017素材を聞いてはいけないドリンク
うち来いよと誘った相手がラスボスでした。
いやいや待て待て。
ヴィンリードなんて別に珍しい名前ではないのかもしれない。
メアステラとかいう姓までは小説に載っていなかったから参考にならないし…
目の前の少年は顔立ちこそ綺麗で目を引くけれど、まさか魔王とは思えない。
あ、でも魔王って確か銀髪で赤い瞳ってことになってたな…
いや、でもこの世界では珍しくない配色だ。
ベルブルク公爵もそうだったかな。
ただ、他にも共通点はある。
五代目魔王は元奴隷だった。
魔王本人が決戦時、ファリオンに自らの過去を語ることで初めて判明するのだが、魔王はもともと奴隷の少年。
これまでの魔王も全て、元は人間だったのだ。
魔王が何度も現れるのは、魔王を倒してもその魂は消えない為。
肉体を失った魔王の魂は、憎しみにかられた人間を探し、次の憑代とする。
そして強大な力を与える代わりに体を乗っ取り、その憎しみを全人類へと向けさせるのだ。
…まぁ、このくだりはよくある話だね。
ヴィンリードは孤児となって以降、辛い経験を繰り返していた為に、魔王の魂に目をつけられたという。
でも、五代目魔王の存在が発覚するのはまだ二年くらい先のはず。
実際にいつから魔王となっていたのかはわからないけれど、もし彼が本人だとしても…
まだ魔王の魂と出会っていない可能性もある。
ああ、だけど…
彼を一目見た時から感じているこの変な感覚って、もしかしてそういう事なんじゃないの?
この鳥肌は、彼が只者ではない証拠としか…
いやでも、それならどうして私は彼の側に駆け寄りたくなったんだろう?
そんな事をぐるぐる考えたまま凍り付いていた私は、いつの間にか彼と引き離されていた。
母が割り入るように立ちはだかったのだ。
護衛騎士もその両脇を固めるように従い、私と彼の間に壁が出来る。
「私はセルイラ領主スターチス伯爵が妻、フェミーナ。
あなたのことは私が身柄を預かります。
よろしいかしら?」
母は周囲に知らしめるような凛とした声音でそう告げた。
問いかけを受けたヴィンリードは、母たちの隙間を縫うようにして私を覗き込む。
「アカネ様とは…」
「…私はあの子の母です」
そうですか、と呟いて彼は思案げに視線を逸らした。
「アカネ様、先ほどの約束は撤回されてしまうのでしょうか?」
「えっ、いや、そんなことないよ!」
急に話を振られて反射的にそう返すと、母に睨まれた。
あ、やばい。
怒ってるわこれ。
無理もない。
こんな公衆の面前で、あまり歓迎されていない文化である奴隷の購入をやらかそうとしたのだ。
結果的に母が前面に出て対応しないといけなくなった。
しかも…お母様ごめんね。
彼、魔王かも。
私の言葉に満足したのか、ヴィンリードは母に微笑んだ。
「スターチス夫人、貴女にお任せいたします」
「…わかりました」
そして私を置き去りに、母は商人と何事か話し出した。
商談を始めたようだ。
その瞬間、ヴィンリードは辛そうに地に座り込んだ。
思わず駆け寄ろうとしたけれど、護衛騎士にさり気なく制される。
『夫人のお話が終わるまでお待ちください』と。
まぁ確かに、彼はまだあの奴隷商の商品であって、商談成立前にむやみに触れるのはダメだよね。
でも今のヴィンリードは魔王だなんてとても思えないくらい弱々しく息をしている。
早く治療してあげないと…
いや、でも本当に魔王だったらどうしよう。
「申し訳ございません!
すぐにこの地を離れますのでお許しを!」
怯えたような声が聞こえて視線を向ければ、奴隷商の男が母の前に跪いていた。
何事?
そんな男の頭上に母の冷たい声が落とされる。
「分かればよろしいの。
これは彼をここまで連れてきてくれた礼よ。
代金ではないわ。彼は商品でも奴隷でもありませんからね」
母から金貨の入った袋を受け取った護衛騎士が奴隷商の男にそれを握らせる。
商品でも奴隷でもない?
商談をしていたと思ったのに…
え、なんでこうなった?
