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ほな、さいなら  作者: 古川ムウ
7/11

〈七〉

 三学期が始まった。

 最初は休みボケもあった真由だが、数日で消えた。調子は上々という感じで、いや、それは言いすぎかもしれないが、とりあえず普通の学校生活が戻って来た。

 久しぶりに会ったクラスメイトは、両親の離婚について、全く話題にしなかった。

 もう忘却の彼方となったのか、気遣いしているつもりなのか、その辺りは良く分からない。

 客観的に見れば、例えば「正月に何があったか」「どこへ遊びに行ったか」といった話題の方が、ニュースとしては新鮮だ。真由の両親のことなど、既に過去の話題と化している。


 (世の中、古いモンから順番に消えていくんやね)


 ちょっぴりセンチメンタルな感想を持った真由であった。

 ゴイラだけは例外で、相変わらず離婚ネタで真由をからかった。しかし、真由が適当に受け流していたせいか、それも少しずつ減ってきた。


 (あいつの場合、ボキャブラリーが少ないから、困ったら離婚ネタに走る傾向はあるけど)


 さらに言葉に詰まると、アホとかボケとか、そういう単純な言葉しか出て来なくなる。ある意味、分かりやすい人間なのだ。

 根性が捻じ曲がっていると自覚している真由は、単純な人間を羨ましく思う部分もある。

 ただし、ゴイラのようになりたいとは、これっぽっちも思わないが。



 「なあ真由ちゃん、聞いて」

 休み時間、真由がトイレから教室に戻ろうとすると、慌てた様子でタエボンが走って来た。

 タエボンはゴイラほど単純ではないが、ある一つのポイントに限っては、ものすごく分かりやすい。

 彼女がそんな様子で、どこか泣きそうな顔になっている時は、ヒロヤのことが関係している。そう思って、まず間違い無い。


 「そんなに急がんでも、聞いたるがな」

 真由はタエボンを落ち着かせる。

 「それで、どないしたん?」

 「合格したんやって」

 「タエボン、主語が無かったら、なんのことか分からへんで」


 (まあ、薄々は分かってるけど)


 「ヒロヤくん、私立中学の試験に受かったらしいねん」

 タエボンは言った。

 やはり、真由の予想通りの内容だった。

 「そうか、受かったんか。まあヒロヤの頭がエエんか、受けた学校のレベルが低いんかは知らんけどな」

 「どないしよう、真由ちゃん」

 「おめでとう、とでも言うたらどうや」

 「そういう問題やないよ。これで、卒業したら別の中学に行ってしまうやん。そしたら会われへんようになるやん」


 (そんなことは、言われへんでも分かってるよ)


 これまで真由は、タエボンからしつこく聞かされてきたのだ。

 「ヒロヤの行く中学ってどこやねん?東京にでも行ってしまうんか?」

 真由は尋ねた。

 「大阪らしいけど」

 「大阪か。そしたら家から通う可能性もあるやろ。その場合、タエボンは休みの日にヒロヤを見掛けたりすることは出来る」

 「そうかもしれへんけど」

 「でも、それだけでは、タエボンは満足でけへんねんな」

 「満足っていうか……」

 「つまりタエボンは、ヒロヤが私立に落ちた方が良かったんやな」

 真由は、やや意地の悪い言い方をした。

 「でも、落ちたらヒロヤくんは悲しいと思うし、合格して良かったっていう気持ちはあるけど……」

 「どないやねん。合格しても嫌、不合格でも嫌では、どないもならんがな」

 「せやから困ってるねん」

 タエボンは、ハアッと息を吐き出した。

 だが、相談された真由の方が困る。


 (本人の気持ちがフラフラしとんのに、他人に何を言うて欲しいねんな)


 「よっしゃ、もう分かった」

 真由はパンと両手を打ち合わせた。

 このまま二人で話していても、状況は進展しない。いつも同じことを語っているだけで、結局は何も答えが出ない。

 だったら、こちらから動いて状況を変えるしかない。

 「タエボンが色々考えて困るのは、ハッキリしてないからやろ。せやから、ハッキリさせたらエエねん」

 「何をハッキリさせるの?」

 「告白したらエエねん。付き合ってくださいって言うたらエエねん」

 「もう、そんなん言えるわけないやん」

 タエボンは、いつもの反応を見せた。

 「それが言えるぐらいやったら、苦労してないよ」


 「せやけど付き合ってしもたら、いつでも好きなように会いに行けるし、電話で連絡を取り合うことも出来るで」

 「無理やって。だって、断られるに決まってるし、その時に、どうしたらエエか分からへんもん」

 「告白してみな、断られるかどうかも分からへんやん。そこは勇気出して、言うてみたらどうや」

 「絶対に無理やって。恥ずかしいし」

 「恥ずかしいって言うてたら、いつまで経っても気持ちなんか伝わらへんで。あの世まで気持ちを持って行くつもりかいな」

 「真由ちゃん、ちょっと怖いわ」

 タエボンの顔が引きつる。

 「そんなに強く言われたら、どうしてエエか分からへん」

 「強くなんか言うてないやん」

 「言うてるってば」

 タエボンは、やや怯えたように体を引いた。


 (確かに、やたら強い調子で喋ってたかもしれへんな)


