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世界はまるで泡(うたかた)のように  作者: 深海聡
第三章 流転する世界

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水は低きに流れる

 石舞台で光を纏って舞うエセルメリアを見上げながら、麻衣は興奮していた。

 思い描いた通りのファンタジーな展開に、心が躍る。

 舞い上がり、漂い、広がる光の粒が波立つ泡のように次々と生まれ出る、あふれ出る。

 神々しささえ感じる光景に、光に吸い寄せられる虫のように誘い出される。

 もっと近くで見ていたくて、気が付けばいつの間にか石舞台のごく間近まで近づいていたらしい。

 石畳の近くまで来て、肌をチリチリと走る感覚に足を止める。

 これ以上は近づかない方が良いのだと、文字通り肌で感じた。

 近くで見れば、麻衣には分からない法則でエセルメリアの足元から、指先から光が伸びていくのが分かる。

 光の線が引かれ、繊細なレースを編み上げるかのように複雑な模様が、文字が、目まぐるしく紡ぎ出されていく。

 理屈では表現出来ない、圧力すら感じるほどの力の奔流に、思わず足が下がる。

 あふれ出る、ほとばしる、流れ下る。

 その力の奔流を、圧倒的でありながら繊細で神々しく、そして儚く脆い感覚を、麻衣には表現できる言葉がなかった。

 指先から、足先から、髪の一筋、衣の端に至るまで全てが計算し尽くされているかのように、エセルメリアが発する力の軌跡を描き出す。

 線が重ねられ、意味が重ねられ、力が重ねられる。

 息が出来ないほど圧倒的な力なのに、それらはまるで柔らかな雨のようにするりと麻衣を通り抜けていくのだ。

 エセルメリアの動きに合わせて、汗か涙か、水が玉になって散る。

 砕け、分かれて、キラキラと増える。

 その様子を麻衣は、息もできずにじっと見ていた。

 吹き上がる力に弄ばれたショールが、崩れほつれて消える。

 それを視線だけで追う、エセルメリアの顔がわずかに歪められる様子さえ美しい。

 現実的な重みも、痛みも、温度も、何も感じられなくなるほどに魂を奪われる情景だった。

 イルミネーションや夜景など、所詮は作りものでしかないと鼻で笑いたくなるような圧倒的な空気。

 麻衣は気が付けば、夜露の降りた草の上に座り込み、ぼんやりと眺めていたらしい。


「麻衣。おい、こんなところにいたら風邪ひくぞ」


 どれほど時間が経ったのだろうか。

 麻衣は明洋に肩を揺さぶられて、ようやく我に返った。

 いつの間にかエセルメリアも、不思議な光も全て消えていてまるで夢を見ていたかのように跡形もない。

 否。

 月明かりに照らされて、ざわざわと丈高く伸びた草が揺れている。

 草の合間に色とりどりの花も咲き乱れ、昼間に見た岩だらけの荒れ果てた土地が、見違えるように命にあふれている。


「明洋さん」


「ん?」


「エセルメリアは凄いですね。この世界が私たちがいた世界と全然違うっていうことを差し引いても、きっとエセルメリアが凄いんだろうなっていうことがはっきりわかるぐらいには凄いですよね」


 噛みしめるようにひたすら凄いと繰り返す麻衣は、言葉に反して表情が晴れなかった。


「これだけのことが出来るエセルメリアは特別なんだと思います。それこそ、世界を創った存在に愛されて生み出されたとしか思えないぐらいには規格外ですよね」


 麻衣は座り込んだままだった膝に顔を埋めて、深々と息を吐いた。


「次元が違うっていう見本そのものだよ」


 麻衣の言葉をじっと聞いていた明洋が、ドサッと音を立てて麻衣の隣にやや乱雑な仕草で腰を下ろす。

 感傷的な気分を乱されて、麻衣はムッとして明洋を軽くにらんだ。

 そんな麻衣の視線を気にした風でもなく、明洋は静かに口を開いた。


「お前さ、何をそんなに落ち込んでんだよ?」


「……そうですね。何だろう?」


「だからそれさ、意味あんの?」


 身も蓋もない明洋の言いっぷりに、麻衣はぐりぐりと自分の膝に顔を押し当てた。


「あー……正しければ正義って訳じゃないと言いたい。ホントもう、言い方!」


 ふてくされた様子で唸る麻衣に、明洋は軽く笑い声を立てた。

 珍しい反応に、思わず勢いよく身を起こして振り向き、麻衣は明洋をまじまじと見つめた。

 思いの外苦い表情に、更に麻衣の目が丸くなる。


「俺はお前も十分凄いと思うよ」


「え、どこが?」


「そういう、自分のこと過大評価しないところとか」


「え? 話聞いてました? 私は今最高にカッコ悪く人のこと羨んでるんですけど。それも、あんな凄い姫を。生まれ育ちから違うとか分かっているけど、それでも羨んでるんですよ? 最悪じゃない?」


