105まさかの再会
朝の鐘の音で目が覚める。
レースのカーテンの隙間から差し込む朝日は柔らかく二度寝を誘ってくるけれど、必死に頭を振って耐えた。
広い寝室には天蓋付のベッドが二つ。
隣のベッドを覗いてみると、黒髪の美少女が無邪気な寝顔ですぅすぅ寝息を立てていた。
初日の朝は鐘の音に驚いて怯えていたのに図太くなったものだ。
「ロッテ、起きて」
「うぅん…今日は、やめておきますわ…」
「だーめ。ほら体起こす」
「あぁん」
「あぁんじゃないの。食堂先に行っちゃうよ?」
「いやぁ。置いて行かないでくださいませ」
「それじゃ起きるよ」
「はぁい」
ようやくベッドから足を下ろしたロッテを見つつ、洗面器に魔術でお湯を溜める。
お湯を出す魔術具もあるんだけど、私は練習がてら自分でお湯を出していた。
「うふふ…」
「なに、どうしたの?」
「毎朝アカネが起こしてくださって、手ずから生み出されたお湯で顔を洗う事までできるなんて…ロッテは幸せですわ」
「……そう…」
幸せそうなのはいいんだけど、私が生み出したお湯っていうところにまで喜ばれるとちょっと…
やっぱり本の中のロッテ同様、ちょっぴりストーカー気質が見え隠れする。
「はい、タオル」
「有難うございます」
入学式からかれこれ一か月。
最初の頃は、着替えを出すと言う概念すら分からず顔を自分で洗うなんて理解の範疇外といった様子のロッテに手を焼いた。
今ではお湯を出してあげれば自分で顔を洗えるし、最後に手直しをしてあげれば制服も着られるようになった。
成長したなぁ。
なんか子供の成長を見守るような感覚だ。
心配していた世話係だけど、ロッテは特に注文もつけてこずにされるがままのタイプで我儘を言われることは無かった。
むしろ無頓着すぎて、世話役を始めて一週間もしたころにツヤツヤだったはずの黒髪にパサつきが出始めたので指摘しても、『よくわかりませんわ。お気になさらず』なんて言う有様。
そうは行かないと慌てた私は、侍女さんに連絡を取りアドバイスを求めた。
王宮に居た時は毎晩、なんか高級なヘアオイルを揉み込んでもらっていたらしい。
『殿下にお渡ししてあるはずです。アカネ様と一緒にお使いくださいとお伝えしたのですが…』と困った顔をされたのでロッテを問い質したら『あぁそういえば』なんてオイルの入った瓶を取り出された。
ダメだこの子。
ちなみに、使ったら私の髪もサラツヤになった。
王家御用達すごい。
自分の身支度を手早く整え、ロッテの準備を手伝ってあげてから部屋を出る。
寮の一階にある大きな食堂は男女兼用で、すっかりお決まりの場所となったテーブルに見覚えのある男女が三人座っていた。
真っ先にこちらに気付いて挨拶してくれたのはリードだ。
続いて相変わらずおさげ髪をしたドロテーアが。
そして最後にほんわかした小動物のような容姿の少年が挨拶してくれる。
「おはようございます、アカネ様っ!」
「おはよう、ダニエル」
今日も元気いっぱいの彼は、ダニエル。
奨学生枠で入学してきた十三歳の少年で、執事見習いとしてリードの世話役をしている子だ。
平民だけどきちんと敬語を使えるし、リードの指導のおかげで作法も大分身についてきた。
明るく元気な彼は私によく懐いてくれていて、癒しになっている。
あと、なんか出身が田舎の方だとかで何故か関西系の訛りがあるのもいい。
この世界で初めて聞く訛りだった。
初めて会った時にそれを聞いて、何か元の世界思い出して懐かしくなって涙ぐんでリード達を慌てさせちゃったっけ。
「アカネ、口元が緩んでますわよ。リード様以外の相手にそのような顔をするものではありませんわ。ダニエルもレディに馴れ馴れしくするものではありません」
「ロッテ様、何度も言うとりますけど、アカネ様は僕の事なんてなんも思ってはりませんよ」
「まぁ、ダニエル。ロッテの事はロッテと呼ぶように言ったはずでしてよ」
「王女様に馴れ馴れしくするのはええんかなぁ、僕にはよう分からん…」
「ロッテ、ダニエルに絡むのはそのあたりにしてあげてください」
「人聞きが悪いですわ、ドロテーア」
「未婚の男女が必要以上に親しくするものではないと言うのは理解できますが、私たちはお友達、そうでしょう?」
「え、ええ!その通りですわ」
ドロテーアの言葉に、ロッテは嬉しそうに同意する。
最初はロッテと話すことに恐縮しきりだったドロテーアとダニエルも、このひと月ですっかり慣れた。
ドロテーアに至ってはロッテのあしらい方を完璧に心得ている。
