027塔の上のハル・シュマン
「ヴァイレ様!お久しぶりです!」
一人の村人がそう声をかけると、周囲の人々が振り返る。
その視線の先に居たのは、黒髪の平凡な容姿の男性。
「ああ、ヴァイレ様!昨年いただいた道具は素晴らしいですね!おかげで雨が降りましたよ!」
「それは良かった。けれど使用はほどほどに。どうしても困った時だけにしてくださいね」
「もちろんです!」
「ヴァイレ様、近頃南の森がおかしいんです。大型の獣が村の近くまで出てきているのかも」
「後で見に行ってみましょう」
次々に話しかけてくる村人に、ヴァイレと呼ばれた男はにこやかに返していく。
一通りの頼まれごとをこなした彼は、村のはずれで休憩をとる。
するとその傍に、美しい女性がどこからともなく姿を現した。
「ヴァイレって被虐趣味でもあるの?」
「急に何を言うんだい、マイルイ」
「何でもかんでも言うこと聞いちゃって。これじゃ錬金術師じゃなくて何でも屋じゃないの」
「人々が私を頼ってくれているんだ、そうして平穏無事に暮らしてくれるなら、それでいいじゃないか」
「良くないわよ、最近人間達がなんて言ってるか知らないの?『神様なんかよりヴァイレ様を祀らないといけない』よ?バッカじゃないの」
マイルイは腕を組んで眦を吊り上げる。
しかしヴァイレは苦笑しながら宥めるように首を振った。
「みんな冗談で言っているだけだよ。私が神だということは初めに話している」
「それって何百年前の話よ。直接聞いた人間なんかもう生きてないわ!」
「年老いることも無く存在している僕のことを、ただの人だと思っているはずがないよ」
「そうだとしても、神だとも思っていないのよ。もっと強調したほうがいいわ。自分が神なんだって」
「そんなことをしたら、みんな今のように声をかけてくれなくなってしまう。だからこそ私は普段、錬金術師として旅をしているのに」
「あのねぇ……」
駄々をこねる子供を見るように、マイルイは肩を落とす。
「人々が神を忘れたら、それどころじゃなくなっちゃうのよ?あんなことしなきゃよかったのに」
「あんなことって、私の力を人間に分け与えたことかい?」
「そうよ。魔力に負けて人間が絶滅しそうになった時のこと!ただでさえ他の生き物の補助にも力を割いていたのに、人間達には半分も譲ったりして!」
「だけどおかげで人々は魔力への耐性を得た」
「そのかわりあんたの力が下がったのよ!」
「しかし、魔力に触れる機会が増えたことで、その使い道に気付けた。私が錬金術師なんて名乗れるようになったのは魔力のおかげだよ」
「ヴァイレの力を写し取ったような道具を作れるのはすごいと思うわよ。でもその変わり、その道具を作るたびにヴァイレは傷ついてるじゃない」
「少しすれば治る程度だから大丈夫だよ。私やマイルイとは相反するエネルギーではあるけれど、その性質は思ったより柔軟だ。うまく扱ってやれば人間の体を強くしてくれるし、こうして道具も作れる。魔力を使って環境に合わせた進化を遂げている者もいるだろう?エルフやドワーフ、獣人のように。そして人間達の中には、精霊力ではなく魔力を使って水を生み出したり火をおこしたりできる者も現れ始めているんだ。凄いと思わないかい?」
ニコニコしながら嬉しそうに語るヴァイレ。
マイルイは苛立ったように地面を踏みつける。
「何を呑気に言ってんの!魔力の濃度がこれ以上上がったら、生態系に異常をきたすわよ!?魔力を精霊力に変換できるのはあたしだけなのに、今の調子で人間が増えていったらおいつかないわ」
「そうだね、このままでは人間達も耐えられなくなるかもしれないな」
「あんた……」
絶句するマイルイに、ヴァイレは微笑む。
「仕方ないよ。彼らは私にとって子供みたいなものなんだ」
「すべての生物、存在はあんたの子供でしょ!」
「そうだね。マイルイ、君もその一人だ。だけど他の生き物と人間は違う。マイルイ、君と同じくらい人間達は私にとって特別なんだよ」
