〈二〉
朝になって、目覚まし時計が鳴る。
真由は時計のアラームを止め、ベッドから起き上がる。
自分の部屋を出て階段を下り、台所へ行く。
そこには父が座っていて、母がコーヒーを入れている。
でも、この二人は、既に夫婦ではない。
(なんやろ、これは)
真由は奇妙な感覚に捉われる。
「おはよう」
母が真由に声を掛ける。父も「おはよう」と言い、真由が「おはよう」と返す。
そこにいる二人は真由の両親だが、しかし夫婦ではない。
昨日の「離婚した」という言葉が嘘なら、二人はまだ夫婦ということになる。けれど、それが嘘である可能性はゼロだ。頬をつねって、夢かどうかを確かめる必要も無い。それが本当だということを、真由は良く分かっている。
真由は顔を洗うため、洗面所に行く。洗面台の鏡に写る自分の顔を、じっと見つめる。
こんな状況になった時、普通の子供なら、悲しくて泣き出したりするのだろう。別れないでほしいと頼んだりするのだろう。
しかし真由には、涙なんか、これっぽっちも出る気配が無かった。
(全く涙が出えへんことが、ある意味では悲しいわ)
真由の中に、涙が無いわけではない。泣いたりすることはある。
例えば、つい最近も、テレビのドキュメンタリー番組を見て涙した。
それは交通事故で両足を失った男子大学生の話で、「家族に支えられながら、頑張って生きています」といった感じの内容だった。
その大学生は、アパートで一人暮らしをしていた。高校生の頃に事故に遭って歩けなくなったが、自分の意思で、大学に入ると同時に一人暮らしを始めた。
家族が来ることもあるが、基本的に身の周りの世話は自分でやっている。むしろ、事故に遭う前よりも、色々なことを積極的にやるようになったらしい。
大学生には両親と姉がいるが、あまりベタベタと気を遣うのではなく、ごく普通に接していた。
姉などは、弟の障害をネタにして、
「足が無いから水虫に悩まなくていいね」
とジョークを飛ばしていた。
その大学生も怒ったりせず、それを聞いて笑っていた。
いかにも「泣かせます」という作りの番組だったが、真由はまんまと引っ掛かって感涙した。
まあ、「絶対に泣いてたまるか」と思って見ていたのではないし、泣いたら負けというわけでもないのだが。
ただし、そういう番組で泣けるのは、自分とは全く無関係の話だからではないかと、真由は思う。
(たぶん、ドキュメンタリー番組を見て泣く時、どこかでアタシは汚い気持ちになってるんや)
それは、「その人に比べたら、自分はまだ恵まれていると感じる」という意味だ。
(そういう嫌な子供なんやな、アタシは)
そんな捻じ曲がった性格だから、両親の離婚に直面しても、ちっとも泣けないのだろう。
少しぐらい涙が出てくれてもいいのに。
こういう時には、目玉も機転を利かせて、涙腺を緩めてくれたらいいのに。
だが、そんなことを望んでみても、やはり涙なんて流れない。
(そういうサービス精神に欠けてるんやな、人間の体は。つまらんトコで頑固やで)
目を水で濡らして、泣いた真似でもしてみようかと真由は考える。
泣いていると思って、両親は驚くだろうか。
いや、父はアタフタするかもしれないが、母はすぐに嘘泣きだと見抜くだろう。いつもの真由を見ていたら、こんなことぐらいで泣かないのはバレバレだ。
というか、そんな馬鹿馬鹿しいドッキリ作戦をする気など、全く無い。
(朝っぱらから、何をしょうもないこと考えてるねん)
真由は、妄想を膨らませた自分にツッコミを入れる。
「無駄に時間を過ごしてる暇があったら、早く学校に行く準備をせえっちゅう話や」
自分に言い聞かせるように、真由は小声で口にした。
*****
「真由ちゃん、行こか」
タエボンが呼びに来た。
彼女は真由のクラスメイトだ。近所に住んでおり、いつも真由と一緒に学校に行っている。
とは言っても、真由が呼びに行くことは無く、必ずタエボンが呼びに来る。
タエボンは、もちろんタエボンという本名ではない。そんな名前の日本人がいたら怖い。
彼女は、本当は妙子という名前だが、みんなからタエボンと呼ばれている。真由もそう呼んでいるが、なぜタエボンになったのかは良く覚えていない。
「ほな、行って来るわ」
真由は両親に挨拶し、家を出た。
裕子が「行ってらっしゃい」と後ろで言うが、わざわざ振り向いたりはしない。面倒だし、意味が無いからだ。いつものことであって、その日だけ冷たく対応したわけではない。
(でも、お母ちゃんに見送られることも、もうすぐ無くなるんやな)
それを考えれば、手でも振った方が良かったのかもしれない。自分には何の気持ちも無いが、母はもしかしたら、そういう細かいことにも何か思う部分があるかもしれないし。
(そんなことに気遣いしようとするなんて、アタシも優しいトコがあるやん)
だが、実際に明日からでも手を振るのかと言われたら、それはお断りだ。やはり、面倒だという気持ちが先に来てしまう。考えるのは考えるが、そこで終わりだ。