 他人のことなのだから、そこまで熱くなる必要は無いのだが。


 (そうや、考えたら、そんなにムキになる必要も無いねん)


 タエボンが告白しようがしまいが、それは彼女の問題であって、真由には関係無い。

 どうして他人の恋の後押しをしなければならないのか。

 冷静に考えると、真由は馬鹿馬鹿しくなってきた。

 「すまんな、タエボン。ほんなら、今のアタシの言葉は、全部無かったことにしてくれるか」

 真由は穏やかに告げた。

 何だか、急に気が抜けてしまったのだ。

 タエボンはポカンとした顔になる。

 それはそうだろう。

 だが、今回のやり取りは捨て去ってしまった方がいいと、真由は思った。

 結局、これはタエボンの問題だから、彼女が考えて答えを出すしかないのだ。他人がとやかく言うことではない。


 (それに、他人の問題に首を突っ込んでる場合と違うしな)


 その前に、まずは自分の問題を解決する必要がある。


 *****


 真由は、母に電話を掛けてみた。

 次の日にマンションへ行っても大丈夫かどうか、確認するためだ。

 前回の訪問時、来る前に連絡するよう注意されたので、それを守ったのだ。

 しかし残念ながら、留守番電話になっていた。

 タイミングが悪いのかもしれないが、裕子が引っ越して以来、いつ掛けても電話は繋がらない。そう頻繁に掛けているわけではないが、必ず留守番電話になっていた。


 正月の夜に電話した時も、やはり同じだった。

 その時は、当初は掛けるつもりなど無かった。

 というのも、きっと向こうから掛けてくるだろうと期待していたからだ。いくら家を出たとはいえ、新年の挨拶ぐらいはあるんじゃないかと思ったからだ。

 さすがに家までは来ないにしても、電話なら面倒なことも無いだろう。

 だが、夜になっても電話は無かった。


 考えてみれば、引っ越して以降、裕子が電話を掛けて来たことは一度も無い。

 真由が外出している間に電話をしているのかもしれないが、その可能性は低いだろう。真由が出掛けているのなら、その時間は大抵の場合、父も外出している。そんな時間帯に電話を掛けて来ても、意味が無い。


 (離婚したかもしれんけど、まだ一ヶ月やで。忘れるには早すぎるっちゅうねん)


 真由は大いに不満だった。

 仕事が多忙なのかもしれないが、それでも電話をする暇ぐらいはあるはずだ。


 (せめて正月の挨拶ぐらいは、あっても良さそうなモンやろ。いや、別に寂しいとか、そんな気持ちは全く無いけど)


 向こうから連絡が無いのだから、こっちから掛けるしかない。


 (まだ風邪も完治してないのに、なんで娘の手を煩わせるかな)


 裕子は真由が風邪をひいていることを知らないので、それは理不尽な文句なのだが、その時は、そう思ってしまったのだ。

 真由は電話を掛けたが、留守番電話になっていた。メッセージを残せば折り返しの連絡があるかもしれないが、真由はそのまま電話を切った。

 真由は、どうも留守番電話へのメッセージ吹き込みが苦手だった。変に身構えてしまい、普段とは全く違う口調になってしまうのだ。インチキな標準語のようなイントネーションになってしまう。

 それが嫌なので、留守番電話の時は、メッセージを残さずに切ってしまうことが大半だ。

 真由は時間を置いて再び掛けたが、やはり留守番電話だった。次の日も掛けたが、またも同様だった。そこで初めて真由はメッセージを残し、電話を切った。



 母から電話が掛かって来たのは、すっかり風邪も治った一月六日の夜だった。

 「何回も電話したんやで」

 と抗議しようかとも思った真由だが、やめておいた。そんなことを言って、すごく会いたがっているように思われたら恥ずかしいからだ。

 本当は携帯の番号を教えてほしいと言いたい気持ちもあったが、それも口にしなかった。

 妙な所で、意地になってしまったのだ。


 真由はさりげない感じで、正月に何をしていたのか尋ねた。

 すると裕子は、年末から年始に掛けて八日間の旅行に行っていたことを説明した。

 つまり、仕事で忙しいわけではなかったのだ。

 「ほおっ、気楽なご身分ですな」

 真由は皮肉っぽい言い方をした。


 (それぐらい金があるってことか。家におる時は、そんなことは全く分からへんかったけどなあ)


 もしかすると、たっぷりとヘソクリを溜め込んでいたのかもしれない。

 「気楽じゃないよ。たまには気分転換でエエかなと思っただけや」

 「気分転換で八日間も旅行に行けるんやから、大したモンやで。リッチでエエなあ」

 「リッチじゃないってば」

 裕子が即座に否定する。

 「いやいや、リッチですって」


 (そんなに儲かるんやったら、アタシもキッチン・コーディネーターになろうかな)


