013記憶の作り方
何も言えなくなってしまった私の頭をシェドが優しく撫でる。
その手つきは優しくて、けれどどこか私の反応をうかがうようで。
気持ちを知ってしまえば、『この人は何を想いながらずっと私に触れてきたんだろう』なんて考えてしまう。
ただ兄に甘やかされていると思って頬をすり寄せていた私はどう見えていたのかと…
…そう、考え始めると途端に顔が熱くなる。
うわぁ、私いま、自分のことを好きだって人に撫でられてるよ。
嬉しいような、恥ずかしいような、申し訳ないような、逃げ出したいような…
…うん、逃げ出したいな!
今一番強い気持ちは逃げ出したい、だ!
「アカネ」
どうやって逃げようかと考えていたことがばれてしまったのか、シェドが低い声で名前を呼ぶ。
「は、はい…」
「…俺はアカネが好きだ。お前の気持ちをはっきり聞かせてほしい。
俺のことを、どう思ってる?」
「どう…って…」
やばい。
視界がぐるぐるしてきた。
だって、だって…
私にとってシェドはまだ出会って一週間だ。
兄だという知識が植えつけられただけの、実年齢と年が近いただの男性だ。
それでもこの人は自分の兄だと思うべく、努力していたわけで…
そしてこのまま関係にひびが入るのは嫌だと思う程度に好意を持っているわけで。
あぁでもそんなことそのまま言ったら、シェドに期待を持たせてしまう。
シェドの事は嫌いじゃない。
異性として見れないわけでもない。
でも私は…どうしてもファリオンに会いたい。
「わ、わかりません…」
ようやく絞り出せた回答はそれだった。
シェドの事をずるいだなんて言えないな…
ファリオンが好き。
でも顔すら分からないし会えるかも分からない。
そしてシェドが好きかは分からない。
でも傷つけたくないし仲がこじれるのも嫌。
結果の『わかりません』だ。
十分逃げている。
責められるのを覚悟してうつむいていると、シェドが笑う気配がした。
おそるおそる顔を上げると、予想外に嬉しそうな表情をしている。
「あの…?」
「兄としか見られないと言われるかと思ったが…
そうでないなら十分勝機はあるな」
「は…」
ここにきてえらくポジティブになったな!?
「まぁ、アカネは大人びているとはいえまだ13歳だしな…
追い詰めて悪かった。
しかし、アカネも13歳らしい反応をすることがあるんだな。
そんな余裕のなさそうなアカネは初めて見た」
「……」
じゅ、18歳なんですが…
とは、言えない。
初恋を二次元に捧げた18歳は、おそらくまっとうに恋をしてきた18歳より経験値が足りてないだろう。
経験豊富な18歳に、正しい対処を教わりたい。
そしてシェドは私に向き直り、申し訳なさそうな顔をした。
「そうだ、これも改めて謝らないとな…
これだけ好条件の縁談をつぶしてきてしまった。
しばらくまともな縁談は届かないだろう…悪かった」
「い、いえ。それについてはむしろ助かります…」
私の発言に、シェドは首をかしげる。
「そういえば、アカネは嫁入りについて何も希望を言ったことがなかったな…
あまり気が乗らないのか?」
乗るわけがない。
だって私の好きな人は…
あぁ、言うならここだろうか。
でないとずっと言う機会を逃してしまいそう…
そして気まずい思いをしそうだ。
「あ、あの…伝えておきたいことがあって!」
思い切って口を開いた私に、シェドは目線で続きを促す。
「実は、わたしっ…き、気になっている人が」
みなまで言わないうちに、異様な気配を感じてキュッと肩を抱いた。
あ、私いま初めて自分の駄々漏れてる魔力を自覚できたかも!
シェドのほうに流れている魔力が押し返されるような気配がある。
ただ、誠に遺憾ですが決して喜べる気付き方ではないです。
「……」
シェドをまともに見られない。
無言が怖い。
や、やっぱり言わない方が良かったかなー!?
