032降り積もる
ファリオンと共に挨拶を交わすと、ナディア様がボーイからグラスを取ってこちらへ渡してくれた。
「間もなく陛下がいらっしゃって開会のあいさつをなさいます。先にドリンクを確保しておいた方がよろしいわ」
「有難うございます」
琥珀色の液体が輝くグラス。
フルーティーな香りと共にほのかなアルコール臭が鼻を突いた。
「……一口でやめておけよ」
「そうした方がいいのかな……」
酔って醜態をさらしたら目も当てられない。
「あら。この国では乾杯の際にグラスを空にするのがマナーでしてよ」
「しかし、アカネは……」
「乾杯のドリンクはあまりアルコールは強くありません。その後はアルコールを避ければよいではありませんか」
ナディア様の指摘はもっともだ。
この国ではそれが普通で、よほど体質に問題が無い限りは最初のアルコールくらい一口で飲み干すもの。
私だって強いとは言えないけれど、一杯で足元が覚束なくなるようなこともない。
できるならやるのが筋だろう。
それこそ、侯爵夫人としてやっていきたいのなら。
「……まぁ、もし私がふらふらになっても、ファリオンならうまくリードしてくれるでしょ?」
笑ってそういえば、ファリオンは肩を竦めた。
「仕方ねーな……」
「ふふ、仲睦まじくて結構ですわ」
ナディア様にからかわれながら談笑すること数分、国王陛下が現れた。
陛下の音頭と共に、誰もが一斉にグラスを煽る。
私も一気に飲み干すけれど、聞いていた通りそんなに酒精は強くないようでこれくらいならダンスに支障もなさそう。
「さぁ、最初のワルツが始まりますわよ」
ナディア様の言葉を皮切りに……地獄が始まった。
舞踏会は日没とともに始まり、二十四時の鐘とともに終わる。
この時期、十七時くらいには日が落ちる。
……つまり、七時間ぶっ通しのダンスパーティーなのだ。
これを十日間。
マジで耐久レース。
もし主催者が他国の王様とかじゃなくて自分の父親なら確実に言っている。
バカじゃないの、と。
「足、足笑ってる……」
「さすがにこんだけ長時間の夜会はきついよな……」
ベッドにすら到達できずソファに突っ伏した私を、さすがのティナも今日ばかりは責めなかった。
ファリオンの声にも疲れが滲んでいる。
「パラディア王国の社交界って過酷ですぅ……」
エレーナが同情的な視線を向けてくる。
「私、これでもリボンをつけたりして今は踊れませんアピールして休んでた時間もあるんだよ……それでもきつかったのにさ!アルベルティーヌ様なんて、ほとんど休んでなかった気がする!」
「流石長年この国で存在を示してきたご令嬢ですわね。努力があってこそあれほど堂々としたお振る舞いができるのでしょう」
「ティナのおっしゃる通りなんだけどさ……あんな細いのにどこに体力が眠ってるんだろ」
何もしてないのに足が震える。
日々のダンスレッスンでだいぶ体力がついて、筋肉痛にもならなくなってきたからちょっと自信あったのに……
これは明日もまた筋肉痛になるのでは。
その状態で七時間とかほんと無理。
「これが後……九日……」
「言うな。絶望したくなんだろ」
ファリオンは体力こそ問題ないものの、七時間ずっと社交というのは辛いらしかった。
それなりに猫かぶって応対することもあるしね。
何だかんだでファリオンに好意を寄せるご令嬢はまだいるし、その人たちをかわすのも気を遣っているようだ。
「ねぇファリオン……筋肉痛って光魔術で何とかなるかな?」
「痛みの時間が短くなる代わりに激痛になるって聞いたことがあるが、それでも良いならやってみれば?」
「……明日の朝の様子次第ではそうするわ」
覚悟を決めよう。
筋肉痛でカクカクした足腰のまま舞踏会に参加して恥かくよりはマシだ。
そんな裏での努力もありつつ、雪乙女の祭は過ぎていった。
=====
「ごきげんよう、アカネ様」
「ごきげんよう」
「ごきげんよう、バルバラ様、オレリー様」
「流石に五日目となると少し人が減ってまいりますわね」
「本当ですね……男性のみでの出席が目立つというか……」
会場に入るなり声をかけてくれたのは、舞踏会に出席している間に親しくなったご令嬢達だ。
パートナーの男性たちもそれぞれで挨拶を交わしている。
