010シェディオン男爵
<Side:シェディオン>
それ以降、練習の合間にアカネと遊ぶようになった。
散歩をしたり、本を読んだり。
姉のコゼットは部屋からほとんど出てこないので、アカネも寂しかったのかもしれない。
俺は遊んでいて面白い相手ではなかったはずなのに、嬉しそうにしていた。
そうして彼女と過ごしていれば、自然に使用人と接する機会も増えてくる。
思い切って声をかけ、頼れる部分は頼るようにしてみれば、最初はぎこちなかった関係も少しずつほどけていった。
俺に対しても笑顔を見せてくれる使用人が増えてきた頃には、認めざるを得なかった。
自分の容姿を理由に関わりを断っていたのは、自分の方なのだと。
その後カッセード騎士団の訓練に参加し始めるようになってからも、アカネの言葉が俺を支えていた。
胸を張って真面目に訓練に取り組んでいるうちに、騎士団員との関係も次第に良好になっていく。
アカネのおかげで未来が変わったのだ。
一度折れかけた心が立ち直り、領主を目指してやっていこうと思えるようになったのは、紛れもなく彼女の存在があったからだ。
いつしか俺は六つも年下の少女に一目置いていた。
変に大人びていたり、それでいて妙に不器用なところもあったりする彼女は、令嬢としては少し癖が強い。
プライドの高い貴族の子息とは合わなくて、もしかしたら嫁ぎ先に困ることがあるのでは、と、彼女が聞いたら怒りそうな心配もしていた。
もしそうなったとしても、俺が領主になって彼女を一生守っていこう。
どうなるかはわからないが、少なくとも彼女が成人するまで…
あと十年くらいは、こうして兄妹の穏やかな時間が続くだろう。
そう思っていたのだが…
コゼットの結婚が決まったのは、スターチス家に来て半年過ぎたころだった。
隣国の第三王子がコゼットに一目ぼれしたのだという。
正直酷い初対面だったと思うのだが、人の好みというのはわからない。
貧乏貴族にとって、もう二度とないと思えるような良縁だ。
家柄の差、コゼットの引きこもり体質。
決して軽くない問題を抱えた縁談だったが、周囲の思惑や王子本人の熱意もあって目まぐるしく事態は動き、気付けば婚姻の儀が終わっていた。
貴族の格差婚は時折見られるが、ここまで格差がスピード解決された婚姻を俺は知らない。
腹に一物もった大人達の本気を見た思いだ。
俺にとって一番影響が大きかったのは、コゼットが出て行くことではない。
正直この一年で彼女と顔を合わせた回数など片手で足りてしまう。
最大の問題は、この結婚を成立させるために国王から賜ったセルイラ領のことだった。
コゼットの婚姻の儀のためパラディアへ出かけていたスターチス家が、カッセードに戻って一週間。
夏の日差しに秋の色が見え始め、俺がここに来てからそろそろ一年という頃。
「本邸をセルイラにうつす?」
「ああ」
ある日父に呼び出されて告げられたのは転居の話だった。
「パラディアと親戚関係となったことで陛下からの呼び出しや催事への招待も増えることになりそうだ。
セルイラの方が王都に近いし、フェミーナやアカネの安全を考えても…」
「…二人の安全は確保したいところですが…」
カッセードと桁違いの経済規模を持つ新たな領地を賜ったのだ。
しばらくはセルイラでの引継ぎ業務に忙殺されるだろう。
安全面でも魔物の多いカッセードよりセルイラの方が格段に上なのだから、拠点をうつすのは自然な話だ。
しかし…
「今のカッセードを離れるのは気が進みませんね」
「ああ、分かっている」
近年魔物の発生率が上昇しており、討伐が追いついていない。
パラディアへ出かけるために領主が長期不在となるのですら躊躇われたほどだ。
辺境伯の派遣兵が本来の業務外であるにも関わらず見かねて手出ししてくれていたが、いつまでも甘えられるわけではない。
領民の被害件数も増加しており、このままでは民が離れてしまう。
ただでさえ財政の厳しいカッセードにはわずかな人口減少でも死活問題だ。
指示の遅れが命取りになる。
セルイラから遠隔統治できるほど今のカッセードの状況は温くない。
「そこでだ」
父は日頃浮かべている笑みを消し、俺をじっと見た。
まさかと思いつつ、内容に予想がついて姿勢を正す。
「シェド、お前にカッセードを任せたい」
息を呑んだ。
やはりそういう話か。
予想できたとはいえ無茶な事を言う。
この国で成人と認められるのは17歳。
俺はまだ14だ。
老け顔に見えるらしく挨拶にきた諸侯に『そろそろ成人の儀を?』などと聞かれるが、重ねて言う。
まだ、14歳だ…
成人をむかえる前に勉強のため一定の権限を与え、領地経営を体験させることは次代当主ならば珍しくない。
しかし父が言っているのは全権委任だ。
14歳で領地管理を委託されるなど聞いたことがない。
「何も無策で放り出そうって言うんじゃないんだよ。
パラディアから結納金をいただいているし、セルイラは豊かな土地だ。
これまでと違って財源を確保できる。
それを上手く使ってカッセードの魔物対策の基盤を整えてほしい」
