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魔王の隣で勇者を想う  作者: 遠山京
第二部 第一章 令嬢と精霊

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010さっそく浮気ですか?

「アカネ」



低くて優しい声が耳朶を打つ。

真っ黒な何かに埋もれていた意識がゆっくり引き上げられて、うっすら開いた視界には、月明かりを縒って束ねたような金色が見えた。

窓から入った風がさらりとその髪を撫でていき、隠れていた銀色の瞳が覗く。

その様があまりに綺麗で、一瞬私は呼吸を忘れた。



「アカネ?」


「ファリオン……会いたかった」



名前を呼ばれて、ようやく私もその名前を呼び返す。

瞳を見ただけで冷えていた体に熱が通う。

この感覚がたまらなく心地いい。

私のつぶやきに応えるように、唇が私の額に触れた。

九日ぶりに感じる体温、ファリオンの匂い。

それだけで嬉しくて恐怖感があっという間に霧散してしまう。

しかしすり寄る私の体を、大きな手が躊躇いがちに引き離した。



「ファリオン?」


「悪い、夜会の途中だったんだよ。探される前に戻んねーと」



ファリオンは私の悪夢を察知できる。これまではそんなに遠く離れることはなかったし、離れても短期だったのでファリオンは自分の身体能力や魔物を使って会いに来てくれていた。

けれど王都とセルイラほどの距離になると、簡単には会いに来れない。だから瞬間移動の能力を持つ魔物を作り出そうと苦心していた。

過去形だ。

あんまり魔物を使うと王家にばれるからやめろというアドルフ様のアドバイスに従って、魔物は諦めて魔術具を使っている。

その作成にはカルバン先生あらためクラウス様がこっそり手伝ってくれた。


もちろん、クラウス様はファリオンが魔王であることを知っている。

カルバン先生をしていた時から怪しまれてはいたけれど、魔王であるとの確信を彼は持っていなかった。

正式に王族として戻るにあたり始めて国王陛下から事実を聞かされたそうだ。

『魔王なんて物々しい肩書もってる割にずいぶん直情型だよねー』なんて言われてファリオンは青筋を立てていたけれど。

でもクラウス様からの警戒は、かえってそれで解けたらしい。

魔術を使うと魔王化してしまうと知り、必要な魔術具は作成すると言い出してくれたのは彼からだった。


その一つが瞬間移動のための魔術具だ。

ファリオンの光魔術を込める必要があるとかで、その作成には魔王化の危険が伴う。

私が立ち会い、魔力を流してはいたけれど、距離を問わず瞬間移動できるなんてトンデモ能力を魔術具に付与するのは結構魔力を食うらしく、なかなか冷や冷やした。


ファリオンが持つブレスレット型の発動体の他に、私の方でも媒介を持っておくという二つセットの形でようやく実現した魔術具。

ブレスレットが媒介機器の位置を検知して使用者をその場所へ移動させ、帰るときには起動時に残した魔力の残滓で帰還ポイントを特定とかなんとか、クラウス様がいろいろ語っていたけれど難しくてよく覚えていない。


今は媒介側の機器が大きくて部屋に設置するような形になっているけれど、時間を見つけて改良し、いずれは私が身に着けられるようなサイズにしてくれるそうだ。

結婚祝いだと言っていたけれど、自分の趣味も多分に入っているのだろう。

ちなみに所有者制限がかかっていて、ファリオンしか起動できないようになっているのでセキュリティも万全だ。

万が一ファリオンがブレスレットをなくしても、見知らぬ誰かが私の部屋に飛び込んでくることはない。


そしてファリオンはそんな魔術具を使い、忙しい中でも私の悪夢があればその度にこうしてやってきてくれていた。

おそらくほんのわずかな睡眠時間すら削っている日々だろうに。



「今度ゆっくり時間とるから」



今は帰らなければと、申し訳なさそうに眉尻を下げる姿は疲れて見えた。

……ちょっと痩せた?

頬に触れようと伸ばした私の手を、ファリオンの手がまた阻む。



「もう行かないと」



え、今避けられた?

