025世界の記憶と嫌な記憶
真っ白な世界が広がっていた。
無機質なその光景はすっかり見慣れたものだけれど、どうしても身構える。
大精霊マイルイが手を入れてくれてから、世界の記憶とかいうものと繋がるこの現象は多少楽なものになっていた。
楽とはいっても見たくもない映像を見せられ、他人の感情とリンクするのは不快でしかない。
没入感がいくらか浅くなるだけだ。
しかしいつもならじっと耐える姿勢になるだけのそれに、今日は別の意識が首をもたげた。
「もしかして、私が見たい物を見ることもできるのかな?」
と。
そう思えたのは、やっぱり少し余裕が出てきた証拠だろう。
できることならば、今の状況を改善できるように……
エルヴィンの情報を得られたら。
そう考えた時に頭をよぎったのは、ハルと呼ばれる人物のことだ。
だからだろうか。
押し寄せる記憶の一つが私の意識の中に飛び込んできた時、そこに見えたのは青白い肌の男性だった。
それは、学園へ見学に行く前に目にした人物の姿だ。
迎賓館の近くにある高い塔の上、鉄格子のはまった窓の奥に見えた男性。
彼がハルだったのか。
彼は狭い部屋の中に居た。
石造りの牢屋のようなその空間には、質素なベッド以外家具らしい家具は無い。
隙間風の入るその部屋で、彼はその痩身を震わせた。
「……寒い」
思わずこぼれたらしいその声は物悲しく石壁に吸い込まれる。
微かなささやきは、扉の向こうの牢番にすら聞き届けられなかっただろう。
どうして、こんな目に。
一体自分に何が。
分からない。
私はハル・シュマン。
それ以外、何も。
何も分からない。
どうすれば信じてもらえるのか、私にはもう……
幼子がぐずるように、真っすぐな困惑と悲しみが押し寄せてくる。
理解してほしい。
でも自分にも理解できない。
ああ、この人は本当に分かっていないんだ。
何があったんだろう。
もう少し時間をさかのぼることは……
そうして欲をかいたのがいけなかったのか。
ハル・シュマンがいる塔はどうやらこれまでもいわくつきの人々が幽閉され続けていたらしく、その記憶が一気に流れ込んできてしまった。
あ、ダメだ。
呑まれる……!
「アカネ!」
「ファリオン……」
目を開けた時、いつものようにファリオンの顔がそこにあった。
「大丈夫か?」
「うん……ファリオン、仕事終わったの?」
「ああ。寝ようと思ったら繋がってる気配があったから来た」
「あ、そっか……ごめん、そういえば頭痛があったの報告し忘れてた」
お姉様たちとの食事中に頭が痛んだものの、いろいろありすぎてすっかり忘れていた。
「何かいつもと違ったか?最初うなされてなかったから、起こさずに様子をみてたんだが」
「うん、それでよかったよ。ありがとう。ハル・シュマンの情報を得られないかと思って試してたの」
見た内容を掻い摘んで話すと、ファリオンは目を丸くした。
「……なるほど。アカネの方から見たい情報を指定することもできんのか」
「といっても上手くいったのは最初だけだったけどね」
「それでも十分有益だろ。アカネに負担がかかるのは本意じゃねーけど、どうせ世界の記憶と繋がっちまうなら、利用できた方がいい」
「望んだものを見てる間は辛くなかったしね。練習すれば制御できるようになるのかも」
とはいっても上手くなるものなのか、コツとかがあるのかさっぱり分からないんだけど。
「そうだな……でもそうなると、アカネのその力は本当に何なんだろうな」
「何って?」
「前に話しただろ。魔王の魂が魔術具かもしれないなら、アカネのその性質も魔術具に関連するものかもしれない。だとしたら、世界の記憶から情報を抜き出せるようになるなんてとんでもねー道具、誰が何のためにどうやって作ったんだよ」
「それは……」
錬金術師ヴァイレ。
その名前が頭をよぎった。
たくさんの道具を生み出した神様。
そして世界で濃度を増していく魔力と魔物の関係。
神様はこれを何とかするために道具を作ったんだろうか?
