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魔王の隣で勇者を想う  作者: 遠山京
第六章 令嬢と盗賊

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141そして私たちの関係は

<Side:アカネ>



「そんじゃ、こいつをこんな状態にしたのは本意じゃなかったってんだな?」



首領の言葉に、ファリオンは迷わず頷く。



「当然だ。すぐに元に戻したかったけど、影移しの魔術書はもう見当たらなくなってて、魔王の魂も俺の中に吸い込まれたっきりどれだけ話しかけてももう何も言わなかった。ヴィンリードの記憶を見るに、シルバーウルフの首領は悪いやつじゃなさそうだったのが救いだったな。記憶を失ったヴィンリードがなんとかやっていけてると信じるしかなかった。王都で見つけた時、本当は少しほっとしたんだ。元通り、シルバーウルフの仕事をこなせてるみたいだったから」


「そっか、ヴィンリードの記憶があったからヴェルナー君が生きてたって事も、シルバーウルフにいるって事も知ってたんだ」



生きてはいるけど厄介な所に居るって、言ってたんだよね。



「ああ。ヴィンリードとヴェルナーは兄弟そろって首領に拾われ、それなりに幸せそうにやってたんだ。なのに俺は……ヴェルナーから兄も奪ってたんだよな」



ヴィンリードから一年半もの時間を奪い、ヴェルナーからは兄と過ごした幸せな記憶も奪ってしまった。

その自覚があるからだろう。

ファリオンは歯噛みしながらそう語った。

しかし重い空気を破ったのはヴィンリードだ。



「なめんなよ。ヴェルナーはちゃんと俺を自分の兄だって分かってた」


「あ、そっか。二人が入れ替わった後も、ヴェルナー君はヴァンのことをアニキって慕ってたんだよね」



なんとなくそう呼びたくなるんだと言っていたらしいヴェルナー君は、私がファリオンに気付けたように、自分の本当のお兄ちゃんが誰か無意識に分かっていたのかもしれない。

私の言葉に、ヴィンリードは大きく頷く。



「そこの魔王なんかに完全に操られるほど、うちの弟は柔じゃないんだよ」



腕を組むヴィンリードは視線と言葉こそ冷たいけれど、ファリオンを責める意思が感じられない。

私の前で涙を見せたくらいだし辛かったはずなのに……

優しいんだよね、やっぱり。

過去が変わったせいなのか、ファリオンだけじゃなくてヴィンリードもちょっと本の中の登場人物とは違う。

生来の優しさを持ったまま育ったって感じだ。



「つっても俺の記憶は戻ってねぇからヴェルナーもそうだろうなぁ」



そう言って頭を掻いたのはハイルさんだ。

影移しの魔術書を破いて二人の姿は戻ったけど、いじられた周囲の記憶はそのままらしい。



「ヴァンとヴェルナーは揃ってくたばりかけてる所を俺が拾ったんだ。何で他人のはずのこいつら二人が一緒に居たのか、俺もヴェルナーも分かってなかったんだが…兄弟なら一緒に倒れてても当然だよなぁ」


「ヴェルナーにはちゃんと説明しないとな……」


「俺からも改めて謝りたい」


「アニキが本当にお兄ちゃんだったなんて知ったら、びっくりするだろうね」



そんなことを話して空気が若干和らいだところで、この空気なら聞けるだろうかと私は口を開く。



「あのさ、ファリオン……ずっと気になってたことがあるんだけど」


「うん?」


「リードの姿してた時の口調って、もともとのヴィンリードの口調を真似してたんだよね?」


「そうだけど」


「入れ替わる直前も?」


「俺の記憶の限りでは、入れ替わる直前辺りから首領の話し方を真似することが増えだしてたな。とりあえず俺は昔の話し方を採用してた。元の俺とかけ離れてたからちょうどいいかと思って」



……そっか、やっぱり途中で話し方がガラッと変わったのか。

しかも、ファリオンと入れ替わったこととは無関係っぽい。

思わずヴィンリードに視線を向けると、ファリオンとハイルさんもつられてそちらを見る。

全員の視線を集めたヴィンリードは、私の言わんとするところに気付いたらしく目を泳がせていた。



「……いや、俺そんな話し方してたか?」


「してた」



ファリオンの言葉を受けて、ヴィンリードは腕を組む。



「……うるせーな!シルバーウルフ内ではこっちの方が舐められないんだよ!」


「わかる、わかるよ」



十四歳くらいって、ちょうど悪ぶりたくなる年頃だしね?