どう考えても急いでいるからというより、触れるのを拒む仕草だった。

ショックがそのまま顔に出ていたんだろう。

ファリオンは慌てて私の頭を撫でた。



「悪い。違う、違うから。夜会終わったらまた顔出す」


「……いいよ。忙しい中ありがとう。来なくていいから、ちゃんと休んで」



そう言った私はちゃんと笑えていたのだろうか。

ファリオンの表情が曇ったままだったから、ちょっと怪しいな。



「……ごめんな」



このところ、ファリオンの謝罪の言葉ばかり聞いている気がする。

そんな感想を抱くと同時に、その姿は目の前から掻き消えた。

翌朝、目を覚ますと枕元にブーゲンビリアの花が置かれていた。

おそらくファリオンが置いて行ったものなのだろう。



「来たなら、起こしてくれれば良かったのに」



眠気眼をこすってでも、その姿を一秒でも長く見ていたかった。

そうして膝を抱えたのが今朝のことだ。

鮮やかな赤紫の花は、今も窓辺に飾られている。



「その花、ファリオン公子から贈られたんでしょう?」



マリーの指摘に意識を引き戻す。

すっかり昨夜の記憶に持ってかれていた。



「そうだけど……」


「昨夜も会ってるのに」


「マリーだってエルマンに会った次の日、ちょっと物憂げじゃん」



例の瞬間移動魔術具と防音のヘアバンド型魔術具は、マリーとエルマンにも提供されている。

本来この魔術具は保安上重大な問題をもたらすので、もともとすべての情報を伝えているアドルフ様と、製作上協力が必要だったクラウス様以外には知られないようにしていた。

両親はおろか、国王陛下にも教えていない。

だけど、悪夢のたびにファリオンがこの屋敷にやってくればおそらくマリーは気付く。

どんなに気配を消したって、私たち三人の魔力同調は強いし、マリーは伊達に迷宮の魔女と呼ばれていないのだ。

魔力が高いだけでなく気配察知能力もあるからこそS級冒険者として認められているわけで。


だとすればいっそ教えておいた方が警戒されずに済むだろうと、マリーとエルマンにも特別に知らせることにした。

どちらにせよエルマンと引き離されたマリーが悪夢を一人で耐えることになるのは私も気になっていたので、マリーへの護衛報酬の一部に魔術具をこっそり含めたのだ。

マリーと引き離されることに難色を示したエルマンも、この魔術具があるならと渋々引き受けてくれた。

……もとい、国王にすら教えられないというとんでもない魔術具の存在を知ってしまって引っ込みがつかなくなったとも言える。

護衛任務が終わった後もマリーの傍へすぐに駆け付けられる手段があるのは便利だということで頭を切り替えたようだけど。


エルマンは悪夢の察知なんてできないので、このヘアバンドが作動するとエルマンのところに通知がいくような特殊な仕様をつけてあるらしい。

だからマリーが悪夢の夜にはエルマンが飛んできているはずだ。

その翌日にはマリーがなんだかむず痒そうな、それでいて物足りなそうな表情をしているのでよくわかる。

おそらく彼女にとっては憂鬱でしかなかった悪夢の日が、ちょっと心待ちにする日になっているはずだ。

何せこの護衛依頼を受けるまで、二人はずっと一緒だったらしいしね。

こんなに長く離れているのは初めてだろう。



「ごめんね、引き離しちゃって」


「引き離されてない」


「もうすぐスターチス家の屋敷が王都にできるから、そしたらエルマンもマリーもそこで寝泊まりしてくれていいからね」


「別に望んでない!」



真っ赤になるマリーを見ながら、また倒れる人が出る前に控えるかと口をつぐむ。

マリーとエルマンは順調なようで何よりだ。

寂しい思いをお互いにしているだろうけど、関係は相変わらずみたいだし。

問題は私達だ。


ああして夜中に会いに来てくれはするものの、私から触れようとするとさりげなく拒まれる。

……まぁ、ファリオンのことだから、あんまりベタベタすると離れがたくなるとかだとは思うんだけど、さすがにこうも繰り返されるとちょっとへこむというか……



「倦怠期とかいうものとは違うの?」



うっかり愚痴を口に出していたらしい私に、とんでもない爆弾が投下された。



「……マリー」



振り返った先で、彼女は曇りない眼をしていた。

うん、わかってる。

悪気はないんだよね。