それに考えてみれば、もうすぐ家を出て行く人に優しくしても、何の得にもならない。
(得にならへんし、自分にもメリットが無いことは、やらへんに限る)
「なあ真由ちゃん、さっきから何をブツブツ言うてんの?」
タエボンが怪訝そうな表情を浮かべ、真由の顔を覗き込んでいた。
どうやら真由は気付かない内に、心のつぶやきを声に出していたらしい。
「別に、なんでもないよ」
真由は慌てて首を振る。
「ホンマ?なんか考えてるんかなあと思ってんけど」
「なんでもないって。ちょっと気持ち悪い女の練習をしてただけや」
(なんやねん、気持ち悪い女の練習って)
真由は自分の言い訳に呆れる。
「えっ、真由ちゃん、お芝居か何かに出るの?」
「いや、そういうわけやないけど」
(そんなトコを突っ込むか。トボけた顔してるけど、相変わらず中身もトボけてる子やで、この子は)
「それよりな、真由ちゃん」
タエボンは、話題を変えてきた。
「ん、何?」
「うん、あの」
「はよ言いや」
「ヒロヤくんのことやねんけどな」
「ああ、タエボンの彼氏か」
「違うよ、彼氏とか、そんなんと違うって。ホンマにそんなんと違うねん」
タエボンは真っ赤になり、手をバタバタさせて否定した。
「分かってるって、一方的に思ってるだけやろ。ちょっと言うてみただけやんか」
真由はニヤニヤと笑う。
ヒロヤがタエボンの彼氏でないことは、説明されなくても知っている。からかってみただけだ。
(しかし、そんなに必死で否定せんでもエエやろ。ガキやあるまいし。いや、小学生やから、ガキでエエんか)
「ほんで、アンタの彼氏がどうかしたんかいな?」
「せやから彼氏と違うってば」
「どうせ冗談やし、他に誰も聞いてないからエエやんか」
「もう、あんまり言うたら怒るよ」
そう言ったものの、タエボンが本当に怒った姿を、真由は見たことが無い。たぶん、怒っても怖くないだろう。もしかすると、たまには怒っているのかもしれない。あまり怖くないから、気が付いていないだけかもしれない。
「ほんでタエボン、そのヒロヤが、どないしたんや?」
「あのな、ヒロヤくんな、私立の中学に行くねんて」
「ふーん」
「なんで、そんなどうでもいいような言い方すんの?」
タエボンは悲しげな顔をする。
「だって、アタシにはなんの関係も無いしな。せやけどタエボン、そんなこと、なんで知ってんの?本人に聞いたんか?」
「まさか、そんなわけ無いやん。お母さんが、そういう話をヒロヤくんのオバちゃんの友達から聞いたんやって」
「なるほどな」
真由は相槌を打った。
ヒロヤというのは、タエボンが片思いしている同級生の男子だ。彼は一組で、真由とタエボンは三組なので、クラスは違う。ただし、三年と四年の時は同じクラスで、その時にタエボンは好きになったらしい。
ヒロヤはそれなりに整った顔をしているし、サッカー部で活躍しているし、勉強も出来る方だし、だから女子にはそれなりに人気があるようだ。
今のところ、付き合っている相手はいないようだが、タエボンもライバルが多くて大変だと真由は思っている。
ちなみに真由のタイプではない。というか、今のところ、真由が好きになった生徒は一人もいない。
「もしホンマにヒロヤくんが私立の中学に行くんやったら、小学校を卒業したら会われへんようになる」
タエボンは泣きそうな顔になった。
そんなことを言われても、真由にはどうしようもない。
「別に会われへんようになるとは限らへんやろ。私立の中学って言うても、そんなに遠い場所と違うやろ。関東にでも行ってしまうんやったら厳しいけど」
真由は一応、慰めるような言葉を掛けてみた。
「そこまでは知らんけど、関東ではないと思う」
「せやろ。たぶん私立って言うても、家から通えるぐらいの場所とちゃうか。それやったら、アンタの家からヒロヤの家までそんなに離れてるわけやないねんから、会う気になったらいつでも会えるやん」
「でも、やっぱり学校が別々になったら、あんまり顔も見られへんようになると思う。それに家に行ったりとか、そんなことでけへんし。中学でも一緒やと思ってたから、すごいショックや」
「すごいショックってか」
真由はため息をついた。
そんな程度で「すごいショック」を受けていたら、自分のような状況になったらどうなるのかと言いたい気分だった。
(タエボンが両親の離婚を聞かされたら、ショックが強すぎて死んでしまうかもしれへんな)
「なあ、話が戻るけど、ヒロヤ本人は私立に行くって言うてんのか?あいつが言うてんのを聞いたんか?」
真由はタエボンに問い掛けた。
「それは、よう分からへんけど」
「なんや、オバチャンが聞き付けた情報だけかいな。ほんなら、まだヒロヤが私立に行くかどうか、ハッキリしてへんやんか」
「それは、そうかもしれんけど」
「ほんなら、まだ悩むのは早いで。ホンマにヒロヤが私立に行くのか確かめて、それが分かってから悩んだらエエやん」