 ただし、どうやったらなれるのかは、良く分からないが。


 「ほんで、旅行って、どこ行ってたん?」

 「近いよ、島根県やから」

 「年末から、ずっと島根ってか」

 「アカンのかいな」

 「いや、アカンことはないけど、八日間やろ?」

 「そうや」

 「普通は正月に八日間も旅行っていうたら、海外じゃないの?」

 「それは決め付けやと思うで」

 「島根で八日間もすることあるか?」

 「真由、それは島根を馬鹿にしてるで」

 「でも島根って言われても、なんにも思い付かへんで」

 「知らんだけやって」

 「無知ですまんのお。で、お土産はあるんかなあ?」

 「ああ、ごめん、買ってけえへんかった」

 「いや、そんなん分かってるよ。あえて言うてみただけや」

 「今度行く時は買ってくるわ」

 「今度って、いつやねんな」

 「さあ、いつかな」

 「期待せんで待ってますわ」


 真由は軽い調子で会話を交わしながら、どことなく変な空気を感じていた。

 母が遠くにいるような、そんな気がしたのだ。

 裕子のマンションまでは、電車を使わないと行けないぐらいの距離があるが、そういう物理的な遠さではない。

 目に見えない心の距離が、遠くなったように思えたのだ。

 なぜそんな風に感じたのか、理由は分からない。それこそ感覚的なものだ。

 そして真由は、急に不安な気持ちになってしまった。


 「あのさ、お母ちゃん」

 真由は静かに言った。

 「なんや?」

 「しばらく会ってないやんか」

 「そうかなあ。前に一回来たやん」

 「それだけやろ。それから一回も行ってないし、たまには遊びに行こうかと思って」

 「別に構わへんよ」

 「ほんなら、明日行くわ」

 「急な話やな」

 裕子は軽く笑う。


 「でも、明日はたぶん無理やわ。夜まで仕事でおらへんから」

 「そうなん。ほんなら、明後日は?」

 「忙しいし、難しいかなあ。真由、なんでそんなに焦ってんの?なんかあるんか?」

 「別に無いけどさ、決めたんやから、早い方がエエかなあと思っただけや」

 「そうか。でも明日と明後日は無理やと思うわ」

 「そしたら、とにかく近い内に行くわ」

 「来るのは構わへんけど、前みたいなことはしたらアカンで。必ず来る前に連絡してくること。それから、お父ちゃんに言うてから来ること」

 「うん、分かってる」

 そんな約束をして、その日は電話を切った。



 学校が始まると、平日に訪れることは難しい。

 だから真由は、週末まで待った。

 そして金曜日になり、彼女は電話を掛けた。

 しかし前述の通り、留守番電話になっていたのだ。

 「留守ばっかりかい」

 真由はメッセージを残さず、受話器を叩き付けた。


 (そういうドッキリか。もしくは地味な嫌がらせか)


 また時間を置いて掛け直すという手もあったが、真由の中に生じた苛立ちは、それを拒絶した。


 (もうエエわ。事前に電話すんのは無しや。いつ電話しても通じへんねんから、しょうがないやんけ)


 明日、マンションへ行く。

 真由は、そう決めた。


 (別に構へんやろ。子供が親に会いに行くのに、なんでいちいちアポを取る必要があんねん)


 行ったところで留守の可能性もあるが、そんなことはどうでも良かった。

 真由は抑え切れない衝動を感じていた。留守でも別にいいと思えるほど、熱くなっていた。


 (アホかっちゅうに。とにかく明日、行ったるっちゅうねん)


 *****


 「しかし、寒いなあ」

 母のマンションに向かう道を歩きながら、真由はブルッと体を震わせた。

 冬だから寒いのは当たり前だが、天気予報によると、今日は特に寒いらしい。

 しかも気温が低いだけでなく、風がビュービューと吹いている。

 厚着はしてきたつもりだが、マフラーや手袋は着けずに家を出た。そのことを、真由は後悔した。

 手はかじかむし、首の辺りから冷たい風がスースーと入って来る。

 真由は寒いのが嫌いだった。

 涼しいのはいい。だが、寒いのは勘弁だ。


 (寒いのなんて、誰が得すんねやろ)


 とは言うものの、暑すぎるのも嫌だった。

 夏か冬かどちらかを選べと言われたら、真由は冬を選ぶ。

 寒いのなら、何枚も着込んで凌ぐことも出来る。しかし暑い時は、脱ぐのにも限界がある。


 (厚着やったら、どこまでも重ね着が可能やん。どこまでもっていうのは言いすぎやけど)


 着込むのとは違い、脱ぐのは裸が限界だ。それでも暑いとして、皮膚を脱ぐわけにはいかない。もちろん冷房を使えば涼しくなるが、ここでの比較においては、それは反則だ。

 出来ることなら、暑いのも寒いのも無ければいい。ちょうど真ん中ぐらいの気温が続けば、それがいい。日本に四季など要らない、春と秋だけになったらいいと、真由は半ば本気で思っている。


