106私とあなたの関係
私に抱き着くファリオンの姿を見て、お母様は『あらあら』なんて笑っている。
お父様は目のやり場に困ったように視線を逸らし、アドルフ様は思い切り顔をしかめた。
「…ファリオン、アカネ嬢に感謝しているのは分かるがそれくらいにしておけ。女性に気安く触れるものじゃない。お前にはこれから常識を身に着けてもらわんと困る」
アドルフ様にそう窘められて、ファリオンは『すみません』なんて私に謝ってくる。
至近距離で見るその顔は確かにファリオンだ。
これまで顔を合わせた数はたったの二回。
どちらも、彼の本心を確かめられるほど言葉を交わせていない。
だけど彼は一貫して、私と深く関わろうとしなかった。
その一点においては彼の気持ちはハッキリ伝わってきたのに。
今は何をしたいのかさっぱり分からなくて、申し訳なさそうに眉を下げた表情も、ひどく空々しく感じた。
ファリオンを交え、改めて話を聞いてみたところ…状況はこういうことらしい。
あのアーベライン侯爵の事件以降、ファリオン・ヴォルシュは行方不明と言うことになっていた。
ヴォルシュ伯爵邸は謎の爆発により大破していたため、おそらくファリオンもその被害にあったと考えられていたが、遺体が確認できていないので形式上そうするしかなかったらしい。
しかし、実はファリオンは生き延びていて、コッセル村に住んでいた。
何故ヴォルシュ伯爵邸のあるゴードン領から遠く離れたコッセル村に居たのかは分からない。
当の本人が記憶喪失となっているからだ。
覚えているのは自分の名前が"ファリオン"であるということだけ。
本人曰く、気づいた時にはコッセル村の近くで行き倒れていて、たまたま親切な老婆が世話を焼いてくれていたのだという。
自分がどこから来たのかも分からないまま、他の村人から隠れて過ごしていたある日、カッセードで魔物の大量発生が起き、そして私たちがやって来た。
魔物戦に決着がつき、復興作業が行われる村にこっそりやって来たファリオンは、炊き出しのスープを受け取ろうとして私と出会う。
村人らしくない雰囲気を感じ取った私は、その少年と話をしてみることに。
そして名前や年齢が合致すること、さらにファリオンが持っていた短剣に描かれた家紋がヴォルシュ家のものだったことから、私はその少年がファリオン・ヴォルシュであると気付いた。
自分がどこの誰なのかを私から教えられたファリオンだったが、今の生活を変える踏ん切りがつかずに自分の事を黙っているよう頼む。
しかし世話をしてくれていた老婆がこの八月に消息を絶ち、一人となった彼は私の言葉を思い出してスターチス家を訪ねたのだ…
…と、いうのがファリオンの筋書きらしい。
えっと…初耳エピソードですけど?
だけど一つだけ聞き捨てならないところがあった。
「あの…その短剣、見せてもらっていい?」
「どうぞ。あの時見せたのと同じでしょう?」
いえ、初見ですけど。
そんな言葉をぐっと飲み込み、ファリオンが差し出した短剣を受け取る。
黒地の鞘と柄に鮮やかな金の彫が入った綺麗な剣だった。
その鞘に描かれた家紋は…確かにヴォルシュ家のものだ。
家紋に疎い私だけど、さすがにファリオンの家のものは覚えている。
授業で家紋を習った時に真っ先に覚えた。
「鑑定の結果本物だった。事件以前からヴォルシュ家と交流のあった親父殿や国王陛下から、彼がファリオン・ヴォルシュ本人であるという確認もとれている」
アドルフ様がそう補足してくれる。
短剣を持つ私の手は震えていた。
…これ、本と同じだ。
本の中でもファリオンは短剣を持っていた。
この短剣はもともとお父さんのものだったんだけど、護身用に持たされていたらしい。
ジーメンス家へ落ち延びた時にも持っていたとかで、ファリオンにとっては唯一持ち出せたお父さんの形見になる。
お金に困っても盗賊仲間に強請られても、これだけは手放さなかったとか。
ロッテを救出した際に、この短剣を持っていたことからヴォルシュ家の生き残りであると発覚するんだ。
まさか、この世界のファリオンも持ってたなんて…
「アカネ様には、俺の事を心配してる人がいるから戻った方がいいと言われたんですが、まさか俺が貴族だなんて信じられなかったし…カミラ…俺の面倒を見てくれてた人の側を離れることも怖くて…だから、誰にも言わないように頼んだのは俺なんです。アカネ様を責めないでください」
そう語るファリオンは辛そうな表情で…まさに迫真の演技だ。
この短剣は本物なんだろう。
だけど彼が語っている経歴は嘘だ。
彼とコッセル村で出会った事実は無いし、少なくとも一か月前まで彼は盗賊団に在籍していた。
でも、もしかしたらコッセル村に滞在したことはあったのかもしれない。