「誰だ」
「え…」
「誰だ」
低い声で繰り返されて、恐怖のあまり口元がひきつる。
「ぃぃ言えません…」
「…アカネが知り合う男は限られるはずだが…まさか…!?」
はっと気づいたように顔を上げたシェドは、立ち上がり真っ直ぐ扉へ向かっていく。
やばい、誰に思い当たったんだか知らないが、このままじゃ罪もない使用人とか騎士とかカルバン先生とかが糾弾される。
慌てて呼びとめた。
「ち、違います!実は…えぇとその…ゆ、夢で…」
「夢…?」
「はい…」
訝しげな顔をするシェド。
そりゃ訳わかんないだろうな…でも他になんて言っていいのか。
夢に見た相手、って比喩表現としては間違っていないし。
「夢で見た人がいて、その人のことが気になっていて…」
「…それは、なんだ、実在する人間なのか?」
「は、はい。実際にお会いしたことはまだありませんが、
この国のどこかにいることは確かです…わかるんです」
戸惑い気味の問いかけに、おそるおそる頷く。
ずいぶんスピリチュアルな話になってしまった。
これで納得しろっていうのは無茶だよね。
シェドはしばし思案気にしていたけれど、ふぅ、と息をついて頷いた。
「アカネの魔力を思えば、無いとは言えないな。
聞いたことのない魔術ではあるが…
溢れた魔力が作用して、どこかの実在する人間を夢で視ることは有り得そうだ」
なるほど、そういう解釈になるのか。
便利だな、私のイカれた魔力量。
「だが…その気になる男の夢というのはいつ見た?」
…おお、これはたぶん前後関係を気にされているな。
気になる男がいるくせに思わせぶりな態度をとっていたのか、という話だろう。
どういうのが一番角立たないんだろう。
結婚相手の話をしたことがなかったのは、まぁもともと興味がなかったとして…
シェドへの態度と関連を持たせるなら…
「…お兄様に結婚の話を持ち出した前の晩…です」
「……」
夢を見て、その人のことが気になって。
取り乱したまま、なんかそういう事、口走っちゃいました。
ということにしておきたい。
正しくそう受けてもらえたかは分からないけれど、シェドはため息をついて天を仰いだ。
「…そうか。
だが、流石にこのタイミングで他の男を匂わされるのは応えるな」
「す、すみません」
私の謝罪を聞くやいなや、シェドはその言葉を待っていたとばかりに笑みを浮かべた。
う、うわぁ目つきのせいですっごい悪どい顔に見える。
「悪いと思うなら、一つ俺の頼みを聞いてくれないか」
「な、なんでしょう」
お、脅しとな!?
悪い笑みだと感じたのは間違っていなかった。
「二人の時だけでいい。シェドと呼んでくれないか?」
「シェド様?」
そんなの前も呼んでいたのだから、他の人がいてもいいのでは。
しかしシェドは首を振る。
「様をつけずに」
「え、えぇ~…」
年上の男性を呼び捨てにしたこと自体無い。
加えて今は仮にも伯爵令嬢だ。
上下関係にうるさく、男性上位の貴族社会において妹が兄を呼び捨てることなど無い。
「試しに呼んでみてくれないか」
「…シェド」
うわぁ頭の中では呼び捨てにしたことがあっても相手に向かって言うのは大違いだ。
むずがゆい。
ただの兄と妹ではないことを強調しているようで、どんな顔をしていいのか分からない。
ドギマギする私を見て、シェドは満足げに笑った。
「それでいい」
そう一言だけ残して出て行く後姿を黙って見送る。
な、何だったんだ…
シェドってこんなキャラだっけ?
さっきまで怯えるように告白していた兄と同一人物とは思えないほど、攻めの姿勢を見せられた。
入れ替わるように部屋に入ってきたティナは、ぐったりしている私を見て、何も言わずにお茶をいれてくれる。
「…聞こえてた?」
念のため聞いてみると、ティナは首を振る。
「…いえ…」
しかし少し考えたそぶりを見せると、ティーカップを置きながらつぶやいた。
「…好きだとでも言われましたか?」
「っ、聞いてたんじゃん!」
「え、本当に言われたんですか?」
思わずつっこむと、ティナは目を見開いた。
あ、やべ。
カマかけられただけだった。
しかしティナは動揺することなく、すぐに表情を戻した。
「やはり、そうでしたか…」
「…何、ティナ知ってたの?」
「そうではないかと思ったことがありました。
シェディオン様のお嬢様を見る目に、家族以上の色がたまに見えましたし」
そ、そうなのか。
他の人から見ても分かるくらいだったの?