優しく頷く私にイラッとした様子でヴィンリードが舌打ちした。



「ああ、もういい!お前の事情は分かった!許さないけどもういい、さっさと用事だけ済ましてこい!」



そう言い残して教会からドカドカと出ていくヴィンリード。



「用事?」



どういうことかとハイルさんに視線を向ける。

それを受けてハイルさんは懐から何か取り出しかけたものの、迷ったように手を再び引っ込めた。



「うーむ、しかしこれを素直に出してやるのはしゃくだな」


「はい?」



疑問符を浮かべる私達を眺めながら、ハイルさんは一しきり唸った後頷いた。



「うむ、決めた。嬢ちゃん、お前ヴィンリードと結婚しねぇか。あぁ、もちろんヴァンの方だぞ」


「は!?」



思わず私とファリオンは揃ってひっくり返った声を出した。

何でそんな話に!?

その反応に気を良くしたらしいハイルさんはガハハと笑う。



「いやぁ、どうもヴィンリードは嬢ちゃんを気に入ってるみてぇだしなぁ」


「ふざけんな!アカネはやらねぇ」



ファリオンが私の肩をぐっと掴んでそんなことを叫ぶ。

それだけで脳内が焼け死にそうだ。

なりふり構わなくなったファリオンの破壊力やばい。



「あいつは俺の可愛い子供みてぇなもんだ。せがれが選んだ女を譲ってやる理由がわからんなぁ。それにお前さんはヴィンリードに負い目があるはずだろう?」



ハイルさんはニヤニヤしながらそんなことを言う。

多分この人は本気で言っていない。

本題の前に単にファリオンにちょっかいを出したいだけだ。

『素直に出すのはしゃく』とか言ってたしね。

そう気付いているのだろう、ファリオンは青筋を浮かべている。

残念ながらこちらも、大人しくからかわれるだけの素直さは持っていない。

しかしファリオンは数秒何か考えこんだ後、首を傾げた。



「……ハイル…そうか、お前はハイルフリート・フランドルか」



不意にそんなことを口にする。

ああ、そういえばファリオンはハイルさんの正体を知らなかったのか。

ここでその名前を出されると思わなかったのか、ハイルさんは訝し気に肩を竦める。



「とっくに捨てた名前だよ」



しかし、ファリオンは意地悪く笑って首を振る。



「貴族は名前を捨てられない。たとえ廃籍されようと、貴族として過ごしてきた過去は消せねーんだよ。その名前と行動はずっと関係者の内に残る」


「なに?」


「……ハイルフリート・フランドル、お前は騎士団に居たことがあるよな?」


「あ?」


「メリッサって名前に聞き覚えは?」



そんな言葉を聞いた瞬間、ハイルさんの顔色が変わった。



「ちょ、まて。何でお前があいつのこと知ってんだ!」


「いや、俺とアカネはいい友人を持った。結局ここまで何の障害も無く領を越えてこれたから、ドロテーアが寄こしてくれた騎士の情報リストは使わねーままだったんだが……まさかここに来て役に立つとは」


「ど、ドロテーアの騎士情報リスト?」



何それ。



「俺が学園を発つ前にドロテーアが応援として渡してくれたんだ。ドロテーアの情報網に引っかかったありとあらゆる騎士関係の人物の情報だ。休憩の時に少しずつ目を通してた」



何してんの、ドロテーア。



「ハイルフリート・フランドルって男のことはよく知らなかったが、アンナ嬢の親戚だったし、書いてある内容がえぐくて記憶に残ってた」


「何、なんか怖い話?」


「いいや、娼婦からリークされたらしい情報だ」


「おお、秘密は寝所から漏れるって奴だ」


「言っとくが、機密情報とかそんなもんじゃねーぞ」


「え、違うの?」


「ただひたすらその男の性癖が羅列されてただけだ」


「……お、おお。なるほど?」



そりゃ娼婦からしか漏れない情報だわ。

そんなものを記憶していて、なおかつ淡々と書き起こしたのであろうドロテーアを思い浮かべると滑稽を通り越して恐怖を覚える。



「女って怖いね」


「お前も女だろ」


「そうなんだけどさ…」


「一番怖いのは、この娼婦とハイルフリートが情を交わしていたのは俺達が生まれる前だってのに、こんな情報が未だに残されていて、弱冠十三歳のドロテーアの耳にまで入ってることだ。やらかしたことってのは一生ついて回るんだな……」



