帝都を彷徨う少年
眠っていた仲間たちのもとへと戻ったリュートを待ち受けていたのはキットの怒りだった。
見るからにキッドの頬は腫れていて、殴られたことが分かりきっている。先に戻ったキッドのそれにキットは真っ先に気づいたのだ。そして心配そうに騒ぎ立てる声が周りのみんなを起こし、やがて面倒になったキッドはリュートと稽古していたと嘘をついた。まだ傷も完治していないキッド相手にリュートが本気になったと思い込み、それで怒っているのだ。
ここを発つ準備を始めるマリーアたちをよそに、全然キットの怒りは冷めようとしない。なぜならそれほどまでにキットがキッドを心配してるわけで、当の本人は二人を見ながらいつものように笑っていた。リュートにはその笑顔がやっぱり嘘で出来ているようには見えず、またそう思いたくもなかった。複雑な心境になりながらも、やがて出発の時も来て六人は歩き出す。
だんだんと落ち着いてきたキットはリュートたちのムードメーカーになりつつあり、いつものようにキッドやリュートと楽しく話しを始めていく。さっきあったことが嘘かのようにキッドはリュートへも自然と振る舞い、リュートもそれに習うしかなかった。けれど昨日までとは違い、二人の間には小さな溝が出来たように感じ、リュートはそのことに酷く落ち込んでしまう。先のことを不安に思い浮かべながらも、まずはしっかりと一歩一歩その道を進んでいった。
「昼ごろには着けそうね」
マリーアが確認するように口を開く。その意味は聞かなくてもみんなに伝わった。
「そうだな。確かダインが待ってるんだろ?」
「えぇ。恐らくはそのはずよ」
船を降りた時、ダインは帰りも送ってくれると約束した。ならばきっとまだノルンにいるだろう。そう信じて、急いでリュートたちは足を進めていく。ノルンへ近づくに連れて、リュートたちの話はフィレーネ号に移っていた。その話にはキットとキッドも目を輝かせる。やはり大きな船は彼ら少年にとって大きな夢みたいなことでもあるのだろうか。そこのところはマリーアには分からなかったが、とにかくこの二人が笑顔でいてくれてることが嬉しかった。
教え子でもあり、チームの生徒でもあった。リュートたちと同じように、けれど少し違った意味で深い愛情を注いでいた。ガルドーを助けられなかった分、より一層に二人が無事でいてくれてよかったし、そして守りたいとも思うのだ。
「もうすぐ着く」
いつのまにか時間も経ったのだろう。真っ先にヒースがノルンが見えてきたことに気づいた。その先には海が広がっており、もうすぐまたフィレーネ号に乗れると思うとリュートも気分が高揚してくる。
「競争しようぜ!」
キットが思いついたように提案し、そして返事も待たずに走り出す。
「おい、キット!」
それに続くのは当然キッドだ。何ら変わりもしない。今朝のことは夢だったかのように。
「負けねぇ!」
考えるのが嫌いなリュートだ。あれこれ考えるのを止めにして、すぐに二人に負けないように全速力で走っていく。
そんな三人を暖かい眼で見守るようなのはマリーアとヘルムートで、一人冷めたような眼で見るのはヒースだ。当然彼らが走り出すことはなかったが、それでもノルンへ向けて確実に足早にはなっていた。
港町ノルンへと足を踏み入れるリュートたち。それは二度目のことであった。
一度目に来たときはセリアとレイが一緒で、逃亡の旅が終わるのだと信じていた。しかしそこで起きた出来事は予想外のもので、それを思い出すとリュートは複雑な気分になる。一度はシューイによって捕まり、けれど船から海の中へと落ちた。そして出会った妖精たち。彼らに出会わなければリュートは帝国と戦おうなんて思わなかっただろう。
「さぁ、港へ急ぎましょう」
マールが味方に着いてくれたとはいえ、リュートたちが罪人であることに変わりはない。今ここで簡単に町の人間に姿を見せるのはさすがにまずかった。以前と同じように身を隠しながら、リュートたちはノルンの街中を進んでいく。
程なくして港へと着く六人。そこには彼らを待っていたかのようにフィレーネ号が停泊していた。その前で慌しく動いているのは船乗りたち。そしてその中心にはダインが立っていた。
「ダイン!」
一番にその名を呼んだのは意外にもヘルムートだった。年相応の笑顔を見せてヘルムートはダインの方へと走り出す。
「ん……!?ヘルムートか!?」
自分の名が呼ばれ、駆け寄ってくる数人。そこにヘルムートがいるのを見てダインは眼を疑うように驚いた。
