011兄の告白
<Side:シェディオン>
父から男爵を引き継いで一月もした頃、先にセルイラへ向かった父を追うように、母とアカネもセルイラへ向かうことになった。
発つ前日、転居準備も終えたという事で俺とアカネはいつものように庭を散歩していた。
「すっかり秋の花が咲くようになりましたね」
「…そうだな」
8歳になったアカネは庭の花を嬉しそうに見つめている。
植物にとって厳しい環境であるカッセードに自生しているのはそれに耐えうる強靭で無骨な草花が多いのだが、仮にも伯爵邸の庭には人の手を入れれば比較的育ちやすい美しい花が咲いていた。
セルイラに行けば、もっと美しい花がたくさんある。
そこで花に囲まれて笑うアカネを想像し、『やはりそうあるべきだ』と心中で頷いた。
子供の成長は早い。
アカネは一年で背が伸び、手足もすらりとしてきて、大人へ近づいていることがよくわかる。
かくいう俺もさらに8cmほど背が伸びてついに父を追い越し、アカネとの目線は一向に縮まる気配が無い。
子供の一年は長い。
カッセードの状況を安定させるのにどれだけの時間がかかるだろう。
次期当主としての勉強もある為、俺も落ち着けばセルイラに向かう予定になってはいるが…
手を放せるようになるまで…最低でも三年はかかるだろう。
三年間…アカネは俺がいなくても大丈夫だろうか。
彼女がしっかりしていることはよく知っている。
しかし少しは寂しがりやなところもある。
泣いてしまうことがないだろうか。
「……」
いや、一番心配なのは、きっと俺自身だ。
朝、あいさつを交わした時。
訓練を終えて帰ってきた俺を迎えてくれた時。
合間を見て共に散歩をしている時。
アカネと交わす言葉、過ごす時間がどれだけ俺の心を救っていることか。
三年以上の時を経て俺がセルイラへ合流した時、目の前の少女は…
今と同じように俺と過ごしてくれるだろうか。
まさか、忘れられたりはしないだろうが…
「シェド様?」
ぼんやり考え込んでいた俺の顔を覗き込む黒い瞳。
血は全くつながっていないこの少女が、俺にとっては…
マーレイ家やスターチス家の父母兄弟以上に、大切な家族だ。
もうこれは理屈ではない。
俺が今『領主にならねば、カッセードを何とかしなければ』と息巻く気力の源は彼女だった。
「アカネ…お前は明日セルイラへ発つ。
俺とは、しばらく会えなくなる」
アカネは聡い子だ。
改まって俺からこの話をしたことは無かったが、俺を置いて転居することの意味くらい良く分かっているだろう。
カッセードとセルイラは馬車で片道三日かかる。
俺はカッセードから離れられないし、アカネのような幼い令嬢が気軽に往復する距離ではない。
俺がセルイラに向かうまで、おそらく直接会うことは無いだろう。
「…寂しくなりますね」
少し俯いた彼女は、寂しげな表情に無理に笑みを作る。
その寂しいという言葉に偽りが無い事を、珍しく震えた声が何より雄弁に語っていた。
一生守ろうと思っていたのに、こんなすぐに別れることになるのか。
俺のせいでこんな顔をさせてしまうのか。
たまらず、小さな体を抱きしめる。
「できるだけ早く仕事を片付けて、お前のもとに帰る。
そうしたらその後は、ずっとそばにいる。
お前を兄として、ずっと守っていくから」
搾り出すような声でそう言い募れば、小さな手が俺の背に回る。
すり寄せられた頬の感触とともに、シャツが濡れる気配がした。
「約束ですよ、シェド様」
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<Side:アカネ>
…予想以上にただの良い兄妹ストーリーだった。
話を聞いているうちにぼんやりと思い出してくる。
確かにセルイラを発つ前日、兄と散歩をしてお別れの挨拶みたいなのをした。
あの時は本当に寂しがってたな、私…
兄は訓練や勉強の合間を縫って、できるだけ私を構うようにしてくれていた。
