039ハッピーエンドはお預け?
六月の終わり。
初夏の香りがする王都、貴族街の一角。
ヴォルシュ侯爵の屋敷に、多くの荷物が運び込まれていく。
それは花嫁の嫁入り道具だったり、各地から届くお祝いの品だったり、侯爵が花嫁の為に庭の隅に温室を建てるべく取り寄せている資材だったりした。
「慌ただしいですねぇ。結婚式当日だっていうのに」
「侯爵夫妻の結婚式ですもの。あと一週間はこの調子でしょう。今夜のパーティーにはたくさんのお客様の馬車が来るのよ」
私の髪を梳りながらエレーナがぼやき、ドレスの準備をしながらティナが返す。
ティナの手元にあるドレスは眩しいほどの純白だ。
あえてレースを抑え、シルクの光沢を生かしたシンプルながら美しいドレス。
この国ではまだ例のなかったマーメイドラインを採用している。
私のウェディングドレスだ。
そう、私の、ウェディング、ドレスなのだ。
「こういう時の為に高位貴族のお屋敷ってロータリーが広いんですねー」
エレーナの呑気な声が耳を素通りしていく。
……やばい、吐きそう。
「あら、お嬢様?顔色が悪いですわ」
「あらら、本当に真っ青じゃないですかー。どうしたんです?晴れの日だっていうのに」
「ドレスの為に昨夜からお食事を控えめにしていたせいかしら。軽くつまめるものを用意してもらいましょうか」
ティナの言葉に首を振る。
「……大丈夫、入らないと思う」
「まさか、緊張してるんですか?」
エレーナが腰に手を当てて呆れた声を出した。
まさかとはなんだ。
一生に一度のこと。
しかも相手があのファリオンで、国を挙げての慶事にされてしまったというのに緊張しない方がおかしい。
今日この日、私はファリオンと正式に結婚する。
そのニュースは国内を駆け巡り、例によって例のごとく暴走したロッテが国を挙げてのお祭りに仕立て上げてくれた。
通常王族しか使わない王城の敷地内にある教会を婚儀の場にされ、その後に披露宴を行うこのヴォルシュ邸までは婚礼用の馬車で王都をゆっくり一回りパレードしてから帰ってくることになる。
パレードは嫌だけど、この際もういい。
前も一回やったし、笑顔を凍り付かせて手を振っていれば終わる。
国の重鎮が勢ぞろいする披露宴が問題だ。
「披露宴には今まで会ったこと無い貴族やら、各地の有力者やら他国のお客様やら、たくさん来るんだよ!」
「だから今、馬車がたくさん来るって話をしてたじゃないですか」
「馬車とかいう問題じゃないよぉ」
「あっ、髪掻きむしらないで!せっかく梳いたのにぃ!」
エレーナからの苦情が入ったところで、ノックの音が聞こえた。
「お嬢様、ファリオン様です」
「入ってもらって……」
「ティナ、そろそろお嬢様って呼び方やめないとダメですよぅ」
「そうね。挙式して夕方このお屋敷に戻ってきた時にはもう奥様って呼ばないといけないわね」
おくさま!
慣れない響きに顔が熱くなる。
「なーにそれくらいで照れてんだよ。式が終わったらみんなからそう呼ばれるんだぞ」
「ファリオン……」
私の横に来て頭を軽く小突いてくるファリオン。
その表情に気負いはない。
この人緊張って言葉を知らないんだろうか。
私とはえらい違いだ。
「私が奥様なんて呼ばれたら、全国の奥様に怒られないかな?」
「なんだそりゃ」
「ああ、やばい。胃が痛い」
「なんだよ、ずいぶん人目にも慣れたと思ったのに」
「そりゃ多少は慣れたけど、今日ばっかりは違うじゃん!本当にあんな女がヴォルシュ侯爵夫人になったのかって目で見られるわけじゃん!そりゃ努力はしてるしこれからも頑張るつもりで居るけど、まだまだ私なんて社交界でそれに見合うだけの立場が無いしさぁ……」
何をいまさらと思われるかもしれないけれど、いざその日になるとその重圧がのしかかる。
マリッジブルーってこういうことだろうか。
しかし私の言葉に、ファリオンは呆れを通り越して困惑の表情を見せた。
「……お前、マジで自覚ねーの?」
「え?」
ティナとエレーナも残念なものを見るような目で溜息をついている。
「お嬢様、今のご自身のことを冷静に振り返ってみてください」
「私のこと?」
ティナの言葉に目を白黒させていると、エレーナが咳ばらいをして一歩前に出た。
「まずひとーつ!アカネ様はスターチス家のご令嬢です!」
「そりゃ……そうだよ?」
「スターチス家と言えば今や奥様のお力ですっかり立て直され、領地の財政も安定、培ってきた人脈で今後も一層盛り上がっていきそうなお家だと大評判です!」
「うんうん」
それもあってシェドお兄様との結婚を狙う女性が増えている。
未だにお兄様は相手を決めれてないみたいだけど……
ちょっと立場上私は突っつけない。
「ふたーつ!アカネ様といえばあのミス・グレイも一目置く、社交界のファッションリーダーです!」