私達の会話を、ハイルさんは口をパクパクさせながら聞いている。

ファリオンはその姿を見て微笑み、言い放った。



「ヴィンリードとヴェルナーに、お前の性癖を一つ残らずばらすぞ」



優しい声で最強の脅し文句を。



「やめろ馬鹿野郎てめ、そんなことしたら盗賊団首領の権威も父親の威厳も何もあったもんじゃねぇだろ殺すぞ」



威厳を失うような性癖持ちだという自覚があるらしい。

何が書いてあったのか非常に気になる。



「殺すしか脅し文句を言えなくなっちゃおしまいだな、首領?」



すっかり形勢が逆転したファリオンは楽し気にそう言い放ち、ハイルさんは声にならない声をあげた。



「おい、てめぇ、その情報リストとやらはどうした」


「あまりにもヤバイ情報だらけだったから面白そうなもんだけ暗記して燃やした」


「なら証拠はねぇんだな!?」


「一介の令嬢が集められる情報の中にあったんだから、ヴィンリード達がその気になりゃ別の筋からも情報を辿れるだろうな」



そんな話を耳にすれば、ヴィンリードの事だから面白がってすぐに詳細を調べるだろう。

つまり少しでも耳に入れさせてしまえばおしまいだ。



「ああくそやめだやめ!ちょっとからかってやろうとしただけだってのにガキの反撃にしちゃ可愛げなさすぎだ!まったく侯爵の器だよてめぇは!」



再び言葉を失うことになったのはファリオンだ。



「侯爵って…」


「何のためにヴァンをヴォルシュ家の生き残りだって名乗り出させたと思ってる。今お前が王都に行きゃ、その座に戻んのはお前だ。次期侯爵なら伯爵家の娘を嫁にもらうのも無理じゃねぇだろうよ」



そう言いながらハイルさんは懐に手を入れ、一枚の紙を引っ張り出した。



「まだ魔術書が!?」


「嬢ちゃん、そりゃねぇよ。あんなもんがポンポン落ちてちゃたまんねぇ。こいつは国の正式な申請書だ」


「申請書?」



よく見てみれば、さっきの影移しの魔術書とは紙質からして違う。

この国で使われる中では上質な紙だけど、見覚えのない用紙だ。

だけど金色のインクで書かれたタイトルは国王に提出する正式な書類のはず。

何の紙なのかと慌てて目を通すと……



「婚約申請書?」



話に聞いたことはあれど見るのは初めて。

貴族同士の婚約の際、国王陛下に報告を兼ねて提出するものだ。

家同士が婚約を取り決めればまずそれで話は進んでいくし、この申請書はほぼ形式上のものなんだけど、稀に"待った"がかかる。

一方になんらかの問題があれば、その際に国王が助言したり、解消を提案したりもするそうだ。


アンナとアドルフ様の婚約が破棄されたのも、この申請書を提出して間もないタイミングだったと聞く。

おそらくその時に、国王から公爵家へエルヴィン・フランドルの話がもたらされたんだろう。

だからこそ余計に、国王からストップがかかったとあってアンナの評判は地に落ちてしまったのだ。

ベルブルク家は馬車の追い越しを婚約破棄の理由として挙げたけど、嘘なのは丸わかりだったしね。


で。



「えっと、つまり?」



突然の展開に目を白黒させている私に、ハイルさんはニヤリと笑った。



「俺がこの教会に入る前になんて言ったと思ってる」



入る前?