ヴォルシュ家の生き残りが居たなんて大ごとだ。
世話をしてくれていたおばあさんが実在するのか確認されるはずだし、何かしらのアリバイ工作はされているんだろう。
…そこまでして、何故今さらファリオン・ヴォルシュだと名乗り出たのか。
戸惑う私の視線に気付いた彼は、またにっこりと微笑む。
…あんなに望んでいた笑顔が目の前にあるのに、全くときめけない。
リードといいファリオンといい、何故もっと純粋な笑顔を向けてくれないのだろうか。
「ええと、そのカミラさん…どこに行ってしまったんでしょうか?」
私の問いかけに、ファリオンは首を振る。
「俺にも分からないんです。カミラは毎月、どこかに出かけてました。どこに行ってたのかは俺も知りません。いつもお金を作って来てるから、たぶん商売をしに行ってたんだと思います。だけどいつもは一週間くらいで戻って来るのに、二週間たっても戻らなくて…前々から、もし戻らなければ死んだものと思えと言われていたので…きっと…」
嘘だと知っているはずの私ですら騙されそうになるくらい、その沈痛な表情は真に迫っていた。
…この演技力、怖い。
「他の村人に聞き込みはされなかったんですか?」
今度はお父様が首を振った。
「もちろん、私達の方でも調べてみたが情報は得られなかった。彼女はもともと村のはずれに住んでいて、ほとんど他の住民と交流が無かったらしい。時折市場に顔を出していたから存在自体は多くの人が知っていたが、普段何をしているのかまでは知らなかったようだし、ファリオン君を世話していたことも村の誰も気づいていなかった」
「俺が持っていたこの短剣を見て、カミラはできるだけ姿を隠した方がいいって言ったんです」
ファリオンの言葉に、アドルフ様はため息をつく。
「まぁ間違ってはいないな。貴族の家紋入りの短剣を持った記憶喪失の子供が居れば、普通は訳ありだと判断するだろう」
なるほど…とりあえず、筋書きはしっかりできているらしい。
他の面々が同情的な視線をファリオンに向けるのを見て、私は閉口するしかない。
ファリオンの目が『ほらな、隙なんか無いだろ』とでも言いたげに私に向けられた。
そのカミラと言う女性、目撃情報もあるんだから実在はしてるんだろう。
ファリオンの協力者なのか、話をでっちあげるのに都合のいい人物を見つけてきたのか…
何にせよそこまでアリバイ作れるなら、せめて私にも事前相談してほしかった。
そんな意図をこめて大きくため息をつく。
「それで、ファリオンがお父様たちを頼ったのは分かりました。それで、なぜアドルフ様まで?」
とりあえず私の認識については触れずに話を進める。
私の問いかけに、アドルフ様は眉根を寄せた。
「アカネ嬢、ファリオン・ヴォルシュが生きていた。これは何を意味すると思う?」
「え?」
「ヴォルシュ家が本当に絶えたと判断できなかったことから、ヴォルシュ侯爵ならびに伯爵の地位は、特例として凍結されていたんだ」
まさかの惨劇、そして跡継ぎが行方不明とあっては、国の側も判断に困ったらしい。
「国王陛下が認めさえすれば、ファリオンは成人と共に侯爵位を賜ることになる」
ここまで話が及んで、私もようやく事の重大さに気が付いた。
侯爵といえば貴族においては最も地位が高いといっても過言ではない爵位だ。
公爵は国王と並ぶ発言権を得るから別格だし。
アーベライン侯爵の蛮行以降、侯爵を名乗れているのはフランドル家だけだ。
そこにヴォルシュ家が加われば…貴族内での勢力図に大きな影響を及ぼす。
あの惨劇を生き延びたヴォルシュ家の正当な跡取りなんてセンセーショナルな経歴、そしてまだ未成年となれば、利用したがる貴族はたくさんいるだろう。
思わず口を開けて呆けてしまう私に、お母様がにっこり微笑む。
「だから、角の立たない後見人が必要ねってことで、王家がベルブルク家に打診したのよぉ」
「…えっと、つまりアドルフ様が後見人に?公爵様ではなく?」
「親父殿が直接立てばさすがに事が大きくなりすぎる。次期公爵くらいの半端な俺がちょうど良かったというわけだ。ファリオンが成人すれば後見関係は切れる。その後はせいぜい友人としての関係を保てば、距離感としてもちょうどいい」
後見関係が切れれば公爵家の後ろ盾があるとまでは言えない。
とはいえ、その目が光っていることは周囲も理解するところ。
たった一人になってしまったヴォルシュ家の生き残りであるファリオンを付け狙う人々は大勢いるけれど、その防波堤くらいにはなれる、と。
…なるほど、これは大ごとだ。
ある程度の話はまとまり、しかし第一発見者の私から聴取をしないわけにもいかない。
それでわざわざ学園まで関係者が足を運んできて、緊急でこんな場を設けられたわけか。