愛おしむように、しかしどこか切なげにつぶやくヴァイレを見て、マイルイは唇を噛んだ。
「……数少ない自分と似た形で、知性のある生き物だものね。傾倒するのは分かるわよ。あたしだって一部の人間は好ましいと思うし、可愛いとも思うわ。だけど力の半分を渡しちゃったせいで、あんたは存在そのものが危うくなった。人間が神なんていないって言いだしたら、あんたは消えちゃうかもしれないのよ」
「今のところ、みんな私を見てくれているよ」
「それが怪しいって言ってるのよ!神への認識ってつまりは信仰じゃない!神を祀るよりヴァイレを祀ろうなんて冗談でも言っちゃいけない!そんなこと言っちゃうくらい、神の存在を忘れかけてるのよ!?まともにあんたを神として認識してるのなんか、今やベルナルアの一族くらいよ!」
泣きそうに叫ぶマイルイに、ヴァイレは頷く。
「分かってる。分かっているんだ。だけど……もう少し。僕は神ではなくヴァイレとして過ごしたい。私を対等の存在として見てくれる人々に尽くしたいんだ」
「……バッカじゃないの」
「ははは」
ああ、本当に馬鹿だよ、神様。
マイルイ泣いてるのに気付かないの?
笑ってる場合じゃないでしょうが。
そうだ、マイルイどこに行ったんだろう。
あの宝珠にはどんな意味があるの?
エルヴィン・フランドルも行方がわからないし。
ハル・シュマンはエルヴィンと関係あるのかな。
思考が入り混じっているのに気付いてももう遅い。
眠っているように目を閉じたマイルイ。
夜の大聖堂に足を踏み入れるローザと一人の男。
暗い塔の中で静かに涙を流すハル・シュマン。
記憶の映像が乱れだして、うまく認識できない。
このままじゃまた呑まれてしまう。
そう感じると同時に自分の肉体の感覚が戻ってきた。
今なら体を動かせる。
瞼を開く……開くんだ!
それだけを念じていると、意識が引き上げられるような感覚と共に視界が開けた。
暗い寝室。
ベッドで横たわる私をファリオンが覗き込んでいる。
記憶を覗いている時とは違う、確かに視覚に景色が映っている感覚。
「お、今日は自分で起きたな」
ファリオンが驚いたように言う。
「うん……今日はたくさんの情報が混じったりする前に、自分で起きようって思えたから」
世界の記憶から求める情報を得られると気づいて以来、私はその制御を練習中だった。
一つの情報に絞ると、頭がおかしくなりそうな状態にならずに済む。
その時見ている登場人物の感情は流れてくるけれど、数人分ならずいぶんマシだ。
今夜は寝る前に錬金術師ヴァイレのことを知りたいと思っていた。
おかげでそれは叶ったけれど、途中で他のことが頭をよぎってしまったようだ。
人間、知りたいことは一つじゃないもので、どうしてもその意識のずれに邪魔される。
おかげで望み通りの情報をスムーズに得られない。
少しでもヴァイレのことを見れたり、叫ぶ前に起きれたりすることを思えば大進歩だとは思うけど。
「体に異常はねーんだな?」
「うん、今までで一番いい目覚め。あ、もちろん悪夢の時と比較してだけど」
「そうか。だいぶ制御がうまくなったな」
そう言ってファリオンが額にキスを落とす。
くすぐったさに目を伏せると、その隙に瞼にも。
「やだもう」
「そんなこと言いながら嬉しそうだな」
「うるさいな」
「むくれるなよ。少しくらいいちゃつかせてくれ。この後もまだ仕事が残ってんだから」
その言葉に驚いて時計に視線をやる。
既に夜中の一時を示していた。
「まだ仕事があるの?」
「休日は侯爵としての付き合いに時間とられてるからな。授業の準備は夜中にするしかねーんだよ」
そう言うファリオンの目元には疲れが見えた。
思わず頬に触れると、それに気付いたファリオンがふっと笑う。
「そんな顔すんな。俺は大丈夫だから。むしろアカネの方が心配だ」
「私?」
「きつかったら言えよ。俺が全部何とかしてやる」
いつものやつだ。
私は未だに、ファリオンに心配をかけてしまっている。
ただでさえ大変なファリオンなのに、私のことまで気を揉ませちゃいけない。
