008それぞれの恋の行方2
ファリアカ同盟。
それは学園を飛び越え王都中に蔓延したおかしな同盟だ。
おかげで私とファリオンに対して好意的な見方をする人は多くなったけれど、みんながみんな応援してくれているわけじゃない。
少数派が多数派に気を遣って大きな動きを取らないだけで、隙を狙っているご令嬢はそれなりにいるのだ。
さすがに婚約破棄させて自分が本命の座にとまで考えている人は少ないだろうけど、なんとか愛妾の座を勝ち取れないかと目論んでいる女の子はいる。
一夫多妻が認められている国は辛い……
つまり、あの輪を作っているのはそういうご令嬢がほとんど。
私が割って入っても素直に道をあけてはくれないだろう。
開けてくれたとしても、彼女たちはファリオンに気付かれないよう悪態をつくはずだ。
想像しただけで表情が凍り付く。
「……」
でも、と唇をかむ。
これで一歩引いてどうするというのか。
私はスターチス伯爵の娘で、ファリオンの婚約者だ。
これで引き下がったりしたら、両親にも、ファリオンにも申し訳ない。
張るべき胸を張らないでいるのは、自分だけじゃなく自分を大切にしてくれている人にも失礼だ。
後ろへ引っ張られそうな踵を強引に前に押し出して輪に近づくと、ファリオンが顔を上げた。
「アカネ」
「すみません、皆様。私の婚約者を返してくださる?」
もったいつけて小首をかしげながら微笑む私を、ファリオンは苦笑しながら迎え入れた。
明らかに眉を顰める女性達には目もくれずファリオンの手が私の腰を抱く。
「悪かった、アカネ。そろそろ迎えに行こうと思ってたんだ」
「ファリオンが人気者なのは知ってるからいいよ」
ファリオンが聞こえるようなところで私の悪口を言うほど頭の悪い令嬢はさすがにいない。
目礼して立ち去る私たちを目を細めて見送るだけだ。
ぐっと肩を抱かれて、かすかに震えていたことに気付く。
「よく来れたな。無理させて悪かった」
「ううん。これくらいできないでファリオンの……お、お、奥さんとか、できないし」
うわぁ、噛んだ。
照れる方が余計に恥ずかしくなるとわかっているのに、いまだにこういうことを口にするのは恥ずかしい。
好きだとは言えるのに、関係性を口にするのはいつまでたってもむず痒いのは何故なんだろうか。
思わず俯く私の頬に、ファリオンの唇が触れる。
「ちょ、こんなところで!」
「アカネが可愛いのが悪い」
慌てて体を離して文句を言うも、返ってくるのはそんな甘い言葉だ。
眩暈がする。
「ほら、フラフラしてんなよ。三曲目始まるぞ」
「だ、誰のせいだと」
おそらく真っ赤であろう顔を隠す間もなく、ファリオンのエスコートで再びダンスフロアに戻る。
そしてふと隣を見ると……
「ドロテーア?」
私に負けないくらい顔を真っ赤にして目を潤ませ、ガチガチに緊張している少女がそこに居た。
声は確実に聞こえる距離なのに、まったく気づいていないのかこちらに一瞥もくれない。
こうも平静を失っているドロテーアを見るのは初めてだ。
何事かとよくよく見てみれば、なんと彼女の手を取っているのは大変見覚えのある男性。
「え、アドルフ様?」
元彼であり私の婚約者の後見人。
アドルフ・ベルブルクその人が彼女の三曲目のお相手らしい。
あの並み居る令嬢たちの中から、よくもまぁアドルフ様とのダンス権を勝ち取れたものだ。
私の声に気付いたらしいアドルフ様が視線を動かし口の端を上げてこちらに反応を返してくれる。
しかしドロテーアはそれでもまだ私の存在に気付いていないようだ。
いや、しかしちょっと待て。
「……え、何その恋する乙女の顔」
さっきまでシェドお兄様と話しているときにもこんな顔はしてなかった。
誰がどう見ても彼女の本命はアドルフ様だ。
困惑する私の耳元に、大きなため息が落とされた。
「やっぱりな。そんなこったろうと思った」
そう呟いたのはファリオンだ。
「え、何が……」
「アカネ……お前、ドロテーア嬢の意中の相手が誰なのか、ちゃんと名前確認してないだろ」
その一言に頭が真っ白になった私は、またもファリオンと踊った記憶が無いまま三曲目を終える羽目になった。
=====
確かに、ドロテーアは相手の名前をはっきり言っていない。
初めて相談を受けた時も、恥ずかしそうにしていてあまり多くを語らなかったし。
私の方もシェドの名前を意図せず口にしなかった気がする。
ミス・グレイとデザインの相談をしている時も、あえて意中の相手が誰か特定されないよう私もドロテーアも明言を避けていた。
さらに、私に気を遣う相手となれば、確かにシェドお兄様だけでなく、元彼であるアドルフ様もその対象に含まれるのも分かる。
でもでもっ!