 (まあ、そんなアホなこと考えても意味が無いねんけどさ)


 真由は何気無く、通りの向かい側に視線をやった。

 風に吹かれて、ファストフード店の幟がはためいている。


 (そう言えば、あの時も冷たい風が吹いてたな)



 真由の脳裏に、思い出が去来する。

 あの時というのは、真由が幼稚園の年長組の時だ。

 ちょうど今ぐらいの時期に、みんなで凧を作らされたことがあった。

 ちなみに真由は、年少の時はチューリップ組で、年長の時はバラ組だった。

 なぜ花の名前でクラス分けしていたのか、その理由は不明だ。園長先生が花を愛でていたとか、そんな理由ではないだろう。

 一組とか二組とか、普通に数字で分けてもいいようなものだが、花の方が子供っぽくて可愛らしいとでも思ったのだろうか。


 (だとしたら、失敗してると思うわ)


 真由の考えでは、花の名前にした方が、むしろ問題が起きて困ることになる。それは根拠の無い主張ではなく、実体験に基づくものだ。バラよりヒマワリの方がいいと駄々をこねていた園児を、彼女は見ている。

 花の場合は、好き嫌いが出てしまう。そういう問題が起きるので、避けた方がいいのではないかと考えるのだ。もちろん数字にも好き嫌いはあるだろうが、花ほどではないだろう。

 ともかく、真由は他の園児達と共に、一人に一つずつ凧を作ることになった。昔からある、オーソドックスな四角い凧だ。


 (それにしても、その当時でも凧で遊ぶような子供なんか、おらんかったけどなあ)


 そもそも、凧の形さえ知らない子供もいたぐらいだ。


 (というか、正月やから凧揚げしようとか、そんな古い歌に出て来るようなガキなんておらへんって。いつの時代やねん)


 真由が小学六年生になった今もそうだが、幼稚園の頃でも既に、正月は家でテレビゲームという時代だった。

 未だに、

 「子供は風の子だから外で遊べ」

 と言う昔気質の大人もいるが、自分がやってみろと真由は反論したくなる。

 なぜ正月の寒い時に、わざわざ外へ遊びに出なければいけないのか。風邪でもひいたらどうするのか。


 (それこそ、別の意味でカゼの子になるがな。って、今のは寒いダジャレやな。寒すぎて風邪ひくわ)


 ともかく、その時も真由は、凧なんて作ってどうするのかと不満を抱きつつ、それでも一応は文句を言わずに作業をした。骨組みを作り、紙を貼り、そこに絵を描き、ヒラヒラとなびく二本の足を付けた。

 後から考えれば、全く気持ちが乗らない状態で作ったのが失敗だった。

 みんなが凧を完成させると、幼稚園の先生は、

 「今から外で飛ばしましょう」

 と告げた。


 ふざけるなと言いたい気持ちをグッと抑え、真由はみんなと共に運動場へ出た。先生には従わざるを得ない。号令に合わせ、みんなで一斉に凧を揚げた。

 揚げてから真由は、自分が恥ずかしすぎる失敗を犯していたことに気付いた。普通は揚げる前の段階で気付くべきことだが、やはり気が抜けていたのだろう。

 何が失敗だったかというと、足の部分を反対側に付けていたのだ。だから、凧の上下が逆さまになったまま空に浮かんだのだ。


 それに気付いて、真由は慌てて凧を下ろした。

 すると先生が寄って来て、

 「どうしてやめるの?せっかく上手く揚がってたのに」

 と問い掛けた。

 仕方が無いので、真由は

 「もう、アタシはいいですから」

 と言葉を返した。

 何の説明にもなっていないが、そこで本当の理由を言うわけにもいかない。

 すると先生は、

 「別に上下逆さまでも構へんやん。高く飛んだら分からへんねんし」

 と言ったのだ。

 真由はショックを受けた。


 (逆さまって知ってるんやったら、凧を下ろした気持ちを理解すべきとちゃうんか)


 高く上がったら分からないとか、そういう問題ではない。

 真由は先生の穏やかな説得に応じず、もう凧を飛ばさなかった。

 手袋もせず運動場に長くいたので、真由の両手は冷たくなった。指先はちぎれそうに痛かった。


 (まあ、絶対にちぎれへんって分かってるけど)



 幼稚園から帰る時、母が迎えに来てくれた。

 真由が何も言わない内に、裕子は手袋を差し出し、

 「手、冷たくないか?手袋持って来たから、はめて帰り。首が寒かったら、マフラーも持って来たし」

 と告げた。


 (優しいのお、アタシの母上は)


 その瞬間は、そう思った。

 しかし、その後で凧揚げのことを語った時の反応には、ガッカリだった。

 凧の足が逆さだったので即座に下ろしたことを説明すると、

 「そんなん、高くまで飛んだら分からへんのに」

 と、平気な顔で言ったのだ。


 (母親やねんから、もう少し娘の気持ちを分かってくれてもエエんとちゃうか)


