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魔王の隣で勇者を想う  作者: 遠山京
第六章 令嬢と盗賊

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100誰かの記憶3

彼はうず高く積まれた本の山の中にいた。

本来広いはずの部屋は雑多な道具や本の群れに覆いつくされ、扉から彼の机までの道がかろうじて細くできているだけ。

知らぬ人間が手を触れれば、周囲の山は簡単に崩れ去ってしまうだろう。

しかし本の圧力を気に留めることなく、彼はカンテラの心もとない明かりを頼りに文字を書きつけていた。



「ふぅむ、やはりエルダートレントの根には解毒作用があるようだな」



ほったらかしの白髪と髭が一体化した茂みの奥で、小さな瞳が爛々と輝いている。

ここは彼の城だ。

文字通り、彼はこの建造物の主であり、この小国の王だった。

しかし彼は謁見室より執務室よりも、この研究室にばかり入りびたる、小国ながら長い歴史のあるこの国において異色の王。

若いころから続けていた研究への情熱は晩年になっても衰えることを知らず、むしろ皺が増えるごとにその勢いは増すかのよう。


しかし、石造りの廊下に響き渡る大勢の足音が、彼の研究に幕を下ろした。

けたたましい音を立てて扉が開かれ、その拍子に辺りの本が雪崩のごとく道をつぶす。



「この愚か者!何をするか!」



頭や背中の上に降ってきた本を取り払いながら、彼は振り返る。

そこに居たのは廊下にずらりと居並ぶ大勢の騎士と、それを率いるように部屋へ押し入り、案の定雪崩の被害にあったらしく痛そうに頭を押さえる赤毛の青年だった。



「こちらのセリフだ、マルクス王!毎日毎日、王の責務を放り出してこんな薄暗い部屋に引きこもるとは何事か!」



積年の恨みが積もったようなその怒鳴り声にひるむことなく、マルクス王と呼ばれた老人は裂帛の声を放つ。



「くどいわ!何度言えば分かる!政治など他の者でもできるであろう!研究は儂がやらねば誰がやるというのだ!」


「その研究とやらにどれだけ国庫が食いつぶされているか分かっているのか!」


「必要な投資だ!こうして魔物が蔓延る時代となった今、この研究を進めねば人類の発展はあり得ぬ!」


「その為に今国民が喘いでいるとしてもか!」


「ひと時の苦難があれどもいずれ民は儂に感謝する!なんとか持ちこたえさせろ!」



その言葉に耐えかねたように、赤毛の青年は首を振った。



「我が父ながら…ここまで愚かだったとは。ここまでの強硬手段に出れば考えを改めてくれると思った俺もまた愚かだったらしい」



その呟きは己の無力を嘆くように弱々しかった。

俯いていた顔を上げ、青年は騎士たちを振り返った。



「この者を捕えよ!」


「何を…!儂はこの国の王であるぞ!」


「国を治めぬ者は王ではない!研究資金を得るために王の座に居座り続け、民の為に使われるべき金を己の望むままに使ってきた貴様の所業は国賊と言われても反論はできまい!」


