019魔王は奴隷志望
夜もふけて21時。
いつもなら夕食を終え、あとは入浴をして眠るかという時間だ。
私は看病役のメイド、エレーナに無理を言ってヴィンリードの看病を代わり、彼の様子を観察していた。
エレーナは18歳のメイドさんで、比較的年の近い私とは仲がいい。
こういうお願いを聞いてくれるのもその為だ。
看病といっても時々額の濡れタオルを変えてあげたり、何か容態が急変することが無いか見ているくらいしかやることはないが。
ヴィンリードはあの時一瞬意識を取り戻した以外は、昏々と眠り続けているらしい。
奴隷商のもとに居た時は辛そうながらも歩いたりしていたし、意識はあったはず。
よほど疲れていたのか、安心したのか…
結局、先生の見立て通り、治癒術士はヴィンリードに対して何もできなかった。
やって来た美人治癒術士トルリアナの見立てによると、体内で魔力が暴走しているらしいとのこと。
若干の親近感を覚える。
しかし私の場合は外に放出しているし、抑えようと思って抑えたとしても、そもそも出力を絞っているだけなので体に害は無い。
彼の場合は放出することも出力を絞ることもできずに、体に負荷をかけまくっているような状態なのだとか。
蛇口を全開にしたままホースの口を押さえてしまうようなものだ。
何故こんなことになっているかまでは分からないものの、トルリアナは思い当たる解呪系の魔術を全て使ってくれた。
しかし…ことごとく魔術が無効化されたのだ。
まさにリジェクト、というような破裂音が響き、青黒い静電気のようなものが迸るのを私も見た。
トルリアナは有名なSランク治癒術士だ。
しかしそんな彼女も経験のない反応だったらしく、酷く困惑していた。
その結果、様子を見守ってくれていたディレット先生ともども匙を投げられてしまったわけで。
せめて栄養状態をよくして安静にさせるくらいしか打てる手が無いとのこと。
唯一の救いは、自分の体内の魔力暴走なので感染の恐れはないことか。
だからこそ私もこうして看病にあたらせてもらえている。
医者にも治癒術士にも打つ手なしと言われ、さすがの母も厳しい表情だったが…
私は正直、やっぱり…といった感じだ。
この少年が未来の魔王なのだとしたら、魔力の暴走は魔王の魂を受け入れたことによるものなのだろう。
だとしたら、死ぬことは無いはずだ。
少なくとも物語の中のヴィンリードは魔王としてファリオンの前に立ちはだかるのだから。
目の前で眠る少年は、やっぱりとびきりの美少年。
長い前髪で隠れていた顔が今はよく見える。
ただの綺麗な少年…に見えるのに…
「魔王…」
口にしてみればそれは冗談としか思えない響きだ。
目の前にいる少年が、魔王って…
裏切らず側にいてほしいなんてことを私に願った彼は、果たして本当に世界を混沌に陥れようとするのだろうか。
もし本当に彼が魔王なのだとしたら…
ファリオンに危害を加える相手なのだとしたら、私はどうすれば…
「う…」
「あ、起きた!?」
かすかに瞼が震えたかと思うと、赤い瞳がのぞく。
私の呟きが聞こえてしまったのかとドギマギしつつ、頭を押さえながらゆっくり体を起こそうとするヴィンリードを慌てて支える。
ゆるりと首を振りながらあたりを見渡す彼は、状況を把握しようとしているのだろう。
「大丈夫?私のことはわかる?