 その時は、実は血が繋がっていないのではないか、捨て子だったのではないかと、疑ったりもした。

 たかが凧揚げで馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないが、そんなことを真剣に考える時期もあったということだ。

 実際、今になって考えてみれば、自分でも馬鹿馬鹿しいとは思うのだ。


 (でも、当時はまだ若かったからな。今も若いといえば若いけどさ)


 しかし実年齢はともかく、中身はどんどんオバサン化が進行しているような気がしてしまう。

 このままだと、三十歳ぐらいの時に、中身はヨボヨボの婆さんになってしまうかもしれない。

 中身の老化スピードが速すぎて肉体が付いていけず、四十歳ぐらいで精神だけが老衰で死んだら、どうなるんだろうか。


 (いや、そんなことは有り得へんって)


 真由は、自分の馬鹿な妄想にツッコミを入れた。


 *****


 母の暮らす八〇三号室の前に立った時、真由は少しだけドキドキした。

 前回の訪問時と同じ感覚だった。

 なぜドキドキするのか分からないのも、前回と同様だ。


 (緊張する必要なんか、何も無いはずやねんけどな)


 真由は軽く息を吐き出し、それからインターホンを押す。

 応答は無い。

 もう一度押してみるが、それでも反応は無い。

 「お母ちゃん、留守にしてんのかなあ」

 ポツリと言う真由。

 いきなり来たのだから、母が留守でも文句は言えない。

 ただ、やはり残念には思う。


 諦めて帰ろうかと思いつつ、試しにもう一度だけインターホンを押すことにした。

 人差し指を伸ばした時、ガチャリと音がした。そしてドアが少しだけ開き、中から裕子が顔を見せた。

 「なんやの、真由」

 裕子が無表情で真由を見据える。

 「なんやのって、なんやの」

 真由は即座に言い返す。

 「いるんやったら早よ出てえや。インターホン押しても出てけえへんし、てっきり留守かと思ったやん」

 「ちょっと用事してたんや。それより、来るんやったら前もって連絡しなさいって言うてあるやろ」

 裕子は厳しい口調で言う。

 真由は、母が本気で怒っているのを見取った。抑え気味で喋っているものの、カッカしていることは、表情を見れば分かる。


 (ここは素直に謝っとくのが利口やな)


 「ごめん。悪いと思ってる」

 真由は頭を下げた。

 彼女は、母が怒っているだけでなく、同時に動揺していることも見抜いていた。


 (でも娘が来たからって、そんなに慌てることも無いはずやのに)


 「悪いと思ってるんやったら、なんでこういうことをするんや?」

 「何回か電話したけど、出えへんかったんや。お母ちゃん、最近は留守番電話になってることが多いみたいやし」

 「留守電にメッセージを残したら、こっちから連絡するやんか」

 「それは、そうやけど」

 「あのな真由、この前、約束したやろ。お母ちゃんは、真由を約束が守られへん子に育てた覚えは無いよ」


 (アタシもそんな風に育てられた覚えは無いよ)


 真由は表情を変えず、心で反論する。

 「いくら娘でもな、約束を破ったのはアカン。せやから、今日はこのまま帰って」

 「えっ、入れてくれへんの?」

 真由は驚く。

 母が怒ることは想定していたが、追い返そうとするなんて夢にも思わなかった。

 「これで中に入れたら、また今度も連絡せんと来るかもしれへんやろ。ここで甘やかすわけにはいかへん。だから、今日は帰りなさい。電車賃は出してあげるから」

 冷静な口調だが、その言葉には強い意思が込められている。


 (マジもマジ、大マジで言うてるな)


 母の顔色を窺いながら、真由は何とか翻意させようと言葉を探す。だが、適当な言葉が思い浮かばない。

 それでも、安易に引き下がるつもりは無い。

 確かに、約束を守らなかったことは悪い。だが、来てすぐに、この寒い中を帰れというのはどうなのか。


 (今日の気温より冷たいんとちゃうか。そこは母親の暖かさで、なんとかならんのかいな)


 「どうしてもアカンの?」

 無駄だろうと思いつつも、真由はすがるような眼差しを母に向けた。

 「アカン」

 一言で終わった。

 どうにかして入れてもらおうと思案しつつ、真由は何気無くうつむいた。


 その時、彼女は気になる物を発見した。

 靴だ。

 玄関に靴があるのは当たり前だが、それは明らかに男物の革靴だった。しかも、まるで見られては困るかのように、隅の方に寄せてある。


 (おいおい、もしかしてアタシを入れたくない理由は、その靴に関係あるんとちゃうんかい)


 真由の中に、強気が復活した。

 彼女は顔を上げ、ズバッと疑惑に切り込む。

 「お母ちゃん、誰か来てんのか?」

 「えっ、なんで?」

 裕子の頬がピクッと引きつった。


 (ははーん、やっぱりか。隠し事はあきまへんなあ、奥さん)


