033鬼才
起き上がると首がひどく重たく感じて、そっと手を伸ばせば冷たい金属の感触がした。
魔力を巡らせようとして確信する。
以前にもつけられた覚えがあるものだ。
魔力を制御する、ドラゴン用の首輪。
なるほど、魔力封じまでされているらしい。
こうなっては私は平凡な女子だ。
抵抗は意味をなさない。
「何でこんなものまであるかなぁ……」
「……アカネ様の魔力の高さは、それなりに情報を集められる人間であれば知っていることだよ。その首輪はカデュケート王宮の宝物庫に眠っていたものを拝借したんだ」
私の呟きに対して、ローザは律儀に返事をしてくれた。
多分これは以前つけられたものと同じやつだろう。
王宮の宝物庫なんかに仕舞われてたのか。
短い眠りだったね、と思わず首輪を撫でる。
「……ローザ。ここはどこ?」
親しくしていたはずの王女様。
その正体を知ってショックはあるはずなのに、私は思いのほか冷静にそう問いかけていた。
けれどその声は固く、聞いたローザは怯えるように体を震わせる。
「パラディア王都の地下、としか言えない。おそらくここに助けは来ないよ」
「そう」
それだけ聞いてブレスレットに手を伸ばす。
しかし魔力を流して操作しても、何も起きなかった。
それを見て取ったローザが首を振る。
「無駄だよ。ここには魔術具を無効化する結界が張られている」
「ええ、そのようね」
そう答えたのは私じゃない。
ローザの言葉に私が絶望するより早く、別の誰かが返事をしたのだ。
目の前のローザの目が大きく見開かれて私の背後を見ている。
つられて振り返った先には……
「マイルイ!」
目が眩むほどの美女……のはずだった。
その手足や顔にいたるまで肌が爛れたようになっていて、見るも痛ましい姿になっている。
以前見たような明るい雰囲気は鳴りを潜めて酷い状態ではあるが、紛れもなくマイルイだった。
「有難うアカネ。常に宝玉を持ち歩いてくれていたおかげで魔術具無効化のエリアに来られたわ」
「……まさかアカネ様が宝玉を持っていたなんて」
ローザの愕然とした声で思い当たり、慌ててポケットに手をつっこんだ。
このドレスにもポケットはある。
本来ハンカチを入れる程度の場所なんだけれど、私はシルエットを崩さないことを確認しつつ、マイルイの宝玉も持ってきていた。
あの宝玉を見つけて以来、いつマイルイの接触があってもいいようにと常に持ち歩いていたのだ。
それが功を奏したらしい。
「え、これ魔術具だったの?」
「知らずに持っていたのか、アカネ様……」
「そこの女が作った、あたしを封じる魔術具よ。大精霊であるあたしを無力化できるなんて大したものだわ」
封じられていたというのに、マイルイは感心したようにいう。
超越的な存在ゆえだろうか。
なんだかちょっと他人事のような言い様だ。
ローザも少し苦笑しながら口を開いた。
「精霊力が強い存在ほど魔力に弱い。それさえわかればそう難しいものではなかったさ。大聖堂に設置しておけばいずれ貴女がかかることも分かっていた」
どうやらマイルイはローザの罠にかかって閉じ込められていたらしい。
「とはいえ、どこに行ってしまったのやら、その宝玉を回収しようとしてもどこにも見当たらなかった。貴女が封じられてくれたならばそれでいいと放置してしまったその結果がこれか……」
「ど、どういうこと?」
「あたしが封じられたのを見て取った精霊が、その宝玉を隠したのよ。あたしとアカネが親しいことは他の精霊たちも知っていたから、アカネが大聖堂に来たのを見て、宝玉を渡してくれたのね。アカネが粗末に扱わずにいてくれて助かったわ」
なるほど、妙にタイミングよく転がって来たと思ったら、他の精霊がしたことだったのか。
「この地で活動する上では大精霊の邪魔が入るかもしれないと思って封じたのに、まさかアカネ様が大精霊と親しくしていたなんて……盲点だったな。だが、どちらにせよ貴女は何もできないはずだ。姿を現しているだけでも辛いんだろう?」