早く安心させてあげなくちゃ。
「大丈夫。ファリオンは、ファリオンの仕事をして。私も自分のすべきことをするから」
「……わかった」
「忙しい中来てくれてありがとう。もう大丈夫だから戻って」
「追い返さなくてもいいだろ」
「そんなつもりないよ。早く仕事済ませて早く休んでほしいの!」
名残を惜しむファリオンを宥めすかして帰らせ、一人になった寝室で溜息をついた。
なんだかすっかり目がさえてしまった。
カーテンを薄く開けて窓の向こうを見ると、ぼんやりと月が浮かんでいる。
不意に思い出したのは、さっき一瞬だけ見えたハル・シュマンの映像だ。
その塔の窓から見えた月も、全く同じ形だった。
「……もしかして、あれって今のハル・シュマンなのかな」
今まさに、彼は泣いているんだろうか。
……いや、たまたま同じ月の時の映像だったのかもしれない。
だけどあまりにタイムリーというか。
「……」
クローゼットから外套を手に取り、羽織る。
気分が落ち着くまで散歩でもしよう。
敷地内ならヒナ吉も連れていけるし、問題ないはずだ。
部屋の外の護衛に声をかけると、案の定付き添うと言い出した。
まぁ、そりゃそうだよね。
変なところ歩き回られても困るだろうし。
いつエルヴィンが襲ってくるかも分からないんだし。
扉の前に一人を残し、もう一人の護衛が私の後をついてくる。
静まり返った迎賓館を抜けて外に出ると、思いがけない人物に出くわした。
「あら、アカネ様」
「な、ナディア様!?」
供の一人もつけず、目立たぬようになのか黒いワンピースを着たナディア様がそこに居た。
思わず大声をあげてしまう私に、ナディア様はしーっと指を立てて微笑む。
「いいところにいらっしゃいましたわ。少しお付き合いいただける?」
「い、いいところって……」
嫌な予感しかしない。
「ナディア様、なぜこのような時間に」
「おだまりなさい。私の近衛でもない一騎士が口を出すものではなくってよ」
私について来てくれていた護衛が見とがめてそう言うも、ナディア様はぴしゃりと突き放した。
「ナディア様、こんな時間にどこに行くんですか?」
仕方がないので私が聞き直すと、ナディア様はにっこり笑って少し離れた場所にある塔を指さす。
「そこの囚人に差し入れですわ」
それは、ハル・シュマンがとらえられている塔だった。
彼のことを思い出していたから私もこちらに足が向いていたんだけれど、まさか入れるとは思っていない。
当然見張りがいるだろうし、客人である私が近づいていい場所でもないだろう。
「ナディア様、それは……」
「あら、口うるさい男はダメよ?」
護衛が止めにかかるのは当然だ。
しかしナディア様はすかさず彼に近付き、下から撫で上げるようにその顎に指を添えた。
「お前は今夜何も見なかった。そうでしょう?」
「しかし……」
「聞き分けのいい騎士は出世が早いものよ。もちろんそれって周囲の後押しもあってこそ。わかるわよね?」
顔をぐっと近づけながらそんなことを囁かれ、護衛の騎士は顔を赤くしながら小さく頷いた。
これは出世欲に負けたのか色仕掛けにやられたのかどちらなんだろうか……
どちらにしてもダメ男だが、融通の利く人間の方が仕事ができるというのは事実ありそうなので何とも言えない。
「お利口ね」
ナディア様はそんなことを言って彼をそこに立たせ、私の腕を引いた。
「な、ナディア様?なんで私を連れて行くんですか?」
「決まっているわ。面白そうだからよ」
そんなことを言いながら、そのナディア様の顔は何故か物憂げで少しも面白そうじゃない。
先ほどまでの笑顔はどこに行ってしまったのか、その表情は硬かった。
「ご苦労」
塔の前に立つ見張りにそう声をかけるナディア様。
見張りの兵士たちは困り顔をしながらも礼をとり、道を開けた。
どうやらこの王女様が塔を訪れるのは初めてのことじゃないらしい。
同じように最上階の部屋の前を守っていた牢番も一言で退かせ、ナディア様は慣れた様子でドアを開けた。