「家族になるかもって言った時否定しなかったじゃない!」
踊る予定だった四曲目をキャンセルし、不満げなファリオンを引き連れてドロテーアのところへ突撃した私。
第一声そんな事を言われたドロテーアは目を瞬かせた。
その隣にアドルフ様はもう居ない。
またご令嬢に囲まれて団子の中心になっている。
「何の話ですか?」
「ドロテーア嬢の想い人が、シェディオン様だと思ってたんだよ、アカネは」
言葉足らずの私をフォローするようにファリオンがそう言うと、ドロテーアは目を丸くした。
「えっ、違いますよ?」
いや、それはもう見てたらわかる。
「でもぉ、あの言い方だと誤解するじゃない!」
私の言葉に当時のやり取りを思い出しているのか、ドロテーアは視線を彷徨わせる。
「あ、ああ……確かにそう思われる……かもしれませんね。でも私、デザインに朱色を入れていたでしょう?」
「……ああ、アドルフ様の色か!」
それは全く気付いていなかった。
「俺は初めて話を聞いた時から怪しいと思ってたんだよ。どうもアカネの言い方だと勝手に想像して補足して語ってそうだったからな」
何でその時点で指摘してくれなかったの、ファリオン。
ああ、だからシェドお兄様には言うなって言ったのか!
「アドルフ様なら私と家族にはならないじゃない!」
「いえ、アドルフ様はファリオン様の後見人ですし……間もなくその関係は切れるとはいえ、そのまま親子のような関係を続けるケースも多いでしょう?そのことをおっしゃっているのかと」
ドロテーアは眉尻を下げてそう言った。
……なるほど?
つまり……まさかの義母ポジション。
義姉じゃなかった。
「……お義母さま」
「や、やだ気が早いですアカネ様」
ぐったりしてそう呟く私に、ドロテーアは頬を染めた。
「アカネ様がシェディオン様と踊るよう勧めてくださったのはそういうことだったんですね。シェディオン様はアドルフ様と親しいので橋渡しをお願いしてくださったのだと」
「違うよ……」
ごめん、シェドお兄様。
本当に事前に余計な事言わなくてよかった。
「でも、そのおかげでアドルフ様に声をかけるようお手伝いいただけまして、ダンスのお相手をしていただけました。ドレスも褒めていただけたんですよ。本当に全部アカネ様のおかげです」
感謝されているのに素直に受け止められないし達成感も無い……
いや、勘違いした私が悪いんだけどね。
よくよく考えてみれば、騎士萌えのドロテーアにとってアドルフ様以上の理想の相手は居ないだろう。
騎士として申し分ない高潔な精神の持ち主であり、生まれながらの騎士という特殊な家柄のベルブルク公爵家。
条件を並べてみれば、とても納得のいく話だった。
首を振り、気を取り直してドロテーアに向き直る。
「うまくいったなら良かったよ。進展できそう?」
「緊張して最初はあまり話をできなかったんですけど、アドルフ様がうまく空気を和ませてくださって……騎士団に関するお話をしたら興味を持っていただけました。ロイエル領で催される夏の舞踏会にご招待くださるそうです」
頬に手を当ててうっとり語るドロテーア。
良かったね、良かったんだけど、"騎士団に関するお話"の内容がとっても気になるよ。
ファリオンも頬をひきつらせている。
際どい情報を口にして変にマークされてるんじゃないといいけど。
まだまだ前途多難感がある友人の恋路を思い、私はため息をついた。
=====
「つ、つかれたぁ」
馬車のドアが閉まり、人目が無くなると同時に四肢を投げ出した。
向かいに座るファリオンは、そんな私を見て鼻を鳴らす。
「アカネはもうちょっと体力つけないとな」
「いや、五曲目に加えて六曲目の高難易度かつ一番長い曲まで踊り切ったんだからもうちょっと褒めてくれてもよくない!?」