この一か月で分かったことだけど、ドロテーアは要領がいい。
勉強に関しても私やリードに相談を持ちかけてくることがあるけれど少し助言しただけでポイントを押さえてしまう。
そして対人関係に関してもうまく立ち回るから友達も多いし、さっきのように揉めそうなシーンを収めるのも上手かった。
そのコミュ力、分けていただきたい。
場が収まったのを見て、リードが小さくため息をついた。
「ダニエル、また訛りが出てるよ」
「すみません、ヴィンリード様。どうしても出るんですわ」
「……」
言った側からがっつり訛ったダニエルに、リードが渋い顔をした。
ダニエルは執事を目指している。
個人的には田舎訛りも都会訛りも言葉が通じるのであればどっちでもいいじゃんと思うんだけど、主人の代わりとして立つこともある執事が訛っていると田舎者と侮られることもあるのでできるだけやめた方がいいらしい。
「ロッテはダニエルの話し方、面白くて好きですわ」
「ありがとうございます、ロッテ」
「…ダニエル、分かってると思うけど王族なのにそう言ってくれるのはロッテが少数派だ。本気で執事を目指したいなら直せ」
リードの言葉にシュンとするダニエルを見て、ロッテは鼻息荒く腕を組んだ。
「相手に敬意を持って話す限りにおいて、言葉に貴賤などありません。そんなもので相手を侮るような国なんて、ロッテが変えて見せますわ!」
やだ、カッコイイ。
ロッテってこういうところ高潔で、本当にいい子なんだよなぁ。
…ストーカー気質さえ無ければ完璧なお姫様なんだけど。
ダニエルは目を丸くしてロッテを見つめている。
「…ロッテって女神様みたいやなぁ」
随分な飛躍の仕方である。
私だって散々ダニエルの訛りをいいと思う!と擁護してきたのにこの差は一体。
顔か、顔なのか。
ともあれ、こんな調子で私は平穏な学園生活を過ごしていた。
今日、この日までは。
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「アカネ・スターチスはいるか」
午前中最後の授業が終わり、一緒に受講していたリード達と食堂に行こうかと席を立った瞬間。
教室に入ってきたのはいかつい大男。
入学式以来久々に見た、学園長だった。
しかも、何故だか私を探しているらしく、大声で私の名前を呼んでくる。
悪目立ちするからやめてほしい。
すでに一月の期間を経て、授業が被ることがある生徒の中には私の顔名前が一致している人もいて、こちらにチラチラ視線が飛んできた。
苦痛の時間を少しでも縮めるべく、学園長が周囲の視線を辿って私に気付くのと同時に、こちらから走り寄った。
「私ですが…何か?」
「君に来客だ。ついてきたまえ」
来客?
戸惑う私を追いかけて、リードやロッテ達もやって来た。
「アカネ、大丈夫ですの?」
「わ、わかんない…何が何やら」
「僕も同行しても?」
リードが学園長にそう尋ねるも、すぐに首を振られる。
「ヴィンリード・スターチスか。妹御を心配するのは分かるが、呼ばれているのは彼女だけだ。悪いようにはされないから、待っていなさい」
心配性の義兄はその返事に不満げだけど、ここまで言われて食い下がるわけにもいかない。
いつもつけている髪飾りにさりげなく触れて見せて、いざとなれば連絡がとれることをアピールすると、ようやく渋々頷いた。
ロッテも駄々をこねそうな雰囲気だったけど、ドロテーアやダニエルに宥められて大人しく引き下がる。
歩き出す学園長の背中を追いかけ、生徒が周囲にいなくなったタイミングを見計らって声をかけた。
「あ、あの…学園長。お客様ってどなたですか?」
「…君のよく知る相手だ」
会えばわかるということのようだ。
言葉少なな態度は怒っているのか素なのか、私には判断がつかない。
学園長室にたどり着き、そのドアが開かれた瞬間目に入った人物に驚いた。
「あ、アドルフ様!?」
「…久しぶりだな、アカネ嬢」
私の友好関係は広くない。
そんな中で"よく知る相手"と言われればかなり限定されるのは確かだった。
とはいえ、まさか…
半年前に別れたばかりの元彼が、このタイミングで訪ねてくるとは思いもよらない。
しかし、この訪問が彼自身望んでのものでなかったことは、その表情を見れば明らかだ。
複雑そうな表情は素直に再会を喜べない心情を表しているし、なんなら『お前は本当にもう…』とでも言いたげな非難の色すら見える。
…なに、私何かやらかしたっけ?
