塔への道
その世界の空気は、内側から輝いているかのようだった。
頭上高く木々のそびえる深い森のはずなのに、木々の葉越しに地上に注ぐ日の光は柔らかな黄金色の粒のように麻衣には感じられた。
闇を感じさせない光満ちる世界。
そこは、楽園や天国という名にふさわしい場所のように麻衣は思った。
しかし、半歩ほど先を一言も発さずに黙々と歩いている明洋は少しばかり感想が違うようだった。
いつ見ても、その背中が、辺りに配られる視線が、緊張をはらんで痛いほどだ。
「あの…上森、さん」
「名前で良い」
「え?」
「俺と仲良い奴は皆名前で呼ぶから、名前で呼んでくれて良い」
思いがけない明洋の言葉に、思わずその顔をまじまじと見つめて、どうやら本気らしいと麻衣は思う。
特に照れたりとか、無理矢理無表情を保っているとか、そういう無理をしているようには見えない自然な表情だ。
「良く考えてみたら、失礼だよな俺って。初対面の女の子にアンタってさ。……余裕がなくて悪いな」
しかも謝られたらしい。
相変わらず全身で辺りを警戒したまま、片手間に呟いている状態の明洋に麻衣は苦笑した。
何だか、今更だという気がした。
「えーと、じゃあ、明洋…さん」
「何?」
肩越しに、振り向くこともない視線だけが鋭い刃のように刺さる。
少しは雰囲気が柔らかくなるのかと思えば、やっぱり話し掛けづらさは変わらない。
麻衣は、笑顔を作り掛けた頬を引きつらせた。
「いや、あの、あとどれ位歩くのかな、と思ったんですけど」
「まだまだ」
「そうですか」
「ああ」
そして、再び落ちる沈黙。
会話の間も足を止めようともしない明洋に、麻衣はそっとため息をつく。
足元はある程度人が歩きやすいようにならされているものの、それは舗装された道路には程遠い。言ってみれば、観光地化された森のようなむき出しの踏み固められた地面があるだけの状態。
その道をかなりの速さで歩きながら息ひとつ乱した様子がない明洋に、麻衣は賞賛を通り越してうんざりした視線を送る。 休憩のタイミングが見えない。
ほぼ夜明けと共に歩き出してそろそろ4時間経つ。実際の時刻と大体同じ時間を刻んでいるらしい腕時計を見ながら、麻衣は項垂れた。
麻衣は運動神経は悪くないが、いかんせん現代っ子だ。家の周辺は坂が多いせいであまり自転車には乗らないが、普段の移動は公共交通機関、つまりはバスや電車が移動手段だ。
4時間も歩けば、いい加減足が悲鳴を上げ始める。
そして、歩き続ければ生理現象にも悩まされる。
つまり、お腹がすいているし用も足したくなる。
「……私、限界です」
「あ?」
「お腹すきましたし、喉渇きましたし、……お手洗いも」
ついに立ち止まって小声で限界を訴える麻衣に、不機嫌そうだった明洋は内容を理解すると視線を逸らし、それから天を見上げた。
「悪い、忘れてた」
「え?」
「食べられそうな物集めて来るから、そこで待っててくれ」
初めて気がついた様子で、慌てて食べ物を捜しに行く明洋を呆然と見送りながら、麻衣は首を傾げた。
「忘れてたって……お腹すかないのかしら?」
些細な疑問は、我慢し続けていた生理現象の前にあっけなく霧散して消えた。
「おい、起きろ。こんな所で寝るなよ」
「え? あれ?」
少し強引に肩を揺さぶられて、麻衣は心地良いまどろみから目覚めさせられた。
見渡せば、柔らかな光の満ちる不思議な森の景色を背景に、気遣わしげなと表現するには険しい表情の明洋が顔をのぞき込んでいる。
「わっ」
思わず仰け反った麻衣に、距離が近すぎることに気がついた明洋はばつが悪そうに顔をしかめながら体を起こした。
暇だと思いながら木の根元に腰を下ろして待っているうちに、疲労に負けて眠ってしまったらしい。
ゴツゴツした木に体を預けていたせいか、あちこちがすこし痺れている。
「俺は、熱中すると周りが見えなくなる癖があるらしい。忘れていたらまた言ってくれ」
ごめんな、と呟いた明洋の表情は、前を向いたままでやはり見えなかったけどその顔は自分の失敗に腹立たしげにしかめられている。そんな気がして、麻衣はそれ以上責める気にもなれずにそっと苦笑した。