ローザのその言葉に、マイルイが眉を顰めた。
そう、この姿はどう見てもおかしい。
「マイルイに何をしたの!?」
「何もしていないよ。ただここが……魔力泉だというだけさ」
「魔力泉!?」
確かに言われてみれば、強い魔力を感じる。
魔力はマイルイにとって毒だ。
魔力の強いマリーに少し触れただけで指を爛れさせていた姿を思いだす。
そんな彼女が魔力泉の中に身を投じればこうなるのも道理だろう。
「でも、パラディア王国に魔力泉なんて……」
そう、カデュケート王国と違い、パラディア王国は魔力があまり強くない土地だ。
魔力泉も見つかった事例は無いと聞いていた。
「これは自然にできたものじゃないからね」
「どういうこと?」
「……そこの女が、人工の魔力泉を作り出す魔術具を作ったんでしょう」
「その通りだ。素晴らしい道具だろう?」
マイルイの言葉に応えたのは、扉の向こうから現れた人物。
「ジェラルド……さ、ま?」
そう名前を呼ぶ私の声があいまいになったのは、扉をくぐる瞬間、その姿が変わってしまったからだ。
輝くような金色の髪は煤けた白髪に、青い大きな瞳は鋭い紫紺の瞳に。
手足はすらりと長く伸び、身の丈に合っていなかった服に相応しい体形になる。
その容貌は中年の紳士のそれだった。
その男の顔は知っている。
彼が失踪する前、一度だけお城の舞踏会で目にしたことがあった。
言葉を交わしこそしなかったけれど、名門貴族である彼の姿はしっかり確認していたのだ。
「エルヴィン・フランドル……」
「おや、私をご存知とは。光栄だ。アカネ・スターチス令嬢」
慇懃な態度で礼をとる姿は様になっていて、そして妙に癇に障る。
「ローザ、やっぱりエルヴィンに協力してたのね」
「……そうだよ」
肯定するローザの声は重い。
ああ、そういえば気を抜いている時のナディア様の話し方って、ローザそのものだったんだなぁなんてぼんやり考える。
「どうして……貴女の研究は彼のためのものだったの?人々を幸せにするための研究をしたかったんじゃないの?」
「どうすればよかったって言うんだ!」
私の問いかけに弾かれたようにローザが叫ぶ。
「彼だけが私を守ってくれた。私の研究を評価してくれたっ……彼が居なければ、私の研究はこれ以上進展しえなかった……」
……ああ、そうか。
やっぱり彼女は追い詰められていたんだ。
人の役に立ちたかったのに人に責められ悪者にされてしまったあの事件で。
自分の理想と現実の乖離に耐えられなかった。
けれど彼女の表情を見れば、割り切れていないことが分かる。
きっとローザはエルヴィンのことを手放しで信奉してはいない。
そこまで考えるけれど言葉が継げない。
頭が重くてうまく回らない。
さっき呑んだお酒のせいだろうか。
「……無理して起き上がらない方がいいよ、アカネ様」
「ローザ……酔い覚ましの薬とか持ってないの?」
「それは酒のせいじゃない……エルダートレントの根の成分を五日間も取り続けたせいだ」
「エルダートレント?」
「アカネ様のグラスにだけね。その効果が出るのはゆっくりだ。いきなり初日に事を起こしても、貴女の騎士は警戒を緩めていないだろうからその毒を選んだ。本当なら三日目で効くはずだったんだけど、思ったより耐性が強いんだね」
ローザの言葉に首をひねる。
あ、まさか……筋肉痛対策に光魔術を使っていたせいだろうか。
それにしてもエルダートレントって……
「その根っこは、むしろ解毒作用があるんじゃ」
二代目魔王がそんなことを言っていた気がする。
私の言葉に、ローザが眉を跳ね上げた。
「よく知っているね。魔物研究をしている人間でも知っている者は少ないんだが。エルダートレントの根には強い解毒作用がある。しかし健康な人間がそれを摂取すると全身に痺れやめまいを引き起こすんだ。薬と毒は紙一重なのさ」
なるほど、薬だって飲みすぎれば体に悪影響を及ぼすのは私だって知っている。
「王家の人間ならそういう細工も可能だったってことね……」