養子に来てから一年そこそこで別れたというのに、家族の中で一番過ごした時間が長いのではないかと思うほど。
だから私にとっても兄と離れるというのは、生活が一変する事態だった。
そうか、あの時間があるからこそ兄は私に甘いし、私も妙に兄に懐いてしまうのか。
物思いにふけるように口を閉ざした兄に向き直り、微笑みかける。
「思い出しました、お兄様。
きちんと約束を守って帰ってきてくださったんですね。
当時のカッセードの状況、今なら私も分かります。
四年も経たずに戻られたお兄様はすごいです」
しかし、兄は気まずそうに視線をそらす。
かがんだままの兄がさらに縮こまるような様子に首をかしげた。
何故だろうか…
兄が成したことは確実にすごいことだ。
兄がセルイラへ来たのは私と別れてからギリギリ四年経たないくらいの夏の終わりだった。
カッセードの魔物討伐費用は課題として残っているが、それは安全面が確保された今だからこそ文句を言えること。
当時は費用どころか領民の命が脅かされていた。
若き領主は十分務めを果たしてきたのだ。
年々増えているはずの魔物だが、被害件数が以前より格段に減っているのは、兄が討伐体制の整備に尽力したからに他ならない。
兄が築いた冒険者ギルドとの連携システムは、他領地からも視察が来るほどだと聞いている。
当初、あまりにも若い領主とあって領民や部下からの風当たりは強かったようだ。
決して簡単なことではなかったはず。
領民や部下へ公開すべきと判断した情報は惜しみなく開示して不信を与えないよう立ち回り、末端の村まで足を運んで直接状況を把握するなど地道な働きを重ねて信用を勝ち取っていったのだ。
魔物討伐で国内の犯罪警備が手薄になっていたため、自警団を組織させるなどもしたという。
…お父様、そういうところもほったらかしだったんだなぁ…
もちろん問題を耳にすれば都度対処していただろうけど、あくまで対症療法だ。
根本解決にまで手が回らない、そういう人だ。
さらに、これまでは魔物発生報告が領主の耳に入るまで、それが領地の末端であれば二日はかかっていた。
しかし兄は自警団や冒険者ギルドとの情報網を整備し、領地の末端同士における情報伝達にかかる時間を半日以内にまで短縮したのだ。
また、地域の長に領主の名を使用しての討伐依頼権限を与えた。
これにより地域の長は、自らの判断でギルドや兵士へ討伐依頼をかけられる。
自ら討伐費用を賄えない貧しい地域でも、近くに居る冒険者や近隣兵へいち早く依頼をかけられるようになった。
報酬は領主が後払いするというわけだ。
地域長が着服したり兵士らと癒着したりしないよう、依頼内容と報酬額の情報は全て領民全体に公開されるシステムになっているらしい。
それだけの仕組みを、自分が離れても問題なく動くところまで整備したのだ。
たった四年足らずで。
時には騎士団の討伐訓練…訓練とは名ばかりのただの実戦だが…に自ら参加し、領民を守ったという。
顔の傷は戦場に迷い込んだ領民の子供を守った時についたものだ。
絵に描いたようなヒーローである。
ちなみに、これらの話は全て、カッセード騎士団の連絡係がセルイラの父に報告に来た際、興奮気味に語っていた内容だ。
来る度、私にも話をしてくれた連絡係は兄を信奉していると言っても過言ではない様子で。
その熱意だけでも、長らく顔を合わせていない兄への尊敬を高めるには十分だった。
当のシェド本人とは手紙のやり取りくらいはしていたのだが、彼の手紙に仕事の話や危険を匂わす話は一切記述がなかった。
こちらの様子を気遣ったり、私が喜びそうなほのぼのした出来事を知らせてくれていた。
今思い出しても実にシェドらしいと思う。
かくしてカッセードの魔物対策は急速に整っていった。
財政面はセルイラを頼っている状態だが、冒険者への依頼供給を安定させることで滞在者が増加し、冒険者相手の商売はそこそこ繁盛している。