「あ、そういえば」
このあたりの情報は、まだファリオンと共有できていない。
留学準備で忙しかったし、こっちに来てからもバタバタしてたからなぁ。
忘れないうちにと思ってファリオンの手をすり抜け、本を手に取る。
ファリオンがとっさに抱き寄せようとしていたのには気付いたけれど、とりあえずこの話が先だと思って避けてしまった。
だからだろうか。
「ファリオン、これ」
振り返るより先に、抱きすくめられた。
「わっ?」
「……怒ってるのか?」
後ろから抱きかかえるような体勢のまま、ファリオンが耳元でささやく。
耳朶を撫でる吐息に体がはねた。
「ちょ、ちょっとっ」
「勝手に決めたのは悪かったと思ってる。でも、一応相手は王族だし無体なことはしないはずだ。何より、年下にまでむきになってると流石のアカネも呆れるんじゃねーかって……」
ようやくファリオンが何を言わんとしているのか分かった。
ジェラルド殿下のアプローチを容認した話か。
思わずため息が零れていたようで、たったそれだけでファリオンが抱きしめる力を強くする。
「……正直に話すね。最初はムッとした。ナディア様に何を言われたのか私には聞こえなかったし、何で急にって。距離もやたら近かったし」
「悪かった。なんか妙に迫力あるっつーか、ジェラルド殿下以上に近寄りたくない気配があったからさっさと話聞いて離れたかったんだよ」
離れたかったからこそ突き放すことなく大人しく話を聞いたと。
……ファリオンにそんなこと言われるなんてナディア様何者なんだろうか。
確かに年齢にそぐわない妖艶さがあったし、苦手なタイプなのかもしれない。
「それで、何言われたの?」
「ジェラルド殿下は、ダメって言われるほど欲しがるから適度に遊ばせた方がそのうち飽きるって言われた」
「ああ、そうなんだ」
物腰柔らかそうに見えて、駄々っ子気質なんだろうか。
「それに……」
「それに?」
「……束縛が強すぎると女は逃げると」
また溜息が漏れそうになるのをぐっと堪える。
そんな根拠も無い意見であっさり手のひらを返したのか。
けれど叱責する気にはなれない。
マリーの何気ない一言で不安になってファリオンの浮気を疑ったのはこの私。
好きだからこそ簡単に気持ちが揺れ動くのはよくわかる。
こういう時に一番効くのが、ストレートな言葉だということも。
「ハッキリ言うよ。私はファリオンの束縛は確かにたまに困るけど何だかんだ言って嬉しいし、ヤキモチやかれたい。だから何でジェラルド殿下の後押しするんだろうって最初は拗ねた。でも、それは信頼の証だって考えることにした」
力が緩んだのを見計らってファリオンに向きなおる。
「誰に求婚されたって私はなびかない。今回の件は、他国の王子や王女とお近づきになる機会でもある。私はファリオンの婚約者として……未来の侯爵夫人として、恥ずかしくないようにパラディア王家と良い関係を築くべく頑張る」
銀色の瞳が大きく見開かれた。
ファリオンの呆けた顔を見るのは久しぶりだ。
そしてその瞳が細められると同時に、暗がりの中でもわかるほど頬に朱が差す。
「……なんだよ、今日は妙に格好いいな」
「婚約者を見習ってるの」
「それ以上言うな。押し倒すぞ」
そんな事を言いながら、既に押し倒す気で私の腰を抱く腕に気付き、慌てて待ったをかけた。
「ファリオン、ちょっと待って!大事な話の途中!」
「スチュアート殿下達の話ならヒナ吉越しに聞いてた。俺の方でも警戒は強めておくし魔物の扱いには気を付ける」
「そうじゃないってば!」
「分かったから、ここんとこ働きづめの婚約者にちょっとくらいご褒美くれよ」
「……もうっ!」
結局私がファリオンに本を見せられたのは三十分後のことだった。
ファリオンは思案気な顔をしていたけれど、『魔力の件はこっちでも調べてみる』とだけ言ってくれた。
私のちょっと怖い推測が、ただの考えすぎであってくれればいいんだけど。
=====
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、ティナ」
今日からついにパラディア学園留学生としての生活がスタートする。
こちらの学園は制服があるようで、いかにもファンタジー漫画感のあるワンピースタイプの制服が部屋に届けられていた。
事前に私のサイズ情報も伝わっていたようでピッタリだ。
動きやすく長く使うことを想定されているのである程度のアジャスト機能もある作りになっている。
ある意味ではカデュケートよりも服飾文化が先進的なんだろう。
少し感動も覚えるけれど……
「コスプレっぽい……」
思わず小声の呟きが漏れた。
いや、舞踏会とかで着てたドレスもなかなかだったんだけど。
特に私デザインのものは相当トリッキーだったし……
「お似合いですよ!アカネ様!」
「そう……かな」
私の独り言が聞こえなかったらしいエレーナが笑顔で褒めてくれる。
たぶん私は元の世界の記憶があるから穿った見方しちゃうだけなんだろうなぁ。
昨日の見学時に生徒たちを見た時は物珍しさしか感じなかったのに。
ああ、でもファリオンが先生なのは残念だ。
男子制服姿見たかった……
コードタイにダブルジャケットの制服、絶対似合うのに!