 「だって、その靴、お母ちゃんのと違うやんか」

 真由が革靴を指差す。

 すると裕子は一瞬だが、「しまった」という表情を見せた。それを真由は見逃さない。


 (急にアタシが登場して、慌てて靴を隅に寄せたんかな。それにしても、もっとキッチリ隠したらエエのに)


 「よう分かったなあ」

 裕子はバレたと気付いて開き直ったのか、感心した様子で言った。

 「今な、ちょっと仕事の関係でお客さんが来てるんや。大事な打ち合わせがあるから、悪いけど帰ってくれるか」


 (なるほど、バレたけど、それでも「帰ってくれ」っちゅうのは変えへんのか)


 しかし真由は、その弁明が解せなかった。

 仕事の客なら、変に隠そうとする必要は無いはずだ。

 こうなると、ますます帰るわけにはいかなくなった。

 「分かった。でも、オシッコが漏れそうやねん。トイレだけ貸して」

 言うや否や、真由は玄関に押し入り、母の横をすり抜けて奥へとダッシュした。

 「ちょっと真由」

 止めようとする母の言葉は無視した。


 リビングに入ってすぐに、真由は立ち止まった。

 見知らぬ男性が、ソファーに座っていた。泰彦と同じか、それより年上に見える中年男性だ。

 真由の突撃を受け、彼はぎょっとした表情を浮かべた。


 (シュッとした顔付きやし、体格もお父ちゃんよりガッチリしてるな)


 真由は男性に対して、そんな第一印象を抱いた。

 彼はすぐに平静を取り戻し、笑顔を浮かべて立ち上がった。

 「やあ、こんにちは」

 男性が軽く会釈する。


 (なかなか落ち着いた反応やんけ)


 こういう場合、どうしたらいいのかと真由は思案する。

 「あのな真由」

 裕子がリビングへ来て、声を発した。

 「この人は出版社の人やねん。今度、お母ちゃんが本を出すことになってな、それで打ち合わせをしてたんや」

 「へえ」

 真由は短く言う。


 (まだ何も聞いてないのに、なんでベラベラ喋ってんねん)


 「真由ちゃんやろ。お母さんから聞いてるよ。僕は高木って言います。よろしく」

 その男性は、真由に握手を求めてきた。

 真由は無言で手を差し出し、握手に応じた。

 「お母さんも言うたけど、真由ちゃんのお母さんが、僕の勤めてる会社から本を出すんや。それで、僕が担当することになったから、色々と相談してたんや」

 「なるほど」

 抑揚の無い調子で、真由が相槌を打つ。


 (よう喋るオッサンやな。心にやましいことがある時は、言葉が多くなるんやで)


 たぶん、打ち合わせというのは嘘だろうと真由は推測した。

 本当に打ち合わせなら、最初からそう言えばいいだけの話だ。別に悪いことをしているわけでもないのだから。

 それなのに、母は当初、客が来ていることを内緒にしようとした。

 それは不自然だ。


 (並の子供は騙せるかもしれんけど、アタシには通用せえへんで)


 「打ち合わせやったら、別にマンションじゃなくてもエエんとちゃうん?」

 真由は鋭く尋ねる。

 「いつもは違うよ。今日は色々あって、たまたまマンションで打ち合わせすることになっただけや」

 裕子は笑みを浮かべて返答する。


 (どう見ても作り笑いやな。大体、「色々あって」って、説明になってないし)


 二人が特別な関係なのではないかと、真由は疑念を抱いた。

 だが、それについては、あえて追求しないことにした。

 聞きたい気持ちは山々だが、実際に母の口から「付き合っている」などと言われたら、どうしていいか分からない。

 その言葉を受け止めるには、心の準備が必要だ。


 「なるほど、ホンマに仕事やったんやな」

 少し棘のある口調で、真由が告げた。

 本当は全て気付いているのだというニュアンスを、微妙に匂わせるような言い方にしたつもりだった。

 「仕事の邪魔をするのはいけませんね。だからアタシは帰ります。では、お母様、お仕事の方、頑張ってくださいませ」

 嫌味っぽい調子で言うと、真由は母に背中を向けた。

 「もう帰るんか?」

 裕子が聞く。


 (アンタが帰れって言うたんやないか。せやから望み通りにしたるんや)


 そう思いつつ、真由は無言でうなずく。

 「トイレは行かんでエエのか?」

 「もうエエわ。なんか知らんけど、急に引っ込んだ」

 「駅まで送っていこか?」

 裕子は柔和な口調で告げる。

 「ええよ、ガキやないねんから、一人で帰れるって」

 真由は淡々と言い、振り返らずに部屋を出た。


 (馬鹿にしたらアカンで、お母ちゃん)


 ドアが閉じる無機質な音を背中に聞きながら、真由は苛立ちを覚えた。

 嘘が見え見えの優しさなど、不愉快なだけだ。


 (お母ちゃんは自分のやってることが後ろめたいのかもしれんけど、その代わりに優しくする、みたいな態度はムカつくねん)