支出も大きいが、収入も父の頃より改善しているのだ。
父の判断は正しかった。
おそらく父ではこうならなかっただろう。
未だにカッセードで魔物対策に右往左往して赤字を膨らませていたに違いない。
まだ課題は残っているが、かくして兄は次期当主としてセルイラに戻ってきた。
兄の功績はセルイラの領民にまで広まっており、次期当主がセルイラに来るとの知らせが届くと街は大変な歓迎ムードとなったものだ。
パレードで出迎えようなんていう話も持ち上がっていたのだが、『この盛り上がりの中で俺の顔を見れば、領民をがっかりさせてしまう…』という兄の気遣いにより、大々的なお出迎えは無し。
彼は夜中にひっそりセルイラ入りした。
自分の容姿の影響力については未だに懸念があるようだ。
まぁ、残念ながらその気遣いは間違っていないだろう。
外見だけで余計な噂を立てられても面白くないしね。
しかし兄はその後、少しずつ領民に顔見せをしながらセルイラの勉強をしている。
しっかり交流しながらならば兄を悪く思う人は多くない。
そしてなおかつカッセードを遠方からフォローし続けているのだ。
やはり兄の真面目な振る舞いは人々から信頼を集めている。
どちらの領民からも『強面の次期伯爵様』と、揶揄されつつも友好的に受け入れられていると聞く。
きっと兄ならスターチス家を立て直してくれるだろう。
そして来年には…
…あれ?
「ねぇお兄様、来年には王国騎士団へ入られますよね?」
「う…」
今後を思い出してそう問うと、兄は苦しげに小さく息をもらす。
兄はこれだけの実績を残した。
成人もしているし、もう父の後を正式に継いだとしてどこからも文句など出ないはず。
私が領地に不安をいだいているのはここだ。
兄が家を継ぐことなく王国騎士団へ入る予定であること。
組織運営の勉強のため期間限定で、と聞かされた当初は納得していたけれど…
「もうずっと離れないような約束をしていたわりには、あっさりと離れてしまうんですね」
思わず責めるような言葉が出てしまった。
立派な領主になるための勉強だ。
それは分かる。
だけどあの約束を思い出すと少し違和感がある。
まるで再会したら二度と離れないと言わんばかりのニュアンスだった。
兄妹でなければ情熱的な恋人かと思うようなセリフだ。
あと、勉強している間にセルイラやカッセードが潰れたらどーすんだという思いもある。
やばいと思ったら無理やりにでも連れ戻すつもりではいたけれど…
こんなに大好きな妹と再会できたって言うのに、なんで二年も経たないうちに王都行きを決めちゃったんだろう。
じーっと見つめる私に、兄は顔色を悪くしていった。
…本当に困った人だ。
「お兄様?」
「…なんだ」
「今度は私が聞きましょう。何か隠してません?」
自分から話を進められないお兄様。
私は優しいから、無理やり口を割らせてあげるとしよう。
にっこり微笑む私を、怯えるように見上げる長身強面。
ギャップ萌えをしっかり体現している兄に、私は畳み掛けた。
「約束、守れなくなったんでしょう?」
まぁ…子供の時分に、お別れという一大イベントの勢い任せでした約束だ。
現実問題、私の側にいることより大切なことなんていくらでもある。
彼は次代の伯爵様なのだから。
騎士団に行くと決めるにあたりいろいろ悩んだことがあったのだろう。
そしてその考えを伝えるきっかけをずっと失っていたに違いない。
そう考えて、言い訳の機会を与えてあげることにした。
それを聞いた後に思いっきり拗ねて、そしてご機嫌取りをしてもらった後にはキッパリ許してあげようじゃないか。
しかし兄は、『やはり気付いていたんだな…』と零した後しばらく黙り込む。
いや気付くというか、どう考えても騎士団に行ったら側にはいられないでしょ。
そう突っ込むべきか悩んでいると、兄は意を決したように私を見つめ、こう言った。
「アカネ、好きだ」
「……え」
…いや、それは気付いてないわ。




