124迷宮の遺物とリードのミス
<Side:アカネ>
「……おい、アカネ。機嫌直せよ」
もう何度目か分からないヴァンの言葉に、私はまた無言を貫いた。
ガタガタと揺れる馬車内の空気は重い。
かれこれ二日間、ずっとこんな感じだ。
アドルフ様が用意してくれたらしい馬車は、クラウディア様救出事件の翌朝にはもう迎えに来た。
行商人が良く使うタイプのものらしくて乗り心地はそこまで良くなかったけれど、目立たず移動する為にそこは仕方ない。
問題は、リードが戻ってきていないことだ。
見知らぬ男性が御者を務める馬車に私を押し込み、ヴァンとヴェルナー君も同乗してそのまま馬は走り出してしまった。
リードが居ないと訴える私を淡々と窘める二人の姿を見て確信した。
最初からこうするつもりだったんだと。
「私の体の為に、リードも一緒に行っていいって言ってたのに……」
ようやく口を開いた私の言葉に、ヴァンがため息をついた。
「あの症状は一度発症すれば向こう一週間は出ないんだろ?一週間から十日くらいの間隔で起きる」
「……何でそんなこと知ってるの」
「あいつから聞いた。この後の旅程調整に必要な情報だって言ったら渋々な。頭痛が出たら教えろよ」
……まさかのリード。
私のことはヴァンに話したがらないはずなのに、珍しい。
まぁ確かに、こっそり潜伏しなきゃいけない場所であれが起きたら困る。
ヒナ吉が居たら音は消せるけど、ヒナ吉の存在を二人に明かすわけにもいかないしね。
「パラディアにつくまでに一週間なんてあっという間じゃない」
ロイエル領を出るのにあと一日。
その後は馬車を降りて乗馬することになるそうで、足の速い馬なら三日で国境につくだろうか。
その時点で最後に悪夢を見た日から一週間経過してしまう。
パラディアに入ってからも移動することを思えばさらにかかるし……
「もし次があったら俺が起こしてやる。特別なことしてるわけじゃないんだろ、あれ」
あの時はリードがいないと駄目かもと思っていたようなのに、何で今はそう断言するんだろうか。
確かにリードは私を起こしてくれているだけで、特別な技術で何かしてるわけじゃない。
だけどそう認めてしまえば、リードを連れていく正当性が失われてしまう。
「ヴァンには分からなかったかもしれないけど、リードはああ見えて繊細な魔術テクニックで私を癒してくれてて……」
「あいつは今、魔術を使わない」
キッパリ言われて動揺する。
確かにリードはずっと魔術を使っていない。
私が魔力を流してあげられないからだ。
リードが魔術を使えると知っている人間から見れば、違和感があったかもしれない。
でもヴァンは、『魔術を使えない』ではなく、『使わない』と言った。
自分の意志で使わないでいる理由があると、思っているってことだ。
私の反応を見て、ヴァンは頷いた。
「やっぱりな」
「な、何で……」
思わずこぼれた問いかけの声はかすれてしまっていた。
しかしヴァンは答えず、さらに続ける。
「あとな、そろそろ教えとくけど、パラディアにはいかないからな」
「へ?」
「首領のアジトはパラディアより少し手前だ」
「え、だって最初にパラディアに行くって……」
「誘拐犯が本当のこと言うわけないだろ、馬鹿か」
呆れたように言われて、頭に血が上る。
足元の荷物を投げつけたくなるのを必死に堪えた。
「じゃあリードが無事だって言うのも嘘なの!?」
リードと引き離された。
それだけならまたどこかで落ち合える、彼なら追いかけて来てくれると思えた。
一番の問題は、リードと連絡がつかないことだ。
これが私から余裕を失わせた。
取り込み中の時は返答がないこともある。
だけど流石にこんな事態になったら何らかのアクションがあってもいいはずだ。
少なくとも最初に連絡してから二日経つのに返事が無いのはおかしい。
リードがどうしているのかと聞いた時、ヴァンは『アドルフ様のところで話をしている。無事だから心配するな』って言ったのに。
「……アカネ、座れ」
いつの間にか立ち上がっていたらしい。
背の高い幌馬車とはいえ、揺れによっては頭をぶつけそうだ。
慌てて座りつつも、ヴァンを睨む。