しかも、そこに居たのはアドルフ様だけじゃない。
「お父様…お母様まで…」
アドルフ様と一緒に居たのは、実の両親だった。
二人は眉尻を下げ、いかにも困った娘を見るような目をしている。
「久しぶりね、アカネちゃん」
「…元気そうで、何よりだ」
こちらを慮る言葉に嘘は無いんだろうけど、それ以上に悩ましげな様子だ。
アドルフ様に迷惑をかける心当たりはない。
だけど両親に怒られるような疾しい事なら結構あるもんだから目が泳いだ。
学園長に勧められてソファに座るや否や、お母様は大きなため息をついた。
「あのねぇ、アカネちゃん。内緒にしてって言われたら、黙っているのもわかるのよ?わかるけど、本人の為にも、それに周囲の人達の為にも、事前に情報を流しておくのが、こういう時のマナーなの。教えてなかったお母様達も悪かったかもしれないけれど、これってとっても大切な事なのよぉ」
幼子に言い聞かせるようにゆっくり言葉を区切って言われた言葉に、背中にヒヤリと冷たい汗が流れ落ちる。
そう言われるような心当たり何て一つしかない。
…もしかして、リードの事がばれた?
だけどハッキリそう言い切れないのは、お母様の声が間延びしているからだ。
本気で怒っている時にはこんな優しい口調をしない。
ただただ困っているように見える。
抜け出したことやリードの正体がバレたのなら、こんな反応では済まないはず。
じゃあ一体、何の話?
疑問符を飛ばす私の様子を見て、アドルフ様が見かねたように口を挟んだ。
「カッセードの一件でコッセル村にしばらく滞在していただろう。その時、誰かに会わなかったか?」
誰か?
復興のお手伝いをしている間、そりゃ色んな人と触れ合ったけど…
特に問題となるようなことがあった記憶は無い。
未だにピンと来ていない私に気付き、アドルフ様は眉根を寄せる。
「…覚えていないのか?もしくは…いや、彼が嘘をついているとも思えないが…スターチス伯爵、先に本人抜きで話をするという話でしたが、会わせた方が早いのでは」
「そのようだね」
お父様が頷いたのを確認して、アドルフ様は室内に控えていたクライブさんにアイコンタクトを交わす。
それを受けてクライブさんは学園長室のさらに奥にあるドアを開けた。
手招きして誰かを呼び寄せているようだ。
そして姿を見せた人物を見て、いよいよ私は言葉を失う。
「…その様子だと、彼に見覚えはあるんだね、アカネ」
そんなお父様の声に頷く余裕は無かった。
見覚えがあるなんてものじゃない。
光をはじく艶やかな金色の髪。
こちらを静かに見据える銀色の瞳。
その服装は明らかに良家の子息のもので、これまで見てきた姿とあまりに印象が違う。
だけど、それだけで誰だか分からなくなるなんてそんな馬鹿な話は無い。
あれだけ探し求めた人だったんだから。
「…ファリオン!」
「アカネ様、お久しぶりです」
呆然とした私の呟きに、彼はどこか嘘くさい笑みでもって答えた。
「しばらく悩んだんですが、やはりあの時言ってもらった通りにしようと思って、スターチス家を頼りました」
「…ん?」
何の話?
未だ状況が掴めていない私に、アドルフ様が口を開く。
「ファリオン・ヴォルシュ。記憶喪失だった彼をコッセル村で見つけ、戻るつもりがあるならスターチス家を頼るよう声をかけたのはアカネ嬢、そうだな?」
…違いますけど?
反射的に否定しかけた私の声を遮るように、ファリオンがこちらに駆け寄ってきた。
そしてその長い腕が私の肩を掠め…
「っ、ちょ!?」
「ありがとうございます!あの時アカネ様に会えてなかったら俺は今頃途方にくれてました!」
抱きしめられていると気付いた瞬間、否定の言葉は喉の奥に引っ込んだ。
なに?
何この状況!?
ドキドキするより意味が分から無すぎて、目が回る。
しかも、彼は耳元でこっそりこう囁くのだ。
「いいから、話あわせてくれ」
いいから、早く状況説明して!
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