。
「私の好みは……結構厳しいんだよ」
「というと?」
具体的な話を期待されている。
ぐ、と息を呑んで視線を巡らせた。
その時、何の悪戯なのか、人形のように愛らしい少年が目の前を走っていった。
年はまだ二歳くらいだろう。
まだ覚束ない足取りで走っているからいつ転ぶかとみているこちらが冷や冷やする。
しかし金色の髪に銀色の瞳の、天使のような少年だった。
上等な服装からして、貴族の子だと一目で分かる。
「ファリオン様!」
後ろから従者らしき男が慌てたように走ってきた。
その様子をぼんやり眺めていると、ルーカスが凄い勢いで私の肩を掴んだ。
「流石に!流石にあの年は!」
「は?」
「物事の分別もつかぬ年の子供はダメだ!」
「……」
そういえばそんな話をしていたんだった。
「……大丈夫だから」
「本当かい!?」
「あと……十歳くらいは欲しいかな」
十の前に三をつけそうになったのをぐっと堪えた。
「そうだよね、ああよかった。とはいえあと十歳あったとしても、ローザ、決して手を出してはいけないよ。触れたが最後、警邏に連れていかれかねないからね」
そうだろうな、と思う。
一般的に幼子を愛することは禁忌だ。
風紀を乱すと判断されて連行される恐れは十分にある。
明確な法があるわけではない。
政略上、未成年と婚約したり、成人する前に成婚を要するケースもあるからだ。
ただしそれは政治上必要なことだから許される。
たまにただの性癖として幼い子供が好きな人間もいるが、その性癖を貫けるのはもみ消せる権力のある人物だけだろう。
私には大義名分も権力も無い。
だけど別に要らない。
少年が好きなわけじゃない。
だけど、それをルーカスに悟られるわけにもいかない。
「大丈夫、指一本触れないよ」
「えらいぞローザ!性愛を抑圧するのは辛いだろうが、お前の為にもそうした方がいい!」
「そうだね……」
何が悲しくて想い人に見当はずれの性癖を気遣われないといけないんだろうか。
ルーカスのおかげで緊張を忘れて試験に臨めた私は、無事に王立研究所の研究員になった。
===========
「とまあ、そういうわけだよアカネ様」
「で、何でそれがこうなったの?」
「"こう"っていうところに蔑みを感じるけどね。私は今でも少年が好きなわけじゃないよ」
アカネ様がパラディア王国を去るまであと一週間。
その前に私の身の上話でもしておこうかと、お茶をしながら話していた。
しかしアカネ様は涙を誘われるでも私に共感するでもなく、ずっと胡散臭そうな目をしている。
「そのルーカスさんへの恋心を隠す為に、少年愛者のフリをしていたって言うの?ファリオンを追いかけたりヴェルナー君を見て舌なめずりしてたのもそれだって?」
「いやまあ、ルーカスの目を欺くために美少年を愛するフリをしているうちに、審美眼が養われたのは否定できない」
「つまり?」
「鑑賞対象として美少年が好きなのは今や事実だ」
「セーフよりのアウトって感じがする」
「どっちなんだい?」
「どっちなんだろう」
肩を竦めて見せた。
「指一本触れないというルールは守っているし、分からないように後をつけるようにしているんだけどね。たまに勘のいい子は気付いて怖がるんだよ。それがメアステラ兄弟だったりヴォルシュ侯爵だったりするわけだ」
「全部身内」
「アカネ様の周りには凄い人ばかりが集まるってことさ」
「貴女もその一人だよ」
アカネ様が褒めてくれた。
今日は良い日だ。
色んな意味で、なんて言葉が後に添えられた気がするけれど気にしない。
ルーカス。
私の恋は今も叶っていないけれど、貴方から受け継いだ研究は少しずつ花開いている。
世界だなんて大層なものは守れなくても、今はこの目の前の大事な友人を守れるよう、神が残した技術を紐解くよ。
そしたらいつか貴方の元へ私も行った時、褒めてくれるだろうか。
エルヴィンに加担したことを叱られるかもしれないな。
あの日手を差し伸べてくれたエルヴィンの姿が、少しだけ貴方に重なってしまったなんていうのは、ただの言い訳なんだけどさ。
ご覧いただきありがとうございます。
このお話でこの章は終わりです。
次章の準備中、別のお話を投稿します。
二十話ちょっとで完結予定ですので、よろしければそちらもご覧ください。
護衛が王女の命を狙う暗殺者なんですが
https://ncode.syosetu.com/n7522gw/