「そうなんかなあ……」
タエボンは今一つ納得できない様子だった。
「そういうこっちゃ。よし、この話はおしまいや。あんまりノロノロ歩いてたら遅刻するで」
真由は一方的に話を切り上げて、足早になった。
「ちょっと、待ってよ」
タエボンは置いていかれないよう、駆け足になった。
*****
学校というのは、人によっては楽しい場所なのかもしれない。
だが、少なくとも真由にとっては、そうではない。行かなければならないから行っているだけで、もしも「行くかどうかは自由だ」と言われたら絶対に行かない。授業が面白くないのは当然として、給食や休み時間にしても、彼女にとって楽しいことなど何一つ無い。
だからと言って、登校拒否をするほど学校が嫌なのかと問われたら、そういうわけでもない。好きではないが、仮病を使ってでも休みたくなるとか、そこまで嫌っているわけではない。
そもそも仮病など使ったら、後で病院に連れて行かれて、面倒な事態になってしまうかもしれない。そんなことになるぐらいなら、おとなしく学校に通った方が遥かにマシだ。
ようするに真由は、無駄なエネルギーを使うのが嫌なのだ。だから、学校を休むために病気のフリをしてエネルギーを使うのも嫌だし、学校でうるさい連中と一緒にいることでエネルギーを使うのも嫌なのだ。
(どないやねんっちゅう話やけどな)
だが、そういう考え方なのだから、仕方が無い。
「おい、何をアホみたいにボーッとしてんねん」
自分の席で物思いにふけっていた真由の肩を、後ろから強く叩く者がいた。
「痛いっちゅうねん」
パッと振り向くと、同じクラスの男子生徒、ゴイラがニヤニヤと笑っていた。
(気持ち悪い顔しやがって)
真由は眉をしかめる。
ゴイラは苗字が五井で、そこからゴイラと呼ばれている。
本人はゴジラから来ているニックネームだと思い込んでいるようだが、それは大きな勘違いだ。実際には、ゴリラのようだからゴイラと呼ばれるようになったのだ。
そのことに全く気付かないのだから、やっぱりゴリラだと真由は感じている。
「どないしてん、アホみたいに」
からかうような調子で、ゴイラが言葉を続ける。
真由は、うんざりしたように首を振った。
(こんなうっとおしい奴と一緒におって、無駄にエネルギーを使うのが嫌やねん)
「痛いやろ。なんで叩くねん」
「お前がアホみたいにボーッとしてたからや」
「アホにアホって言われたないわ。大体、アンタは力が強すぎんねん。自分で力の調整もでけへんのかいな」
真由は言った。言葉の内容は乱暴だが、あくまでも声のトーンは普通のままだ。こういう言い合いは、カッとなったら駄目なのだ。常に冷静になって、相手より余裕がある様子を見せ付けることが大事だ。それを真由は充分に理解している。
「普通の女にはもっと優しく叩くけど、男には強く叩いても大丈夫やろ」
ゴイラは嫌味っぽく言う。
「それはつまり、アタシが男って言いたいんか」
「あれ、違うかったっけ?」
ゴイラが肩をすくめ、大げさに表情を作った。
(こいつ、腹の立つ言い方やで)
だが、嫌味なら負けない自信が真由にはあった。
「アタシは男でもエエねんけど、アンタと同じ種類になるのは嫌やなあ」
真由も大げさに表情を付け、ネチネチとした物言いをする。
すると、さっきまでニヤニヤしていたゴイラの顔付きが、急に険しくなった。
「なんやと、もう一回言うてみ」
「忘れたな。アタシ、忘れっぽいねん」
「そんなわけあるか。今言うたばっかりやないか。もう一回言うてみろや」
ゴイラが激しく唾を飛ばす。
「もう一回言おうとしたのに、ガンガン怒鳴るから奥に引っ込んでしもたわ。あーあ、ここまで出てたのにな」
真由はすまし顔で追い討ちを掛ける。
(すぐにカッカすんのは頭の悪い証拠や。口喧嘩は先にキレた方が負けやのにな)
「この、クソ女が」
「あれっ、確かアタシは男やったはずやんな?」
「ぐっ……」
ゴイラの顔が真っ赤になった。もちろん照れているわけではない。怒りによる変化だ。
このままだと殴ってくるかもしれないと、真由は感じた。
殴り合いになってもゴイラに勝つ自信はあったが、あまり暴力は好きではない。
「ほら、佐々木先生が来たで。もう終わりや、終わり」
真由はゴイラの右拳を気にしながら、早口で言う。
殴られるのが怖くて嘘をついたわけではない。本当に、担任の佐々木先生が廊下を歩いて来るのが視線の端に見えたので、そう言ったのだ。
「くそっ、覚えとけよ」
ゴイラは真由を睨み付け、言葉を吐き捨てた。
「覚えへんよ。アタシは忘れっぽいって言うてるやろ」
真由は即座に言い返した。
するとゴイラは自分の席に戻りながら、さっきより小さい声で、
「くそっ、覚えとけよ」
と言った。
(同じセリフかい。ボキャブラリーの無い男やで)
「覚えとかへん。絶対に忘れる」
真由も負けずに小声で言い返す。
今度は、ゴイラは何も言わず、自分の席に着いた。