ここは私の家。スターチス家の屋敷だよ」
少なくとも私は今の彼から害をなされたりしていないわけで、私の敵と断言もできない。
努めて普通に接する。
顔を覗き込む私に焦点を定めると、彼は首を少し傾げながら口を開いた。
「…アカネ、様?」
「そうだよ」
「…すみません、あの後のことをあまり覚えていなくて…」
困ったように笑うその姿にくらりとくる。
この子、絶対自分がカッコイイって分かって表情作ってるよ。
引きつりそうな笑みを必死に貼り付けた。
「無理も無いよ。ずいぶん具合悪そうだったしね。
どこか痛むところはある?」
「いえ、大丈夫です」
改めて聞いた声は涼やかな、いかにもイケメンボイスで、本の中に飛び込んだ事を改めて実感した。
今は寝起きの掠れた声なのが更に破壊力を高めている。
まだ辛そうながらも幾分顔色が良くなっていることに安堵しつつ、私はひっそり冷や汗をかいた。
ダメだこれ。
間が持たないというか私の表情筋が持たない。
本当なら色々探るべく、少し二人で話をしようと思って、わざわざティナもエレーナも部屋から出したのだけれど…
「誰か呼んでくるから少し待っててね」
うんこれ無理だ、と判断して踵を返す。
しかしそれをさえぎるように、ふわりと手を掴まれた。
「わっ」
「申し訳ないのですが、長く起きては居られないと思います。
領主ご夫妻をはじめ、屋敷の方々へのご挨拶は
明日改めてでもよろしいでしょうか?」
しつこいようだが彼はイケメンだ。
そんな彼に手をつかまれ、本当にすまなそうに眉尻を下げて見つめられれば、ぎこちなく頷くしかない。
病み上がりに無理をさせるわけにもいかないかと溜息をつく。
「私も退席した方がいい?」
「いえ、アカネ様とは少しお話したいので是非このまま」
にっこり微笑まれて、今度はドキドキするより先にギクリとする。
母といい、ヴィンリードといい、いちいち心臓に悪い言い回しをしてくるの、なんとかならないかな。
「…私、何かしたかな?」
何もしてないはずだ。
…まだ。
確かに考えはした。
もし彼が魔王なら…とか。
いや、さすがにファリオンの手を煩わせる前に私が倒すわ!なんて戦闘系ヒロイン根性は出せないし、そもそも直接危害を加えるのは小市民心理的に無理なので、できるとしたら…
う、うん、アロマセラピーとかどうかな?
この世界にもラベンダーとかイランイランとかあったような気がするな。
特に資格とか持ってないけど世界平和につながるなら心をこめてブレンドするよ。
なんならアニマルセラピーも併用しよう。
動物の可愛さは世界を救う。
私はどんな表情をしていたのだろうか。
ヴィンリードは面白そうに小さく笑うと、首を振った。
「いえ、単に僕を買ってくれた理由をお聞きしようとしただけですよ。
そう怯えないでください。僕が怪しいのはわかりますが」
「あ、怪しいなんて…」
反射的に否定しようとするけれど、穏やかに首を振られてしまう。
「まさかあの名乗りだけでメアステラの人間だと
信じてもらえるとは思っていません。
父が名のある商人なのは知っていましたが、何せ何年も前のことですし、
父の仕事内容に詳しくもないので証明する術がなくて。
スターチス夫人が父の事をご存知のようで良かった。
少なくとも屋敷に連れ帰る程度には関心を持っていただけたようだ。
とはいえ僕の顔を知っていたわけでもないし、
確信が無い以上、まだ僕の扱いは保留状態でしょう?」
スラスラと言葉を重ねられて思わず黙り込んでしまう。
ずいぶん冷静だ。
というか…
「なんか、ちょっと元気になったわね」
いや、確かに本調子ではなさそうだが、せいぜい高熱にやられているレベルだ。
朝市で見た時のように今にも倒れそうな気配は無い。
いいことではあるんだけど…
わざわざ両親へのあいさつを後回しにする必要があるのかと言外にチクリとしてやる。
本当は私から何か聞きだしたくて他の人を呼ばれたくなかったのでは、と裏を読んでしまうのだ。
しかしそれも苦笑で軽くかわされた。
「これでも意識を保つのに苦労してるんですよ。
でも、そうですね…不思議とアカネ様が近くにいると楽になります」
そうして向けられた視線は妙に妖艶で。
母から聞いた話だと彼は今14歳。
声変わりはしているようだが、中性的なラインの残る外見はやはり少年だ。
そして寝顔なんかも年齢どおりに見えたのに、妙な色気や落ち着いた物腰が大人っぽく見せている。
でもまぁ…この子、苦労してきたんだよなぁ…
そりゃ大人っぽくもなるよね。
「…なんで気の毒そうに見るんです?」