 *****


 その夜。

 いつものように、泰彦は晩御飯を食べ終えて一服している。

 晩御飯を済ませると、そのまま食卓で夕刊を読むのが彼の日課だ。

 真由は食器を洗いながら、頭を巡らせている。

 彼女は心の中に、モヤモヤを抱えている。


 母のマンションから戻って、真由は落ち着いて考えてみた。

 確認したわけではないが、母と高木が付き合っているのは間違い無いだろう。それは娘として快く思えることではないが、雰囲気で二人の関係ぐらいは分かる。

 それが雰囲気だけで分かってしまうのも、嫌なものだ。


 (もっと鈍感やったら良かったのに)



 母と高木がそういう仲だとして、気になることが色々と出て来る。

 例えば、母に電話を掛けても留守電ばかりだったのは、仕事が忙しかったからなのだろうか。ひょっとすると、高木と会っていたのではないだろうか。

 母は年末年始に旅行へ出掛けたと言っていたが、それは一人旅だったのだろうか。ひょっとすると、高木と一緒だったのではないだろうか。

 そういうことが、どんどん気になり始めた。

 しかし、それを確かめるために、母に電話を掛けて尋ねる気にはならなかった。

 どうせ留守番電話になっている可能性が高いし、仮に電話に出たとしても、真実を答えてくれるとは限らない。嘘をつかれたら嫌だが、それを嘘だと断定するのも難しい。


 (嘘かホンマかはどうでもエエか。いや、どうでもエエことはないわな。って、どないやねん)


 自分の中で、考えが混乱してくる。とにかく、どんどんモヤモヤは溜まっていく。

 そのモヤモヤを、自分だけではどうにも処理できそうになかった。

 食器を洗い終えた真由は、父に声を掛けることにした。

 誰かに何かを吐き出さないと、おかしくなりそうだったのだ。


 「なあ、お父ちゃん」

 「なんや、真由」

 「お母ちゃんのこと、まだ好きか?」

 「いきなり何を聞くねんな」

 泰彦は狼狽した様子で、新聞から視線を上げた。


 (まあ、そういう反応になるわな)


 自分でも、変な質問を急に切り出したことは分かっている。だが、抑えられないのだから仕方が無い。

 「頼むわ、お父ちゃん。お母ちゃんが今でも好きかどうか、マジで答えてほしいねん」

 「真由、なんでそんなこと、急に聞こうと思ったんや?」

 泰彦は軽く笑う。

 「なんでってか」

 そんな質問で返されるとは予想していなかったので、上手い答えは用意していなかった。

 実際、ハッキリした答えがあるわけでもない。

 「いや、ちょっと聞いてみたかっただけや。なんか急に気になってな」

 とりあえず何か言わなければならないだろうと思い、真由はそう答えた。


 (全然答えになってないけどな)


 「ふうん、そうなんか」

 泰彦は不思議そうに真由を見た。

 「それで、まだお母ちゃんのこと好きなんか、聞かせてえや」

 「別に、嫌いではないけどな」

 「離婚したのに?」

 「離婚はしたけどさ、もう会いたくないとか、そういう気持ちは無いよ」

 「嫌いではないってことは、好きっていうことやろ?」

 「二つしか答えが無いんやったら、どっちかと言えば好きの方に近いかな」

 「その“好き”っていうのは、愛してるっていう意味か?」

 「真由、やけに突っ込むなあ」

 泰彦は戸惑いの表情になった。だが、真由は構わずに続ける。

 「トコトン突っ込むよ。ほんなら聞き方を変えるわ。お父ちゃんは、まだお母ちゃんのことを愛してる?」

 「愛してるかって?それはどうやろなあ。ちょっと答えにくい質問やなあ」


 (そら、そうやろな。それを分かった上で、聞いてるんやから)


 「答えにくいところを、あえて答えてほしいねん」

 「うーん、そうやなあ」

 泰彦は唸るように声を発した。

 「例えば、お父ちゃんは真由のことを愛してるよ。それと同じぐらいお母ちゃんのことを愛してるかって聞かれたら、それは違うって言う。それは真由に対する愛情の方が強いからや」

 分かったような、分からないような返事だった。

 質問と答えが、どこかズレているようにも感じられた。


 (ひょっとすると、お父ちゃんがごまかそうとして、わざとズラしてるんかもしれん)


 「もしも、もしもやで。お母ちゃんがもう一回やり直そうって言うてきたら、お父ちゃんはどうする?」

 「すごいこと聞くなあ」

 泰彦が苦笑いを浮かべる。


 (ホンマや、すごい質問やな。なんでそんな質問してしもたんやろ。そんなことまで聞くかね)


