004 ドロテーアのお願い
時は少し遡る。
成果発表会が落ち着き、その年の己の成績が確定しだしてみんなが一喜一憂しだす四月下旬。
私は一部の単位を落としたものの、意外と多くを好成績で単位取得できた。
それだけにファリオンは『もったいない』と私以上に悔しがっていたけれど。
仕方ないよ……私、魔法史とか政治史とか暗記系教科は苦手なんだ……
そんな中、卒業を確定させた優等生にもまだまだ悩みはあるようで。
「アカネ様に、ご相談があります」
改まった態度でそう切り出したのはドロテーアだ。
ロッテがいないタイミングを見計らって、私達の部屋にやってきたドロテーア。
初めて見るような緊張した面持ちに思わず私も居住まいを正す。
「どうしたの?」
「……まず、何からお話したらいいか分からないのですが……」
深呼吸するように目を閉じる様はただごとではない。
もしや家のことで何か?
それともダニエルだけでなくドロテーアまでロッテがらみの王家問題に巻き込まれて?
一瞬で多くの想像が頭をよぎり、思わず唾を飲み込む。
目を開いたドロテーアはたっぷり間を取った後、私の目を見て低い声で告げた。
「私、想いを寄せている方がおります」
「……」
呆けた私は悪くないだろう。
親の仇を告白されかねん空気を作っておきながらまさかのコイバナ。
拍子抜けも甚だしい。
「それは……おめでとう?」
おかげで真剣な面持ちのまま、わけのわからない相槌を打ってしまった。
しかし私の戸惑いに気付いていないのか、ドロテーアは深刻な表情のままゆっくりと首を振る。
「そう祝っていただける相手ではないのです。私の身分では……」
「身分差があるの?」
ひょっとして相手は平民なのか。
ドロテーアは男爵令嬢だ。
家格という点では貴族の中では底辺に位置してしまうけれど、さすがに平民とは生きる世界が違う。
ドロテーアを娶れる平民は、爵位こそ持っていなくてもそれなりの権力や財力を持つ人間だろう。
彼女にはお兄さんがいるから家の跡継ぎは考えなくてもいいとはいえ、弱小貴族だからこそ駆け引きのカードとなりうるドロテーアの婚姻を安売りはしないはず。
うちの親はそんなの気にしない自由恋愛主義っぽいが、これまで話を聞いた感じドロテーアの両親はそれなりに出世欲があり、ドロテーアにも期待を寄せている。
まぁ、これが普通なのであって、うちの両親が特殊なんだから責めるわけにもいかない。
「あ、もしかして騎士様?」
そういえばドロテーアは騎士萌え令嬢だったな。
だとすれば相手は騎士。
騎士は一代限りとはいえ騎士爵を持っているし、出世が見込めるようなら嫁ぎ先としては有りだ。
でもほとんどの騎士は下っ端として一代で終わってくからなぁ。
それは確かにハードルが高いかもしれない。
「そう、ですね。騎士様でもあります」
「でもある?」
ずいぶんと歯切れの悪い……
「身分は……上の方で、えっと、アカネ様に一応断りを入れたくて」
そこまで聞けば流石に分かった。
頭をよぎるのは強面で、その外見に反して優しい兄。
そういえばそもそも私がドロテーアと出会ったのは、シェドが騎士になった時の舞踏会だ。
あらゆる女性から敬遠されがちな彼だけれど、騎士が好きなドロテーアはシェドと引き合わせた時もしり込みしていなかった。
私の誘拐事件の時にも顔を合わせていたというし、その時に何か心惹かれることがあったのかもしれない。
「あー、なるほど。確かにちょっと身分差があるね」
「はい……」
次期伯爵と男爵令嬢。
ましてやスターチス家はあの一件以来、王家の機密にも介入する有力貴族となっている。
私とファリオンが結婚すれば侯爵家とも密接な関係になるわけで、シェドの市場価値はうなぎのぼりなのだ。
それなのに未だ婚約相手が決まっていないのは、本人がまだ結婚に乗り気でないことと、その外見に怖気づく令嬢が少なくないせい。
でもメリットを見ればその外見を受け入れられるという人はいるし、何よりシェドは中身がいいので本気で心惹かれる令嬢もそう遠からず出てくるだろう。
競争率が高くなることは目に見えている。
男爵令嬢のドロテーアでは釣書が見劣りしてしまうので、確かに厳しい恋だ。
「でもね、両親は自由恋愛主義だし、本人も身分は気にしないと思うよ」
「ええ、私が集めた情報でもそう聞いているのですが……アカネ様は、私が彼にこういった感情を向けても悪く思われませんか?」