佐々木先生が教壇の前に立ち、朝礼を始める状態に入っていたからだ。
(ざまあみさらせ、アタシで終わらせたった。あっちのセリフで締めさせるかいな)
真由は、ほくそ笑んだ。
*****
「ほんなら、これで終わるけど、最近みんな、ちょっとダラけてきてるよ。もうすぐ冬休みやからって、浮かれてたらアカンで。シャキッとせえへんかったら、先生はビシビシいくからね」
その日の終わりのホームルームで、佐々木先生は注意を促した。そんなに強い口調ではなく、緩い感じの注意だったが、それでも生徒達は緊張した。
佐々木先生は、五年生から真由のクラスの担任をやっている。目付きの鋭い、ひっつめ髪の女性だ。あまりオシャレに関心が無いらしく、体育教師でもないのにジャージ姿でいることが多い。
佐々木先生は女らしさを微塵も感じさせず、たまに男のような野太い声になって怒ることもある。他のクラスの担任と比べても、かなり怖いというのが生徒の評価だ。
ある意味、ちょっとしたヒステリーなのかもしれないと真由は思っている。
そんなわけだから、「ビシビシいくよ」という言葉も、他の先生ならシャレになるのかもしれないが、佐々木先生の場合はシャレにならない。本当にビシビシいくのではないかと、生徒達に感じさせるだけのものを持っている。
とは言うものの、佐々木先生が生徒に手を上げることは、まず無いと言っていい。最近はPTAも色々とうるさく抗議してくるため、教師が生徒に手を出せない雰囲気になっているのだ。
幸いなことに、いわゆるモンスター・ペアレントと呼ばれる保護者は、今のところ、真由の学校では大きな問題になっていない。
田舎なので、そういう問題は起きにくいのかもしれない。
しかし、そういうことも鑑みて、学校側としては生徒への体罰を自粛するよう教師に求めている。
(それがエエことか悪いことかは知らんけどさ)
「ほんなら今日は終わり。最近は物騒な事件も起きてるから、気を付けて帰りや。特にクラブ活動で遅くなる人は、なるべく誰かと一緒に帰るんやで」
佐々木先生は講釈を終えて、教室から出て行った。
真由はクラブ活動で遅くなる人ではないので、家に帰るも良し、寄り道するも良しだ。
学校としては、生徒に「寄り道してはいけない」と呼び掛けているが、校則で禁止されているわけではない。そのため、みんな寄り道など当たり前のようにやっている。
(そんなもんや、生徒なんて)
「真由ちゃん、帰ろか」
真由が帰る用意をしていると、タエボンが近寄って来た。
二人とも特に用事が無い時は、いつも一緒に帰っている。行きも一緒、帰りも一緒だ。大の仲良しと言えば、そうなのだろうが、たまに真由は自分でも気持ち悪くなる。
(いつも一緒って、ちょっとしたレズビアンやん。いや、それは言いすぎかもしれんけど)
「なあ真由ちゃん、コンビニで新しい肉まん売ってるらしいよ。なんやったか名前は忘れたけど、フルーツか何か入ってんねんて。買ってみよか?」
タエボンがのんびりした口調で言う。
「さすがタエボン、あやふやな説明やな」
真由は苦笑する。その説明だと、肉まんの名前は分からないし、中身もハッキリしない。
(というか、肉が入ってない時点で肉まんと違うし)
「タエボン、それだけでは、どんなモンか全く分からへんって。せめてフルーツの種類を言うてくれんと」
「なんやったかなあ。たぶんキウイとかマンゴーとか、そんなんやったと思う」
「キウイとマンゴーって全然違うやん。っていうか、どっちにしても季節感ゼロやし。それにアタシ、フルーツの温かいのって、あんまり好きやないし」
「ほんなら私が買うから、もし美味しかったら分けてあげるわ。せやから、コンビニ寄って行こ」
厳密に言うと、コンビニは帰路の途中にあるのではなく、回り道をする必要がある。しかし、それほど遠いわけでもないので、真由とタエボンはたまに立ち寄っている。
「うーん、悪いけど、今日は早めに帰りたいねん。もし行くんやったら、悪いけど一人で行ってくれへんかな」
「なんか家で用事でもあんの?」
「用事っちゅうか、ちょっとやりたいことがあんねん。もしかしたら、これからずっと寄り道せえへんようになるかもしれへんわ」
「なんか、すごいことでも始めるん?」
「いや、全然すごくないことや」
「ふうん、そうなん」
タエボンは不思議そうな顔になった。
(頼むわタエボン、アタシの言葉のニュアンスで空気を読んでくれや。それ以上、突っ込んだりしなや)
「ほんなら、アタシもコンビニ行くの、やめとくわ」
タエボンは言った。
空気を読んで質問を止めたとは思えなかったが、結果が同じなら、真由としてはOKだ。
「ほんなら、帰ろか」
「うん」
ちなみに真由とタエボンが教室を後にする時、もうゴイラはいなかった。クラブ活動に行ったらしい。
朝の言い合いのことなど、完全に忘れてしまったのだろう。
(あっさりしてるんかアホなんか、よう分からんわ)
真由はゴイラの机にチラっと目をやる。
