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魔王の隣で勇者を想う  作者: 遠山京
第六章 令嬢と盗賊

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135ジャン・ラシュレー

<Side:リード>


「待ちなさい、何をしているのだ、プーペ」



庭にいる俺を見咎めてそう言ったのは、この国の伯爵様であり、新しいご主人様でもある男、ジャン・ラシュレーだった。



「何って、庭の草むしりを……」


「何を馬鹿な。そのようなことはせずとも良い。美しい者は美しいことだけをしているべきだ」



草むしりをしたことがあるすべての人間に対して失礼な言葉だなと思ったが、あまりに圧がすごいので俺は作業を中断した。

ジャンの元に来て一ヶ月が経った頃の話だ。


この時の俺には、首輪も枷もついていない。

ジャンは俺を家に連れて帰るなり、すぐに全ての枷を外してしまったのだ。

いわく、『美しくないから』……

あまりに簡単に外すので、俺はかえって逃げ出すタイミングを失った。


ジャンは俺に何かをさせようとすることはなく、ただ『健やかに美しくあれ』と命じた。

ある意味これまでで一番難題だ。

あまり叶えるつもりも無かったが、言われるたびに反応に困った。


かといってじっとしているのも性に合わなかったので、ジャンの執事に頼んでたまに雑用を振ってもらうが、こうしてジャンに見つかっては止められることが多かった。

美しくないからやめろ、と。


彼はことあるごとに『美しい』か『美しくないか』を基準にした話をする。

ジャン・ラシュレー伯爵はこのパラディア王国でも有名な変わり者だった。

常に顔全体を覆う仮面をつけ、見えるのは瞳だけ。

仮面を外さざるを得ない食事や入浴の際には使用人さえも室外に出し、誰にもその顔を見せたがらないのだという。

自らの顔は醜いから見せるものではないと考えているらしい。


三十を超え、とっくに妻を娶るべき年齢ではあったが、その気配も無い。



「ジャン様、また見合いの話が」


「何を馬鹿な。どこのご息女が仮面と結婚したがるというのだ」


「もちろんその時は仮面を外されるのですよ」


「仮面を外して見合いなど何を馬鹿な!」


「仮面をしたままの見合いなど、何を馬鹿なはこちらでしょうが!」



『馬鹿な、馬鹿な』が飛び交う馬鹿な喧嘩を執事としているのを見たことがある。

結局、後継者は養子をとるから結婚しないと言う結論に至っていた。

『奴隷を探す暇があるなら伯爵としての仕事をしてほしい』と肩を落とす執事の姿は今も忘れられない。

多分俺は悪くないのだが、一奴隷としてなんだか申し訳ない気持ちになった。


ジャンは美しいものをこよなく愛し、多くの美術品を収集していた。

奴隷もその美術品と同じ扱いであり、綺麗な奴隷を見つけては買い取って屋敷に連れ帰って来る。

美術品なので傷つくことを嫌がり、割れ物のように取り扱う。


同じく奴隷として買われた少女は『天国のような場所だ』と喜んでいた。

確かに、暴行を加える主人が少なくない中、ジャンのような主人に買われるのは奇跡のようなことだろう。

かくいう俺も逃げ出す理由が見つからずに居ついてしまっていた。


多分、奴隷にとっては理想に近い主人といえるだろう。

だが、忠誠心があるわけではなかった。

美術品はどんなに大切にされても感謝したりしない。

大切にすると言う行為は美術品の為ではなく、持ち主の自己満足。

そこに互いの感情が通うことはないのだから。




=====




「やあ、ジャン。新しいコレクションを見せてくれ」


「おお、オーガス!待っていたよ」



友人が訪ねて来ては、ジャンのコレクションを見て楽しそうに歓談して帰っていく。

その光景は珍しいものではなく、意外にもジャンの友人は多かった。



「あいつは美しいものが好きだけど、そうでないものを貶めたりはしないからね。変わり者だけど人を悪く言わない奴だ。貴族社会では貴重な人間だよ。神経をとがらせずに話せる相手が欲しくて、みんなジャンのところに来るのさ」



ジャンの友人の中には奴隷相手でも気にせず話をしてくれる者もいて、俺にそんなことを教えてくれた。

俺の新しい主人は意外と人望があるらしい。



「まぁ、美しい物好きになった理由を思うとやるせないが。俺は幼馴染だから仮面を被りだす前からジャンと友人なんだよ。ジャンの素顔、本人が言うほど悪くないのになぁ。俺よりは整ってる方だ……ああ、仮面をつけるようになった理由っていうのは勝手には話せないよ、すまないね」