ずっと深い人付き合いを絶っていたせいか、彼女はたまにこういうことを口にしてしまう。

しかし悪意はない。

ただ思ったことを口にしただけなのだ。



「違うよ!ファリオンに限って倦怠期なんて……」



……なんで無いと言い切れるのか。

釣った魚に餌をやらないなんて言うけれど、自分のものになるとほぼ確定した私への執着が薄れたって不思議はない。

というかそもそも何で私?って感じだし。

マリーみたいに二度見しちゃうレベルの美少女とかならまだしも。



「い、いやいや無い無い」


「アカネ、言うほどに自信が無さそうになっていくけど」


「誰のせいだと思ってんのよぉ!」


「……私なの?」



びっくりしてる。

そして何か思うところがあったようで、ちょっと申し訳なさそうに視線をそらした。

その仕草は、謝れない彼女なりの精一杯のごめんである。

いいよ、許す。

実際は私に自信が無いのは私のせいだ。

そうでなければマリーの言葉にも堂々と反論できたはず。



「……アカネ、会いに行く?」


「え?」


「私の風魔術なら、一晩あれば王都まで往復できる。冒険者でもないアカネには少し辛い行程だろうけど、耐えられるなら二時間くらい滞在できるはず」



思いがけない申し出に口が開いた。

マリーは本当に悪いことを言ったと思ったようだ。

一晩中風魔術を行使し続けるなんて、彼女ほどの魔術師でなければ不可能。

しかしマリーだってしんどくないわけじゃない。

私も風魔術は使えるけど、その操作はどうしてもマリーに敵わないし、一晩中はさすがに持たないだろう。



「で、でもそれだとマリーまで徹夜することに……」


「構わない。た、ただ……」


「ただ?」


「ファリオン公子のところにアカネを送ったら、その……私も少し自由にしたい」



……エルマンに会いたいならそう言えばいいのに。

口元が緩んだ。



「よし、わかった。じゃあお願いするよ。ファリオンとエルマンに会いに行こう!」



いらん一言を付け足してしまった私のせいで、また遠くで悲鳴が上がったのは言うまでもない。



=====



王都にあるヴォルシュ家の屋敷。

もともとファリオンの伯父であるカール・ヴォルシュ侯爵が住んでいたところだ。

つまり、アーベライン侯爵による惨殺事件の現場でもある。

しかし代々受け継いできた格式高い屋敷なわけで、ファリオンのお父さんが亡くなる前に修復の手続きを取っていた。

依頼主であるファリオンのお父さんが行方不明になった後も、一応その工事は続いて無事屋敷は直されたそうだ。

もちろん、管理者がいないので数年のうちに庭は荒れ放題、室内も黴臭くなっていたそうだけど。

そのあたりは掃除やちょっとした改装工事でなんとかなる。

アドルフ様の力も借りて、すっかり人が住めるように整えられていた。


往々にして歴史の長い家では殺人事件の一つや二つ起きている。

さすがにあの一件はひどすぎたが、だからといって取り壊して誰も住まないなんてそんなもったいなことはできないのだ。

ファリオンと結婚したら私もここに住むわけだけど……まぁ、魔王様と一緒に暮らすのに今更事故物件を恐れても仕方あるまい。


今は惨劇の痕跡などなく、ファリオンが屋敷を引き継いだ後は管理人を置いたこともあって綺麗な屋敷だとしか感じない。

しかしこの屋敷の規模に見合うだけの使用人がすぐに揃うわけもなく敷地内は閑散としていて、マリーの力を借りればファリオンの自室のバルコニーまでは簡単に潜入できた。

ろくに衛兵も立っていないようだ。

ファリオンのことだから何か対策はしてるんだろうけど……



「あれ?」



バルコニーから見える寝室には人の影が無い。

ベッドに寝ていると予想していたファリオンの姿が見えないのだ。

もし他の部屋に居たとしても、ファリオンなら私がこれほど近くにいればすぐ気づいてやってくるだろう。



「もう二時になるのに……」


「遅い夜会では明け方まで続くものもあるって聞く。どこかに出てる?」


「うーん……」



唸りながら、胸に抱いた羽のはえたウサギのぬいぐるみを見下ろした。

抱きしめるには少しボリュームの物足りないサイズのその子は、もちろんただのぬいぐるみじゃない。

ヒナ吉だ。


ファリオンと声を届けあえるヒナ吉は、今もぬいぐるみのフリをしながら私の傍にいる。