「お嬢様、ジェラルド殿下とナディア殿下がいらっしゃっています」
「お二人が?一緒に行こうってことかな?」
「そのようです。サロンにお招きしています」
「分かった。エレーナ、準備急いで」
「はいです!」
急いで髪を整えてサロンへ行くと、ソファでくつろいでいる両殿下が笑顔を見せた。
「おはようございます、ジェラルド様、ナディア様。お待たせしてすみません」
「おはようございます。準備中に訪ねてしまったのはこちらですのでお気になさらず」
「そうですわ。わたくしはあと十分は待った方がと言ったのにジェラルドったらすぐ会いたいと我がままを言って」
横目でジェラルド様を窘めるように見やりながら、ナディア様が溜息をつく。
ジェラルド様は何か言い返したそうだったけれど、諦めたように視線を外して私に向き直った。
その手には真っ赤な薔薇の花束があった。
「朝からお尋ねしたのは、こちらをお渡ししたくて」
「わぁ、薔薇ですか?」
「ええ。アカネ嬢はお花がお好きだと聞きましたので。庭園にある薔薇を朝摘みしたものです」
「有難うございます」
摘まれたばかりだからか、真っ赤な花弁は瑞々しい。
差し出されたそれを手に取ろうとすると、それを遮る手があった。
「エレーナ?」
割って入った人物に目を瞬かせる。
「殿下。失礼します」
そう言って私に代わり花を手に取ったエレーナは、口元こそ笑みを浮かべていたけれど目が険しい。
「どうしたの、エレーナ」
ジェラルド殿下も戸惑ったようにその様子を見ていた。
「……こちら、殿下がお摘みになったのですか?」
「そ、そうだ。アカネ嬢の為に私自らが」
「供の者は何も言わなかったんですか?大きな棘も全てついたまま、薄い布で束ねただけですね。こうして持っていても棘を感じるくらいですが、殿下のお手に怪我は?」
その言葉に驚いて殿下の手を見るけれど、目立った怪我は見当たらない。
「棘は確かにあったが……そうか、取るものだったのか。気付かなかった。私に怪我はない」
「そうですか。お怪我がなくて何よりです。こちらは私が棘を除いてから飾っておくので、皆様はどうぞ学園へ」
「有難う、エレーナ」
エレーナが気付いてくれなければそのまま手にしていたかもしれない。
ジェラルド様にも怪我がなくて何よりだ。
エレーナの口ぶりだと持っているだけでも痛そうだけど、普段から花を触り慣れていなければそんなものだと思ったのかもしれない。
しょんぼりしているジェラルド様を励ましながら、私達は学園へ向かった。
=====
「アカネ様、大丈夫ですか?」
「うん……」
学園から戻ってくるなりベッドに突っ伏した私に、エレーナとティナが気遣わしげな視線を向ける。
「学園で嫌なことでもありました?」
ティナの言葉に思い返すのは、学園の敷地に入ってすぐのこと。
この国の王子様、王女様と共に入ってきた私には、すぐさま好奇の視線が集中した。
昨日見学したときにも遠巻きに見られていたのは感じたけれど、もしかしたらそれで噂が立って広まっていたのかもしれない。
とても褒めてはいないだろうと感じられるひそひそとした声に、品定めするような眼差し。
ジェラルド様とナディア様は何食わぬ顔で脇に避ける人々の間を突っ切り歩いていたけれど、私はどうしても肩身の狭い思いがぬぐえなかった。
この学園でも授業は選択制で、ジェラルド様やナディア様と被っているものもあったけれど、いくつかの授業は私一人。
昼一番にあった護身術の授業で最初の事件が起きた。
この国では男女問わず、自衛手段は身に着けているべきという考えがあるようで、女性もある程度の護身術を習えるように護身術の授業があった。