そう言われたものの、俺はジャンがああなった理由を既に知っていた。

本人から聞かされたからだ。

いや、聞かされたと言うのもおかしいか。

ジャンはただ、美術品を前に独り言を零しただけなのだ。



「母上のことが一番苦手なんだ。とっくに亡くなっているんだけど」



ジャンの私室には、日替わりで奴隷が置かれていた。

ソファで眠っていてもいいし、勝手に本を読んでもいい。

室内にさえいれば何をしていてもいいというよく分からない当番だ。

そして俺が当番だったある日、急に口を開いたかと思えばそんなことを語りだした。



「父も母も美しい人でね。それなのになぜか僕みたいな子供が生まれてしまったものだから、母上は不義を疑われて心を病んだ。いやぁ、悪いことをしたなぁ」



お前が何をしたって言うんだ。

思わずそう返しそうになったが、唇を引き結んだ。

おそらく返事も相槌も求めていないだろうことを語り口から察したからだ。

俺は本に視線を落としたままその独り言を聞いていた。



「毎日毎日、母上は言うんだ。お前が美しければ良かったのに、って。いや、僕も美しくなれるならばそうしたかった。だけどこの国では姿を変えていいのは王族だけだろう?隣のカデュケートでは姿を変える魔術具が出回っているらしいんだけどね。すでに僕の容姿は貴族のみんなに知られているから、今から使ったらすぐに不正使用がばれるだろうなぁ。母上もそう言うくらいならば生まれてすぐなんとかその魔術具を使用してほしかったね」