 だが、声に出してしまったら、もう後戻りは出来ない。

 「どうする?」

 「やり直そうなんて、絶対に言ってけえへんって」

 「せやから、もしもの話やんか」

 「もしもの話なあ。うーん、どうやろなあ、その時にならんと分からへんなあ。今は答えが思い付かへんわ」

 受け流すように、父は返答した。


 たぶん、これ以上追求しても駄目だろうと真由は判断した。雰囲気からして、ちゃんとした答えは出そうに無い。どうも逃げられた感じだ。

 ただ、少しホッとしたところもあった。あまり明確な答えを出されても、どう受け止めていいのか分からない。答えがどっちに転ぼうとも、それは同じだっただろう。



 ついでなので、真由は別の方向から切り込んでみることにした。

 「お父ちゃんは、お母ちゃん以外の人と再婚する気はあるん?」

 「そんなことも聞くんか?真由、今日はどないしたんや?」

 父が小さな驚きを示す。

 「たまにはそんな日があってもエエやん。ほんで、どうなん?」

 「いや、考えたことも無いよ」

 「ほんなら、もう死ぬまでバツイチの独身男でおるつもりかいな」

 「そんな先のことまで考えてないからなあ。いずれは再婚するかもしれへんけど。ただ、当分は無いよ」

 「ということは、今のところは再婚相手になりそうな人もおらへんということか」

 「当たり前や」

 泰彦はプッと吹き出した。

 本心を言っているとすれば、富美恵の気持ちには気付いていないことになる。

 父は嘘をつくのが下手な人だから、今の言葉は本当だろうと真由は思った。


 (しかし、あんなにバレバレの態度やのに、なんちゅう鈍感な男やろ)


 「例えば、ウチに来た会社の人とか、どうなんよ」

 「会社の人って、もしかして森川さんのことか?」

 「そうや」

 「そんなアホなこと」

 そう言って、泰彦は大げさに首を振る。

 「有り得へんって。そら、家にも来てくれたし、よう気の付くエエ子やと思うよ。でも、別にお父ちゃんのことが好きで来てくれたわけやないしな」


 (いやいや、むしろ有り得るがな。他にどんな理由でウチに来るねんな)


 真由は呆れる。

 「ほんなら、お父ちゃんはあの人のこと、なんとも思ってないんか?」

 「思うも何も、部署は違うけど一応は上司と部下みたいな関係やで」

 「それは関係あらへんやろ。オフィス・ラブとかさ」

 「無いって」

 「それ、絶対に無いって言い切れるか?」

 真由は父に顔を近付け、真剣な眼差しで見つめた。

 その態度に、泰彦は少したじろいだ。

 「い、いや、絶対って言われたら、ちょっと困るけど」

 「ほんならお父ちゃん、ちょっと考えてみてえや。例えばお父ちゃんが結婚したことも無くて、もちろんアタシも生まれてない。完全に新品の独身やったとして、あの人からアプローチを受けたとしようや。それでも心が動いたりせえへんか?好きになったりせえへんか?」


 (しかし、ものすごい仮定の話やな)


 「いや、そらまあ、その時は好きになるかもしれへんけど」

 困った表情をしながらも、父はそう答えた。それから、

 「ただ、その場合はやで。今はそういう場合じゃないからな」

 と、フォローのような言葉も付け加えた。

 「でも、可能性がゼロでは無いやろ?」

 「ゼロじゃないかもしれへんけど、でも無い話やって。大体、離婚したばっかりやし、お前もおるし、そんなん無いよ。はい、この話は、これでおしまい」

 泰彦は新聞を折り畳み、椅子から立ち上がった。


 (しゃあない、そろそろ終わりにしよか)


 真由は、今日の自分はしつこいと自覚していた。

 父が何度も否定しているのだから、もう終わりにすればいいのに、執拗に質問を繰り返してしまった。


 (せやけど、自分の中で、止めるタイミングが分からんようになってしもたんや)


 「もしかして真由は、お父ちゃんに再婚してほしいと思ってるんか?」

 今度は逆に、泰彦が質問してきた。

 「えっ、何?」

 真由は疑問形で返す。

 父の言葉が聞き取れなかったわけではない。いきなりの質問に動揺したのだ。

 「だから、真由は新しい母親が欲しいと思ったりするんか?」

 真由は返事に困った。

 そんなことは、考えてもみなかった。

 だが、言われてみると、真由が質問した内容からは、父の再婚を望んでいると思われて当然かもしれない。


 「そういうわけやないけどな」

 しばらく間を置いてから、真由は答えた。

 新しい母など、とんでもない話だった。


 (今は別々に住んでるけど、アタシのお母ちゃんは一人しかおらへん)


 例えば、いきなり見知らぬ女が現れて「新しいお母さんよ」と言われても、それは絶対に受け入れられないことだ。

 「ほんなら、お父ちゃんのことなんか気にせんでエエで。お父ちゃんは、真由と一緒におるだけで幸せやしな」

 泰彦はそう言って、自分の言葉に照れたように軽く笑った。


 (いや、なんか誤解してるわ)


 真由は困惑した。

 泰彦は質問のニュアンスを微妙に間違って受け止めたようだが、そういうことではない。

 父が寂しがっているだろうとか、再婚したがっているだろうとか、そういう気持ちは、真由には全く無いのだ。

 「だったら、どんな気持ちなのか」と問われたら、それは自分でも明確には答えられないのだが。


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