「今さらだがアカネ嬢、コッセル村でファリオンに会ったと言うのは事実でいいんだな?」
アドルフ様に改めて問いかけられる。
…正直に話すならノーなんだけど…
ここで否定をすればもっと面倒なことになりそうだ。
もしファリオンが盗賊から足を洗って、ヴォルシュ家に戻ろうとしているんだったら邪魔をするのも気が引ける。
「…はい」
私の肯定に、銀色の瞳が満足げに細められた。
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「できれば事前に打ち合わせ時間をいただきたかったんですが…」
「俺が伯爵令嬢にどうやって連絡付けんだよ。下手に近づいたら捕まるだろ。常識考えてくれよ」
「常識考えられるならできればこの行動を起こす前にしてほしかったです…」
学園長の応接室には、今私とファリオンの二人きり。
証言を得られたことで私への用は済んだはずなんだけど、ファリオンが二人で話したいと申し出たんだ。
魔力反応からして聞き耳をたてられている様子は無いからいいけど、一気に演技やめたなぁ、ファリオン。
縮こまっている私を横目で見て、ファリオンは眉根を寄せる。
「つか、何でそんな態度なんだ?」
「……」
どう話していいか分からないからだ。
唐突な二人きり。
正直距離感を掴みかねている。
座り方も向かい合ってじゃなくて、何故だか横並びに座られているのもまた居心地が悪い。
困惑を隠しきれない私を見て、ファリオンは大きくため息をついた。
「なんだよ…もっと喜ぶかと思ってたのに」
「え?」
当てが外れたといった様子に、首を傾げる。
こちらをちらりと見たファリオンは、私に合わせるように首を傾げ返した。
「あんた、俺の事好きなんじゃなかったのか?」
「!?」
息を飲んだ。
まさかの一言だ。
「初めて会った時、俺の事見つけて涙ぐんでただろ」
「それは…」
確かにあの反応だけでも並々ならぬ思い入れは伝わったことだろう。
「それにあの男にも言われたんだけどな」
「あの男?」
「いつもあんたと一緒にいるやつ」
「…リードの事?」
「ああ、そんな風に呼んでたっけ」
「リードが何か言ったの?」
リードとファリオンが言葉を交わしたのって…
私が知る限りだとロッテ誘拐事件の時だ。
わざわざ剣を交わらせてまでファリオンに接近したリードが何をしたかったのか、私は知らない。
不思議そうにしている私を見て、ファリオンは悪い笑みを浮かべた。
「…な、なに?」
「彼女に剣を向けるな、お前だけは絶対に向けちゃいけない」
「へ?」
「そんなこと言われたら、どんだけただならぬ関係だったんだよ俺たちって思うだろ。興味もわくさ」
…リードが、そんなことを?
よくよく思い返せば、確かにあの時ファリオンは剣を抜こうとしていたかもしれない。
たぶんあの状況からして、ファリオンは本気でこちらを傷つけられると思っていなかっただろう。
剣を抜いたとしても牽制程度だ。
だけどそれすら止めるためにわざわざリードは飛び込んでいった?
……私の為に?
「……」
「…あんたとあの男さ、どういう関係になってんの?」
熱くなった頬を隠すように俯けば、それをからかうような声が降ってくる。
「兄妹よっ」
「兄妹?あれで?…それで?」
あれがどれで何がそれなんだか知らないし知りたくもない。
上目に睨んでも、ファリオンは全くたじろぐことなく、ただ不思議そうな顔をしていた。
「そんなことより、どうしてファリオンは今さら戻ってきたの?過去に興味無いみたいなこと言ってたのに」
「ああ、過去に興味なんか無い。色々知った今、なおさら面倒くさくなった。戻って来るんじゃなかったとすら思ってる」
じゃあなんで。
さらに問い詰めようとする私の言葉を遮るように、ファリオンはこちらへにじり寄った。
ぎょっとして体を引くも、すぐに肘掛けに阻まれる。
「さっき、俺が何に興味わいたか言っただろ?」
間近でささやかれるも、頭は真っ白。
さっき、さっき?
「あんたは俺に会えただけで涙ぐむし、あの男は思わせぶりな事を言う。調べてみたらあんたは伯爵令嬢だって言うじゃないか。俺がどうやら貴族の出らしいことは知ってたから、昔婚約者かなんかだったのかと思って…」
あ、そっか。
私との関係が気になったって…
そこまで思い至って、気付く。
まずい。
「貴族に戻る覚悟までしたってのに、いざスターチス伯爵たちに話を聞いてみたら、あんたと俺に面識なんか無いはずだって言われる……なぁ、あんたと俺、どこで会ったんだ?」
……言えない。
どこでも会ってません、なんて。
いつもご覧いただきありがとうございます。
ソファで迫られることが多い系ヒロインです。