だけどアドルフ様やファリオンから言われた通り、ヒナ吉にはあまり頼らないようにしていた。

できるなら声だけでも聞きたいと思った夜もある。

だけど一度聞けば癖になって、毎日連絡をとってしまうのは目に見えていた。

ファリオンの力を借りれば電話みたいな魔術具を作製することもできるけれど、それもアドルフ様に止められている。

手紙でしか連絡を取れないなんて、この世界では普通のことだ。

普通に生きていきたいなら、少しでもそれに慣れるべきだというアドルフ様の言葉はもっともだった。

ファリオンの力にせよ魔術具にせよ、本当に必要な物にのみ絞らなければ普通が分からなくなり、周囲から浮いてしまう。

平穏な暮らしの為には自重も必要ということだ。


それでも緊急時の連絡手段として有効なことは変わりないので、ヒナ吉は常に連れて歩くようにしている。

マリーはこの年にもなってお気に入りのぬいぐるみを四六時中抱きしめている私のことをちょっと痛い子だと思っているようだけど……

こっそりヒナ吉に囁く。



「ヒナ吉、ファリオンには私のこと言ってないよね?」



小さな頷きが返ってくる。

内緒にしてほしいという私のお願いを守ってくれているらしい。



「ファリオンがどこにいるかはわかる?」



その小さな手が、市街地を指し示した。



「アカネ?今そのぬいぐるみ動いた?」


「私が動かしただけだよ。あっちに居るような気がするなって」



目ざといマリーの指摘に首を振ってそう伝えると、彼女は眉根を寄せながらも『そう』と頷いた。

わざわざぬいぐるみを動かして方向を示す私に、また何か思うところがあったんだろう。

あえて指摘してこない優しさが辛い。



「それなら、行ってみればいい」



連れて行ってくれるらしく、再び私たちの体は風魔術にまかれて浮かび上がった。

闇魔術で姿を消しながら上空を飛んで三分も経った頃、マリーが首を傾げる。



「このあたり?」


「ううん、もっとあっち」


「……このままだと貴族街を抜ける。貴族の夜会ならあんなところには居ないと思う」


「う、うん……そうなんだけど」



しかし、ヒナ吉は相変わらず同じ方向を伝えてくるのだ。



「まぁいい。アカネの気が済むまで今夜は付き合う」


「ご、ごめんね。少し探して居なければヴォルシュ侯爵邸に戻るから。そしたらマリーも自由にして」


「分かった」



そしてヒナ吉の指示に従って進むうちに、私たちの眼下は独特の熱気を伴う街に変わっていった。



「……アカネ」


「……うん」


「本当にこのあたりにいる気がするというのなら、そんな男はやめた方がいい」


「うん、そうね。私もそう思うんだけどね」



露出の多い衣装を身にまとった女性たちが窓から身を乗り出し、薄暗い路地を通る男たちに声をかけている。

女性達がぼんやり照らされる程度に照明は灯っているけれど、その明かりは頼りない。

しかしそれがかえってそこに居る女性たちを妖艶に見せているのだろう。

狭い路地と裏腹に人は多く、あまり聞き耳を立てると建物の内部から精神衛生上よくないような声が聞こえてきそうだ。

……どう見ても、ここってそういう通りだと思うんだけど。

しかし残念ながら、ヒナ吉はこの路地を示してしまっている。

無邪気なウサギの表情が、今は妙にもどかしい。



「マリー、姿を消したまま降りてみるよ」


「本当に行くの?」


「ファリオンのことだから、きっと理由があるんだと……」



そう言いながら眼下を見つめていたら、ずっと探していた姿が路地の奥に見えた。

ぽつぽつと灯った薄明かりに金色の髪が照らされ、端正な顔立ちが浮かぶ。

うっすらと、銀色の瞳が覗いた。

こんなに遠くからだって、間違いなく彼だとわかる。

体の真ん中に灯る熱が、それを証明している。

けれど反比例するように私の指先は冷たくなっていって、見間違えようのないその顔のどこかに間違いがないか探してしまっていた。


なぜならその男性は、見知らぬ女性に抱きつかれて、拒むでもなく優しく抱き返していたからだ。

ちょっとここのところ説明が多くなっていて申し訳ないです。

とりあえずエルマンもクラウス様も元気みたいです。


===


いつもご覧いただきありがとうございます。

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