とりあえず腹ごしらえと言うことで、明洋が集めてきた僅かな木の実と、どこからか汲んできた澄んだ水を革の水筒のようなものに直接口をつけて飲みながら、麻衣は落ち着かない様子の明洋に首を傾げた。
かじった木の実はどことなく林檎とマンゴーとベリー系の何かを混ぜたような不思議な味がして、その風味を味わうように麻衣はフムフムと頷く。
かなり好みの味だ。牛乳とかココナッツミルクとかと合いそうだとぼんやり考えながら、口を開く。
「そんなに急ぐんですか?」
モグモグ口をを動かしながら行儀悪く問う麻衣に、気にした風もなく明洋は自分自身の考え事に意識を半ば埋もれさせている様子で答えた。
「ああ。ここは聖域だけど、いつまでそれが通用するか分からないからな」
「聖域」
明洋の言葉を復唱するようにポツリと呟いた麻衣に、明洋は前を向いたまま頷く。
「ここは、風の竜族が住まう聖域だ」
「竜! って、あの竜ですか?」
思わず明洋ににじり寄った麻衣をチラリと見やって、明洋は困ったように眉を寄せる。
「いや、あの竜じゃあないな。どちらかというとエルフとか精霊に近い存在らしい」
「エルフ……精霊……」
「風の竜族は、その名前のとおり風を操る種族らしい。何百年も生き、白い肌と金の髪、緑の瞳をしていて美しい声と癒しの技を持つ……だったはずだ」
「そのままエルフですね」
「そうだな」
麻衣の感想に、明洋は苦笑する。
「基本的に、竜族は人間たちとは必要以上の接触をしない。今回の揉め事は人間の国の中のことだから不干渉のはずなんだ。……それも、人間次第ってところのようではあるんだけどな」
そう言って、明洋は眉間に指を当てる。
そこにはくっきりと皺が寄せられ、それを揉み解しているらしい仕草に麻衣はふと気の毒になった。
どういう立場なのかよく分からないが、明洋は苦労が絶えないらしい。将来は禿げるか白髪になるか、胃炎に苦しむことになりそうだ。
「早くエセルメリア姫とアクティスを目覚めさせないと、その前に俺がどうにかなりそうだ」
再びチラリと麻衣に目線をやって、明洋はため息を抑えるかのように口元を覆った。
「まったく、俺にどうしろと言うんだ」
恐らくアクティスとか言う人に対する恨み言らしい独り言をブツブツと呟き続ける明洋に、麻衣は再び速度を緩めて後ろに下がる。 苦労続きらしい明洋には申し訳ないが、よく分からない愚痴を聞くのは麻衣の性に合わない。
「そろそろ風の塔が見えて来るはずだ。ここでまず、導を得ないとならない。そうすれば、何とかなるはずだ。何とかなるはず」
自分自身に言い聞かせるように何度も繰り返す明洋に、麻衣はすこぶる不安そうな視線を向ける。
「そんな目で見るなよ。俺だって確証が持てたらとは思ってるんだ」
「そういえば、聞き忘れてましたけど」
明洋の言葉をさえぎるように、麻衣は言葉を発した。
そんな麻衣を見下ろして、明洋はいぶかしげに顔をしかめる。
「明洋さんとかその姫とか騎士って、悪い人たちじゃないですよね?」
麻衣の質問に、一瞬動作を止めた明洋があきれた様子で麻衣の顔を覗き込む。
「それって本気で聞いてるのか? 普通自分のことを悪人だと言う奴はいないだろ」
「それでも聞きたかったんです。で、どうなんですか?」
重ねて問われて、明洋は真顔になる。
「俺は、アクティスは進んで誰かを殺したり、不幸にしたりする奴じゃないと思った。だから協力してる。エセルメリア姫は知らない」
明洋の本心を見定めるかのようにじっと明洋を見つめた後、麻衣はホッとした様子で笑顔を浮かべた。
「良かった」
「あ、ああ」
掛け値なしの笑顔を向けられて、明洋は少し照れたように視線を逸らす。
その様子を見ながら、麻衣はじっと何かをかみ締めるように足元を見つめた。
「塔に着いたら、詳しい話を聞かせてくださいね」
「分かった」
ようやく満足したのか、さてと、と掛け声を掛けて立ち上がると足取りも軽く歩き始めた麻衣を不思議そうに見ながら、明洋も歩き出す。
太陽は中天をやや過ぎた辺り。麻衣は自分に与えられた新しい世界に、夢中だった。
ただただ、生きていることを感じていた。