奴隷商の男から鍵を受け取った騎士がヴィンリードにつけられた枷を解いていく。
そして全て外されたのを見届けるや否や、母は大声で宣言した。
「メアステラ家のご子息と思われる少年を保護しました」
周囲を取り囲んでいた野次馬からワッと歓声が上がる。
な、なんだ…有名な子なのか。
よく分からないまま空気を読んで騒いでいるだけの人もいそうだけど…
『あの子が』とか『本当に良かった』なんて声も聞こえてくる。
本当に知っていて喜んでいる人もいるようだ。
宣言を受けて騎士がヴィンリードを丁寧に抱き上げる。
ぽかんとする私の元に母が戻ってきて、微笑みかけた。
「さぁ帰るわよぉ、アカネちゃん」
「お、お母様…あの」
「お話は後よぉ。
だぁいじょうぶ、後でゆっくり時間をとりましょうねぇ」
いつもと変わらぬ笑みに影が差す。
こ、怖いよぉ。
「でもねぇ、褒めてあげなくちゃいけないわぁ」
「え?」
ビクビクしている私に、お母様が片目を閉じて見せた。
「彼は、昔お世話になった方の息子さんかもしれないのぉ」
…日常生活でウィンクする人ホントにいるんだ。
生粋の日本人気質が、まずそこに反応してしまった。
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屋敷に戻ると、すぐさまヴィンリードの為に部屋が用意された。
母は使用人たちに指示を出した後、『お父様にご説明してくるわねぇ』と言ってその場を離れた。
運ばれている間に意識を手放したらしいヴィンリードは、ベッドに横たわったまま苦しげに息をしている。
「ヴィンリード…」
近づこうとする私を、誰もが制止した。
「お医者様が来る前に清拭や簡単な手当てを致します。
アカネ様は離れてお待ちください」
二メートルくらい離れた場所に私用の椅子が用意され、ベッドの前には衝立が設けられた。
側に護衛騎士が控えたままであることからしても、さきほどの言葉が半分建前であることは明らかだ。
彼の身元はまだ裏が取れていない。
そんな少年に令嬢を不用意に近づけたくないのだろう。
不調の原因も分からないのも理由の一つかな。
確かに感染るものじゃないとも限らないしね。
まぁもう今さらな気がするけど…
衝立の高さはあまり高くないので椅子から立ち上がればヴィンリードの様子は見れそうだけど…
分かってるよ、お年頃の男女だから着替えとか見ちゃまずいって配慮だよね。
空気読むよ。
そわそわして思わず覗き込みたくなるのをぐっと堪える。
魔王かもとか、大丈夫かなとかそういう心配が理由であって、美少年の生肌に興味があるわけじゃないと言ったら嘘になる。
…あれ、本音が隠れてないぞ。
そんな馬鹿なことを考えている間に、衝立がどけられた。
もう終わったのか、うちの使用人は仕事が早い。
…惜しいなんて思ってないからね、本当だからね。
しかし、ヴィンリードは体を拭かれたり着替えさせられている間も目を覚まさなかったようだ。
…これだけされても起きないって…結構重症なんじゃないの?
取り囲む使用人たちの表情も厳しい。
そしてそんな室内に、杖を手にしながらも全く頼る気配のない矍鑠とした老年男性がやって来た。
後ろから助手の男性二人もついてくる。
「ディレット先生!」
「おお、これはこれはアカネ嬢。お元気そうじゃな」
厳格そうな白い顎ひげを撫でつけながら微笑んでくれた彼は、うちの主治医でもあるディレット先生。
私も年に数回の健康診断や風邪をひいた時などにお世話になっている。
顔は怖いけれど、健康に気をつけている人間や、真剣に病気を治そうとしている人間には優しい。
しかし、どれだけ注意しても不摂生をやめない人には、杖による折檻が炸裂する。
彼の杖は足腰を支えるためではなく、指導用なのだ。
「患者というのはこの少年かの」
「はい。奴隷商のところでずいぶん酷い扱いを受けていたみたいで…
暴行による怪我も心配ですが、歩行や呼吸も苦しそうなので、何か患っているのではと」
ディレット先生の視線がヴィンリードへと向けられ、私が補足を入れる。
「どれ…」
ベッド脇の椅子に腰かけて診察を始めた先生の瞳が、鋭く細められた。
小さく唸る先生に、助手の二人が何か話しかける。
しばらく小声で交わされる議論は…どう考えても少年の様子が普通でないことを表していた。
それは末期の重症患者というレベルの話ではなさそうだ。
病人を相手に百戦錬磨の先生が、末期の病気というだけでこんな難しい顔をすることはないはず。
末期ならそれはそれで、はっきりその診断を下す人だ。
…やはり、彼は魔王で、それ故の何かがあるのだろうか…
そう思って彼を屋敷に連れてきたことの是非に頭を悩ませそうになった瞬間、ヴィンリードが目を開けた。
制止する先生を無視して震える上体を起こし、その視線が何かを探すように彷徨う。
その後、私と目が合った瞬間にピタリと止まった。