学園の卒業パーティーだからなのか、ダンスの授業で優秀な成績を収めた人達でなければ踊れないような曲が最後に盛り込まれていた。
社交目的の一般的な舞踏会ではまずエントリーされない曲目である。
私も授業でやりはしたものの、なんせ相手があのリードだったし、私もダンス技術は平凡の域を出ないのでほとんどまともに踊れたことが無い。
それなのに、四曲目踊る約束を破ったのだから五、六曲目は連続で踊ると言ってきかないファリオンに無理やり付き合わされた。
ステップや振り付けの難易度以上に、曲が長いのが辛い。
足がガクガクしている。
「後半、完全に俺に体重預けてただろ。ほとんど俺がアカネ回してたんだぞ」
「それは悪かったけど……でもまさかあれ踊ることになるとは思ってなかったっていうか」
崩れ落ちそうな私の体をしっかりと支え、ぐるんぐるん自在に動かしていた様はすごかった。
もはやペアダンスというよりはバトン回しのようだったもんね。
私は道具です。
「そんな辛いのにラストダンスは愛想よく踊ってたじゃねーか」
「いや、勇気出して誘ってくれた相手を無下にする方が人としてどうかと思うんだ……」
正直、六曲目が終わった時点でもう帰りたかった。
しかしその次はラストダンス。
学園生活を締めくくるそれは誰もが踊れるように簡単な曲目が選ばれており、さらに卒業パーティー特有の慣習がある。
ラストダンスばかりは己のパートナー以外からの誘いを優先すべし、というのがそれだ。
つまりは憧れの相手に婚約者や恋人がいたりしても、思い出作りとしてラストダンスくらいは声をかけさせてくれという話。
私もファリオンもそれぞれ複数人から誘いを受け、私は最初に声をかけてくれた男子生徒の手を取った。
今年卒業するという十五歳の青年は顔を真っ赤にして私に手を差し出してきたのだ。
私相手にそんなガチガチにならなくてもと微笑ましく思いつつ、震える足を叱咤して彼の卒業をお祝いした。
しんどかったけど、少しでも彼のいい思い出になってくれればいいと思う。
本当に私が相手で良かったのかと思わなくもないけれど。
しかし私の精一杯のサービス精神が、婚約者様には引っかかったようだ。
「あんなに笑顔振りまいてやる必要はなかっただろ。あの商家の息子デレデレだったぞ」
「ねー、あんなに喜んでくれると踊った甲斐があるわ」
良かった良かったと返すと、ファリオンは大きくため息をついた。
「……踊ったってだけじゃなくてお前のカッコ正面からまともに見たせいもあると思うんだけどな……ま、こんだけ手応え無い相手ならそのうち熱も冷めるか」
「ファリオンは心配性だなぁ」
あの男の子といいファリオンといい、どうしてこうも私に入れ込んでくれるのか不思議だ。
まぁ、確かに年頃の男の子にこのドレスは刺激が強かったのかもしれないけど。
女性の足を見ることってそう無いわけだしね。
素足じゃないにしても線があらわになるだけでだいぶ違う。
昔のヨーロッパでは胸とかより足の方が見せるの恥ずかしかったとか聞いたことあるしなぁ。
「でもドレスのインパクトでいけばロッテの方がすごかったよ?」
「あれは論外だろ……」
卒業パーティーに少し遅れてやってきたロッテは、まさにその場の話題をかっさらった。
まず一つがダニエルにエスコートされて入ってきたこと。
ダニエルとロッテが親しいことは学園関係者ならだれもが知るところ。
しかしながら王女のエスコート相手となれば、ただ友人だからというだけで務まるものではない。
パーティーのエスコート一つとってもその栄誉にあずかることは大きな意味を持ち、一年先まで彼女の参加する行事とそのエスコート相手は予約が入っているのだ。
卒業パーティーの参加が急遽決まったものとはいえ、エスコート役を申し出る人物は多くいる。
それなのに、平民のダニエルがエスコートを務めたわけだ。
おそらくロッテが指名したのだろう。