首を傾げる私の横で、ファリオンが息を呑んだ。



「ファリオンとアカネを婚約させる……」


「え……」



そう言えば。

『ファリオンとアカネ嬢を婚約させんだよ』とハイルさんは言っていた。

だけどそれは私とヴァンが婚約すると誤解させて、リードをたきつける為の方便なんじゃ……



「あのファリオンって俺の事か!?」


「ファリオンはお前以外に居ねぇだろが」



ハイルさんはニヤニヤしながらそう言う。

あぁ、そういえば……ハイルさんはそれまでずっと"ヴァン"って呼んでたのに、その時だけ"ファリオン"って言ってた!

私まで騙されてたんだ!



「ま、こいつは俺の提案じゃねぇ。アドルフから頼まれたことだ」


「アドルフ様?」



目を丸くする私に、ハイルさんは鷹揚に頷く。



「今、王都ではお前さんらは駆け落ちしたことになってる」


「ふぁっ?」



また変な声が出た。

ハイルさん曰く。


突然次期侯爵を期待される身になった記憶喪失のファリオン・ヴォルシュ。

そんな彼を、発見当時から学園生活に至るまで支え続けていたアカネ・スターチス。

二人は密かに恋に落ちていたが、シスコンのヴィンリード・スターチスに邪魔されていた。

そして二人はヴィンリードから逃れる為、魔物騒ぎに乗じて駆け落ちを決行。

ヴィンリードも二人を追いかけて学園を飛び出したが、二人は今ベルブルク家の力を借りて逃亡中…と。



「待て。俺、悪者になってねーか?」


「馬鹿野郎。お前はヴィンリードじゃなくてファリオンだろうが」



ハイルさんの指摘を受けて、ファリオンは『そうだった…』と呟く。

未だにヴィンリード意識が抜けていないようだ。

というか、駆け落ち設定やっぱり生きてたの!?



「何でそんな話になってんだよ……」


「お前たちが一緒に居て問題なくなるような噂を撒けってアドルフの子飼いに命じたのはお前さんだろうが」


「いや、俺が頼んだのはそういうのじゃなかったんだが……」


「そりゃそうだ、脚色したのはアドルフだからな。安心しろ、すっかりヴィンリードが悪者になってるおかげで学園の生徒たちの趨勢はお前たちを応援してるらしいぞ。悪役ができると強いねぇ」



ガハハと笑うハイルさん。



「でも、それってヴィンリードは嫌われてるってことだよね?」



それはそれでどうなのかと眉を下げる私に、ハイルさんは笑みを引っ込めた。



「いいんだよ、それで。ヴィンリード・スターチスは消える」


「え……」



私とファリオンは揃って言葉を失った。



「当然だろが。ヴィンリード・スターチスなんてのぁ、ファリオン、てめぇが演じてた偽モンだ。本当のヴィンリードは伯爵家の次男なんて立場は望んじゃいねぇ。あいつはこれからもシルバーウルフに居ることを望んでんだ」



それもそうだ。

これまでのヴィンリード・スターチスの振る舞いも経歴も、本当のヴィンリードが望んだことじゃない。

互いの姿が戻ったからと言って、今更これまでのヴィンリード・スターチスと同じ立場に戻れなんて言うのは酷だ。

ただでさえ彼は『俺は貴族向いてない』と作法やダンスの授業に参っていたし、シルバーウルフにはハイルさん達がいる。



「それじゃ、ヴィンリードは行方不明ってことにするんですか?」


「行方不明じゃ捜索隊を組まなきゃならんくなる。無駄骨折る羽目になる連中が気の毒だろ。そこで魔王に頼みてぇ。ヴィンリードの死亡を世間に信じさせられるか」



ファリオンはぐ、と息を漏らした。

眉根を寄せ、しばし難しい顔で黙り込んだ後、ため息をつく。



「……可能だ。でも、それでいいのか。散々な噂が立つぞ」


「ヴィンリード・スターチスなんて架空の人間の面子なんざ、俺もヴィンリードも気にしやしねぇよ。てめぇが作り上げた幻影だ。後始末はてめぇがやれ。それで全部水に流してやる」