うかがうようなドロテーアは、普段と違って気弱に見える。
シェドのシスコンぶりは社交界に知れ渡ってしまっているし、ドロテーアの騎士に関する情報網はファリオンですら舌を巻くレベル。
よーく知っていることだろう。
シェドがシスコンの域を超えて私に想いを寄せていたことも知っているのかもしれない。
そりゃ確かに気を遣うよなぁ。
「大丈夫、もうとっくに決着はついてるし、そもそも私はファリオン一筋だし。応援するよ!」
シェドが完全に吹っ切れているかは知らない。
見合い話に相変わらず乗り気でないところをみるとまだ引きずっているおそれもある。
だけどそれならなおさら、ドロテーアのことはいいきっかけになるはずだ。
なんせ妙齢の女性たちと違ってドロテーアはまだ十四歳。
彼女が成人して実際に結婚するまで三年くらい猶予がある。
それまでの時間を使って心の整理をしながら愛をはぐくむことはできるし、私の知る限りドロテーアはそれを許容できる余裕のある子だ。
……多分。
友達の性格って恋愛沙汰になると予想外の面を見せたりするからわかんないけど。
ともあれ私の返答を聞いて、ドロテーアは緊張がとけたように表情をほころばせた。
「よかった」
頬を染めて笑う様はいかにも恋する乙女で、なんだかこっちが甘酸っぱい気持ちになる。
「どんなところが好きになったの?」
「えっ。や、やだアカネ様ったら。面白がっていらっしゃるでしょう?」
「そんなことないけどさぁ。うまくいったらドロテーアとは家族になるわけだし」
「理由になっていませんっ。もう……」
顔を赤くして頬を膨らませつつも、ドロテーアはもじもじしながら口を開いてくれた。
「もともとはちょっと近寄りづらいなって思っていたんです。素敵な方ですが、私みたいな弱小貴族の娘では縁のない相手だとも思っていましたし」
「そう?ドロテーアは堂々と話してたように見えたけど」
「もちろん恥ずかしくない振る舞いを、と心がけてはいます。でも、お話してみたら身分など気にしていないかのように誠実に接してくださるし……」
「うんうん」
「いつも凛としていらっしゃるけれど、その身にかかえる重圧は想像するにあまりあるので、私がなんとかお支え出来たら、なんて思って」
けなげな想いの寄せ方してるなぁ!
お兄様、こんないい子逃しちゃだめだよ!
確かにシェドは真面目で無茶しいなところがあるから、支えてくれる人がいたら妹としても安心だ。
「私、情報を集めるのは得意ですから、それでお役に立てないかしらって……」
「あ、ああ……」
そうね、それはとんでもなく……役に立ちそうだわ。
スターチス家、むしろ要注意扱いされるんじゃないかな……
一抹の不安を覚えたけれど、ドロテーアならうまくやれるだろう。
そう信じてる。
しっかり者のドロテーアがいてくれるならスターチス家も安心だ。
「卒業パーティーではおめかしするんだもんね!周りの男性諸君の反応も楽しみだわ!」
『こいつこんなに綺麗だったのか……』をついに聞ける日が……胸躍るね。
ドロテーアは既に心が決まってしまっているので、そこからロマンスが生まれることは無いかもしれないけれど、周囲を見返すシンデレラ展開は非常に滾る。
「あ、それで、ですね。アカネ様にお願いがあって」
「ん?」
シェドへの取次を頼みたいのだろうか。
エスコートを頼むくらいならいけるかもしれない。
しかしドロテーアの言葉は予想外なものだった。
「卒業パーティーで着るドレスのデザインをお願いできないでしょうか!」
「ん、んん?」
思いがけない申し出に面食らう。
「うちは裕福ではないですが……私が卒業パーティーにかける意気込みを話したら、両親がなんとか費用を捻出してくれるという事でした。高価な宝石なんかはあしらえませんが、アカネ様がデザインしてくださるならそれに沿うものを作れるようできる限りの手配をしますので……」
「ちょ、ちょっと待って。なんで私!?」
卒業パーティーまでもう二か月を切っている。
今からドレスの手配をするとギリギリだ。
社交シーズンにも入っているし、どこの工房も予約が埋まっているはず。
それなのにデザインを私に任せるなんてイレギュラーな選択肢までとれば、ますます厄介なことになるのに。