ランプ一つ置かれていないその狭い部屋は、隙間風の入る小窓からの月明かりだけで照らされていた。
ベッドに腰かけていた青年はこちらに気付くと、涙でぬれた顔を無防備にさらした。
無造作に伸ばされた髪にやせこけた手足、白い肌。
泣きはらした瞳に下がった眉。
顔立ちは悪くないが、どうにも儚げだ。
これが本当に警備の責任者で、囚人だというのか。
手足は鎖でつながれているけれど、そんなことをしなくてもこの人は何もできなさそうに見える。
「ナディア……様」
「ナディアでいいと言っているのに。差し入れだよ、ハル」
ナディア様は手にしていたバスケットを掲げて、気安くそう答えた。
「ありがとう……また、くるみのパンを?」
「そうだよ。ハルはこれが好きだからね。どうせ碌な食事を与えられていないだろうし」
「私は……いつまでこうしていなければならないんだろう」
「泣くんじゃないよ、ハル」
「分かってる。分かっているんだが……」
ナディア様の口調がすっかり様変わりしていることに驚く私に目もくれず、二人は言葉を交わし続ける。
べそべそと目を潤ませる成人男性の頭を撫でる十四歳女子。
元の世界なら警察が飛んできそうだ。
呆然と見つめる私に、ナディア様は視線を投げた。
「アカネ様、ハルのことは聞いてるね?」
「え、ええと……はい」
本来私が知っていてはいけないことだと思うんだけど、その口ぶりは問いかけというより確認だった。
隠しても仕方なさそうだと頷く。
「彼を、どう見る?」
「……難しい問いかけですね」
「今は外交のことを忘れて、貴方個人の感想を答えてほしい。目の前の彼をどう思う?」
真剣な顔で私を見つめるナディア様。
口調といい顔つきといい、これまでの妖艶な雰囲気が鳴りを潜めている。
すっかり人が変わったようだ。
さらにこの問いかけ。
一体なんだと言うのだろう。
少々悩むも、私が答えない限り話を進めてくれなさそうだと諦めて口を開いた。
「私には……無垢な子供に見えます」
本人を前にして口にするには少々失礼な言葉だ。
けれどそれを承知の上でそう言った。
おそらく彼女が求めているのはそういう意見だ。
私の予想通り、美しい唇が弧を描く。
「アカネ様なら、きっとそう言うと思った」
「ナディア様……?」
「私は時々こうしてハルに差し入れをして、話し相手もしているんだ。良かったらたまにアカネ様も来てくれないかな?」
「それは……」
ナディア様の行動自体たぶんルール違反だ。
今こうして付き合っているのだって、国賓として考えればとてもじゃないけど褒められた行為ではない。
国の重要参考人として囚われている人間の牢に侵入しているんだから、外交問題にもなりかねない。
「大丈夫。責任は私が取る。だから」
「……わかりました」
綺麗な青い瞳には妙な迫力がある。
美人って得だ。
彼の脱獄を助けろと言うのでもなく、話し相手となるだけならまだ大丈夫だろう。
一応私から彼に与える情報だけは気を付けた方がいいだろうけど、世間話くらいなら。
「ありがとう」
「ナディア様……彼女は……」
「ああ、紹介するのを忘れていたね。彼女はアカネ様。隣国カデュケート王国の伯爵令嬢で、今この国に留学生としてやってきているんだ」
ナディア様の紹介を受けて、私とハル・シュマンは改めて挨拶しあう。
「どうか、私のことはハルと。でも良いのでしょうか。私と関わることでアカネ様に害が及ばないか心配です」
「それは私が責任を取ると言っただろう」
「ナディア様の言葉は今一つ信用が……」
「失敬だな」
囚人とお姫様のはずなのに、二人はずいぶん打ち解けているようだ。
「仲がいいですね?」
「そうなんだ。私は王女だって言うのにハルときたらこんな調子で」
「どうもナディア様は敬うべきだと感じられなくて」
「本当に失敬な男だな。投獄するぞ」
「もうされてるよ」
そんなことを言って笑いあう。
……なんでそんな仲良くなっちゃったの、ナディア様。
あ、まさか二人ってそういう仲……?