見た目に似合わず、ゴイラはブラスバンド部に所属している。ただし担当楽器はチューバなので、それはピッタリだ。
(まあ、そんなことはどうでもエエわ)
早く家に帰ってやらなければならないことがあるのだから、ゴイラに邪魔されないのはラッキーだ。
真由はタエボンと一緒に、校舎を出た。
ふと運動場に目を向けると、サッカー部で練習をしているヒロヤの姿があった。タエボンを見ると、彼女も気付いた様子だった。
(そらそやな。たぶん、アタシより先に気付いてたやろ)
「タエボン、アンタの愛しい人やで」
「もう、そんな言い方せんといて」
軽くからかっただけで、タエボンは恥ずかしそうにうつむいた。
「エエやん、向こうは気付いてないし」
「そういう問題と違うって」
「練習に混ぜてもらうか?」
「アホなこと言わんといてよ。出来るわけないやん」
「分かってるよ、ジョークやがな」
「真由ちゃん、早く行こうや」
「なんでや、もっとじっくり見ていったらエエがな」
「もういいから、帰ろ」
タエボンが真由のランドセルを引っ張る。
(おぬし、ウブやのお)
真由はクククと笑う。
(まあエエわ、アタシもこんなトコでチンタラしてる場合とちゃうしな)
タエボンで遊ぶのは終わりにして、そろそろ真由は帰路に就くことにした。
*****
家に戻った真由は、急いで着替えを済ませた。
両親は、共に仕事で不在だ。裕子は、今日はカルチャー・スクールに行っている。
真由は台所へ赴き、冷蔵庫を開けた。
「あんまり入ってないなあ。まあ、しゃあないか」
真由が独り言を口にする。
それから冷凍室を開け、豚肉があるのを発見する。
「たぶん、なんとかなるやろ」
なぜ真由が早めに帰りたかったのかというと、晩御飯を作るためだ。
もうすぐ母が家を出て行くのだから、そうなったら料理をする人がいなくなる。手抜きとはいえ、これまではずっと裕子が料理を作っていた。しかし、これからは真由か父のどちらかが作ることになる。泰彦が料理など出来るはずもないので、真由が作ることになるだろう。
毎日、コンビニ弁当で済ませたり、外食をしたりするわけにもいかない。だから真由は、母が出て行く前から料理を作り始めて、早く慣れておこうと考えたのだ。
ただし、その日の朝、急に思い付いたことなので、何を作るのかも未定だし、そのための買い出しもしていない。
真由は玉ねぎとじゃがいもを発見し、今夜のメニューをポークカレーに決定した。幸いにも、カレールーは食品庫に買い置きがある。カレーというのは無難と言えば無難だが、急に思い付いたのだから、そんなものだろう。
カレーなら滅多なことでは失敗しないはずだというのも、真由がそれに決めた理由だ。正直、冷蔵庫をチェックした結果、それ以外のメニューは思い浮かばなかった。
(良かったわ、カレーの材料が揃ってて)
だが、たぶん家事の中でも料理に関しては大丈夫だろうと、妙な自信を真由は持っていた。
と言うのも、最近はほとんど無いが、母が料理を作る時に手伝った経験が何度もあったからだ。
掃除や洗濯など、そういった部分に関しても、たぶん何とかなるのではないかと真由は楽観視していた。
(それよりも問題は、お金の管理やな)
その分野は真由がやるわけにもいかないので、やはり父に委ねることになるだろう。
だが、真由は父が金の管理などちゃんとやれるのかどうか、それを懸念していた。
普段の父を見ている限り、後先考えず適当に散財してしまうのではないかと心配なのだ。
「まあ、そんなことを考えるのは後回しにしよ」
真由は頭を切り替える。
(とにかく、今はカレーを作ることに集中すべきやな)
それに、夕食の準備が終わったら、家事の分担表も作ろうと彼女は考えていた。
「なんか急に忙しくなるわ。蘇我氏ならぬ、おいそが氏やな」
真由はそうつぶやいて、すぐに眉をひそめた。
「うわっ、なんかオッサンみたいなこと言うてしもた。恥ずかし」
*****
「なんかエエ匂いするやん」
五時半頃になって、裕子が帰宅した。「ただいま」と言う前の第一声が、それだった。
「おかえり、お母ちゃん」
台所に入ってきた裕子に、真由が振り向いて言う。
「ただいま。なんや、もしかして晩御飯の用意してんの?」
「そうや、今日はポークカレーやで」
真由はカレーの鍋をかき混ぜながら返答する。
「もし今日のメニューが決まってたんやったら、悪いけど明日に回してな」
「いや、それは特に決まってないから、別に構わへんけどな。せやけど、どないしたん、急に」
「どうせお母ちゃんが出て行った後はアタシがやらなアカンねんから、今から練習しとこうかと思って」
「へえ、やる気やな」
「やる気やで」
真由は芝居じみた態度で胸を張る。
「明日からも、ずっと作るつもりや。せやからお母ちゃん、あんまり冷蔵庫に食料が無いし、明日は土曜日で学校が休みやし、買い物に行ってもエエかな?」
「エエよ。明日やったらお母ちゃんも暇があるし、一緒に行こか」