「私、このパーティーにかけてるんです。アカネ様のデザインセンスは、かのミス・グレイも一目置いていると聞いていますから!」
「……あ、ああ……あれか」
以前、袴ドレスをやらかした時のことを思い出す。
あれは今なお社交界でそのデザインを踏襲したドレスを着る人がいるほど流行った。
次の流行りは何かと期待されているなんて話も聞くけれど、プレッシャーにしかならないので聞き流していたのだ。
「もちろん、デザイン料はお支払いいたします!」
「い、いや私みたいな素人にそんなことしてもらわなくていいよ。プロに頼んだ方がいいの作ってもらえると思うんだけど」
「プロのドレスも素晴らしいですが、それだけでは埋没してしまいます!アカネ様発案のドレスのように人目を惹く新しさを持っていないと、目にとめていただけないと思うんです!」
「えええ……」
プレッシャーがすごい。
ハッキリ言って今さら袴ドレスレベルの真新しい発想のドレスとかできる気がしない。
しかし、いつになく私を頼って、こうも息巻いているドロテーアに水を差すのもためらわれた。
「……よし、分かった」
「本当ですか!?」
「プロとも相談してみる」
私ひとりでは荷が重い。
ドロテーアは私のデザインをどこかに持ち込んで仕立ててもらうつもりのようだが、もし私が斬新なデザインを思いつけたとしても実現できるか分からない。
相談するならば実力が確かなアトリエでなければ。
「プロ?」
「ミス・グレイに連絡をとってみる」
「ええ!?」
あのミス・グレイとそんな気軽に連絡をとれるなんて流石ですとドロテーアが驚いている。
そっか、やっぱりあの人はそんなにすごい人か。
私にとっては面倒見がいいちょっと面白いオネエ様なんだけど。
「で、でもミス・グレイってことはシェニーロで仕立ててもらうってことですよね?」
ドロテーアは小声で『大丈夫かな』と呟いた。
シェニーロは国内外でも有名なブランドだ。
貴族達にとってシェニーロの衣装を身にまとうのはステータスでもあり、お値段の方も相応のものになる。
「まぁ、そこはドロテーアの予算を聞きながら相談してみようよ」
シェニーロは高価格とはいえ、使用する素材によって大きく上下するのは確か。
デザインを生かしつつ価格を抑えるなら、なおさらプロに相談すべきだ。
時間も無いことだし。
ミス・グレイとはファリオンが連絡をとっているはず。
取り急ぎファリオンに相談することにした。
=====
「……ふーん。ドロテーア嬢がね」
ヒナ吉に頼んでファリオンを呼び出し、事情を話した。
ドロテーアはすでに私の部屋から退室していて、ロッテはまだ戻ってきていない。
こうしてファリオンと二人きりでいるとあとでロッテが『何があったか何を話したのか』とやかましいんだけど、ロッテが戻ってくるまでにファリオンが出ていけば問題ないだろう。
ファリオンへの事情説明に関して、ドロテーアの許可は取ってある。
だけど、ファリオンは何か引っかかるらしく腑に落ちないような表情だ。
「……ま、いいけど。それで、ミス・グレイに取り次いだらいいんだな?」
「うん、お願いできる?」
「カノジョはアカネのこと気に入ってるから、アカネがいきなりアトリエに飛び込んでっても相手してくれそうだけどな」
ファリオンはこの姿になった後もミス・グレイと仕事をしている。
地獄蝶の件があるからだ。
名目上としては後見人であるアドルフ様について勉強しているという形で。
まさかミス・グレイに入れ替わりの話をするわけにもいかないしね。
リードは記憶喪失ということになっているので、一旦この件からは離れているようだ。
利権は残るみたいだけど。
「流石に突撃訪問しちゃまずいでしょ。気さくな人だけど大きなブランドの創始者なんだし」
「礼儀は必要か。分かった。簡単に事情を話して、できるだけ早く時間を作ってもらうようにする」
「有難う!」
シェニーロは今の時期大忙しだろうけど、ミス・グレイはトップだけあってデザインや最終チェックなどの作業に徹している。
実際に手を動かす針子よりは融通が利くはずだ。
ファリオンが請け負ってくれたことに安堵しつつお礼を言うと、ファリオンは思案気に視線を上げてから口を開いた。
「アカネ、先走ってシェディオン男爵に何か言ったりするなよ」
思わぬ言葉に目を丸くする。
「分かってるわよ、そんな野暮なことしないって」