いいの、それって。
「それに最近お嬢様は煽るようにシェド様に密着していたではないですか。
こうなることを望んでいたのではないのですか?」
違う…
そうか、そう見えてたか…
確かに調子に乗って兄妹にしてはやりすぎなコミュニケーションとってたもんね、自覚はある。
でもシェドのスタンスがそんなにブレブレになってるって知ってたらやらなかったよ…
頭を抱えた私を見て、ティナは不思議そうにしつつも続ける。
「お嬢様、シェディオン様と血はつながっていらっしゃいませんので、
正式な手続きをとれば婚姻は可能ですよ」
前例もいくつかございます、というティナの声にさらに頭が痛くなった。
すでにティナに応援されている…
「旦那様と奥様も、お嬢様がよそへ嫁がずに
この家にとどまるのであれば歓迎されるのではないかと」
「あぁ、うんそうね…乗り気になる二人が目に浮かぶわ…」
まずい。
シェドがその気になれば簡単に外堀が埋まりそうだ。
「でもね、私はお兄様と結婚するつもりないからね…」
一応そう断っておくと、ティナはおや、と片眉を上げた後、ぐっと拳を握った。
心の中でシェドにエール送ってんじゃねぇ。
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その日の晩、寝る前に心の中で『ユーリさん話があるから絶対出てきて』と100回くらい唱えたかいあって、ぼんやりとした意識の中、ユーリさんの声が聞こえる。
『アカネちゃぁん、だからあんま干渉しちゃダメなんだってー。
モトに怒られちゃう』
「干渉してほしいわけじゃなくて、説明を求めたいだけです!」
『うぅん?まだ説明してないことあったっけ?』
のんきな声に苛立って怒鳴る。
「記憶の件ですよ!
なんか私っお兄様に訳のわからない説教してるんですけど!?
この世界に萌え文化とかあるんですか!?」
『アカネちゃん、あの本読んでてそんな要素感じたことあったー?』
笑い声にますます苛立つ。
「無いですよ!じゃあなんであんな…」
『それはアカネちゃんのせいだよー?
別に私が創作したわけじゃないもん。
物語スタート時にあらかじめ用意される記憶はね、
もしアカネちゃんが中身そのままで過ごしていたらこう行動するだろうっていう、
アカネちゃんの性格をもとにシミュレーションして作られてるんだよ。
いくつか行動パターンが考えられる場合、
アカネちゃんやその他の人物にとって最良と思われる行動が選択される…
って、モトは言ってるねー』
最良…って…
「あの萌え語りが、私の行動パターンの選択肢にあって、しかも最良だとでも…?」
『アカネちゃんは実際あの状況になったらね、
たぶんなんて声をかけていいかわからなくなるんだよ』
…まぁ、確かに。
私は励ますのがうまい方ではない。
『その結果、黙り込むか、
テンパってあんなことを語りだすかの二択だったんじゃないかな。
そして彼のためには、斬新な考えで意識を変えるのが最善だった』
そしてユーリさんの声は少し神妙になる。
『スターチス家っていうのはもともとこの世界観に存在する家なんだけどね。
本来この夫妻は娘一人しか授からなかったんだと思う。
そこに次女の枠を無理やり作ってアカネちゃんをねじ込んでる形になる』
そうだったのか…
まぁでもそうか、新たな貴族を作り出すと影響が大きすぎて物語に影響してしまいそうだ。
『アカネちゃんがいなかった場合、シェディオンはスターチス家で孤立してただろうね。
夫妻のフォローが入るタイミングも遅れて、
彼はコンプレックスを抱えたまま、堂々と振舞えない当主になっていたんじゃないかなー』
その言葉にドキッとする。
『すでにアカネちゃんの影響で周囲の人の未来は変わっていってるんだよ』
「そんなの…ユーリさんが私をこの家にあてがったからでしょう」
『ちがうちがーう。
私は"王都付近に住んでいる中流貴族の次女"としか設定してないよ。
実際どんな家の子になるとか分かんなかったし、
そもそもスターチスなんて本に登場してないし。
私だってアカネちゃんが物語を始めるまでどんな家か分かってなかったよー』
あれ、そうなの?