父は穏やかに微笑み、俺を励ますように言った。
「僕よりシェドの方がうまくやれると思う」
「そんなことは…」
父の腕は知っている。
どうしてもっと上手くやれないのかと苛立ったこともある。
けれどいざ任されると尻込みするのも事実だ。
経営の才は無いが、人から好かれるのが父の強み。
だからこそ今日までこの家はなんとか続いている。
…俺の指示で動いてくれる人はどれだけ居るだろう。
そんな俺の不安を見透かしたように、父は畳み掛けた。
「今カッセードに必要なのは私が持つ人脈ではなく、
対魔物への戦略と、新たな人脈構築だ。
シェドには元王国騎士団長から得た知識と経験がある。
冒険者との交渉の仕方だって私は知らないのだからね」
確かに師からは魔物に対しての立ち回り方、組織の動かし方、冒険者という人種と接する場合の作法なども実践を交えて教えてもらった。
俺の容姿は貴族社会では浮いてしまい、トラブルの元となる。
しかし、こと冒険者となるとかえってナメられなくていいのだと師は笑っていた。
そんな諸々も含めて父は俺に期待したいというのだろう。
「…分かりました。拝命します」
「あぁ。今日をもってお前に男爵の位を譲る」
そう言って父は男爵の証となる襟章を外して俺に渡した。
流石にそれには目を剥く。
確かに何かしらの証が無ければ領主として立ち回れない。
しかし、それにはてっきり期間限定の委任状などで対応するものだと思っていた。
それこそ爵位なんて継げるのは成人してからのはずだ。
スターチス家は男爵と伯爵、両方の爵位を持っている。
国王から上位の爵位を賜っても、特別な理由がない限り、下位の爵位の返還を求められることは無い。
この理由から複数の爵位を持つ家は多く、その場合の下の爵位の使い方は主に二つだ。
一つは、跡継ぎではない下兄弟が下の爵位をもらって分家するケース。
そしてもう一つは、当主が引退するまでの繋ぎとして、跡継ぎに下の爵位を譲るケース。
これにより跡継ぎは当主になる前でも自分の地位を明示でき、一定の権限を行使しやすくなる。
それこそ一部の領地を預かって領主を名乗ることもある。
しかし、爵位の委譲は国王の認定や、王国内外各所への通達が必要だ。
あっさり俺に襟章まで渡したという事は、その手続きが既に終えられているという事。
…つまり、俺の返事を待たずして父は既に手続きを終えていたのだ。
それも、前代未聞の未成年への委譲手続きを。
「…母上が?」
こんな突飛かつ用意周到なやり口は父というよりも母だ。
そう指摘すると父は苦笑した。
「シェドはやはり頭のいい子だね」
こうして子供のように褒められるのは何年ぶりのことか。
父はあくまでも俺を子供として扱ってくれる。
「彼女の考えというわけではないよ。
提案したのは私だ。
確かに彼女の力は借りたけどね」
「母上は…この国の元王女だったと知ってはいますが…」
スターチス家に養子に来て一年。
たったそれだけの時間でもわかったことがある。
フェミーナ・スターチスはただのほんわかした伯爵夫人ではない。
元第十二王女にして没落気味の伯爵夫人。
それにしては広すぎる人脈と行動力を持っている。
そのわりに領地の経営や発展には力を入れていない。
一体その能力を何に発揮しているのか。
「フェミーナのことが気になるかい?」
父は穏やかに微笑んだ。
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<Side:アカネ>
「お母様ってやっぱり只者では無いんですね…」
なんだか黒いと思ってはいたけれど、まさか兄の早すぎる爵位継承にも絡んでいたとは。
「それでっお母様の正体は!?」
わくわくしながら詰め寄るけれど、シェドは困ったような顔をした。
「正体…?何を言っているんだ」
「え?なにか秘密組織の一員とかそういう陰の肩書が」
「無いぞ」
何言ってるんだというような目をされた。
…無いのか。
ことごとく中二展開が否定されるな。
まぁ、肯定されても『お、おうそうか…』くらいの反応になるんだろうけども。
「お父様から何か聞いたわけではないんですか?」
「聞いたのは母上が人脈を広げている理由だけだ」
「ほう、それでなんと?」
「…口止めされている」
ちょっと!?
ここまで話しておいてそれは酷い。
口止めされているならこんなくだりはそもそも話すな。
非難を込めてジトっと見つめると、シェドは小さく咳払いした。
「すまない、思い出しながら話していたからつい…」
「というか、約束というのはいつ…」
普段は口数が多い方ではないはずなのにいつになく饒舌な兄。
自分の生い立ちから話し出してくれたものだから、一向に目的の話にたどり着かない。
ぶつくさ文句を言う私に、少し寂しげな眼差しが向けられる。
「…やはり思い出せないか?」
「……すみません」
それを言われると弱い。
気まずく視線をそらすと、シェドは首を振り、呟いた。
「アカネ達がセルイラに発つ前日…いつものように庭で散歩をしていた時だ」