「質問に答えて」
「ここで俺がどんな返答をしたって、アカネの行く先は変わらない」
そう言われて、ぐっと唇を噛み、首元を撫でた。
この首輪さえなければ…
あれほど悩まされていた大きな魔力が、今はこんなに恋しい。
魔力さえ使えれば、二人の制止を振り切ってでも公爵邸に向かうのに。
今の私じゃ、腕一本で取り押さえられてしまうだろう。
今は大人しくして隙を窺うしかないか…
「……リードに何かあったら許さない」
私のつぶやきにヴァンが傷ついたように眉尻を下げたけれど、そんなことで誤魔化されたりしない。
それを見て、これまでずっと黙っていたヴェルナー君が苛立ちをにじませながら口を開く。
「お前さぁ、もうちょっと三人の事信じれば?」
「ヴェルナー、余計なこと言うな」
「いいや、言うね。アニキばっか悪者にされてんのは納得いかねーもん」
そう言って腕を組むヴェルナー君に睨まれて、思わず怯む。
「三人って…」
「アニキと、アドルフ様と、あの銀髪男だよ」
アドルフ様も銀髪男なんですが。
と突っ込める雰囲気ではなかった。
ずいぶん刺々しい呼び方だ。
会ったばかりの時は兄ちゃんって呼んでいたはずなのに。
……何か思うところがあったんだろうか。
「あの銀髪が無事かどうか、アニキには何も言えねぇよ。こんな離れた場所に居ちゃ分かるわけねぇだろ」
「……そりゃ、そうだけど…」
「でもお前が情報なさすぎるせいでアニキを責めるなら、俺が持ってる範囲の情報は教えてやる。つっても俺はそもそも今回の計画、全然教えられてなかったんだけどな」
ああ、私とヴァンが駆け落ちしに来たと思ってたもんね。
「副長のところを出る前にこれからの動きは少しだけ聞かせてもらった。っていっても、あの銀髪に確認しないといけないことがあるって話だけだ。問題なけりゃすぐに俺達を追いかけてくるって聞いてる。その確認が何なのか、どうやって確認してんのかは俺は知らねー」
「……ヴァンは?」
ヴェルナー君はひとまず自分が持ってる情報を開示してくれたようだ。
ヴァンに視線をやると、気まずげに目をそらされた。
「……何を確認しようとしてるかは知ってる。確認方法は知らない」
「何を確認しようとしてるの?」
思わず責めるようにそう問いかけると、反らされていた視線が弾かれたようにこちらへ戻ってきた。
私の勢いをそのまま突き返すような鋭い眼差しに、体が強張る。
「…アカネは知ってるはずのことだ」
「え……」
「報告がなかったことについて、国賊扱いされたって仕方ない。それを防ぐために、あんたとあいつを守るために、アドルフ様は動いてるんだぞ」
何故か私が責められる側になっていた。
待って、まさか……
「今回アカネを攫った理由。一つ目は首領に会わせる為。二つ目がアカネを王都から連れ出して解放教元教祖と思われる貴族の手が届かないところに逃がす為……アドルフ様が昨夜言った内容に嘘はない。でも本当は三つ目がある」
すっかり言葉を失った私に畳みかけるように、ヴァンは言葉を放つ。
「ヴィンリード・スターチス……次期魔王の危険性を測るためだ」
ずっと目をそらし続けていた問題を、突きつけられた気分だった。
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<Side:シェディオン>
両親から重要な話があるとの連絡を受けてロイエル領のベルブルク家本邸へ駆けつけたのは今朝の事。
何故セルイラの屋敷ではなくそこなのか。
さらに、なぜその連絡が騎士団長経由で来たのか。
しかもロイエルから夜通しかけてきた早馬による呼び出しとは何事か。
『職務を放り出していいからとにかくすぐ行ってこい』という団長の言葉を聞いた時点で、嫌な予感はしていた。
嫌な予感はしていたが行かないわけにもいかず、俺はその日のうちに王都を出た。
ベルブルク家について出迎えてくれたのは、公爵でもアドルフ様でもなく、公爵夫人のレミエナ様と次男のエスナー様だった。
公爵は王都にいるし、アドルフ様は仕事が忙しく出迎える暇が無いのだと言う。
屋敷に居るのにアドルフ様が出てこない。
この時点で異常だ。