しかしそれは口にしないまま、しばらく談笑した後、私たちは塔を後にした。
「ナディア様、ひょっとして記憶を失う前のハルと恋仲だったりとか……?」
私がそう尋ねたのは、見張りの兵たちにも聞こえないくらい塔から離れた頃だった。
ナディア様は初めて見るくらい目を丸くすると、その後耐えかねたように吹き出す。
「アカネ様は想像力豊かですわね。ロマンス小説がお好き?」
塔を出てしまったせいか、ナディア様は元の口調に戻っていた。
おそらくさっきの口調が素なんだろう。
「う……それならどうしてですか?多少なりと好意がなければ、こんな危ない真似しないでしょう?」
「そうですわね……好意、は無いとは言えませんわ」
「えっ、えっ、やっぱりそうなんですか?ナディア様は儚げな男性がお好きだったり?」
まさかの肯定に思わずテンションがあがる。
すっかり恋バナモードに入った私を見て、ナディア様は苦笑した。
「正直、外見は好みではありませんわね。あえて言うなら内面ですわ。放っておけませんの」
「……なるほど」
庇護欲がそそられるのか。
十四歳にして包容力溢れる女性だ。
「憂いて泣いているのも悪くありませんけれど、どうせなら明るく笑っていてほしいと思いますのよ」
「ナディア様……」
思ったより純愛だ。
なんだか感動してしまった。
「私、応援します!」
「……うぅん……応援されてもちょっと困るんですけれど」
「え?」
「いえ、何でもありませんわ。さ、そろそろお休みくださいな。お付き合い有難うございました。またお声がけしますのでその時はよろしく」
「あ、はい……」
応援されても困る…というのは、相手が囚人で、自分は王女だからなのか。
それとも他の理由があるのか。
しかしそれを聞くより先に、ナディア様は待機していた護衛の騎士に私を預けてさっさと立ち去ってしまった。
首を傾げつつ自室に戻り、寝室のドアを開ける。
その瞬間、体が強張った。
「ふぁ、ファリオン!?」
まさかの姿がそこにあったからだ。
「お前なぁ……こんな夜中に他の男に会いに行くとはいい度胸じゃねーか」
「ま、待っ……違うって!分かってるでしょ!?」
私はヒナ吉を連れ歩いていた。
塔に行った経緯も、塔内での会話も、ファリオンには筒抜けのはずだ。
「ああ、ああ、分かってるぜ?王女様に唆されたとはいえ国家反逆罪の容疑にかけられてる囚人の牢の中に入っちまうとはな。こっちはハラハラして仕事が手につかなかった。何してんだよお前は!」
「ご、ごめぇん」
足を引っ張るまいと思った傍から心配をかけてしまっていたらしい。
「でもね。この前見た夢からしても、ハルって人が悪い人には思えないの。ナディア様が何考えてるのかも気になるし、少し様子を見たい」
「……まさかこれからも付き合うつもりか?」
「もちろんまずいと思ったらやめるし、ナディア様を止めるべきだと思ったら止めるよ」
「ダメだ、危険すぎる」
「私だって力になりたい!」
そう食い下がると、ファリオンは閉口した。
「……ファリオンは睡眠時間を削ってでもあちこち顔を出して情報を集めてるよね?ヴォルシュ侯爵としての付き合いもあるし、私やファリオンが抱えてる問題の解決の糸口も探してる」