「久しぶりだな」
「お前……そうか……やっぱり無事だったんだな、この野郎!」
ダインはいきなりのことで混乱していたが、ヘルムートの後ろにリュートたちの姿を見るとすぐに全てに納得した。普段は見せないような喜んだ顔でヘルムートの頭をクシャクシャするように勢いよく撫でた。
ダインにとってヘルムートは息子同然の男なのだ。そしてそれはヘルムートにも同じことが言えた。過ごした時は少なかったが、二人の間には見えない絆が確かにあるのだ。だからこそ、本当はヘルムートを心配していたし、無事を信じてもいた。そして目の前にその姿が現れれば、誰だって嬉しくもなるだろう。
「当ったり前だ。俺が死ぬわけないだろ」
ヘルムートもダインと同じように喜びの笑みを浮かべて言葉を交わす。その様子をマリーアは後ろで見守るように見ていた。するとダインもその視線に気づいたのか、今度はリュートたちに向かって口を開く。
「まさか一緒になってやってくるとはな……」
「えぇ……」
「だが、お前さんたちの顔を見る限り……上手くいったんだな?」
確信を込めてダインは尋ねる。そこに疑いは微塵もなかった。
「はい、無事に」
「そうか!それは良かったな!みんな無事のようだし!」
ダインは豪快に笑いながらいつもの調子に戻っていく。
「ダインさん、俺たち次はレーシャン王国へ行きたいんです!またフィレーネ号に乗せてくれませんか!?」
「もちろんだ。いつだって出航は可能だ!さぁ、乗りな!」
「よっしゃー!」
その言葉にリュートは目を輝かして喜びだす。それに習うようにキットとキッドもフィレーネ号を見て目を輝かせていた。ダインの合図のもとにリュートたちはすぐさまフィレーネ号の中へと急いでいく。すぐにレーシャン王国に向かわなければいけないのだ。悠長に休んでいる暇もなく、彼らが乗り込んだ後、フィレーネ号は勢いよくノルンを発っていった。
――帝都アルス
セリアンス大陸の中で一番に広く大きな都だ。アルスタール城を中心に建て、それを囲むように円状に広がっている。都の賑わいはいつも通り活気もあふれ、人によってはまるで近隣の町や村の活気を吸い取っているようにも見えるだろう。
その帝都の細い裏通りの道を少年は歩いていた。辺りには人の気配もない。
(とりあえず帝都に来てみたけど……やっぱり何も分からないか。城に入ることも無理そうだし……)
ため息を一息つく。この都では何の手がかりも得られなかった。半ば覚悟していたことだったが、やはり残念に思う。
そしてそのまま道を歩き続けていく。その向かう先は外の方向だった。もはやここにいても何もできないとわかり、少年は都を出ようとしたのだ。しかしその裏通りを歩く中、壁に四枚の張り紙が張ってあっるのを見つけた。
(ここにも……)
その張り紙は都のいたるところに張られており、ここに住む人々は毎日嫌でも目にするのだろう。
帝国への反逆者
マリーア=ホーネット
リュート=セルティン
セリア=アレイスター
レイ=ヒューリオン
誰が描いたか分からないそっくりな似顔絵と共に罪人の名前が連ねてある。そしてその中でセリア=アレイスターとレイ=ヒューリオンの似顔絵には大きなバツ印が上書きされていた。その意味することが何なのかは誰にだって分かることだろう。
少年はその張り紙に連ねてある名前をゆっくりとなぞっていく。そして一人の名のところでその動作をやめた。
「リュート……」
リュート=セルティン。そこで止まる指は何を感じるのだろうか。思わず名前を呟いていた少年は物思いに耽るようにぼうっとする。しかし少しの時間も惜しい少年はすぐにそれを止めて前を向く。
(早く見つけないと……)
心の中で彼の顔を浮かべながらも、少年は機敏な動作を以って再び都の外へ向かって歩き始める。やがて裏通りを抜け、出口もすぐ近い広場に出ていく。するとそこでは何かの騒ぎが起きていた。目を凝らして見ると、どうやら帝国の騎士が大勢揃ってたった一人の少女を捕らえているようだった。
「逃げ足の速いやつめ……捕まえたぞ!」
「何するの!放しなさい!」
まだ騒ぎは起きたばかりなのだろう。野次馬のように見る人たちも数人しかいなかった。その中でこんなにもの騎士がいるのは異様な光景だ。少年はそう思いながらも、関わろうとはせずにそのまま広場を抜けようとする。その間も少女は一人で騎士たちから逃げ出そうともがいていた。
「くそっ!大人しくしていろ!」
騎士は少女の頬を思いっきり叩く。思いの外大きな音が鳴り、少女は騎士たちを睨み付ける。