公爵代理として客人を出迎えるのが礼儀。
アドルフ様はその礼儀を欠くような人ではない。
それができないほど忙しいとは何が起きているのか。
そして屋敷に滞在中の両親と引き合わされ、休憩もそこそこに聞かされた話は予想の斜め上だった。
アカネの誘拐の真相、そしてシルバーウルフ盗賊団の正体……これを聞いて混乱しない人間がいるだろうか。
シルバーウルフの正体に至っては、俺は知らない方が幸せだった気がしている。
母上が申し訳なさそうに謝罪してきたことからもそれは確かだろう。
スターチス家は無知でいる権利を失ったのだ。
そして呆然としている俺にとどめをさしたのは、リードがベルブルク家の地下牢に幽閉されていると言う知らせだった。
その話を告げる両親は心配そうな表情だったものの、不満を訴える様子も無い。
両親を問い詰めたところで意味は無いとすぐに察して、矛先を変えることにした。
長い廊下を足早に歩き、目的の部屋の扉を慌ただしく開く。
「失礼いたします!」
「ノックも無しに開けるな、その年でその程度のマナーも知らんのか」
文机に頬杖を突きながら、銀髪の美丈夫は眉根を寄せて唸った。
長い付き合いだ。
本気で怒っているわけではないと分かる。
こちらに非があるのだから本来謝罪すべきなのだが、今はそんな余裕もない。
「アドルフ様、ご説明願います!」
「妹のことか、弟のことか」
「アカネのことは両親から話を聞いて事の次第を把握しました。やり方に不満はありますが、アカネの安全の為、国益の為というのであれば黙りましょう」
「なら弟の方か」
「リードは今どうしているんですか!」
「どうもこうも、地下牢で不貞腐れてるよ」
「もう閉じ込められて三日目だそうじゃないですか!なぜこんなことを……」
話しながら少しずつにじり寄る俺を嫌そうに手で押しのけて、アドルフ様は溜息をつく。
「シェディオン・カッセード・スターチス男爵。落ち着かれよ」
正式な名で呼ばれて、少しだけ頭が冷える。
親しいとはいえ、相手は次期公爵。
現在は爵位が無く、騎士爵しか持っていないが、ゆくゆくは俺より上の立場に立つ人物であり、それだけの器を持った人だ。
だからこそ年下であっても俺は敬意をもって接してきたし、アドルフ様は親しみをこめて俺と気安く話をしてくれていた。
「無礼を致しました」
「良い。それより弟の話だ。本当に心当たりが無いのか?」
「……弟は生意気な所はありますが、地下牢に入れられるほどの悪さをする人間ではありません」
歯噛みしながらそう口にする俺を見て、アドルフ様は呆れたように目を細める。
「ああ、ああ、そうだったな。お前は素直な男だ。一度心を許せばその感情が先に立つ。でも武人としてのお前はどうだ?お前ほどの腕があって何も感じた事が無いとは言うまい。そもそもあれがスターチス家に引き取られた時に一番警戒していたのはシェド、お前だと聞いていたが」
そう言われて思い出す。
去年の春、ヴィンリードが引き取られてきた時のことを。
妙に達観していると感じた。
血なまぐさい気配を感じた。
しかしそれはどれも、行方不明だった間に凄惨な経験を経てきた為だと思い直して……
……思い直した?
ああ、そうだ。
そうやって言い聞かせていたんだ。
怪しい所があるとはいえ、年端もいかない少年を敵視したくはなかった。
両親に気に入られていたし、アカネを大切にする意思も感じられた。
恋敵であれど、こ憎たらしいところがあれど、少しは可愛いところもあるあの弟をこれ以上疑いたくはないと思ったから……
黙り込んだ俺を見てアドルフ様が唇を歪めて小さく笑った。
「安心したぞ、シェディオン男爵。勘が鈍っていたわけではなかったらしいな」
「……何者だと疑われているんです?」
「逆に聞かせてほしいな、お前は何者だと思った?」
ヴィンリードが疑われる要素。
いつの間にかかけていたフィルターを外して、過去の様子を一つ一つ思い返す。
常人離れした魔力。
部屋を訪ねる時に異様な気配を感じた事があった。
アカネに近いレベルの高い魔力を持っているのであれば無理もないと納得していたが、あんな魔力量を持つ子供がそうそう存在するものだろうか。