「……うん」
正直、荷が重いことではあるんだけど……
私のドレスは常に注目されているし、その影響は確実に社交界に現れる。
袴ドレスは未だに愛好家がいるし、パラディア王国でも雪が降り積もる演出が好評で、来年は参考にすると言ってくれた人がたくさんいる。
ここまで来たらもう逃れられない。
今後もみんなが驚くドレスを考え続けなければならなくなったと諦めるしかないだろう。
ファッションリーダーというと響きが格好いいけれど、実際は追い詰められながらアイデアを絞り出している元女子高生です。
「みっつ!アカネ様個人が築き上げた交友関係!アカネ様はもはや国においても超重要人物です!」
「交友関係?」
これに関しては心当たりがさっぱりない。
「あ、わかんないって顔ですね?シャルロッテ王女の一番の親友ってだけでも結構スゴイですよ?」
「ま、まあ確かに……」
そういえばロッテは王女だった。
覚えているのに頭から抜けるんだよなぁ。
「ドロテーア様もいまやアドルフ様の婚約者候補として名を挙げる才女ですし。リード様は産業界で大注目株、さっき言ったミス・グレイと親しいというのも凄いことですよ。一声であの人を呼び出せるなんて王家くらいだそうです」
意外なことに、ミス・グレイって結構気難しいらしいからなぁ。
権力をかさにきた貴族が呼び出してものらりくらりと避けて見せ、脅しがかかろうものなら謎の力でねじ伏せると聞く。
謎の力が何なのかは幸いなことに知らないままでいる。
「あとパラディア王国ではナディア王女とジェラルド王子と友誼を結ばれ、四候からの署名付き調書を送られるほどの立場を築いたんですよね?アルベルティーヌ様っていうパラディア社交界での有力者とも仲良くなったわけですし。それに指名手配が解かれたローザ・ベネディクトがアカネ様に従属するという話ももはや有名ですよ。彼女が作り上げた大規模結界魔術具は今や国防の要だというのに、アカネ様の一声で魔術具を作るもやめるも決まっちゃうんですから」
ローザは本当に結界を貼る魔術具を作り上げた。
これまで防御の為に結界の魔術具は散々研究されてきたけれど、強度や継続時間、範囲などに問題があるものが多かった。
だというのに彼女が作ったのはカデュケート王城をすっぽり覆えるほどの大きな結界魔術具。
物体や魔力の衝突を検知してすぐに展開され、一度起動すれば一時間展開され続ける。
起動のたびに大きな動力装置へ宮廷魔術師十人が全力で魔力をチャージしないといけないけれど、それでも凄い代物だ。
おかげでローザはカデュケート王国での処分を撤回され、マイスターの地位に返り咲いた。
しかしながら彼女は『私の技術はアカネ様の為に』と公言してはばからず、おかげで国王陛下から直々に『ローザの引き留めに協力をお願いしたい』と頭を下げられる始末だ。
「確かに、すごいかも?」
「でしょう?アカネ様が協力を呼びかければ他国をも巻き込んで多くの人が動くんですよ。とんでもない人ですよ」
「…………」
確かに言われてみると錚々たるメンバーだった。
みんなクセが強い人ばかりなので、なんか肩書とか忘れちゃうんだよね……
そんな私の言葉に、ファリオンは笑った。
「そんなクセ強い連中に慕われてるんだから、そんなアカネを侮る奴なんかもういねーよ」
目から鱗だ。
まさか私の立場がいつの間にかそんなことになっているなんて。
「他人の威を借りてるみたいでなんか悪いな……」
「ですから、人を惹きつけると言うのもお嬢様の魅力によるものなのです。今やアカネ様と親しくなることはステータスなのですよ」
なんとまぁ。
正式なお茶会の主催すら結局一度もできていないポンコツ令嬢なのに。
「ま、そんなわけだから胸張って嫁に来い」
ファリオンが私の肩を抱いてそう言う。
そして耳元で最後にこうささやいた。
「それに、心配したほうがいいのは今夜の方だと思うけどな」
思わず耳を押さえた。
多分私の顔は真っ赤だろう。
ファリオンは笑って体を離す。
「あと一時間くらいで出発だ。準備急いでくれよ」
「はい」
ティナとエレーナはお辞儀をしてファリオンを見送る。
私は凍り付いたままだ。
そして扉が閉まったのを見届けた後、エレーナとティナは大きなため息をついた。
「リード様、結婚式に乱入しないかな」
「シェディオン様が騎士団を率いて花嫁を奪ったり……」
「エレーナ、ティナ、物騒な話しない」
心配しなくても、あの二人はそんなことしないと思うけど。
リードは未だに会うたびに私をからかうけれど、もはや挨拶みたいなものだ。
どちらかというと今意識しているのはアンナの方だろう。
シェドお兄様もいまさらそんな血迷ったことはするまい。
そう呆れる私は、まさかこれが乱入者フラグになろうとは思ってもみなかった。