「ば、馬鹿な…馬鹿なことを言うな!儂が何のために…」



しかしその言葉を最後まで聞くことなく、騎士たちは老人を取り囲んだ。

かくしてこの小国の歴史において最大の愚王と呼ばれたマルクスは、牢屋の奥へ捕らわれた。

クーデターを成功させた彼の息子…赤毛の青年が新たな王として君臨し、愚政の終わりを象徴する為、前王の研究成果である本や紙の山を城下の広場で燃やして見せた。


その報告を受けた老人、前王マルクスは絶望に懊悩する。



「なぜ…何故儂の研究の価値が分からぬ…!あやつが火にくべたものは人類の三十年にも等しいというのに!」



彼の研究内容は多岐にわたるが、概ね魔物と魔力がその対象となっていた。

その実験は奇抜で周囲には不気味がられ、その仮説はあまりに突飛。

研究の末、いくつか民間に下ろされた有用な知恵もあったのだが、国民からの評価は『政治をおろそかにおかしな実験を繰り返す狂った王』というものだ。

国民の不満を解消するより魔力や魔物の活用について頭を悩ませる彼は、おおよそ好かれる為政者とは言えなかった。


しかし、彼は確かに国の為を思って研究を行っていたのだ。

二百三十年も前から現れだした魔物と呼ばれる異形の存在に各地が侵され、人々の生活は一変した。

魔力という力の存在も明らかになったが、今なお人々は魔物に怯えながら生活を続けている。

一時現れた魔物たちの王…魔王と呼ばれるものの存在もあり、人々は一致団結し急速に技術を進歩させたが、その脅威が去った今、その歩みは再び鈍っていた。

かつて結ばれた友誼も今は泡となり、各地で人同士が争い、対魔物への研究は停滞を見せている。


それに危機感を覚えている者は数少なかったが、その一人がマルクスだった。

彼は若い頃に始めた研究の最中、魔力が魔物の餌となっていることに気が付いた。

魔力は地下深くから徐々に染み出し、地上に漏れている。

一部では魔力泉と呼ばれるほど強い魔力が継続的に噴き出す場所もあり、そこにはまるで蜜に群がる虫のように魔物が集まって来るのだ。


人々の生活に根差し、その身を守る上で欠かせない要素となっている魔力。

しかし空気中に溢れるその魔力は魔物にも力を与える。

今後も噴き出す魔力が増えていけば、魔物は力をつけ、ますます増えていく。

今のような現状維持に甘んじた防衛の仕方ではいずれ無残に食い破られ、再び世界的な恐慌が起きるだろう。

その前に己の研究で人々を守る術を見つけよう、若き日にマルクスはそう誓っていた。

大望を前に身近なものを蔑ろにしてきたのは事実だが、己の欲の為に生きてきたわけではなかったのだ。


だというのに、何故。

既にいくつか説が確立していた研究もある。

もう少し裏付けをと思って己のうちに抱えたままだったが、せめてあれらを公表していれば…民の安全は、いくらか改善できたのに。



「魔王という存在があった方が…かえって人々は団結し、己の身を守れたやもしれぬな」



そうしたら、己の研究もこうして無下にされることなく、敬意をもって評されたのではないか。

しかし魔王は二百年前に打ち倒され、今、己の研究成果は灰燼に帰した。

三十年もの時間を余すことなく捧げてきた結晶。

それらすべてが。



『絶望の淵を覗きし者よ』



不意に、声が聞こえた。



「…誰だ?」



周囲を見渡すも人影はない。

分厚い扉の向こうに牢番はいるが、この声はいかにも人の者とは思い難い上に、どこから聞こえているのかも判然としない。

その違和感に気付いたマルクスは渋面を作る。



「とうとう気が触れたか…つくづく空しい最期よ」



しかし、その耳は再び異質な声を捕える。



『その身を捧げた希望の潰えし者よ』


「ふむ…いやにはっきり聞こえるものだな」


『その身に迫る強き望みを叶えたいか』


「望みを持てど、この期に及んで成す術もない。お前が何者かは知らぬが、儂に何をさせようと言うのかね」



諦めたように己の幻聴と会話を始めるも、次に聞こえた言葉で彼は目の色を変えた。



『我は魔王の魂、その力の根幹。我が手を取り、その円環の一部となるのであれば、いかな望みでも叶えよう』


「…魔王?」



暗く沈んでいた瞳に光が灯る。