「あ、ごめんね、つい」
いや、ちゃんとドキドキはしたよ。
ただヴィンリードの過去を知る身としては、色々と裏を読んでしまって素直に動揺できないだけだ。
遠い目をしていた彼は、気を取り直したように私に視線を戻した。
「それで、どうして僕を買ってくれたんです?」
使用人さんたちの手によって梳られた白銅色の髪は、朝見た時のぼさぼさぶりが嘘のようにさらりと流れる。
見惚れる私の視線に戸惑う様子の無い彼は、やっぱり己の美貌をよく理解していて、こういう反応にも慣れているようだ。
自分の長所を知ってるのは大事なことだと思うよ、うん。
ていうことは…
「見た目って答えるのが正解?」
「…この町に来るまで、期間限定で何人かに買われましたが…
どいつも僕の見目を気に入ってのようでしたね」
どいつも、という言い回しに恨みがうかがえる。
どんな扱いをされていたのかは聞くまい。
「あの商人にも言ったんだけどね、見た目とかはどうでもよかったんだよ」
「…そうですか」
見た目で選んだんじゃない!なんて陳腐な回答がお気に召さなかったのか、綺麗な眉がひそめられる。
「いや、うーん、全く関係ないわけじゃないのかなぁ。
そもそもすごい鳥肌立って、気付いたらあなたが路地裏から出てきて…」
「とりはだ」
「その後、商人に抵抗している時の目が気に入ったんだよね。
だからその…目力?とかは影響してるかもなぁ」
「めぢから」
「そう、なんていうのかな…
プライド?誇り?みたいなものを感じたというか…」
「ほこり…」
壊れたおもちゃのように私の言葉を反復する彼は、ついに誇りの部分で引っかかったらしく、誇り…ほこり?と繰り返しながら何やら考え込んでいる。
…やめてよ。
言ってからちょっと痛かったかな、と自分でも思ってるんだから。
あらゆる修羅場をくぐりぬけてきた大人が言うならともかく、元はただの女子高生である私に、内面の審美眼など正直なところ無い。
『特に誇りとか無いですけど?』とか言われたら『あ、すみません…』と引き下がる程度にはふわっとした感覚だ。
「…あ、うん正直言うとね。
別にそれも嘘じゃないんだけど、その目を見た時にある人を思い出したの。
それが決め手かな」
そう付け加えると、ようやくヴィンリードは顔を上げた。
「…ある人、ですか」
「うん」
あ、しまったな。
ファリオンのこと言うわけにもいかないのに。
「追及されたらどうしようって顔してますね」
「……」
私ってそんな分かりやすいのか。
ヴィンリードが悪戯っぽく笑う。
「アカネ様の想い人ですか?」
「あーーっと!そうそう忘れるところだったぁ!」
「……」
ちょっと自分でもどうかと思う誤魔化し方だけど、忘れていたことがあったのは本当だ。
ヴィンリードが起きたら飲ませようと枕元に準備してあった小さな瓶。
…そう、アレだ。
ディレット先生謹製栄養ドリンク。
「…それは?」
ヴィンリードが嫌そうに表情をゆがめる。
未来の魔王すら忌避するドリンクってすごいな。
「スムージーだよ」
「そんな爽やかなものじゃなさそうなんですが…」
病は気から。
イメージって大事だ。
だから飲む前からマイナスイメージを持たないように女子力高めな回答にしてあげたのに。
じゃあ正直に伝えてあげよう。
「匂いも味も喉越しも最悪だけど効果はテキメン、材料は聞かない方がいいよ、な栄養ドリンクだよっ」
めいっぱい可愛く言ってやると、呆れたような半眼を向けられた。
「…で、それを?」
「飲んで!」
「わかりました」
もっと問答が続くと思っていたのに、拍子抜けするほどあっさり小瓶が引き取られる。
なんて言いくるめようかと考えていたのに…
さっきまで物凄く嫌そうにしてたのはなんだったのか。
一気にあおった彼は、眉をひそめつつも飲み干したようだ。
「お、おぉ…思い切りがいいね」
「…このお水もいただいても?」
「あ、うん待ってね」
「いえ、自分で」
同じく枕元においてあった水差しを用意しようとすると、ヴィンリードはそれを制して自ら水を汲み…こちらも一気に飲み干した。
「やっぱりまずかったのね」
「いかにも見た目からまずいじゃないですか」
「そのわりには躊躇い無く飲んだじゃない」
褒め言葉のつもりだ。
潔いのはいいことだ。
しかし彼は溜息をついて予想外のことを言う。
「僕はアカネ様の奴隷ですから。
命令を聞くのは当然です」
「は…」
一瞬ドレイってなんだっけ、吸い取るやつだっけ、いやそれドレイン、とか本気で考えた。