「その通り。王族という立場はしがらみも多いが、使える部下も多かった」
ローザに代わってエルヴィンがそう答えた。
「ローザはナディア様に、貴方はジェラルド様になっていたのね」
そこまで言って、ふと気付く。
「あれ、影移しの魔術書って……」
一枚しか、無かったはずだ。
実はナディア様とジェラルド様を怪しんだことはある。
この二人は結託して私に絡んできていたし、行動がおかしいと言っていたし。
盗まれた影移しの魔術書は一枚。
入れ替わっているとしたらどちらかだけだ。
最近言動がおかしくなったというジェラルド様が入れ替わっているのではという疑惑はスチュアート様も持っていた。
しかし、そうなると誰と入れ替わったかが問題になる。
もちろん一番可能性が高いのは記憶を失ったというエルヴィン・フランドルだ。
厳しい尋問にも口を割らなかったというから彼が記憶を失っているのはほぼ確実だそうだけど、誰と入れ替わったのかはもちろん本人も分かっていない。
ではジェラルド様と入れ替わったのかというと、その可能性は低いとみられていた。
入れ替わった対象は記憶を失いはするけれど、元の人格や癖は残る。
しかし獄中のエルヴィンにジェラルド様の面影は無かったそうだ。
食事の所作や知識、それらには一定の品はあるものの、王族のレベルではないと。
当のジェラルド様はもちろんその疑惑を否定するし、仮にも王子。
そしてもともとは品行方正で国王からも可愛がられていた王子だったこともあり、周囲は強く出られなかった。
加えて、ハル・シュマンというもう一人怪しい人物がいる。
関係性が全く分からず、誰もが真相にたどり着けていなかった。
そう、影移しの魔術書は一枚、という事実を信じ込んでいたがために。
「ああ、その通り。影移しの魔術書は一枚しかない。その一枚を使ってジェラルド王子に成り代わったとしても、すぐに見つかってしまいそうだろう?捜査をかく乱するには、彼らの常識を打ち破る必要があった」
「……まさか」
「ローザ・ベネディクト。影移しの魔術書を模倣した道具を、作り上げたのも貴女ね」
マイルイの言葉が、私の予想を肯定する。
ローザがそっと首元のネックレスに手を触れる。
ナディア様が出会った時からずっとつけていたものだ。
学園に通っている時も肌身離さずつけていたので、よほど気に入っているのだと思っていた。
ジェラルド王子の指輪も、確かにずっとつけていた、
王族ほどの高貴な人物であれば宝飾品で身を飾るのは当然のこと。
スチュアート様だって指輪やブレスレットをつけている。
だから特に違和感は持っていなかった。
まさか、それが。
「私の配下であったハル・シュマンにジェラルド王子の血を取らせ、魔術書を使用させた。続いてジェラルド王子となったハル・シュマンにこの魔術具を使えばこの通りだ」
ああ、そうだったんだ。
ストンと腑に落ちる。
ハルの穏やかな言動と、ジェラルド王子の周囲からの評価は綺麗に重なった。
ハル・シュマンをすぐに処罰しなかった人々は正しかったんだ。
中身はジェラルド王子だったんだから……
ただし、そのせいで誰もが真実にたどり着けなかった。
まんまとエルヴィンの術中にはまってしまっていた。
記憶を失った人物が二人いる時点で、想像することはできたはずなのに。
「とはいっても、魔術書に比べればこれは失敗作だ。この媒体を常に身に着けていなければならないからね。特に入浴の際は侍女を胡麻化すのに苦労したな」
「それでも凄いことよ。影の魔術書はあたしが手を貸して初めて作れたもの。まさか……世界の記憶に自ら触れるだけの人間が現れるなんて」
その言葉に思い出したのは以前見た夢だ。
そういえばその時にも世界の記憶に干渉とか言っていた気がする。
「影移しの魔術書は、世界の記憶に関係するものなの?」
「物事は……世界の記憶によって成り立っているわ。その記述を書き換えて人物の情報を入れ替える。それこそが影移しの魔術書の仕組み。強引な方法をとるから片方の記憶が消えたりするけれど、視覚を胡麻化すだけの魔術具と違って体をそっくり移し替えるなんて、本来人間の領域じゃないのよ」