「アタシ、マルコーに行くつもりやけど」
マルコーというのは、近所にあるスーパーの名前だ。家からだと、歩いて行ける距離にある。この辺りの住民は、そこへ買い物に行く人が多い。
「お母ちゃんもマルコーのつもりやったよ。他に無いやろ。わざわざ他の店に行く必要も無いんやし」
裕子が言う。
(なんや、こういう時だけは近所のスーパーでもエエんか。いつも遠い店まで行ってるくせに)
そう思いながらも、真由は口に出さなかった。
「ほんなら、明日の午前中な」
「うん、分かった」
裕子は、自分の部屋へと向かった。
*****
六時半頃になって、今度は泰彦が帰宅した。いつもよりは、帰って来る時間が少し早い。
まるで自分が晩御飯の用意をしているタイミングに合わせたみたいだと、真由は一人で微笑した。
「ただいま」
泰彦は玄関から声を発する。
「おかえり、お父ちゃん」
真由は台所から、父の姿を見ないで言葉を返す。
「おっ、なんかエエ匂いするなあ」
泰彦は裕子と同じようなことを言いながら、台所へやって来た。
さすが夫婦だと、真由は感心する。
(いや、元夫婦か)
「この匂いはカレーやな」
「そうや、今日はポークカレーやで」
「カレーなんか久しぶりやな」
「せやろ。今日はアタシが作ってん」
「えっ、真由が作ったんか」
泰彦が驚く。
「なんか特別なことでもあるんか?」
「別に何も無いよ。これからは、晩御飯はアタシが作るから」
「なんや、もうすぐ中学生になるから、料理の勉強でもするつもりなんか?」
泰彦は、見事にピントの外れたことを口にした。
(あのなあ。分かるやろ、普通は)
真由は大きく息を吐く。
(中学生になるから料理の勉強って、それは理由と行動の関係がちゃんと成立してへんし)
「細かいことは後で言うから、とにかく着替えてきいや」
真由は問い掛けに対して真面目に答える気が起きず、そう告げた。
「お母ちゃんも帰って来てるし、ちょっと早いけど晩御飯にしようや」
「そうか、ほんならそうしよか」
父が自分の部屋に行こうとした時、母が台所へやって来た。
「おかえり」
「ただいま」
内情を知らなければ、何のギクシャク感も無い、夫婦の自然なやり取りにしか見えない。
そして内情を知っている真由でさえ、それは自然な会話に思えた。
(変な夫婦やで。いや、元夫婦やで)
*****
真由の作ったカレーを、母も父も「美味しい」と言って食べてくれた。
ただし、かなりお世辞が入っているはずだと真由は思っていた。
子供が作った料理を、不味いと言う親は、あまりいないだろう。
(まあしかし、これから勉強していったら、もっと美味しく作れるようになるやろ)
その第一歩として、次の日は母と共に買い出しをするつもりだった。
ところが当日になって、裕子は急な打ち合わせが入ったため、出掛けてしまった。
ドタキャンを食らった真由だが、腹立たしさは抱かなかった。
ただ、母は忙しい人なんだなあと、改めて感じただけだ。
(キッチン・コーディネーターって、そんなに忙しい仕事なんか?)
母の他にキッチン・コーディネーターの仕事をしている人を知らないので、その辺りは良く分からない。
ともかく、そういう事情なので、真由は一人でマルコーまで買い物に出掛けた。
基本的には、安売りの商品を選んだつもりだ。それと、裕子が好きなキュウリの漬物は、安売りではなかったが購入した。
買い物を終えた真由は、帰る途中でタエボンと遭遇した。
気付いたのは真由が先だが、声を掛けたのはタエボンだった。
「あ、真由ちゃん、どっか行ってたん?」
「ちょっと買い物にな」
「そうか。……あのな、真由ちゃん」
タエボンは少し間を取り、ためらうような仕草を見せた。
「なんやの、はよ言いや」
「うん、もし聞いたらアカンことやったらアレやから、そうやったとしても怒らんといてくれる?」
妙に気になる言い方だった。
「内容も分からへんのに、怒るかどうかなんて答えられへん」
「あのな、こんなん聞いてエエんかどうか分からへんねんけど。真由ちゃんのオバチャンな、アタシのお母さんの知り合いが、顔を知ってて、それで見たらしいんやけど」
「ほんで?」
「名前は忘れたけど、その人が住んでるマンションに来たらしいねん。ほんで、なんか空いてる部屋とか見てたんやって」
「ああ、なるほどな」
真由は一人で納得した。
その場所は、たぶん母の引っ越し先だろう。
「そやから、お母さんがな、真由ちゃんのオバチャン、仕事用にマンションを借りるのもおかしいし、なんかあるんちゃうかって言うててん。せやから、どうしたんかなあと思ったんやけど」
「どうしたっていうか、まあ簡単に言うと離婚したから引っ越しするんやけどな」
遠慮がちなタエボンの態度とは対照的に、真由はあっさりと事実を明かした。
「離婚って、真由ちゃんのお父さんとお母さんが?」
タエボンの声が、驚きで甲高くなった。
「他に誰がおんのや」