エルヴィン・フランドルに関しても、アドルフ様と連絡をとったり魔物を使ったりしながら手がかりを見つけようと奮闘している。
……私に相談することもなく。
「私が頼りないのは分かるよ。貴族としてうまく振舞えないし、魔術の扱いだってファリオンに比べたら危なっかしい。学園では人間関係がごたついてるし」
自分で言っていて悲しくなってくる。
ファリオンが心配するのももっともだ。
「だけど、最近は学園での振る舞いも変えようとしてるし、繊細な魔術も大分使えるようになったし、ナディア様とジェラルド様とは、私なりに関係を構築しようとしてるの!」
確かに辛いと思う時もある。
それでも食らいついているのはファリオンの傍に立つに相応しい人間になりたいからだ。
私の味方でいてくれている人たちに誇れる、アカネ・スターチスとして胸を張れる人間になりたいからだ。
「ハル・シュマンはパラディアの王城侵入事件の重要参考人。何か聞き出せるかもしれないし、ナディア様のこともよく知るチャンスだと思う。だから……私を信じてほしい」
黙って私の言葉を最後まで聞いたファリオンは、前髪をひっぱった後大きくため息をついた。
腕が伸びてきて、私をぎゅっと抱きしめる。
「守られててほしいなんてのは、俺のエゴだからな……」
「私だって、ファリオンを守りたいよ」
「そう言ってたっけな。そういえば」
私の肩に顎を乗せながら、ファリオンが呟くように言う。
「危ないと思ったら、絶対に退けよ。最悪魔術使ってでも自分の身を守れ」
「分かってるって」
ファリオンはなおも何か言いたそうにしていたけれど、あまり言うと私が怒ると知っているからか唇を引き結んだ。
「じゃあ、一応俺の方で得た情報を共有しとく。嗅ぎまわるつもりなら、知らないよりは知ってた方がいいからな」
「何かあったの?」
「エルヴィン・フランドルが拘束された」
思わぬ言葉に息が止まった。
「え、つかま……ったの?」
いつ彼が襲ってくるかと戦々恐々としていたのに、まさかもう片がついてしまったと言うのか。
「でも事はそう単純じゃない。奴は記憶を失っていた」
「えっ!?」
「自分がエルヴィン・フランドルという名前の人物でカデュケート王国の侯爵。それ以外のことは何も思い出せないらしい」
「それって……」
「そうだ。まるで影移しの魔術書を使った人間のようになっている」
しかも記憶を失っている側となると、乗っ取られた側ということになる。
エルヴィンの中身は、どこに行ったのか。
「じゃ、じゃあハル・シュマンは……」
ハル・シュマンも同じ状態だ。
てっきり結界に細工をほどこしたハル・シュマンが別の人物と入れ替わるために影移しの魔術書を使ったのかと思ったけれど、違ったんだろうか。
「……わからない。どちらもそれ以上何も語っていないらしいし。どちらかは演技なのか、たまたまなのか……」
「少なくとも、油断できる状態ではないってことだよね?」
「そうだな。少なくとも黒幕が捕まったとは考えない方がいい」
まだ不気味な状況には変わりない。
……やっぱり私、しっかりしなくちゃ。
まずは地盤固め。
この国での立ち位置を、よくするところから。
そんな風に意気込み、その夜は更けていった。
ご覧いただき有難うございます。