「はは…なんと…魔王の魂がこの世に留まっていると言うのか!そして儂にその一部になれと!すなわち儂が次の魔王になると言うことか!」


『我が魂が身を食い破る苦痛に耐えた者が次なる器となる』


「構わぬ!どちらにしろ直に朽ちる身だ!いかな望みでも叶うのであれば受け入れよう!」


『魂を受け入れるのと引き換えに叶う望みは一つだけ。その後は与えられた力を用いて何を為すかだ』


「ふむ、何にせよ一つは望みを叶えてくれる上、この身を魔王にできる可能性が生まれるのであろう!是非もない!魔王の魂よ、わが身を使うがいい!」



恍惚とした表情でマルクスは謳うように応える。



『引き換えに何を望む』


「失われた儂の研究を再び我が手に。魔王となれば見える景色も変わろう。さらに研究が進もうと言うものだ」


『魔王となった後も研究を続けるか』


「たとえ貴様の魂にこの身を食い破られようと、それしきで儂の炎は消えぬ。儂は魔王となり人々の仇敵となろう。しかしその存在こそが人々をさらなる高みへと押し上げる!」


『人の為に魔王となるか』


「そうだ!」



言い切った老人の声は力強く、その瞳は獲物を前にした獣のようにギラついていた。

そして、魔王の魂は…その声を青年のものに変えて何か呟いた。



『まさか……とは…なら……』




==========




「アカネ」



もう何度聞いたか知れない。

耳になじみ切った、私を呼ぶ声。

本人は気付かれていないと思っているのかもしれないけど、この悪夢の時だけは依然と同じように私を呼び捨てのまま呼び続けている。

指摘しないでいるのは、それが少しだけ嬉しいから。

いつものように抱きしめてくれる体温に額を預けながら、私は小さく呻いた。



「どうしました?」


「…最後、なんて言ったか聞こえなかった」


「最後?」



あ、またぼんやりしたまま喋っちゃった。

ぼんやりはするものの、恐怖感は薄い。

いつもの悪夢とはちょっと違うし、魔王の夢の中でも他の二人より絶望感が少なかったせいだろうか。



「…今度は誰の夢を見たんです?まぁ、想像はつきますが」



これまで順にさかのぼるように夢を見て来たんだ。

予想がつくのも当然か。



「マルクス王」


「やはり彼ですか…」



リードは苦笑した。

その表情はまるで…何だかどうしようもない旧友を思い出すようだ。



「…リードは、マルクス王のこと好きなんだね」


「え?…まぁ、嫌いではありません。愚王だったのは確かでしょうが、その心根まで愚かだったわけではありませんし、彼の研究は確かに優れていました」



リードもマルクス王の知識をかなり重宝してるもんね。

人の持つ魔力比の話とか、地獄蝶の鱗粉の使い方とか?

…前者はともかく、後者は…そりゃそんな研究してたら『仕事しろ』って言われるのも無理ないんじゃ。

そんな私の思考を見透かしたようにリードが半眼で口を開く。



「今、無駄な研究も多かったって思ったでしょう?」


「う…だ、だって鱗粉の応用って、そりゃ芸術的意義はあるよ!でも民の為って言えるかなぁ」


「彼の国は主要産業が織物でした」



私の非難をぶった切るように、リードが冷静な声でそう呟く。



「色が変わる織物など当時…いえ、正確には今も広まっていないと思いますが…どこにも無いものだったので、かなり画期的な発明だったんですよ。さらに魔物が原料というところにも意義があります。それが広まれば地獄蝶を狩る人が増える。他にも使えるものが無いか研究する人も増える。彼は魔物への関心を高め、研究を促進したかったんです。織物産業の発展、そして魔物研究の加速、両方が見込めたでしょう。人々が彼の言葉に耳を貸していれば」


「…耳を貸さなかった?」


「ええ、そもそも人望がありませんでしたし、地獄蝶は遠方に生息する魔物だったので鱗粉の入手には大金が必要でした。彼も研究の為になんとか取り寄せたものの、全て使い切ってしまっていたようで譲ってやることもできなかった。高価とはいえ、そこを投資していれば莫大な利益が見込めたはずですけど、いかんせん提言した人物が悪かったですね。国王からの指示だっていうのに、城下の職人で動いた者が一人もいないんですから」