「嘘やん。だって一緒に住んでるやん」
「順番が逆やとアタシも思うねんけどな。せやけど、ホンマのことや。離婚して出て行くから、お母ちゃんがマンションを探してたんや」
「そしたら、ホンマなんや」
「こんなことで嘘ついても意味無いやん」
「そうやったんか。ごめんな真由ちゃん、そんなん知らんかったから、余計なこと聞いてもうて」
タエボンは頭を下げた。
(そら、知らんから聞いたんやわな。知ってたら聞く必要は無いし)
「いや、謝らんでエエよ。アタシは別に、なんとも思ってへんし」
「私、このことは秘密にしとく。お母さんにも言わへん」
「なんでや、別に言うても構へんやん」
「でも、お母さんに言うたら、すぐに周りの人にも伝わるし。そしたら真由ちゃん、嫌やろ?」
「別に」
真由はサラッと言う。
「どうせ隠したところで、すぐにバレるモンやし。お母ちゃんが引っ越したら、完全にバレバレやん」
「そうか……。でも、やっぱり内緒にしとくわ」
「まあ、タエボンがそうしたいんやったら、それでもエエけどな」
(なんか変なトコで気を遣う子やな、タエボンは)
「でも、それやったら、どうしようか」
タエボンが頬に手をやり、考え込むような態度を示す。
「何が?」
「私の誕生日パーティー」
「はあっ?」
「いつも真由ちゃんに来てもらってるけど、やっぱり今回は難しいかなあ」
「な、なんでや?」
真由は困惑する。
(タエボン、いきなり何をワケの分からんことを言い出すねん)
「だって、真由ちゃんのお母さんが出て行くんやったら、色々と大変やと思うねん。そんな時期やし、迷惑ちゃうかなあって」
「考えすぎやで。ウチの親の離婚とアンタの誕生日は、なんの関係も無いし」
「関係は無いかもしれへんけど」
タエボンは口ごもった。
(うーんタエボン、それは気を遣うポイントが変やで)
そんな不必要な所には気が付くのに、なぜ普段は抜けているのかと、真由は少々の脱力感を覚えた。
タエボンは悩むような様子を見せているが、真由の中では簡単に答えが出る問題だ。
「なあタエボン、アンタは誕生日パーティー、アタシに来て欲しいんか?」
「そら、来て欲しいけど」
「ほんなら行ったるがな。せやから、そんなことで悩む必要は無いって」
「ホンマ?それやったら嬉しいけど」
タエボンは、パッと晴れやかな表情に変わる。
(心配せんでも、ちゃんと行ったるがな)
両親の離婚があろうが無かろうが、自分が行かなければタエボンが困ることを真由は知っていた。
そもそも真由が行かなければ、パーティーそのものが成立しないのだ。
誕生日パーティーと称しているが、いつも招待客は真由だけなのだから。
*****
真由はタエボンに別れを告げ、自宅に戻った。すぐに台所で買い物袋を広げ、食材の確認を始める。
今日のメニューは、ベーコンとキノコのパスタ、ポテトサラダ、オニオンスープだ。最初から、その三品を作るつもりで買い物に行っている。
昨日の夜に、真由は一週間の晩御飯のメニューを考えた。
その作業と、今日の買い物も含めて、彼女には分かったことがある。毎日のメニューを考えるのが、いかに大変かということだ。
家に料理の本が何冊かあったから、それがメニュー作成の助けになった。何も無かったら、もっと苦労していただろう。
それに料理本があっても、やはり苦労はある。
毎日同じ料理を作るわけにはいかないし、曜日ごとにメニューを固定するのも違うような気がする。魚が何日も続いたら嫌だろうし、二品並べるとして、どちらも肉料理という組み合わせは避けるべきだろう。
また、メニューを決めたとしても、その材料が売っていなかったり高額だったりした場合、変更せざるを得ないだろう。
そういうことを色々と考えると、料理というのは生易しい作業ではないのだと、真由は実感した。
(お母ちゃんが手抜きするようになったのも、分かる気がするわ)
食材をテーブルに並べた真由は、調理に取り掛かることにした。パスタは食べる直前に作り始めるとして、とりあえずポテトサラダとオニオンスープは、今の内に作っておくことにした。
その前に彼女は、父の部屋から携帯ラジオを持って来て、電源を入れた。
今日は土曜日だから、もうすぐ母の担当する番組が始まる時間だ。裕子はつい先程、打ち合わせで外出したが、番組は生放送ではなく録音なので何の問題も無い。
直前の番組をやっているDJが、「それでは皆さん、また来週」と挨拶をする。
CMに続いて、裕子の番組が始まった。
「台所から、愛を込めて」
タイトルコールが聞こえてきた。
オープニング曲が流れ、裕子が喋り始める。
「皆さんこんにちは、吉村裕子です」
(そうか、そう言えば、仕事の時は高野裕子と違うかったんやな、お母ちゃん)
真由は久しぶりにラジオを聞いて、改めて気付いた。
裕子は、結婚前は吉村という苗字だった。結婚した後も、仕事の時の名前は高野に変えず、そのまま吉村で通していた。
結果的には、それで良かったんだなと真由は思う。