私も興味があったので選択したのだけれど、やはりあくまで簡単な自衛手段だからなのか、受講生は幼い少年を除いては女子がほとんど。
運動用に整えられたホールに入ると、その女子たちの視線が私に突き刺さった。
「ごきげんよう」
すぐさまそう声をかけてきたのは私と同い年くらいの女生徒。
金髪縦ロールを真っ赤なリボンで一つにまとめた華やかな容貌の女子だった。
あくまでも普段の服装で自衛できることが趣旨なのでスカートの制服姿のままだけれど、これが体操服とかを着ることになったら激しく似合わなかったことだろう。
実に古典的なお嬢様らしい女の子だ。
「ごきげんよう。カデュケート王国から留学生として参りました、アカネ・スターチスと申します」
「ええ。存じておりますわ。わたくしはパラディア王国の四侯が一人、オベール侯爵の娘、アルベルティーヌ」
パラディア王国には、国王の下に四人の侯爵が立っている。
普段は王様の仕事を支える側近のような立ち位置だけれど、新たな国王が立つとき、この四候の支持を得る必要があるという。
つまり、国王を国王として認めるのは四候であり、場合によっては国王以上に強い力を持つのが四候なのだ。
要するに、偉いのである。
だからこそ、その娘であるアルベルティーヌ様が真っ先に私に声をかけ、後ろのご令嬢たちはその取り巻きのように付き従っているんだろう。
「スターチス様は第三王子妃のコゼット様の妹君でいらっしゃいましたわよね」
「ええ。その通りです」
「だからかしら。我が国にいらして間もないと言うのに、ずいぶん王族の方と親しくしていらっしゃいるのね」
「良くしていただいております」
ジェラルド様たちのことを言っているのだろう。
ずいぶん遠回しな嫌味だ。
「第三王子妃はずいぶん繊細な御方のようですから、その妹君となれば周りが気を遣うのも無理からぬことですわね」
「は……」
今の、どういう意味だ?
「……あら?聞こえなかったのかしら?スターチス家のご令嬢はお耳も繊細でいらっしゃるのね」
繊細な第三王子妃。
つまり……引きこもり王子妃の妹だから周りが優しくしてるだけだと。
自分のことのみならず、お姉様のこと、スターチス家のことまで揶揄されたとなれば黙っていられない。
言葉を咀嚼し終わると、委縮していた喉が力を取り戻す。
震えそうな手をぎゅっと握って口を開いた。
「……あら、アルベルティーヌ様もお気遣いくださっているのですね。恐れ入ります」
私の言葉に、アルベルティーヌ様の吊り上がった眉がさらに跳ね上がる。
「わたくしこちらの文化にはまだ疎くて。お気遣いの言葉なのだと理解するのに少し時間がかかってしまいました。まさか四候のご令嬢ともあろう御方が、無暗に王子妃や他国の貴族を侮辱するなどあってはならないことですものね。勘違いするところでしたわ」
「……無礼でしてよ、スターチス伯爵令嬢」
「ええ。失礼な勘違いをしてしまうところでした」
「お話にならないわね」
私の笑みは、なんとか引きつらずに持っただろうか。
アルベルティーヌ様はふん、と鼻息荒く踵を返して離れていく。
その後私に声をかける人は無く、講師がやってくるまでの間、ひっそり交わされる囁き声が、じわじわと私をなぶり続けた。
自分以外の人のことまで言われてカッとなったからとはいえ、言われっぱなしで終わらなかった。
早速目をつけられてしまった事実に体の芯は凍り付いているけれど、以前の私を思えばこれでも進歩したほうだろう。
しかし事件はこれだけで終わらない。
この後に待っていた授業。
ファリオンが担当する、魔物学の講義で二つ目の事件が起きた。
いつもご覧いただき有難うございます!