『それに、アカネちゃん以外の人だったらあのシーンで
そもそも声すらかけずに、彼の孤立を放置したかもしれない』
まぁ、確かに私ならタイミングをうかがって声をかけただろう。
初対面時にビクビクしてたのが分かっていたなら、私の目にはただの怯えた少年にしか見えていないだろうから。
まぁちょっと肩の力抜きなよ、なんて先輩が後輩を気遣う程度の気持ちで絡みに行く。
『アカネちゃんは過去の記憶を他人事に思ってるみたいだけど、
その行動指針はアカネちゃんのものだよ。だから…』
ユーリさんは意味深に溜めて言葉を続けた。
『もしあなた自身がアカネ・スターチスを0歳からやり直したとしても、
シェディオンはあなたのこと好きになってると思うなー』
ギクリとする。
それはまさしく私が気にしていたことだ。
彼が私を好きになったのは、過去のアカネの行動があったから。
そしてそれは私がしたことじゃない…と、なんか引っかかってたんだ。
彼の好きな人とすり替わってしまったような気まずさがあった。
『だから彼の気持ちにはちゃんと向き合ってあげた方がいいよ?』
「わ、わかってますよ…」
逃げるな、と言外に釘をさされてしまった。
こちらが文句を言うつもりだったのに、いつしか立場が逆転している。
そしてそんなやり取りを最後に、だんだん意識が遠のいていく。
夢がさめてしまうようだ。
『アカネちゃん、"本の魔女"はね…』
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ふと目を開けると、暗い室内が見えた。
壁掛けの時計はまだ23時過ぎをさしている。
ベッドに入ったのは22時くらいだったと思うから、一時間しか経っていない。
私が目を覚ました原因であろう小さな話し声に気付いてそちらを見ると、ティナがドアの向こうの誰かと話しているようだ。
「ティナ?」
私の声にティナが振り向く。
「ほらっ、お嬢様が目を覚ましました!今です!」
「…いい加減にしてくれ」
おや、この声は。
ドアの向こうから顔だけをのぞかせたのは、やっぱりシェドだった。
しかし…こんな時間に一体…?
「アカネ、起こして悪かった。
もう行くからゆっくり寝てくれ。おやすみ」
「お、おやすみなさい?」
何だ、用があるわけじゃないのか。
閉ざされたドアを不満げに睨んだ後、ティナがこちらへやってきた。
「何だったの?」
「シェディオン様ってば意外とへたれですね!」
「は?」
よほど興奮しているのか普段なら考えられないような悪態をつくティナ。
「バルコニーにいらっしゃったのを見つけたので声をかけたら、
『眠れない』っておっしゃるんですよ。
だから『お嬢様も眠れなくていらっしゃるみたいなのでぜひお部屋に』
とお誘いしたんですが」
さらっと嘘ついてんじゃねぇ。
寝てたわ。
「なのに部屋の様子を見るなり
『寝てるじゃないか!』って言って逃げようとしたんですよ」
それが普通だ。
「せっかく私が味方についているのに今決めなくてどうするんでしょうね!?」
「とりあえず私付きのメイドが夜這いの手引きをしようとしたことを
お父様達に報告していいかな?」
何を決めさせようとしてんだ。
大問題になるわ。
ていうか、何でこんなに押せ押せモードに入ってるんだこの人…
まだ何か管を巻いているティナを無視してベッドにもぐりこんだ。
中途半端な睡眠しかとれていなかった私はすぐ寝つき…
あの時、最後にユーリさんが残した言葉を思い出すことは無かった。
『"本の魔女"はね、対象者を取り込もうとする性質があるの。
だからアカネちゃんには常に恋愛イベントがつきまとうから気をつけて』
そんな頭の痛くなる話、覚えていなくて正解なんだろうけど。
ご覧いただきありがとうございます。
一章本編はこれにて終了です。
この後シェド視点のお話をはさんでから第二章に入る予定です。




