2. 夜って寒いんだね。あと月がないと暗いんだね。
峻太は目を覚ました。が、辺りは暗い。そして何よりも最初に感じたことは寒い!ということである。
決して凍えて凍死しそうになるほどではなかったが……。まず体の中心部、腹の辺りが冷えている。体から徐々に体温が逃げて行っているのを感じられる。まるで秋に、薄い布団のままに寝てしまい寝冷えしてしまった時の感覚である。
次に寒さを感じるのは手足、特に足である。右足を曲げて左足の脛にこすりつけてみるが、金属のような冷たさが伝わってきた。
しかし、まだ夜である。峻太は寒いのをこらえて再び眠りに落ちていった……
いや、眠りに落ちては行けなかった。先ほどは棚上げにしていた色々なことが頭の中から湧き出してきたのだ。
もし明日迎え誰も迎えに来なかったとしたらどうしようか?
……誰かに見つけてもらうしかないだろう。
でも、偶然誰かが通りかかる可能性は? −−恐らくかなり低い。
ならば……自分で歩いていくしかない。幸いにも自分には水と食料はがはある。5日間くらいなら耐えられるのではないか?5日間でどれほど歩けるだろうか……?1日に10時間歩けるとしたら、時速4kmで歩くとして、1日に40km進めるから、5日あれば200kmくらい進める。200kmってどんくらいか?東京から大阪の距離が確か500kmくらいだったと思うから、東京から静岡県のどっかくらいまでの距離だろうか。そんぐらいの距離を一直線に歩けば、さすがの北海道といえども何かしらの道だとかにはぶち当たるから、そこまで行けばもう安心だ。峻太はそう考えて、明朝、日が昇ってしばらくしたらどこかの方向に歩き始めようと決意した。
ことここに至っても自分のいる場所が北海道であると健気に信じる峻太であった。
次に感じたのが空腹と喉の渇きであった。峻太はとりあえず水筒を取り出し少しだけ飲んだ。空腹に対処するためにパンを一口かじって再び鞄にしまった。腹の虫はしばらく治まらずに唸っていたが、そのうちに気にならなくなってきた。
それにしても寒い。眠れぬままに空を見上げてみる。考え事を振り払うと満天の星空が峻太の目に飛び込んできた。
「わぁ、綺麗……。」
峻太は思わずに独り言を漏らしてしまう。あの白い帯は天の川だろうか。駿太にとっては生まれて初めて見る天の川である。もし峻太に星座の知識があれば、違和感を覚えたかもしれないが、残念ながら彼はそのような知識は持ち合わせてはいなかった。
ふと風が吹き「カサリ……」という音が背後で聞こえた。峻太の背筋がビクッと震えた。慌てて振り向いて目を凝らすものの何も見当たらない。どうやら風が草の頭を撫でただけの音であったようだ。
峻太は急に怖くなってきた。こんなところで寝てて大丈夫なのか?クマとか現れたらどうするのだ?ここで峻太は耳をすませてみる。が、近くにそれらしい獣はいないようだ。あくまでも音が聞こえる範囲の話だが。だが、程なくして彼はこの件に関しては考えても意味がないと結論づけた。心配しても状況は変わらないのだ。一応万が一の時に身を守れるもの、近くに太い枝か何か落ちていないかと見渡してみるものの見つけられない。
しょうがないから再び横になることにした。
確かに夜は寒い。しかし峻太は徐々に眠りに引きずりこまれていった。
あくる日。
朝日が目に差し込んで峻太は目を覚ます。本日も雲ひとつない青空だ。うーん、と言いながら伸びをして立ち上がり、辺りに誰もいないことを再確認した。さてこれからどうしようか。迎えを諦めてここを出発するまでにはあと数時間。せっかくなので周りの植物などを観察することにした。
足元には背丈が15~30cmほどの草がびっしりと生い茂っている。恐らくはイネ科。見た所一種類の草のみが大地を独り占めにしているようだ。
一方、昨晩の宿とした木を見上げてみると、高さはせいぜい10mあるかないかに思われる。上の方には緑の葉が付いている。
なんか動物などはいないのだろうか。大型の動物は見当たらないが小型の動物や虫なんかはいるのではないか?果たして、朝日の方向を向いていると確かに虫が飛んでいるのが見えた。光が翅に当たってキラキラしている様子は、近くで見ると黒っぽい羽虫だとわかっていても、目を奪われるものであった。お腹が減っていたのでパンをまた一口かじる。