「それを最悪だと思える奴って意外と少ないと、俺は信じてる」


 麻衣の言葉に的確に返って来る明洋の言葉に、麻衣は返す言葉を失って黙り込む。

 明洋の言葉には妙に実感と重みがあって、そのことがどうしようもなく胸に迫った。


「自分自身がカッコ悪いこと、自分自身が間違ってることを認められる奴って案外少ないんだよ。俺だって。俺だって、例外じゃない」


 麻衣には明洋の事情など分からないし、本人が語らないことを特に知る必要もないと思う。

 それでもそれが明洋なりの不器用な慰めだということが伝わってきて、思わず笑みがこぼれた。


「……うん。うん、そうですね。自分が出来るはずもないことを羨んだって仕方ない」


「それよりとっとと戻ろう。探されても困るだろ」


「それもそうですね。戻りますか」


 明洋に促されて、麻衣は立ち上がる。

 草が生い茂り、花々が咲き乱れる。

 さっきまで岩がゴロゴロしていた場所が、別の場所のような変貌を遂げていた。

 物語の中では何度も見たような描写がそこには広がっていて、麻衣はその奇跡に感動するよりも何かが引っ掛かって心が晴れなかった。

 黙って歩いている麻衣とつかず離れずの距離を保ったまま、明洋は静かに後ろを歩いて来る。

 その気遣いを、麻衣は今はとてもありがたいと思った。


「うわ、何あれ」


 精霊殿の前庭に、いつの間にか人が詰めかけている。

 やつれて弱った人から、裕福そうな人、武器を手にした人、沢山の人たちが口々に何かを訴えていて、相当な喧騒に包まれている。

 それを押しとどめているのは見たことのない、武器を手にした騎士らしき人たちだ。


「巫女姫様方か!?」


 誰かが麻衣たちの姿を見とがめて、声を上げたのを皮切りに人が押し寄せて来るのを前に、麻衣はその圧力に身体が竦んで動けなくなった。

 それを素早く麻衣を背に庇った明洋が、剣を抜いて牽制する。


「下がれ! こちらは巫女姫の客人だ。控えよ!!」


 良く通る声に打ち据えられるように、群衆がピタリと止まる。

 抜かれた剣にひるんだ者が道を開け、素早く剣を収めた明洋は、その隙に麻衣の手をやや強引に引いてその場を通り抜けた。

 一気に精霊殿の入り口を通り抜け、宛がわれた麻衣の居室に彼女を押し込んで、明洋はようやく息を吐き、緊張を緩めた。


「これほどの効果があるとは、イリュミアもエセルメリアも想定外だろうな。不味いことになった」


 人目を引き過ぎだろうと、明洋は唇を噛む。

 その様子がアクティスにどことなく似ているような気がして、麻衣は思わず首を傾げた。


「明洋さん?」


「どうした」


「いえ、何でもありません」


 少しだけ不機嫌そうに応じるのは明らかに明洋なのに、言動の端々に違和感を感じて麻衣はどうにも落ち着かない気分になる。

 じっと考え込んで、不意に気付いた。

 今までは明洋が能動的に何かを考え、実行している姿をあまり見たことがないのだと。

 今までは他に考え、方針を決める人がいて、明洋はただ静かに指示されたことを実行に移すだけだった。

 だから誰かの行動を憂う明洋に何となく違和感があるのだろうと麻衣は思い、自分が考えたことに随分と失礼な感想だと苦笑した。

 もちろん明洋だって自分の考えを持っているだろうし、それで心配したり不安になったり悩んだりするだろう。

 ただ明洋は、そういう自分の感情を必要がなければ表面に出さないだけなのだろうと、改めて気づいた。


「明洋さんって、意外と落ち着いてますよね。私と違って状況が見えているというか……」


「ああ、昔からそれ良く言われる。別にそんなつもりもないんだけどな」


 窓の外の様子を窺いながら、何気ない様子で麻衣にそう返す明洋に、麻衣は改めて自分自身のことって分からないんだなと思った。

 自分自身が出来ることはたやすく感じてしまうから、特別なことだと思わない。みんなきっとそうなのだろう。

 だけど、それが目を曇らせ、人の心に思わぬ流れを生む。

 人は、特に不安や恐怖に打ちのめされた人は、縋りつく何かを求める。

 特別に尊く、光り輝くものを求めて光に群がる蛾のように、水が低きに流れるように人々は押し寄せる。

 今、精霊殿の前に広がっているのはまさにそういう状況だ。


「水は、低きに流れる」


 ちょうど麻衣が考えていたことを、明洋が呟く。


「この思わぬ激流を上手く乗りこなさなければ、木っ端微塵と砕けることもあるか」


 独り言のように低く呟く明洋の言葉が、麻衣の心に思わぬ波紋を生み出した。

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