ハイルさんにとって、ヴィンリードは自分の元に居る本当のヴィンリードだけ。

きっと本人にとってもそうで、むしろ偽物の存在は早く闇に葬りたいのかもしれない。



「本当の話は、どこまで伝えるんですか?」



お母様達がただ死亡の報告を聞いたりしたら、きっと悲しむ。

表情を歪ませる私に、ハイルさんは少しだけ表情を和らげて笑って見せた。



「嬢ちゃん、貴族を一人消すには貴族のルールに則りゃいい。必要なのは建前だけさ」



その言葉に、アドルフ様とのやり取りを思い出す。

建前を用意すれば、後は上位貴族の言い分がまかり通る。

良くも悪くも、それが貴族のルールだ。



「ヴィンリード・スターチスの遺体をアドルフに確認させる」



そんなファリオンの言葉に、ハイルさんは頷いた。



「おう、十分だろう。フェミーナ姫ならお前さんを見りゃ何が起きたか察するはずだ。なんなら既に全部分かってっかもしれねぇ」


「あの人ならそうだろうな……」



話を進める二人に慌てて口をはさむ。



「待って待って、で、なんでこの紙が出てきたの!?」



婚約申請書を、私とファリオンが出すってこと?

つまり、私ファリオンと婚約するの?

話が急展開過ぎて今一つ現実味が無い。



「そいつはただのアドルフのおせっかいだな。義理の兄妹、ヴィンリード・スターチスとアカネ・スターチスじゃ、無理とは言わねぇが結婚は難しい。それこそ余計な噂も立つ。その点、次期侯爵と伯爵令嬢ならば何の問題もねぇだろうよ」



確かに、家格という点で考えればそこそこ釣り合いは取れている。

クラウディア様の件が片付いた今、スターチス家はお母様とシェドの手腕で安定していくだろうし、ヴォルシュ家の復興に骨を折るだろうファリオンをバックアップできる。

侯爵との縁戚関係自体は、スターチス家にとっても損はない。



「さんざ嫌ってきた肩書に、ようやくお前さんの望みが追い付いたんだよ。夫婦になりゃ、なんの気兼ねもなく嬢ちゃんを守ってやれるだろうさ」



ファリオン・ヴォルシュが王都に現れたのは、今この瞬間までを想定してのことだったのか。

アドルフ様はファリオンの本当の願いを知らなかったはずなのに。

いや、あの人なら何か察していたのかもしれない。

何だかんだで二人は仲が良かったから。

全部アドルフ様の手の内だった。

『この旅が終わればアカネ嬢とリードは俺に感謝することになる』と語っていた姿を思い出して舌を巻く。



「ま、とは言っても大事なのは当人たちの意思。こいつは預けとく。後は好きにしてくれぃ」



『晩飯は一緒に食おうや』なんて言い残して、ハイルさんは背を向ける。

いや、ここで二人きりにされましても!

戻るなら一緒に、と思うも時すでに遅く、教会のドアは重い音を立てて閉まった。


明るい日差しの差し込む、昼下がりの教会。

ハイルさんに追いすがるような姿勢のまま固まってしまった私は、背後のファリオンを振り返ることができなかった。

さっきは二人の世界を作っちゃってたけど、一度我に返るともうどんな顔をしていいか分からない。

だから……



「アカネ」


「ひえぇぇ」



名前を呼ばれただけで悲鳴を上げたのは仕方ないと思うんだ。



「その反応はねーだろ」



強引にこちらを向かされて綺麗な顔にすごまれた。

色んな意味でドキドキが止まらない。



「ご、ごめん……」


「…お前は、嫌なのか?」



少しだけ不安をにじませた銀色の瞳が私を見つめる。

甘いしびれが体を走って、上手く思考が働かない。

婚約のことを指しているのだと気付いた時には、ますます頭が煮えたぎりそうになった。



「い、嫌とかじゃ、なくて」


「なんだよ」


「こ、混乱してるの。色んな事が急に起きてるから」


「俺の影移しを解除させたのはお前だろ……」


「だってヴァンも苦しんでたしっ!そうしてあげないとって……本当のファリオンにやっと会えるのかなとか、元に戻したら怒られるかな嫌われちゃうかなとかは考えてたけど、こんな展開は考えてなかった……」