やはりこの舞踏会が辛いのは間違いないようで、日々人が減っている。
初日に比べると二割減くらいになっているのではないだろうか。
八割の人が頑張っていることを思うと、やっぱりこの国の貴族の体力はすさまじい。
結構年配の人もいるのにな。
「年を追うごとに、体力より先にうまい休息の仕方が身に着く、と聞いたことがありますわ」
私の疑問に、ご令嬢の一人がそう答えてくれた。
なるほど、納得。
「それよりアカネ様、今日のドレスも素敵ですわね」
「本当、昨日よりさらにレースが重ねられて……あら、もしかしてこれって、雪ですの?」
ご令嬢の一人が気付いてくれた。
ネイビーを基調として白い装飾をあしらった今回のドレス。
日を重ねるごとに袖先やドレスの裾から順に白いレースを上へと伸ばしていっている。
日々雪が降り積もっているイメージだ。
雪乙女の祭は雪がモチーフなので、毎日少しずつ装飾を変えるならこれくらいのことをした方が面白いのではと思った。
「まぁ、本当ですわ!雪が毎晩積もっていく様子を表していますのね!素敵だわ!」
「流石カデュケートでファッションを牽引していると名高いスターチス令嬢ですわね」
「そんな噂、皆さんの耳にも届いてるんですね……」
「もちろんですわ!此度の舞踏会でもアカネ様のドレスは注目の的でしたのよ。ずいぶん暗いお色味を選ばれたことに驚いていたのですけれど、雪を目立たせるためでしたのね!」
「来年の雪乙女の祭ではきっとこの演出が流行しますわね!」
うわああ……期待を裏切らなかったのは良かったけど、ますます引っ込みがつかないことになっていく。
いざ出席してみて分かったけれど、他のご令嬢はドレスはそのままに、宝石なんかのアクセサリーを変えていっているだけだった。
装飾を変えるのが普通ってそういう意味だったのか……
ドレスそのものに手を入れていくスタイルは珍しいらしい。
ご令嬢達からの称賛と熱いまなざしを乾いた笑いでいなしつつ、今日も乾杯の時間がやってくる。
国王陛下じきじきに乾杯の音頭を取ったのは初日だけで、それ以降は王妃様や王子殿下達といった他の王族が務めていた。
今日はスチュアート様らしい。
「それでは今宵も楽しんでいってほしい」
日々パンパンの足に悩んでいる私にとっては皮肉にしか聞こえないスチュアート様の挨拶と共に、また全員がグラスを煽る。
私もいつものようにグラスの中身を喉に流し込んだ瞬間、体がカッと熱くなった。
脳が直接揺さぶられるような感覚に、足元が揺らぐ。
あれ、なんか今日のお酒……いつもと違う?
「アカネ、大丈夫か?」
「あら……疲れが出てしまわれたのかしら」
近くに居たファリオンが異変に気付き、急いで駆け寄ってくる。
他のご令嬢も心配げに私を見ていた。
ファリオンの手が肩を支えてくれるけれど、うまく体に力が入らない。
「どうした?」
騒ぎに気付いたのか、スチュアート様がこちらにやってきた。
「アカネの様子が……」
「ふむ……雪乙女の祭はなかなかハードだからね。疲れが出たのかもしれない。休憩用の部屋を一つ開けさせよう」
「お兄様、部屋へはわたくしが案内いたしますわ」
そう言ってスチュアート様の後ろから出てきたのはナディア様だ。
「ナディア様……」
「アカネ様、どうぞこちらへ。ベッドもありますから、舞踏会が終わるまで休まれるといいわ」
「俺が連れていきます」
ファリオンがそう言うと、ナディア様が眉を顰めた。
「ヴォルシュ侯爵。貴方がアカネ様のことを大切にされていることは存じておりますが、お控えください。女性用の休憩室です。わたくしの侍女をつけて世話をさせますからどうぞご安心を」
「ならば今日は連れ帰ります」
「侯爵様!」
ファリオンは頑なに私と離れようとしない。
何が起こるか分からないと心配しているからだと私は分かる。
けれど周囲にとってはそうじゃない。
王女様からの申し出を蹴って、始まったばかりの舞踏会からファリオンまで退出するのはあまり良い印象を与えるものではなかった。
それを知ってか、ナディア様も険しい声で一喝する。
「アカネ様がなぜ疲れた体に鞭打ってこうして舞踏会に参加されているのか、よくお考えなさいませ!」
そう、全てはファリオンと一緒にいるためだ。
