016婚約者様の出世
「まぁ、お嬢様……お綺麗ですわ」
「本当ねぇ、アカネちゃん。素敵よ」
「これ見たらリード様また奮起してくれないかなぁ。最近空気ですよぅ」
ティナとお母様が目を潤ませている。
エレーナがなんか言ってるのはさておき、それを除けばまるで結婚式前のような空気だ。
しかしあながち間違いでもない。
私の身を包むドレスは純白で、まさに花嫁を示すものなのだから。
「お父様も見たら泣いちゃうでしょうか?」
「妖精だって言うに違いないわぁ」
「……それは恥ずかしいからあんまり見せたくないですね」
仕事も兼ねて私達とは別に王都入りをしていた両親は、叙爵式を迎える今日、このヴォルシュ邸に合流していた。
叙爵式の主役はファリオン一人なので私は一緒に入場できない。
招待客の一人として、お母様達と一緒にその場に参列するだけだ。
スターチス家の王都屋敷は少し工事が遅れていて完成予定が秋にずれこんでしまったようなので、準備用にファリオンが場所を貸してくれた。
ついでに私は両親達と一緒に来ればいいと。
ちなみにシェドお兄様は騎士団から直接向かうらしい。
「今日はたくさんのおめでたいことがあるわねぇ。ファリオンが成人のお誕生日を迎えて、侯爵様になって、アカネちゃんとの婚約発表の場でもあるんだものぉ」
「私とのことはおまけですよ」
「あらぁ、たぶんファリオンはそう思っていないわよぉ」
叙爵式の後にこの屋敷で行われるお披露目パーティー。
一応招待の名目はファリオンの成人祝いと新侯爵お披露目だ。
だけどファリオンの意向通り白い衣装に身を包んだ私をエスコートして現れれば、それは婚約者のお披露目も意味する。
既に私たちの仲は王国中に知れ渡っているのではないかと思うけど……なにせ国王公認のパレードまで行われちゃったし……王族かよって言う……
でもファリオン主催のパーティーに、ファリオンが送った白いドレスを着て私が現れるのはまた格別の意味を持つことだろう。
「え、えーっと。それにしてもお母さまは今日もお綺麗ですよ」
「あらやだぁ、アカネちゃんたら照れちゃって。うふふ、それこそ私は今日はおまけよぉ。今日は二人が主役なんだからアカネちゃんは胸をはってらっしゃい」
すっかり見透かされている。
思わず顔が熱くなった。
だけどお母様が綺麗なのは本当だ。
年を経てなお、いや、だからこそ滲み出る気品と美貌。
瞳と同じ落ち着いたエメラルドのドレスが良く似合う。
……本当にこの人の娘設定は無理があるわ。
「さて、とっても素敵だけどそろそろ叙爵式用に着替えないといけないわねぇ」
この純白のドレスはパーティー用だ。
叙爵式のような公式の式典の場で真っ白な衣装は好まれない。
とはいえ叙爵式からパーティーまであまり間がなく着替える時間が確保できるか怪しいので、このドレスの上に鮮やかな色のマントやチュールスカートを合わせてごまかすのだ。
後で小物さえ付け替えればパーティー仕様となるわけである。
「未来の旦那様の晴れ姿、見に行きましょうねぇ」
久々にお母様のウィンクを見た。
=====
そこは教会によく似た空間だった。
高い天井。
一体どうやって掃除しているのかとふと疑問に思ってしまうほど高い場所についた大きな窓。
幸い晴天に恵まれた今日、そこから日の光が通って奥に立つ二人を照らしている。
立派なあごひげを蓄えた国王陛下は、優しい瞳で目の前の青年を見下ろしていた。
「ファリオン・ヴォルシュ。本日を持ってそなたに侯爵ならびに伯爵の地位を授けるものとする。その位に恥じぬよう振る舞い、その力を国の為、民の為に使え」
「陛下の御心のままに」
多くの貴族が正装で居並ぶ中、私は特等席とも言える限りなくファリオンに近い場所でその光景を見つめていた。
ファリオンの叙爵を見届ける人たちの視線は、必ずしも好意的なものばかりではない。
彼が魔王であると知っていて、なおかつ友好的に受け止められていない人……先だっての事件では過激派と呼ばれていた大臣達にとっては、形式的な二人のやり取りは皮肉にしか聞こえなかったことだろう。