どこかほっとしたような表情が見えて…私はたまらず椅子を蹴り飛ばすように立ち上がっていた。
「…ヴィンリード…!」
けれど私の声を聞き届ける前に、再び眠りにつくように閉ざされた瞳。
寒気があるのかぶるりと震えた後、再び力なく崩れ落ちる体を助手がすかさず支えたけれど、その表情は苦しげに歪んでいる。
その様子を見た先生は『ふむ』と息をつき、助手に何か指示を出した後、こちらを振り返った。
「この少年はアカネ嬢の良い人かの?」
何言ってんだじいさん。
思わずそんなことを口にしかけるけれど、私の中のアカネ令嬢がぐっと堪えた。
えらいぞ私。
「…違います。
でも、私が家を出るまでは側にいてあげるって約束したんです」
「なんじゃぁその中途半端なのは」
「そんなこと言われましても」
「なんにせよ、大事な人ならちぃとばかし覚悟してもらわにゃならんのう」
「…治せないってことですか?」
「わからん。怪我は大したことない。塗り薬を使えばすぐよくなるじゃろう。
あと、栄養状態が良くないから助手に栄養ドリンクを用意させておる」
この世界で言う栄養ドリンクは、もちろんファイト一発系なあれでは無い。
言ってしまえば体力回復に必要な栄養を全てぶちこんだ青汁だ。
…いや、あまりにも色々混ざってるせいか青くは無いな…
どどめ色汁っていうのが正しいな。
一度風邪をこじらせてうまくご飯を食べられなかった時に飲まされたことがあるけれど、この体調の時に飲めるわけないだろとツッコミたくなるほど くっそ不味い お味がした。
もちろん反射的に吐き出しかけたけれど、杖がひらめく気配を感じて強引に飲み干した私。
その後五分くらいは吐き気に襲われてかえって悪化してた気がしたけど、数時間後には魔法のように体力が回復していたんだ。
驚いてディレット先生に何が入っているのかを聞いたけれど…
世の中知らない方がいいこともあるんだってその時実感した。
…時間差で吐いた。
だがしかし全ての素材は消化吸収済み。
その事実に更に吐いた。
そして目の前の少年は今からそれを飲まされるのだ。
頑張れ魔王(仮)。
私は優しいから中身を君には教えない。
遠い目をする私に、ディレット先生は説明を続けた。
「じゃが、儂ができるのはここまでじゃ。
一応、治癒術士を呼んだ方がよかろう」
その言葉に、部屋の中がにわかにざわめく。
使用人の一人が治癒術士を手配すべく慌てて部屋を出て行った。
この世界には医者とは別に治癒術士というのも存在する。
治癒術士はいわゆるRPGでいう僧侶やヒーラーのような存在で、ほとんどが冒険者としてパーティーに加わっている。
ギルドに常駐している治癒術士も何人か居て、ギルドに依頼を出せば手を借りることが可能だ。
対して医者は元の世界で言う東洋医学の医師といった感じで、問診や触診で診断し、漢方などを処方してくれる人だ。
外傷、バッドステータスが原因の症状は治癒術士、風邪や日頃の生活習慣が原因の症状は医者、といった感じ。
稀に両方の技術や知識を兼ね備えた人も居て、彼らは回復師と呼ばれている。
もちろん報酬は高くつくし、Sランクパーティーや王宮くらいにしかいない。
普通は医者と治癒術士をケースバイケースで呼び分ければいいので特に問題は無いんだけど。
ディレット先生は回復師ではないけど、国内でも指折りの名医だ。
私も大きな病気こそしたことが無いけれど、どどめ色汁をはじめ、何気ない健康相談で幾度かお世話になる度に現代医療とはまた違う力を実感している。
先生は昔、世界中を旅していたそうで、様々な症例に触れ、多くの人を癒してきたという。
医者の業界内ではかなり有名な人なのだ。
宮廷医にも一目置かれているという。
そんな先生が、一応、なんて言い方で治癒術士を呼ぶように言ったことが、私を含めて周囲の人間を動揺させた。
本来なら…もし治癒術士の分野だとしても、長年の経験から『これは治癒術士の領分だ』とかハッキリ診断できる人なのだ。
つまりはディレット先生ですら、判別つかない症状ということ。
いつの間にか戻っていた母が、先生と何か言葉を交わし、頭を下げた後こちらにやって来た。
私の顔を見るなり、困ったように微笑む。
「やぁねぇ、なんて顔してるのぉ」
「お、お母様…だって…」
「先生だって見たことのない症状くらいあるわよぉ。
余命宣告じゃなかっただけ救いがあるわぁ」
そうだけど…
魔王かもしれないとはいえ、不思議な魅力を感じて私から手を伸ばした相手だ。
原因不明の病かもしれないとなれば不安にもなる。
けれど、そんな私に追い打ちをかけるのが母だった。
「それよりねぇ、アカネちゃぁん。
治癒術士様がいらっしゃるのを待っている間、
今日の事、ちょっとお話させてくれるかしらぁ」
疑問形のようでいて抵抗を許さない声に、ぎこちなく首肯した。
そうだった…私いろいろやらかしたんだった…
穏やかな笑みと間延びした声が今ばかりはただただ怖い。