「そんな顔をしても無駄だ!どうせお前はすぐに処刑になるだろうさ!」
少女が殴られたとき、その騎士の本気さに少年は思わず足を止めていた。
「何だって!?」
そしてそれに続く言葉には、口を出さずにはいられない。
「……何だお前は?」
そこで騎士たちは初めて少年の存在に気づいたように、ジロジロと少年を見回してくる。その視線に少し気圧されながらも、少年は観念して騎士へと向かって訴えた。
「処刑ってどういうことですか!?何があったか知らないけどそんなのやりすぎでしょう!?」
「口出しするなよ、小僧!お前には関係ないことだ!」
「けど、まだ年も幼いじゃないですか!」
少年には少女がそれほどの罪を犯したとはとても思えなかった。騎士の怒りが自分に向いてくるのを承知で間に入っていく。すると騎士は何を思ったのか理不尽なことを口にしてくる。
「お前、さてはこいつの仲間だな!」
「なっ!違いますよ!」
「いや、怪しいな!おい、こいつも連れて行くぞ!」
少年の言葉が聞こえていないかのように騎士は周りの部下たちに命令する。その傲慢さに驚き、自分の腕を掴む騎士を見て少年は焦りを覚えた。
「違うって言ってるじゃないか!」
思わず少年はその腕を強く弾く。すると騎士たちは目に見えるように怒りだした。
「……こいつは反逆罪だ!今ここで処刑してやる!」
「……ッ!?」
まさかの発言に少年は何の言葉も出ない。そんな理不尽なことが通るはずもないだろう。そう思ったのは最初の一瞬だけだ。その言葉を聞いた他の騎士たちは一様に頷き、そして剣を抜いて少年に斬りかかったのだ。
「何で……こんなことが許されるの……!?」
騎士の攻撃を避けながらも少年は動揺していた。しかしここで死ぬわけにはいかない。少年には探している人物がいるのだ。
「危ない!」
少女が叫んで後ろからの攻撃の危険を知らせてくれた。もはや騎士に囲まれてしまっている。少年は僅かに迷いながらも、すぐに決断を見せた。
「こうなったら……!……光よ、閃光を放て!」
その言葉と共に辺りに明るい光が現れた。それは騎士たちの視界を一瞬の間奪っていく。その一瞬の隙に少年は少女の手を掴んで走り出す。
「ちょ、ちょっと!何するのよ!」
いきなり手を掴まれ困惑した少女だったが、自分を助けてくれていることを分かり、大人しく少年の後ろを走り出した。けれど当然すぐに騎士たちも二人を追い始める。その差はだんだんと縮まっていき、このまま逃げても捕まってしまうだろう。後ろを振り返り、騎士たちが追ってくるのを確認しながら少年はどうすればいいか考えた。
「このままじゃ追いつかれる……細い道で戦うしか……」
けれど少年一人で大勢の騎士たちを相手にすることは難しいだろう。だんだんと焦り始めていく中、少女を引っ張っていた手が突然逆に引っ張られていく。
「こっちへ!」
焦りを含んだ短い言葉が少女の口から発せられた。いきなりのことだったが何か策があるのかと、少女の言葉通り少年はついていく。しかしその向かう先は帝都を囲む外壁がある行き止まりだった。
「何でこんなとこに!?」
開けた場所に出たが、その周りは壁しかない。それを見た少年はより一層焦りが募り、すぐに引き返そうと再び少女の手を引っ張ろうとする。だがその手はビクともせず、むしろまた引っ張られてしまう。
「ここよ」
少女は目の前にある壁に手を置き、力を込めてその壁を押した。すると驚いたことにその壁はゆっくりと開き、その先は奥へと続く長い通路が見えた。
「なっ!?」
「急いで!」
騎士たちの足音がすぐそこまで迫っている。少女は半ば呆然としている少年の背中を通路へと押し、そして今度は逆に壁を引いた。間一髪で二人は隠し通路へと逃げ込んだのだ。
「いないぞ!どこに行った!?」
「他を探せ!」
追ってきた騎士たちもそこの存在には気づかずに引き返していく。その様子を知った二人は逃げ切ったことに安堵した。
「大丈夫のようね」
「何でこんなとこに隠し通路が……。君はいったい……?」
少年は改めて少女を見た。年のころは自分よりも幼く見える。けれど不思議とその体格は自分よりも大きい。一番に目を引くのは余り見かけない眼鏡をかけていることだろうか。
見られているのが嫌なのか、少女は顔を背けて前へと進んでいく。そして続く彼女の言葉で、少年は驚愕の事実を知った。
「一応助けてくれたお礼よ。ここを進めば帝都の外に出るわ。それと……これでも私貴方の何倍も生きてますから」