本人の希望とあっては誰も阻めない。
しかしなぜ平民がという視線も阻めない。
ロッテの手を引くダニエルは顔面蒼白だった。
フォローしてあげたかったけど残念ながら私もそれどころじゃなかった。
そしてロッテが異様に浮いていたのはその衣装もだ。
実は私とドロテーアがお揃いのドレスを着ると一週間前に知ったロッテは大癇癪を起し、今日の今日まで拗ねてまともに口を利いてくれなかった。
それで自棄になったのか知らないが、背中に放射線状の多くの飾りを背負ったような奇抜なドレスでもって登場したのだ。
私、あれ見たことあるよ、女性だらけの歌劇団で男役の人がよく背負ってるやつ。
もしくはサンバ。
ドレスに合わせると仮装大会感がすごかったけど。
しかしロッテは自信満々だったようで、パーティーの終わりになって誇らしげに自慢してきた。
隣に死んだ目をするダニエルを連れて。
ただでさえ王女のエスコートは気を使うのに、このドレスのせいでダンスめちゃくちゃ踊りにくそうにしてたもんね。
王女に恥をかかせるわけにもいかないから必死だったんだろう。
気の毒に。
とりあえず当たり障りのない誉め言葉をロッテに伝えて置いたらすっかり機嫌がよくなった。
めでたしめでたし。
……うん、彼女の美的センスを改めさせるのは私の仕事じゃないよね?
言いにくいことも言ってあげるのが本当の友達だって言うけど、友達だからこそ相手には機嫌よく居てほしいものだ、うん。
あと、余計なこと言うと次は三人でお揃いにとか言ってデザイン頼まれそうで怖い。
王女のドレスデザインとかホント荷が重いので勘弁してください。
「あ、そうだ」
背もたれにすっかり寄りかかって遠い目をする私に、ファリオンが思い出したように声をかける。
「分かってると思うけど、俺は明日には寮を出て城下の貴族街にあるヴォルシュ家の屋敷に住むからな」
「うん……?」
思わず上がり調子になった相槌に、ファリオンは気付かなかったようだった。
その後に続く説明に必死だったのかもしれない。
私には都合が良かったけれど。
「ヒナ吉はそのままできるだけ連れ歩いてくれ。でも緊急時以外はヒナ吉で連絡とるのはやめようと思う。アドルフにも言われたけど、あんま魔物に頼るとそのうちボロでるだろうし……今クラウス殿下に頼んでいろいろ魔術具作ってもらってる。アカネが帰省するまでにはいくつか届くはずだ」
一瞬何を言われているかわからなかった。
明日から、ファリオンが居ない。
いやそりゃ当たり前だ。
彼は卒業して、もうすぐヴォルシュ家の当主になる身で、私はまだ学生で、スターチス家の人間。
でも、卒業した後のことなんて全く相談してなかったから。
卒業式が終わってまた九月に学園が始まるまでの長い休暇中、私はセルイラに戻る。
その時、隣にファリオンが居るものだと勝手に思い込んでいた。
ファリオンはヴォルシュ家再興の為に大忙しになるのだから、そんな暇ないのに。
アドルフ様からも、ファリオンは王都で地盤固めに忙しくなると聞いていた。
それなのにまさか、すっかり頭から抜けていたなんて今更言い出すこともできない。
だから。
「あ、でも何かまずいことがあればヒナ吉ですぐ連絡しろよ。頭痛とか、安全に関わることは特に。あと男関係でも何かちょっかい出してくる野郎がいれば何されたかと名前を間違いなく連絡しろ」
「……わかってるよ」
いつもなら突っ込みを入れるような小言にも、私は小声でそう返すしかなかった。
まさかこの後一か月もまともに会えないなんて、全くわかっていなかったくせに。
で、結局シェドはいつ結婚すんの、っていう。
私にもわかりません……あの男は一生引きずる気なのでしょうか。
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