……来ない。迎えが。
はあー、と大きく溜息をついてみるが溜息をつこうが迎えがこないという現実に変化はなかった。峻太はいよいよ覚悟を決めた。歩くしかない。
どちらに歩くかは勘で決めた。強いて言えば灌木の多そうな方が集落に近いのではないかという思いが、決め手であった。四方を見ると、太陽の昇ってきた方角、つまり東の方が何となく青っぽく見えたのである。
歩き始めてすぐに思ったことは「暑くね?」ということであった。すぐに喉が渇いてくる。最初に水筒に入っていた水は1Lほど。そこから出発するまでにすでに800mLほどにまで減ってしまっていたので、5日間保たせるためには1日に160mLしか飲んではいけない計算になる。しかしこのまま歩き続けては到底足りそうにない。
峻太はとりあえず足を止め、水を一口ほど口に含んだ。どうしようか。そこで夜が寒かったことを思い出す。昼間は寝て夜に歩くことにしよう。即決した峻太は近くの灌木まで歩き腰を下ろした。一応灌木の観察をしてみると先ほどの木と同じ種類のように見受けられた。パンを一口かじって就寝。今度は意外と早く眠ることができた。
再び寒さで目を覚ます。スマホを見ると午後9時。あれから狂っていないとすれば日が昇るまでにあと7、8時間はあるだろう。まだ圏外である。スマホの電池残量を見ると30パーセントほどにまで減っている。これはスマホの使用を控えないとな。助けを呼べなくなることは死活問題である。峻太はそう考えた。
さあ出発だ。ふとここで彼は朝との違いを感じる。あまり腹が減っていないのだ。いやもちろん減ってはいるのだが、朝よりも空腹度が小さい気がする。峻太は体が順応してきたのだと解釈した。峻太にとって今、より重要なのは水の方である。「空気3分、水3日、食べ物30日」とはいうではないか。多分食料は尽きてもそれなりには大丈夫だろう。しかし水はなくなったらヤバい。ともかくパンをかじり、水を少しだけ飲んで出発した。
夜は歩いていても少し寒い。しかし昼間に比べれば幾分快適な行軍である。一方覚束ないのは足元であった。峻太は何回も転んでしまった。幸いなことに、下の土が柔らかかったおかげで怪我はせずに済んだが。ここで峻太は月が出ていないことを認識した。月さえあればもうちょっと明るかろうに……!今って新月だったけ?と問うてみるががそもそもそんなことは覚えていない。これは峻太が特別というわけではなく現代人のほとんどがそんな状態であるだろう。しかし峻太は生まれて初めて夜における月の必要性を実感した。
疲れた。
峻太は足の疲れを感じた。一晩中何も食べずに歩いていては当然だろう。地平線近くの空が白くなってきた時点で峻太は歩くのをやめた。そして灌木の下に倒れこんだ。よほど疲れていたのだろう。朝日を拝む間もなく眠りに引き込まれていった。
その日は途中何回か目が覚めたものの、疲れたこともあったのだろう、結局午後4時くらいと思われる時刻まで眠ることができた。ふと峻太は大学のことを考えた。出たい授業があったんだけどな……。だがこんなところでそんなことを考えていても仕方がない。峻太はそう思って頭からその思いを振り払った。次に頭に思い浮かんだのは家族・友人たちのことである。
(みんな俺がいなくなっていることを心配しているのかな……?失踪届けとか出されているんだろうか?もしそうだとしたら今は探しているのだろうか?)
しかし峻太は一人暮らしの身。おそらく家族は1ヶ月後に帰省してこないことで初めて峻太がいないことに気づくのだろう。峻太は普段電話しないことに安堵すると同時に後悔した。
友人たちのことを考えてみる。しかし数日大学に来なかった程度のことで、峻太の今の状況を推測することはできないだろう。峻太はこれまたほっとする一方で一抹の寂しさも感じたのであった。
そうこうするうちに日も暮れてきたので東を目指して再び歩き出す。ふと振り返ってみると灌木の向こうに細い月が上がっているのが見えた。あれは自分を応援してくれている、峻太はそう言い聞かせ、疲れの残った足を前へ進め始めた。