テコ入れなんてドロテーアは望まないだろうし、万が一シェドが私のことを引きずっていたら逆効果だ。
「……ならいいけど」
ファリオンは何か言いたげに言葉尻を切った。
……何なのか。
=====
「アカネ様っ!話は聞いたわよ!」
ミス・グレイとの対面。
時間も無いことだし出来るだけ早く実現してほしいと思ってはいた。
思ってはいたが、まさかその翌日に叶うとは思っていなかった。
しかも特別に借り受けた学園の応接室に、わざわざご本人がやって来てくれたのだ。
真冬でもその場の空気を真夏に変えてしまいそうな太陽のごとき明るい笑みを振りまいて、オネエ様が両手を広げて歩み寄って来る。
一歩後ずさりそうになるのをぐっと堪えてハグの体勢を取るけれど、すぐ隣に居た婚約者がそれを阻んでくれた。
「レディ。申し訳ないが、僕は嫉妬深くてね。貴女の美貌に僕の婚約者が目を眩ませてしまわないとも限らない」
にっこり微笑んでそんなことをのたまうファリオンを、私は半眼で見やった。
しかし、しらっとした私の空気に気付かないミス・グレイは、『ああん』なんて太い嬌声をあげてしなを作る。
「そんなこと言われたら止まらないわけにはいかないわねっ。でも妬けちゃうわぁ。アカネ様ってばお兄様も婚約者様もスマートで羨ましい」
ミス・グレイの言う"お兄様"はリードの姿をしたファリオンであるため完全に同一人物なんだけど、言うわけにもいかない。
今のリードはこんな対応を彼女にしないはずだが、記憶喪失だからそうなっているだけという体なので。
だましているようで気が引けるけれど、トップブランドのデザイナーに、今や国家機密となった魔王の正体を明かすのは迷惑以外の何ものでもない。
なんとか愛想笑いを浮かべて躱すことにした。
「うふふ。私もそう思ってます。お久しぶりですオネエ様。わざわざ学園までご足労いただいてすみません」
「あら、いいのよ。うちのアトリエは今、お客様をお招きできるような状態じゃないしね」
大忙しなのだろう。
修羅場を迎えているアトリエに押し掛けることにならなくてよかった。
職人さんたちに睨まれそうだ。
「忙しい時に抜けてきて、部下の方たちは大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。とっても嬉しそうに見送られたわ」
「え」
嬉しそう?
「アタシ、服のことになるとつい凝っちゃって、口出ししちゃうのよねぇ」
「……なるほど」
おそらくただでさえ忙しいのに、こだわりの強い上司が口出ししてきて作業が進まないのだろう。
笑顔で送り出すのも道理である。
更に仕事を増やしてしまう私にできることは、できるだけ長くこの上司を引き留めてあげることだけだ。
なんなら本人にこっちのドレスを作ってもらえれば、部下へのチョッカイも減るかもしれない。
「それで、こちらのお嬢さんが今回のヒロインかしら?」
ミス・グレイの視線を受けて即座に礼を取ったのはドロテーアだ。
本人が来るまでの間、緊張のあまり吐きそうな顔をしていたのに、いざ本人を前にするとこうして堂々と振舞えるのだから大したものだと思う。
「ドロテーア・メンフィスと申します。お会いできて光栄です」
「あらま、腰の低いお嬢様ね。アタシなんてただの平民なんだから、そんなかしこまらなくていいのよ」
ただの平民だとのたまいながら、ミス・グレイの方も敬語を使わない。
これは彼女が不遜なのではなく、おそらく相手を見て対応を変えているんだろう。
砕けた態度をとってくれたおかげで、ドロテーアの肩からほんの少しだけ力が抜ける。
「とっても素敵な殿方を射止める為の勝負ドレスをって聞いてるわ」
「はい。どうしてもその方の目に留まりたいんです」
ミス・グレイには大まかな説明はしてあるけれど、その殿方が誰かまでは話していない。
目上の相手だとだけ分かっていればいいだろう。
「任せて!アタシとアカネ様が居たら百人力よ!」
力強く大胸筋を拳で打って請け合うミス・グレイ。
それとなくミス・グレイに丸投げできないものかと考えていた私の胃が軋んだ。
いつもご覧いただきありがとうございます。
世間は新型コロナウイルスで大騒ぎですが、皆様の暇つぶしや気晴らしになっていれば幸いです。
更新が安定しなくてすみません。
長期停止はないよう頑張りますので応援いただけますと嬉しいです。