魔術訓練をしてくれていたカルバン先生…クラウス様の話では、ヴィンリードは古代魔術にも通じていたと言う。
加えて、魔術を使った直後は辛そうな様子を見せ、必ずアカネが側に駆け寄っていたそうだ。
「確かに、魔力関係では不審な点はありますが……」
「魔力だけじゃないだろう。カッセードの魔物大戦の時、お前も疑問を口にしていたじゃないか」
カッセードの魔力泉が活性化し、魔物が溢れた一年前の一件。
掃討戦に参加したヴィンリードの活躍はすさまじく、それだけに違和感をぬぐえなかった。
「商人の息子の剣術ではない、という点については行方不明の間の生活がわからない以上はなんとも言えませんが……魔物の動きまで変わったのは……まるで、魔物が行儀を覚えたかのようでした」
「言い得て妙だ」
そう言って、アドルフ様は乾いた笑いを零した。
ヴィンリードが参戦してから。
本人の剣術や追加投入された戦力だけでは片付かないほど、戦況がこちらに有利に傾いた。
リードが近付いた種族から順に動きを鈍らせる魔物たち、こちらにとって厄介な攻撃を途端にしなくなったのは、その攻撃法を忘れたかのようだった。
さらには、まるで指揮されたようにリードに襲い掛かり、打ち合わせ済みのような綺麗な打ち合いを経て倒されていく魔物も異様に映った。
シナリオを書き換えていくかのような万能さで、リードは魔物を沈めていったのだ。
「確かに、不審なところはありますが……!」
「不審の一言で片づけるのか」
「俺にとっては弟です」
「お前のその甘さは嫌いじゃないが、次期伯爵と考えれば失格だ。身内であろうと目を曇らせるな。守るのと目を逸らすのは違うぞ」
「アドルフ様は何をお疑いなんですか。はっきりおっしゃってください」
俺の問いに、アドルフ様は目を細めた。
「……俺一人じゃない。ベルブルク家と王家、加えて言えばフェミーナ夫人も勘付いていたところだが」
「なんですか」
「あれはおそらく魔王だ」
あまりに突飛な言葉が聞こえてきてしばし言葉を失う。
「……ご冗談でしょう?」
「一般に公表されていないが、数年前からとある説が持ち上がり、かなり有力ではないかと囁かれている」
「説?」
「全ての魔王は元々ただの人間であったという説だ」
「まさか……」
「魔王は人型。これまで魔王と対峙した者達がそう証言してきただろう?」
「人型の魔物はそれなりにおります」
「しかし意思疎通はできない」
「…魔王はできたというのですか」
「魔王への印象操作を行う為、こちらも公表されていない情報だが、これまでの勇者は魔王と言葉を交わしてきたらしい。英雄ベオトラ殿も陛下にそう証言されたそうだ」
「しかし…それだけで元人間であるとは……」
その反論は予想していたと言いたげに、アドルフ様は手を振る。
「一年前に迷宮からとある遺物が発見された。夥しい数の紙束だ」
「紙、ですか」
確かに迷宮で見つかるものとしては珍しい。
「それはとある小部屋に押し込まれていた。どこかの冒険者の落としものなんてレベルじゃないぞ。明らかに物置として使われている」
「迷宮に、物置とは……紙は白紙で?」
「まさか。内容は魔物に関する研究資料だった」
「魔物……」
まさか迷宮内でわざわざ魔物の研究をしていた酔狂な人間でも居たのだろうか。
迷宮はいつどこで魔物に出くわすか分からないので、研究対象には事欠かないが、滞在にはかなり神経と体力を使う。
高位の冒険者でなければ奥深くには潜れないほど。
「それが見つかったのは迷宮の深部。マッピング情報を突き合わせてみると、二代目魔王の根城だった場所に近いことがわかった」
歴代の魔王はいずれも迷宮を根城にしていたが、その場所はそれぞれ異なったという。
バルイト地方にはいくつも迷宮の入り口があり、内部で複雑に枝分かれして広がっている。
いくつかは繋がっていることが確認されたが、探索が追い付いておらず全てつながっているのか独立したものもあるのか未だに分かっていない。
魔王が現れるとその根城へ向かうルートに魔物が集中するため、どこに魔王がいるかはわかりやすくなるそうなのだが……
その二代目魔王の根城の近くに、研究資料?