=====
荘厳ながらも軽やかな鐘の音が響く。
時を知らせる鐘とは違う。
慶事を知らせる音だ。
「どうぞ、前に」
付き添いをしてくれていたティナに促されて扉の前に立つ。
私の真っ白なドレスが日の光を浴びて輝いている。
頭から降りるヴェールは背後に長く垂れ下がり、その裾を二人の美しい少女が支えてくれていた。
アドルフ様の妹、コリンナちゃんとコローナちゃんだ。
巫女の正装だと言う清楚なローブは二人の神秘的な雰囲気を引き立てている。
今日もどこか遠くを見つめるような瞳でほんのり笑みを浮かべているけれど、今日この場に置いてはそれがまた神聖さを際立てていた。
二人が手にするヴェールの裾には、鮮やかな刺繍が施されている。
ドレスの装飾を押さえている分、そこの華やかさが際立った。
本来ヴェールも真っ白なのが伝統らしい。
まっさらになって貴方の元に嫁ぎます、という意味があるそうだけど、なんだか嫁ぐ前のことを忘れないといけないみたいで私は寂しく感じた。
ので、抗うつもりは無かったんだけど、ヴェールの裾に故郷であるセルイラとカッセードの風景を刺繍してもらったのだ。
いつものように批判する人も出てくるかもしれないけれど、お父様とお母様が感激してくれたのでそれでいい。
堅物のシェドお兄様ですら、『この趣向はいいと思う』と言ってくれたのだから。
お城の教会の扉がゆっくり開く。
高い天井窓から差し込む光が青いバージンロードを照らしている。
その先には、輝く金色の髪と煌めく銀色の瞳を持つ美男子が待っていた。
祭壇の先には神官のような恰好をしたアドルフ様がいて、優しい目で私の姿を見つめている。
この国の結婚式で愛を誓う相手は神でも精霊でもない。
参列した人々に誓う、人前式の形をとるのが一般的だ。
花嫁の手を引く者は無く、たった一人で新郎の元へ歩いていく。
けれど今回は私の希望で形だけでも、昔ながらの神前式をとってもらった。
少なからず縁を感じている神様という存在を忘れないようにしたいと思って。
本来アドルフ様の立ち位置は仲人や新郎の父が務めるのだけれど、ベルブルク家は古くは神官の家だったとかで神前式ならばと買って出てくれた。
その流れで、ヴェールガールを双子ちゃんに頼むことになったのだ。
アドルフ様は心配していたけれど、二人とも無口ながらきっちり仕事をこなしてくれている。
お父様がそっと私の手を取り、並んでバージンロードの前に立った。
教会の中で私たちを見守ってくれているのは、家族や親しい人々だけ。
お姉様とスチュアート様、アルベルティーヌ様、ジャン・ラシュレー伯爵のように、パラディアから駆けつけてくれた人達もいる。
ジェラルド様とナディア様も出席したいと言ってくれていたんだけれど、流石にあの事件があってすぐ国外に出るのは難しかったようで、残念がる言葉とともにお祝いの手紙が届いた。
他にもお付き合い上お招きしたほうがいい人たちはいるんだけど、そちらは披露宴でのご挨拶に代えさせてもらう。
親しくない人があまりたくさんいると緊張して転びそうなので……
一生に一度の晴れ舞台、そんな事態はぜひとも避けたい。
唾をぐっと飲みこみ、足を踏み出す。
ファリオンが、優しい瞳で私がやってくるのを待っている。
ああ、私……本当に結婚するんだ。
そんなことを実感して瞳が潤みかけた時、ファリオンの表情が急に強張り、こちらに駆け寄ってくるのが見えた。
何事かと周囲がざわめくより先に、遠い頭上で轟音が響く。
何かがぶつかったような音だ。
身構える私の体を優しく抱きしめる腕。
慣れ親しんだ温度に、目を開けなくても分かる。
「ファリオン」
「くそ、何でこのタイミングだよ」
「何があったの?」
他の人達も騒然としている。
おそるおそる外を窺ってみると、晴れたいい天気だったはずなのに外には重い影が落ちていた。
その頭上には、夥しい数の影。
おそらくローザの結界が展開されたのだろう。
何かに阻まれるように一定の距離をとって飛んでいるのは、翼をもつ巨体たち。
赤、青、黒、白……いつだったか見たシルフドラゴンの姿もある。
種類の入り混じった夥しい数のドラゴンの群れが、そこに居た。
いつもご覧いただきありがとうございます。
不穏な引きになってしまいましたが、これでこの章のメインストーリーはおしまいです。
来週はローザの裏話だけ挟みます。
その後は、しばらく次の章の準備期間にお休みを頂こうかと思います。
次の章で終わりになるか……もしかしたら二章にわけるかもしれませんが、ホントにホントの完結まであとちょっとです。
準備期間中に、今までスランプ中にちょこちょこ書き溜めていた別のお話を短期集中で投稿しようかと思っています。
よろしければそちらもご覧ください。