忌々し気に眉をひそめている人も、嘲りを孕んだ笑みを口元に浮かべている人もいる。
だけど私は、胸を張る。
彼は魔王で、確かに危険が全く無いとは言えない。
国の為、民の為、王の為より先におそらく私の為に動くであろう男など、貴族としても相応しいか分からない。
それでも、それくらい私のことを大切にしていても、彼は他の人を簡単に切り捨てられない人だ。
割り切っているように見えて、どこまでも欲張りでどこまでも理想を求めている人だ。
そんな彼はきっと、ヴォルシュ侯爵の名に恥じない行いをする。
だから私は誇らしい気持ちで、徽章を受け取る婚約者の姿を見守った。
「かっこ良かったよ」
「……決まった通りにやってただけだろ」
ヴォルシュ邸に戻る馬車の中。
帰りは同じタイミングで帰れそうだったので、私はファリオンの馬車に乗せてもらっていた。
素直な感想を述べたのに、ファリオンは素っ気なくそう返して顔を逸らしてしまう。
…頬が赤い。
そういえばこうやってストレートに褒めたことってあまり無いかもしれない。
「可愛い」
「あ?」
思わず滑り出た感想は失言だった。
ぎろりと向けられた銀色の瞳に体を強張らせている隙に、肩を覆っていたマントを流れるような仕草で外される。
「ちょ、何」
「俺のこと小動物かなんかかと思ってるみたいだから噛みついておこうかと思って」
「思ってない思ってない思ってない!」
「安心しろ食いちぎったりしねーよ。ちっと痕はつくかもしんねーけどな」
「やめて。やめなさい、やめてください!」
そんなものをお母様達に見られた日には恥ずかしくて死ねる。
「デザイン任せたのは俺だけど失敗だった。こんな肩やら胸やら露出高いドレスにしやがって」
「いや、今期は露出するデザインが流行りになるから、私の年齢ならこれくらい普通だってミス・グレイが!」
「ああそうだな、どっかの誰かが足出したのを皮切りに肌見せるのが流行りになりやがったからな!」
「え、あの影響がもう?」
卒業パーティーのあれ?
流石に今日のドレスは足を出してはいないけど、肩はノースリーブで、胸元もレースでこそ覆っているけれど肌の色が透けるデザインだ。
この国のドレスは露出控えめなものが主流で、卒業パーティーのドレス制作時にもミス・グレイと露出度合いについて相当議論を重ねた。
だというのに、今回のドレス制作時には『これくらいなら大丈夫!』とミス・グレイ側から露出を押してきたくらいだ。
まぁ、元高校生の私に言わせれば露出というほどの露出でもないんだけど。
それにしても、あのドレスもまんまと社交界の流行に影響を与えたのか……
ますますプレッシャーが……あ、胃が痛くなってきた。
「二年前なら鼻で笑ってやれたのに様になる程度に育ちやがって」
「ちょ、どこ触ってんのよ!」
物思いにふけっている隙にファリオンの手が体を這ってくる。
「誰のもんか見せつけるっていう意味なら露出もまだ許せる」
「そんなことしなくてもこのドレス着てたら誰だってわかるでしょうが!」
何のための純白のドレスなのか。
「わかんねー馬鹿がいるかもしんねーだろ。どっかの商会長とか」
「自分で招待しておいて何を……あ、待ってほんとに!ドレス皺になっちゃ……」
そんな風にじゃれあっていたおかげで、フットマンが気まずそうに扉を叩いてくるまで馬車が止まっていることに気付かない私だった。
加えて。
「アカネ様、急いで着替えないといけないこのクソ忙しいタイミングに、どうしてコルセットの紐が緩んでるんです?」
青筋を浮かせたエレーナの一言にとどめをさされた。
===
「もうすぐ人が来るんだよね?」
「そうだな」
「……間に合う?」
「間に合わせようとこんだけ走り回ってんだからお前が不安そうにすんなよ。近いうちにこの屋敷の女主人になるならなおさらな」
「う」
会場で慌ただしく準備を進める使用人たちを見て思わず不安を吐露する私を、ファリオンが窘める。