しどろもどろにそう語ると、大きなため息が降ってきた。

いつの間にか下に落ちていた視界がぶれる。

違うはずなのに、なぜか同じだと感じる匂いと体温。

背中に回された腕がひどく熱く感じた。

また刺激されそうになる涙腺を鎮めるようにギュッと目を閉じる。



「嫌いになるわけねーだろ。何度言ったら分かるんだよ。俺は絶対お前の味方でいるし、お前から離れない」


「……奴隷じゃなくなっても?」


「アカネが望むなら奴隷でもいいけど」


「いや、次期侯爵が奴隷じゃダメでしょ」



あっさり許可を出すリードに苦笑が漏れる。



「俺は何でもいい。アカネの側に居られるなら」



優しい声が耳に降って、もう目を合わせていないのに体の熱が引かない。



「でも、侯爵になれば貴族としてもアカネを守ってやれるかもしれない」


「……怖くないの?」



彼が貴族に戻りたくなかったのは、自分の行動が制限されるからというだけじゃないはずだ。

アーベライン侯爵の事件は特殊にしても、貴族として権力を持てば持つほど敵も増えるし、命だって狙われる。

貴族の立場を選ぶことで、またファリオンが傷つくことにならないだろうか。



「アカネ様、僕を誰だとお思いに?」



懐かしい言葉が聞こえて、顔を上げる。

自信に溢れたその笑みは、私の奴隷がよくしていたものだ。

こらえていたはずの涙が、決壊したように零れ落ちる。



「今日はよく泣くな」


「だ、だって」



長い指がくすぐるように私の涙を拭う。



「違うか。アカネはたぶん本当は泣き虫なんだろうな。強がりなだけで」


「いや、そういうわけでは……」



確かに悪夢のせいでしょっちゅう泣き顔を見せてはいるけど、私はそこまで繊細な人間ではない…と思う。



「俺の前でなら好きなだけ泣けばいいけど」



その言葉に、ふと以前言われた言葉を思い出した。

お姉様達がシルフドラゴンに襲われていると知って助けに行った時。

『頼るなら僕だけに』と言われたっけ。

そういえばその時……



「……愛人」


「は?」


「側に居られるなら愛人でもいいとか言ってたよね、ファリオン」


「……なんで今それ思い出した?」


「いや、なんか思い出しちゃった」



格好つけようとしたんだろうに、私が変なことを思い出したせいで台無しにされたファリオンは、大きく溜息をついた。



「ほんと、何で俺こんな奴好きなんだろうなぁ」



あんまりな言い方なのに、明確に言われた言葉の威力が大きくて反論できない。



「……こんなことでは顔赤くするくせに。どうなってんだよお前の基準」


「う、うるさいな」


「なぁアカネ」



真剣な声で名前を呼ばれた。

必死に視線を反らしたがる私の顔を手のひらで固定して、ファリオンは至近距離で私の顔を覗き込む。

今度は邪魔するなという言外の圧を感じる。

視線を合わせられて体の力が抜けているから、もとよりこの状況ではうまく茶化せない。



「俺は、自分の大切な存在を傷つけたり、側に居ることを許さない"ファリオン・ヴォルシュ"が嫌いだった」


「……」



ファリオンの過去を聞けば、そう考えてしまうのも無理はないと思う。



「だから名前も姿も捨てた。だけど今戻ってきた。で、この姿はお前が好きだって言ってた奴のもので、ヴォルシュの名前はお前の側に居る理由にも、守るための盾にもなるって言う」



目の前の銀色の瞳が、少し潤んでいた。



「俺は、本当の俺のままで、お前の側に居てもいいらしい」



それが、彼にとってどれほどの意味を持つことなのか。

ほんの少しでも知っている私は、その一言でたまらず嗚咽が漏れた。



「あとは、お前の返事だけだ」



私の涙をまた拭ってから、ファリオンはその場に跪いた。

そっと差し出される長い指を、真っ白な頭のまま見つめる。



「アカネ・スターチス嬢。俺と結婚してください」



正直、その後の事はあまり覚えていない。

物凄く勿体ない話だ。

どこかで誰かカメラ回してくれてなかったのかと嘆きたくなるほどに。


ただ、私の手にキスの感触が残っている事と、二人の名前がサインされた一枚の紙が存在しているのは事実で。

だからきっと、泣きじゃくる私を宥めるように優しいキスが唇にも落とされたのだって、夢じゃないんだと思う。

いつもご覧いただきありがとうございます。

次はエピローグです。

できれば今日中に投稿します。

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