「そこでさらに調査したところ、物置の奥から隠し扉があり、二代目魔王の根城へつながっていると発覚した」
「……まさか、その研究資料が二代目魔王のものだとでも?」
魔王が魔物を研究するとはどういうことか。
「残された日付と名前から調べてみると、約六十年前ソーマレイト国を収めていたマルクス王の研究資料だと発覚した。彼は魔物の研究に心血を注ぎ、国政を疎かにした咎で処刑されている」
「その怨念が魔王になったと?」
「いや、公的な文書では処刑とあるが、現地に伝わる話ではその王は処刑の直前に亡命したと言われている。しかし手引きした者の情報も無く、加えて彼の研究資料は革命の証拠に民衆の前で全て燃やされたということだ」
「燃やされたはずの研究資料ですか…それだけの資料を持ち出すとなれば誰かの協力が必要なはずですが」
「そうだな。しかし、ある日牢屋から忽然と姿を消したという話が、当時の牢番から民衆に漏れただけで詳細は分からない」
「国王が処刑されるほどの出来事だったのに情報が少なすぎるように思いますが……ああ、ソーマレイト国といえば既に滅んだ国だったような?」
記憶を絞り出し、なんとかそう言った。
正直なところ他国の歴史を覚えるのは苦手だったため、あまり自信は無い。
しかしアドルフ様は頷いてくれた。
「ああ、マルクス王が処刑されたとされる三十年後に、隣国のエッフェラ国によってな。そのエッフェラもその十年後に革命が起きて国が変わっている」
「なるほど、それだけ混乱が続いていた地域でしたか」
「ああ。しかも同じ大陸とはいえパラディアを挟んだ遠い国の話だ。情報を得るのも簡単ではない。ソーマレイト王国があった地でも、今やマルクス王の話は童話として語られているのみらしい。仕事を忘れた愚王、最後は逃げ出した卑怯者、とな」
「逃げ出したことまで今も伝わっているのですか」
「民衆の噂は千里を駆ける。ドラゴンだって食い止められないものだ」
公式文書で処刑したと謳った国側の立場が無いな…
既に滅んだ国とあれば、もはやその噂を止めようとする者も無いが。
「しかしあの文献を一目でもまともに読んでみればただの愚王などと断ずる者はいないだろう。何故評価されなかったのか不明だが、現代においても有益な情報が多く残されていた」
「既に検証を進めているんですか?」
「現在では確認が難しいものもあって思うように進んでいないがな。確認できた情報は全て事実だった」
「アドルフ様も内容をご覧に?」
「ああ、半年前にな。そして気付いた」
アドルフ様は溜息をついて眉根を寄せる。
「シェド、お前は今俺がヴィンリードと進めている事業について知っているだろう?」
「事業と言うと…あの地獄蝶の鱗粉を用いた染料の話ですか?」
「そうだ。そしてそれはこの国の誰も…他国においても俺が把握しうる限り知る者の無い技術だった。どこかで発明されていれば、瞬く間に広まったと思われる画期的な染料だというのに」
「そうですね。色が変わるというのはこれまでにない特徴ですから」
「ヴィンリードがどこでその知識を得たのかは頑として話そうとしなかったが……」
「まさか」
「ああ。マルクス王の資料にその記述があった」
その一言で、ようやくアドルフ様が何を言いたいのか気付く。
二代目魔王が人間だったころに研究していた内容をリードが知っていた…?
「……その研究資料がどこかから流出したのでは」
「資料を発見したのは冒険者だが、ギルドを通して全て王家に献上されている。宣誓魔術具によって情報の複製や持ち出しが無いことを関係者全てに確認済みの上でだ。ヴィンリードがそれより前に迷宮に潜ってその資料を目にしたことがあったというのならば問題ないが、そうではないことは明白だ」
「そう、ですが……」
迷宮に入るには審査を通る必要がある。
未成年の子供や実力不足の冒険者が入り込むことが無いようにするためだ。
リードは年齢上、まだ迷宮に入れない。
なんとかリードを庇う言葉を言ってやりたいが、咄嗟に出てこなかった。
他のルートで情報を得た可能性や、まだ見つかっていない迷宮の入り口があってそこから入った可能性、審査をするべき人間が通してしまった可能性…
いくつか可能性はあるが全て想像の範疇を出ず、意味の無い仮定だ。
「しかし二代目魔王がヴィンリードと接触するのは不可能です」
絞り出した一言がそれだった。
リードが生まれるずっと前に二代目魔王は討伐されている。
そもそも接触できたところで、この研究結果をリードに託す理由は不明だ。
「接触以外にも歴代魔王には情報を伝達する術があると睨んでいるが……まあいい、これ以上の話は流石にシェドにも漏らせない。ともかく王家とベルブルク家の見解としては、魔王は元人間であり、ヴィンリードに五代目魔王のおそれがあるということだ」
「ならばリードは……」
国の沙汰次第では、その命の保証は無くなる。
みっともなく動揺をさらす俺に、アドルフ様はパタパタと手を振る。
「ああ、もういい。ここで問答していたって仕方がない」
その一言に、話を打ち切られると察して思わず表情が暗くなる。
「……その死神のような顔をやめろ。帰れと言ってるわけじゃない」
「では……」
「こちらとしてもいい加減決着をつけようと思っていたところだ。話は本人の前で進めるとしよう。ついてこい、シェド」
そう言って立ち上がったアドルフ様の後を慌てて追いかけた。
いつもご覧いただきありがとうございます。
ブクマや評価、とても嬉しいです。
有り難うございます!