そしてジャンは、代わりに顔を隠す選択をしたらしい。

母親が集めていた美術品の仮面ですっぽり顔を覆ってみせたところ、『お前にはお似合いだ』と嘲笑われたそうだ。

落ち込むか怒るかしそうなものだが、実際は逆だった。



「あんなに明るい母上の声は初めて聞いたんだ。だから僕はずっと仮面をかぶることにしたのさ」



それが歪んだ愛なのか当てつけなのか、俺には分からない。


父親が亡くなり、ジャン自身が伯爵を継いだタイミングのことだったそうで、屋敷の使用人たちも咎めづらかったらしい。

その姿で初めて夜会に姿を現した時は場が騒然としたそうだが、トップである国王陛下が『面白い』と評してしまったのでついに止められる者がいなくなってしまった。


でも俺はなんとなく思う。

国王は全て察した上でそう言ったんじゃないかと。

もしそこでジャンより目上の誰かがそれを叱責すれば、ジャンは壊れていたかもしれない。

仮面をかぶることで、彼はギリギリ心の平穏を保っていたのではないか。

そして間もなく母親も死に至り、ジャンには呪いのような仮面だけが残された。


そんな話を俺は黙って聞いて、最後に一言だけ告げた。



「俺は、その仮面嫌いじゃない」



ジャンは驚いたようだったが、すぐに小さく笑って部屋を出て行った。

彼がそれ以降、俺の前で独り言をこぼしたことはない。



=====



独り言を聞いた日を境に、ジャンの態度は少しだけ変わった。

美術品をめでると言うよりは、俺という人間を可愛がるような態度が増えた。

時に弟のように、時に息子のように。

俺と話をしては見識の深さを褒め、本を読む様子を見ては勤勉だと讃えた。


他の奴隷には許されない外出も、護衛付きで許された。

色んな世界を見てくると良いと言ってくれた声は優しく、俺はむず痒い感覚に襲われたものだ。

ただし、ジャンにはブレないところがあった。



「プーペ。今日は遠乗りへ行ってくるよ。お留守番をしていておくれ」


「あのさ、そのプーペってのなんだよ。俺の名前は最初に教えただろ」


「プーペはプーペだよ。じゃあね、ベルプーペ」


「なんか付いた…」



そう言って出かける後姿を眺めて俺は溜息をついた。

この屋敷に来てから既に二か月。

俺の名前を聞いておきながら、ジャンがその名前を呼ぶことは無かった。

他の奴隷は名前で呼ぶのに、俺だけは"プーペ"。

そう呼ばれる。



「プーペとは、人形という意味じゃな」



屋敷の書庫を管理している物知りな爺さんに聞いてみたら、そんな答えが返ってきた。



「人形?」


「さよう。ベルプーペは可愛いお人形。小さい子の一番お気に入りのお人形を指したりするのう。昔の言い回しじゃがな」



俺は溜息をつく。

結局そういう扱いなのか……別にいいけど。



「これ、ぶう垂れるでない」


「垂れてない」


「顔がぶうぶうしとったわい。しかしベルプーペとは。お前さんがよほどお気に入りらしい」



お気に入りなのは事実だろう。

奴隷というよりは家族に近い扱いをされているのだから。

そんなことを考えて少しだけ気分が浮上する俺はおそらく単純なのだろう。



「お前さん、ジャン様に何かしたのかい?」


「なーんも。他の奴らみたいに媚び売ったこともねーし」


「そうか、それがかえっていいのかもしれんのう」



爺さんは笑いながら俺を見た。



「ジャン様を憐れだと思うかい?」



そう聞かれて初めて、俺はジャンに同情していないことに気付いた。

ジャンの母親は酷いと思うが、俺の身の上も散々だ。

同情できるほど驕れる立場でもなかった。

憐れもうが羨もうが、それは相手にとって腹の足しにもならない感情だ。

上を見ればきりが無いし下を見てもきりがないが、羨んだ相手が自分より幸せである保証も憐れんだ相手が自分より不幸である証拠も無い。



「憐れだとは思わねーけどうざいとは思う。過保護な母親かよって」



それを聞いた爺さんは大声で笑った後、俺の頭を撫でた。



「ジャン様は良い奴隷を見つけてこられた」


「嬉しくねーよ……」



でもその手を振り払ったりはしなかった。

俺の言葉は本心だ。

ジャンは憐れまれる人間じゃない。

たとえその在り方を、歪に感じる人が居たとしても。



「やあプーペ。今帰ったよ。寂しがらせてごめんね」


「いや別に寂しくはない」


「それはさておきダンスをしよう」


「意味が分からない」



意味は分からないが俺はダンスホールへ連れていかれる。

ジャンは度々、俺にダンスや作法のレッスンをつけるのだ。

反論など奴の耳には届かないらしい。

……正直、ありがた迷惑なんだが。



「嫌そうな顔をするんじゃない。君は美しいのだから、ダンスだって美しくできなくてはいけないよ」



そう言って俺にダンスの指導をするジャンの仕草はいちいち芝居がかっていて、その言葉はまるで劇中のセリフのよう。

しかしそのどれもがとても高貴で誰より美しく、しかし常に、自分ではない誰かを演じるように振る舞う。

その姿は異質で歪で、それでも確かに彼が積み上げてきた彼本人だ。


どこか危うい所のある、うざくて優しいおかしな主人。

彼の友人たちの気持ちが分かるような気がしていたけれど、俺は気付かない振りをする。

俺が大切だと思う存在は、ことごとく目の前から消えてしまう。

だから俺は人形として、ジャン(持ち主)に無関心であるよう努めていた。




=====




それは屋敷に来て三か月も経った頃の事。



「お前、剣を扱えるのか」



屋敷に所属する騎士たちの鍛錬を眺めていて久しぶりに剣を振りたくなった俺は、近くに置かれていた模造剣を手に取って振ってみた。

それを見てすぐに声をかけてきたのは騎士隊長だ。

素振りを見ていたらしい彼の誉め言葉に調子に乗った俺は、勧められるがまま新米騎士と模擬戦をした。

……余裕で勝ってしまった。


新米騎士は相当落ち込んだらしい。

そりゃそうだろう。

せっかく騎士になったのに、奴隷の少年に負けたのだから。

悪いことをしたなと反省しつつも、俺は笑顔を隠せなかった。


小さい頃、勇者になることを夢見ていた。

冒険者になり、いずれ聖剣に選ばれ魔王を倒すのだと。

それがまさしく夢物語であると現実を知ってからは、もう少し身近な騎士が憧れの対象になる。

父親に『将来騎士になりたい』と言って困らせたこともあったっけな。

家を継ぐ立場の俺にはその選択肢もあり得ないものだと、少ししてから悟ったが。


勇者や騎士。

それは子供にありがちな漠然とした憧憬だったが、大切な存在を幾度も失った今、別の形で俺の中に残った。

騎士とは守る者だ。

誰かを守れるのだと、俺は実感したかった。

だから。



「お前、騎士になりたくないか?」



そんな言葉に、俺はまた調子に乗って頷いたのだ。



「何を馬鹿な」



目しか見えなくとも分かる。

ジャンはものすごく嫌そうな顔をしていた。

騎士隊長はその日のうちにジャンに直談判しにきた。

俺の腕を腐らせるのはもったいないと言ってくれたのだ。



「この者の腕は確かです!」


「そんなことを言っているんじゃない。その子は奴隷だ。騎士じゃない」



切って捨てるジャンの態度には取り付く島もない。

確かに奴隷を騎士にするのは非常識だが、役目も無く遊ばせるよりはよほど建設的だと思うが。



「俺を騎士にしてくれよ。ジャンを守れるようにもっと強くなるから」



騎士隊長だけに任せるのではなく、自分の意思も告げるべきだ。

そう判断して願いを口にした俺を、ジャンは初めて見るような目で睨んだ。



「君は奴隷だ。僕の奴隷だ。それ以外の何者でもない。君が騎士になることは断じて無い!」


「伯爵……」



あまりの剣幕に、騎士隊長ですら慄いていた。

張りつめた空気を振り払うように、ジャンは首を振る。



「下がれ、騎士隊長」


「……は。失礼をいたしました」



部屋に残ったのはジャンと俺だけ。

俺は……予想以上にショックを受けていた。

この半年、ジャンとはいろんな話をした。

俺の優秀さを褒めてくれたし、仲のいい様子を見て執事は『いっそのこと養子に迎えられたら』と口にすることもあった。

弟のように、息子のように大切にされて、無関心であろうとした俺の努力はとっくに崩れていたのだ。

家族に近い感覚になっていた。

ジャンにとっては、奴隷でしかなかったのに。



「プーペ!」



そんな呼び声も無視して、俺はジャンの部屋を飛び出し、自室に閉じこもった。

使用人の出入りもさせず、食事すら受け付けない。

意地になっていた。

子供のようだが子供だったのだから仕方ない。

しかしその状態は丸一日しか続かなかった。


ジャンが窓を割って入ってきた。

……ここ、四階だぞ。

いつもご覧いただきありがとうございます。

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