絶句して数秒、なるほど、彼はここに来るまでの記憶があやふやな様子だった。
母と奴隷商のやりとりを知らないに違いない。
まぁ、私も終盤しか聞いてなかったんだけど。
「あ、あのね…覚えてないかもしれないけど、
ヴィンリードは奴隷として買われたわけじゃなくて」
「リードとお呼びくださいと申し上げたはずですが」
すねた様に言われた。
イケメンの拗ね顔、尊い。
…じゃなくて、今はそこに引っかからないで欲しい。
けれど説明を再開しようとした私をさえぎるように、リードは口を開いた。
「覚えていますよ。
さすがに領主夫人が自領地で奴隷の購入をするのは
避けたかったんでしょうね。
あの男が商売手形を持っていなかったことから、
僕は商品ではないということになった」
あ、そういう流れだったの。
なんで奴隷商が土下座することになったのか、ようやくわかった。
商売をするにはその土地の管理者から発行される手形が必要。
通常、領地に入ったら税関から管理局に申し出て手形を発行してもらうものだ。
その時、奴隷商などの特定分野の商人については領主にもリストが届く。
しかしそれに目を通していたらしい母は、この商人に心当たりが無いとして手形の提示を求めたそうだ。
奴隷商は関税が厳しい。
手形を取得せず闇商人となる者は少なくない。
闇商人のくせにあんな往来を横切ろうとするなど迂闊としか言いようが無いが…
おそらくあの商人も、まさか領主夫人が朝市をうろついているとは思わなかったに違いない。
しかも人がよく騙されやすいと噂の領主様が収める地だ。
その奥方に、こんな厳しい駆け引きを強いられるとも思わなかっただろう。
いわく…
手形が無いなら商人じゃないわね。
つまり手元の子供たちは全員、路頭に迷っているのを保護しただけよね。
ましてや私に縁のあるメアステラの子息と思しき子を商品なんて言わないわよねぇ?
と。
父なら騙せおおせたかもしれないけれど相手が悪かったね。
ていうかお母様、こういうことできるなら何で今まで父が騙された時止められなかったの?
ヴィンリードから仔細を聞いて頭が痛くなる。
「まぁいいわ…でもそれなら分かるでしょ。
リードは奴隷として引き取られたわけじゃなくて」
「それは夫人の都合でしょう?」
食い気味にそう突っ込まれた。
…なんなんだ、これじゃまるで奴隷になりたがっているような…
ような、ではなくその通りなのだと、彼は畳み掛けてくる。
「アカネ様は僕を買おうとしてくれた。
そして僕がそれに応じた時点で、僕は貴女の奴隷です」
『僕は貴女の奴隷』だなんて言われるのも、そんな性癖の男を受け止めるのも今の私には荷が重い。
いや、今後どれだけの経験を積んでも受け止められる気がしないな。
「断っておきますが、誰かに組み伏されるのを好む性癖はありませんよ?」
ドン引きを隠しもしない私に、リードは苦笑しながら訂正した。
「難しい話では無いでしょう?
貴女が僕の主人になるだけです」
「いや、あのね」
私は貴族の令嬢ではあるけれど誰かの主になったことは無い。
私の世話をしている人間たちは誰もが父に仕えているのであって、私に従っているわけではないのだ。
主になるということはその人間の行動に責任を持つという事。
社交界に出れば自分付のメイドや侍女の主として振舞わなければいけないこともあるが、私はまだ社交界デビューもしていない。
ましてや男性奴隷の主なんて…難しいに決まっている。
けれどリードは戸惑う私に取り合うことなくベッドにもぐり直した。
「すみませんが、少し疲れたので眠らせていただいても?」
「う、うん。それはいいんだけど、この話このまま?」
悪いけど誤解はとけてないぞ。
ドン引いたままだぞ、いいのか。
「僕と貴女の関係を、奴隷とその主にしておきたいだけです。
変な行為を強要しようって言うんじゃありません」
再び横になったリードは、仕方なさそうに溜息をついて補足をいれた。
いや、なんか手のかかる子を相手するような態度とってらっしゃいますけど。
「そんな特殊な関係を望まれるのは十分変な行為だと思うんだけど…」
しかし彼はそのまま力尽きたようで、返ってくるのは静かな寝息だけ。
未来の魔王に主人になるよう強要されている。
…情報過多でわけわからん。
中途半端な鎮火しかされていない爆弾を抱えた心地のまま、私は仕方なく部屋を後にした。
廊下で待機していたティナとエレーナに、リードが起きたこと、ドリンクを飲ませたことなどを伝えていると…
「…アカネ」
気付けば厳しい表情のシェドが背後に立っていた。