お、女主人……自分史上最も似合わなそうな肩書に震えるわ。
「それにしても……こうしてみると、本当に人が増えたね。パーティーまでに人材が揃うのか心配してたんだけど、良かった」
「だいぶアドルフから人を融通してもらってるけどな」
「信用できてなおかつ能力がある人ってなると難しいもんね」
「特に俺は敵も多いし、秘密も多いからな」
一か月くらい前に遊びに来た時にはまだ人気のなかった屋敷に、今は百人以上の使用人が居る。
正直、ファリオンのお世話をするだけなら人数過多なんだけど、この規模の屋敷の管理にパーティーの主催までするとなるとこれでも少ない方らしい。
継いだとはいえ一度途絶えていた家だ。
王家が差し押さえていた財産を返してもらってやりくりしているものの、正直財政的には厳しいのだとか。
領地も代理人が置かれていたものの、ほったらかしに近かったのでテコ入れ真っ最中だそうだし。
「でも、きっと大丈夫だよ。心強い味方も多いんだから」
「……そうだな」
おそらく、ファリオンが今頭に思い浮かべている人たち。
その誰か一人でもこの場にいたら、同意なんてしなかっただろう。
同性に対してはなんか意地っ張りだからなぁ。
「ニヤニヤすんな。で?んなことより、そのドレスの演出ってのは何なんだよ」
「ん?」
ファリオンが私の姿をジロジロと眺める。
さっきファリオンが言っていた通り、露出のあるデザインこそちょっと特別だけど、何かの演出という表現に合致するようなものは見当たるまい。
眉根を寄せるファリオンを見て、私は含み笑いを零した。
「もうすぐ分かるよ」
そんな会話をして一時間もしない頃、最初の招待客がやって来た。
その頃にはなんとか会場の準備も終わり、無事にパーティーの体裁が整う。
十八時の鐘が近くの教会から聞こえてきたのを合図に、ファリオンが挨拶のため壇上に立つ。
もちろん私もその隣に居た。
ああ、アドルフ様と恋人やってた時にもあったな、これ。
大勢の視線を集めていることを自覚しつつ、今回ばかりは気を逸らすネタが無いので必死に耐えた。
笑顔が引きつっていないといいんだけど。
自分が何か話さないといけない立場でないだけマシだ。
「……アカネ?」
挨拶が終わり、こちらに視線を移したファリオンが目を見開く。
会場のざわめきが耳に届いていた。
……わかってる。
私はファリオンの婚約者。
ゆくゆくはその夫人となるわけで、いつまでも人の視線が苦手だとか、注目されたくないなんて駄々をこねてはいられない。
悪意や敵意を向けられることだってあるんだから、まずは見られることに慣れなくちゃ。
だからこそ私は、最も目立つ選択をした。
ちょうど狙い通りのタイミング。
夏の日が傾きだしたこの時間。
ドレスにあしらわれた白い刺繍が、徐々に色づいていく。
「まさかあれは、メアステラ商会が今秋に売り出すと噂の!」
流行に敏感らしいどこかの貴婦人の声が響いた。
日暮れと同時に色を変えるその染色技術を、すでに知っている人は知っているらしい。
私のシンプルな純白のドレスは、鮮やかな銀糸と金糸の刺繍が浮かび上がる豪奢なものへと変貌していた。
「……まさか。地獄蝶の鱗粉じゃ、ここまで濃い金や銀は出せなかったはずだ」
この技術をもたらした張本人であるファリオンが、思わずそう漏らしていた。
私はしたり顔で微笑みかける。
「ファリオン様。シェニーロのトップを侮ってはなりませんよ」
いくらファリオンが二代目魔王から知識を引き継いだとはいえ、服に長年心血を注いできた人間に、その技術で敵うはずもない。
その意をこめて言ってやれば、ファリオンはやられたとばかりに笑う。
「敵わねーな。ミス・グレイにも、お前にも」
そして大勢の好奇と称賛、そして嫉妬や疑念の視線に取り巻かれながら、私はファリオンの手を取って踊る。
最初のワルツと二曲目を、周囲に関係を知らしめるように二人で。
視線に足は震えるけれど、その動きを止めたりはしない。