なるほど、道理でファリオンがリードに代わっていた時、変化の魔術具も見破れるはずの名医ディレット先生ですら見破れなかったはずだ。
世界の記憶から存在の情報自体書き換えられていたのなら気付けるはずもない。
そんなとんでもない道具を、ローザは大精霊の力を借りることなく成し遂げたらしい。
「その叡智に敬意を」
その重大さをきっと私以上に理解しているであろうマイルイは、目を伏せてそう言った。
世界の記憶に触れたことを叱責するかと思いきや、まさかの称賛だ。
大精霊をして手放しで褒めたくなるほどの大発明だということだろう。
さすがのローザも居心地悪そうに頬を染めている。
「ふん、しかし媒体を身につけなければならない煩わしさは変わらん。加えて大精霊までこうして出てきてしまっているしな。失態だぞローザ」
「……申し訳ありません」
にわかに頬を紅潮させていたローザは、エルヴィンの言葉にさっと顔色を悪くした。
怯えているような様子に、思わず間に割って入る。
「貴方はローザがどれだけ凄い人か分かっていないの!?」
「分かっているさ。これの知識はなかなか役に立つ。しかし世界の理から見ればこの程度、奇跡とも呼べない」
「人をなんだと思って……」
「よく分からんな。なぜ君がそうも怒るのか。君をここに連れてきたのは他でもないローザなのだがね?」
そんなことは分かっている。
瞬間移動の魔術具に空間収納。
影移しの魔術具まで作り、人工の魔力泉まで生み出した。
クラウス様が天才なら、彼女はまさに鬼才だ。
彼女は自然を、世界の理を相手にできる道具を作り出している。
そしてその道具を、私を陥れることに使った。
だけどそれが彼女の本意でないことはこれまでの様子を見れば明らか。
文句はいろいろあるけれど、この男に対するものほどでは無い。
私が恨むべきはローザではなくエルヴィンだ。
キッとにらみつける私に、エルヴィンは溜息をついた。
「分かっていないのかな?君にもはや逃げ場はない。今ここに魔力泉があるということは、他の精霊は助けに入れない。くわえて今頃ここを求めて魔物が王都を襲撃しているはずだ。この混乱の最中、君の元に駆け付けられる人物などいまい」
私の恐怖を煽ろうとしているのか、エルヴィンはいやにもったいぶった口調でそう語る。
魔物が魔力泉を求めて襲撃……それほどまで忠実に魔力泉を再現しているのか。
魔力が濃いのであれば、むしろ王都の真ん中で突如魔物が沸きだすおそれすらある。
街の人々は心配だけれど、パラディア王国の騎士たちは練度が高いと聞いている。
きっと大丈夫だろう。
だからこそ、ローザの道具への感嘆が勝ってしまう。
「本当にすごい……」
思わず漏れた私の言葉に、エルヴィンが首を傾げた。
それに構わず、うつむいたままのローザに声をかける。
「ローザなら、もしかして魔力泉のある土地の農業問題もどうにかできるんじゃないの!?」
私の大声に、ローザがピクリと体を震わせた。
そして顔を上げると、戸惑った表情のまま口を開く。
「……以前、土に突き刺せば、その土地にあう農作物を割り出せる魔術具を作ったことなら……」
「え、そんなのあるの!カッセードの農民が泣いて喜びそうなんだけど!ちょっと今度ゆっくり話聞かせてくれない!?」
食いつく私に、ローザが瞳を揺らす。
「……私と、未来の約束をしてくれるの?」
三十路を過ぎた豊満な肉体を持つ大人の女性。
それなのにくたびれた表情で力なくつぶやくその姿は、幼い子供のようだった。
だから私は、その目をしっかり見つめて言う。
「友達でしょう?」
その言葉にローザが表情を綻ばせる。
しかし、それを良しとしない冷ややかな声がその場に響いた。
「ローザ」
エルヴィン・フランドルが表情一つ変えないままローザを見据える。
その呼び声一つで、ローザはその身を強張らせた。