国王の威厳って…いや、国王らしいことしてないんだから仕方ないのか。



「つまり結局は自業自得ってことなんじゃ」


「そうですね。彼は研究者としては優秀でしたが、それを人々に受け入れてもらうための努力を怠った。自業自得と言えるでしょう」



そう語るリードの視線はどこか遠くを見つめている。

まるでそこに、今も研究に没頭するマルクス王が見えているかのようだ。



「だけど、リードは嫌いじゃない?」


「言ったでしょう、研究者としては優秀だって。そこに敬意を払う人間が一人くらい居てもいいんじゃないかと思ってるだけです。実際俺の役には立ってますし」


「なるほどね」



まぁ、性根の腐った人物じゃないことは私も何となくわかる。

ダメ親父なだけだ。



「ところで、何が聞こえなかったんですか?」


「え?」


「さっき言ってたでしょう」



あぁ、そういえば…

早くも薄れだしそうな記憶をたどり、夢の終わりを思い出す。



「魔王の魂が…最後に何か言った気がするんだよ。んー…でもあれって魔王の魂なのかな、声がちょっと違った気がするし…」


「声が違った?」


「リードは覚えてない?マルクス王が人の為に魔王になろうとした時、魔王の魂の声がちょっと変わったの」



魂の声が変わるとかなんとも変な話だけど、そうとしか言いようがない。

けれどリードは首を傾げた。



「…そういえば…マルクス王が魂を受け入れる瞬間の記憶が無いな」


「あれ、そうなの?」


「ええ…その宣言をしたあたりから記憶が途切れてます。まぁもともと残ってる記憶って断片的なものばかりですからね。魂の受け入れが完了した直後の記憶はあるんですが」


「ちなみに受け入れた後、マルクス王はどうしたの?」


「研究を続けるために魔術で牢を脱出し、そのまま魔王の魂に飲まれました」


「…おう…」



そうなるよねーって感じのオチだ。



「何とも締まらない話ではありますが…彼の研究成果が残っていれば、王立研究所に激震が走ることは間違いないんですけどね」



現在の研究にも影響を与えるほどのものだったということか。

あれ、でも…



「研究成果が元に戻るように願ってなかった?」


「ええ。文字通り彼の手元に戻りましたよ。牢を脱出するときにも持ち出しましたが、魔王化した彼は迷宮に着くなりどこかへ放り出してましたね」


「えー…」



せっかく取り戻したのに…

なるほど、以前リードが研究結果は全て失われたと言ったのはそういうことか。

迷宮のどこかには今も残ってるかもしれないけど、冒険者が見つけてないならよっぽど奥深くなのか、もしくは朽ちてしまったか…

勿体ない話だ。



「その後、魔物の性質変化を執拗に行い、人間にけしかけていたようですが…それが単なる魔王の習性だったのか、彼の実験が続いていたのかまでは、もうよく分かりませんね」


「……」



もし後者だったならすごい執念だ。

でも確かに二代目魔王の存在があったからこそ、人々は魔物に対して慢心することがなくなったんだろうし…

ある意味、これまで見てきた魔王の中では一番望みが叶った人なのかも。



「さて、今日はもう落ち着いていらっしゃるみたいなので、俺ももう戻ります」


「うん。いつもありがとう」


「いえ、俺はアカネ様の奴隷ですから」



そう言って微笑むリードの表情からは感情を読み取れない。

チクリと痛む胸に見ない振りをしながら、リードが出て行った窓の淵にそっと手を添える。

草の匂いをはらむ初夏の風に吹かれながら、私は大きなため息をついた。

いつもご覧いただきありがとうございます。

記念すべき100話目!

文字数にして60万文字超です。

よくこんなに書いたなぁと思いますが、お話はまだ続きますので、今しばらくお付き合いください。

ただ、新章にあたりストーリーがまだ練りきれてませんので少しお休みをいただきます。

楽しみにしてくださっている方は申し訳ありませんが、少々お待ちください。

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