相応しい人間になるため。
それなのにファリオンの社交の場を潰したり、彼の評価を下げるきっかけになったりしたら私にとっては本末転倒だ。
それが伝わったのだろう、ファリオンは歯噛みしつつも一歩下がった。
「……失礼いたしました。アカネをお願いいたします」
「任されましたわ」
そう言いながら、ナディア様が私の手を掴む。
その手が妙に強張っていたことに……私は気付いていたのに、ナディア様の表情がどこか辛そうだったから、何も言えずについていってしまった。
=====
ナディア様と侍女の手を借りて連れられて行った先は、長い廊下を抜けた先で思いのほか遠かった。
人通りが全くない一角は静かだけれど、どこか不気味。
用意されていた部屋は広く、私が普段使わせてもらっている寝室とほとんど変わらない綺麗なベッドルームだった。
さきほどの不気味な印象とは打って変わって清潔で明るい雰囲気に、ほっと息をつく。
横たえられたベッドも柔らかく、力の抜けた体ではあっという間に意識が奪われそうだ。
けれど必死にそれに抗い、ベッド脇に腰かけて私を見つめるナディア様の腕をつかむ。
侍女は介抱の為の道具を取りに行くと言って退室した。
話をするなら今しかない。
「アカネ様?」
「ナディア様、どうしたんですか?」
「どうした、とは……」
「様子が変です。何かあったんですか?」
そう問いかけると、ナディア様の表情が泣きそうに歪む。
「アカネ様……私は」
「ご安心を、アカネ嬢。私と姉上がしっかり貴女の介抱をいたしますから」
思いがけない返答が、扉の方から聞こえてきた。
少年の声。
姿を見るまでも無い。
「ジェラルド、様?」
金色の髪に青い瞳の美少年がそこに居た。
なぜだか体格に合わないダボダボの服を着ている。
誰かお兄さんのものでも借りたのだろうか。
だけど今疑問に思うべきはそこじゃない。
どうして……彼は今も謹慎中のはずだ。
今回の雪乙女の祭にも出席していない。
それに、ここは女性専用だから、安心だって……ナディア様が……
視線を戻した先でナディア様は唇を噛んでいた。
その瞳を見れば、この状況が本意でないことは分かる。
これは異常事態だとみていい。
とっさに腕にはめたブレスレットを探った。
今回この国に来るにあたって、クラウス様が作ってくれた魔術具だ。
その能力は瞬間移動。
同じブレスレットを持つものの元へ転移することができる。
もともと瞬間移動の魔術具はあったけれど、片方はブレスレット型でももう片方は大きな装置を部屋に置いておかないといけなかった。
それの小型化をクラウス様は研究していたけれど、なかなか上手くいっていなかった。
ローザの研究資料を見て急ごしらえで実現できたのがこれだ。
ただしこの魔術具は一度使えば壊れてしまう使いきりのもの。
一つしか持たせてもらっていない貴重品だ。
そんなことを考えたせいで、ほんの少し躊躇ったのがいけなかった。
その隙に、ジェラルド様が口を開いた。
「ローザ、やれ」
「え……」
ローザ?
その言葉に応えたのは目の前の美少女だった。
彼女が私を抱き込んだ瞬間、目の前の景色がぐるりと回って私の意識は闇に落ちた。
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「アカネ様」
そんな声が聞こえて目を開く。
体を起こすべく手をつけば、冷たく固い石と土の感触が返ってきた。
「ここは……」
そっけない土壁が、ぼんやりとランプの明かりに照らされている。
ただ地面を掘って作っただけといわんばかりのその空間には覚えがある。
以前、シルバーウルフの抜け道を通った時にも見たような光景だ。
広さは十畳程度だろうか。
決して狭くはないはずなのに、多くの書物やよく分からない道具が積まれていて、ひどく圧迫感がある。
後は扉が一つあるだけの、生活感の全くない部屋だった。
そこの床に私は横たわっていたらしい。
……ドレス、汚れたな。
そして私を心配げに覗き込んでいたのは、長い赤毛の人物。
「……ローザ」
先ほどまで私を気遣ってくれていた少女と同じ眼差しで、私を見つめていた。
いつもご覧いただきありがとうございます。