もし躓いてもこの腕が支えてくれると信じられる。
「ああ、やっぱりあのお二人はお似合いね」
どこかの誰かがくれたその言葉が、何よりの賛辞だった。
=====
「つっかれたー」
最後の招待客を見送った後、ファリオンはサロンのソファに突っ伏した。
見かねた両親は『ゆっくり休んで』と言い残して先に客室へ戻っていった。
自分たちが居るとファリオンが気を遣って休まらないと思ってのことだろう。
流石のファリオンも式典に主催パーティーにとイベントが続いてここのところ準備も忙しかったし今日一日気を張りっぱなし。
そりゃ疲れるよね。
……リードにも散々いじられてたし。
「お疲れ様、侯爵様」
頭を撫でながらそう言ってやると、私の声が少しからかいを含んでいることに気付いたのか、ジロリと睨んでくる。
「……なんだよ、妖精」
お母様の予想通り、お父様は私の白いドレス姿をそれはもう褒めちぎってくれた。
涙声で妖精だ奇跡だと繰り返す父の口を手で塞ぐ羽目になるとは。
思い出して口元がゆがむ私を見て、ファリオンは笑う。
「それで?ほかに言うことねーの?」
「え?」
「お前からはまだ聞いてねーんだけど」
少し拗ねたような顔を見てハッと気づく。
そうだ。
ずっとバタバタしていて、私からはちゃんと言えていない。
言うのが当たり前すぎて、まさか言っていないとは自分でも思っていなかった。
「誕生日おめでとう、ファリオン」
私の言葉に、ファリオンは目を細める。
「やっとちゃんと祝ってもらえたな」
今日は、彼が本当の姿に戻ってから初めて迎える誕生日。
去年までは、ヴィンリードの誕生日を祝っていた。
だけど。
「……一回、祝ったでしょ」
「ん?」
「おめでとうって言ったじゃない」
私の言葉に、ファリオンが目を見開く。
「気付いてたのか」
「そりゃ、あんな違和感のあるお願いされたらね。もうその時にはもしかしてってちょっと思ってたんだからね」
それは、彼と出会って最初の夏。
お姉さまとの長年のわだかまりを解いた夜、彼がその働きに対するお礼に求めたのは『祝ってほしい』ということだった。
あの日は偶然にも、ファリオンの誕生日だったんだ。
自分で選んだこととはいえ、偽りの誕生日を祝われて自分の本当の誕生日は祝われないということに何かしら思うところがあったのかもしれない。
「これからは、毎年お祝いするからね」
ファリオンの銀色の瞳に微笑む私が映っている。
今はもう、ファリオンの家族はいない。
だけどもうすぐ、私が家族になる。
そう考えるだけで体を走る熱は、喜びか、瞳を合わせているせいか。
「……また、ケーキ食いたい」
「うん。任せて。シブーストでしょ」
少し甘えるような声色に酔いながら、そう答えた。
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「いやーん、甘酸っぱーい」
机の上に開かれた本を覗き込みながら、彼女はにやつく頬を押さえた。
手元の真っ白なページは、今まさに書き込まれているかのように見る間に文字で埋まっていく。
それを目でなぞる姿を、近くのさび猫が見つめていた。
「モトも見るー?アカネちゃん可愛いよ」
「いらん。危険が無いならそれでいい」
「だーいじょうぶでしょ。アカネちゃんはある意味では最強の力を持ってるし、最強の存在達に気に入られてるしー」
「物語が佳境にさしかかれば分からん」
「うーん、そこなんだよねー」
文字を指で追いかけながら、彼女はため息をつく。
「アカネちゃん、すっかり入り込んじゃって。私が言ったこと忘れてそー」
「……いつものことだろう。物語に取り込み、取り込まれる。それが本の魔女で、それこそが本の魔女の素質だ」
「例外もいたけど?」
「……お前は特殊だ」
バツが悪そうに背を向ける猫に笑みをこぼし、今代の本の魔女は呟いた。
「アカネちゃんは、どんな選択をするのかな」
いつもご覧いただき有難うございます。