結婚した時に仕事の名前も高野に変えていたら、面倒なことになっていた。今回の離婚で、また吉村に戻さなくてはいけないのだから。
(結婚した時に、そこまで先のことを考えたかどうかは知らんけど、ラッキーやったな、お母ちゃん)
真由はラジオに耳を傾けつつ、調理作業を開始した。じゃがいもを皮付きのまま茹でて、その間に玉ねぎを細切りにする。
「続いてはハンドルネーム“タカくんのママ”さんからのメールです」
ラジオ番組はどんどん進行していく。相変わらず、裕子は仕事モードの声で喋っている。
仕事になると、裕子は普段より声が微妙に高くなる。それと、物腰も柔らかくなる。
(さすがお母ちゃん、仕事とプライベートをキッチリと使い分けてるな)
真由の中に、感心と嫌味が入り混じった感想が浮かぶ。
「それにしても、“タカくんのママ”ってか」
そんな箇所に、真由は一人でツッコミを入れた。
(自分がメールを出してるのに、まず子供ありきかい)
だが、誰がどんなメールを送っていようが、母がどんな風に答えていようが、どうでもいい。そんなことには、何の興味も無い。
そもそも、普段なら母の番組など聴かない。今日は、たまたま聴いてみようという気になっただけだ。
ひょっとすると離婚について何か話すのではないか、もし話すのであれば、どんな風に言うのだろうと興味を抱いたからだ。
しかし結局、最後まで離婚のことは話題にならなかった。
かなり前に録音しているのかもしれないし、もしかすると来週や再来週の放送で触れるのかもしれないが。
「それに、よう考えたら、別にラジオで喋ろうが喋るまいが、アタシにはあんまり関係無いもんな」
自分を納得させるかのように、真由は言う。
(いや、あんまりどころか、全く関係あらへん)
*****
だが、やはり気になるものは、気になるのである。
その夜、晩御飯の時に、真由は頃合いを見計らって質問した。
「お母ちゃん、今日のラジオ、聴いたんやけどさ」
「へえ、珍しいやん」
裕子は、ポテトサラダに箸を伸ばしながら対応する。
「番組で離婚のこと、喋ったりするん?」
「気になるんか、そんなこと?」
「いや、そうでもないけど、まあ一応な」
「どうやろなあ。一緒に仕事してる人にはもう話してあるけど。まあ、言わへんのとちゃうかなあ」
裕子は淡白に答える。
「前にさ、隠してもすぐにバレるし、隠すことでもないって言うてたやんか。せやから、どうすんのかなあと思ったんやけど」
「確かにそうや、隠してもいつかバレるやろな。せやけど番組で、かしこまって発表するようなことでもないしなあ。まだ決めてないけど、いちいち説明はせえへんと思うよ」
「ふーん」
真由は短く相槌を打つ。
裕子はラジオ番組に出ているとは言え、芸能人ではない。だから離婚に関してマスコミに騒がれるようなことも無いだろうし、そんなものかもしれない。確かに、わざわざラジオで発表する方が、逆に変なのかもしれない。
ついでに真由は、父にも聞いてみた。
「お父ちゃんは、会社で離婚のことを言うたりすんの?」
「えっ、いや」
ちょうどパスタを口に運んでいた泰彦は、焦って喉を詰まらせそうになった。
慌てて水を飲んでから、彼は質問に対応する。
「どうやろな。言わへんと思うけど」
(そら、そうやな)
自分で聞いておきながら、真由はそう思う。
母はともかく、父は離婚したところで、仕事には何の関係も無いのだから。
「やっぱり言うた方がエエんかな?」
「いや、アタシに聞かれても」
真由は困惑する。
「大人やねんから、自分で考えてえや」
「どうなんかな、裕子さん?離婚のこと、会社で言うた方がエエんか?」
(なんでお母ちゃんに聞くねん。自分で考えろっちゅうに)
真由は、やや苛立ちを覚えた。
「わざわざ言わんでもエエと思うけど。でも、もし気になるんやったら、言うても問題無いよ」
裕子は淡々と答えた。
「そうか。ほんなら言わんとくわ」
泰彦は納得した様子を見せた。
それを見て、ますます真由は苛立つ。
(なんやねん。そんなこともお母ちゃん任せか)
真由は、オニオンスープを一気にすすった。
*****
土曜日の翌日は日曜日。
次の日は月曜日で、その次が火曜日。
そして、水曜日が訪れた。
高野家の三人が揃って朝御飯を食べている時、裕子が誰に言うともなく、口を開いた。
「今日、引っ越しするから」
既に真由は知っていることだが、改めて告げられた。
まあ、改めて言われたところで、
「そうか」
としか言いようがないのだが。
母が引っ越ししようがしまいが、真由は手伝うわけでもないので、それによって行動が何か変わるということは無い。
いつものようにタエボンと一緒に学校へ行き、いつものようにゴイラが馬鹿にしてきた。
いつものように授業を受け、いつものように給食を食べた。
そして、いつものように学校から戻って来たら、母の部屋が空っぽになっていた。
それだけのことだ。




