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世界はまるで泡(うたかた)のように  作者: 深海聡
第三章 流転する世界

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姫君の課されたもの

「アクティスを奪い去ったのは、恐らくエスティオーラ、わたくしの従姉であり現在青の王国に女王として君臨する者の配下だと思うの」


 エセルメリアの伏せられた瞳に浮かぶ感情を、長い睫毛が影を作って覆い隠す。

 落ち着いた声で静かに説明する姫の様子を、麻衣はじっと見つめていた。

 あの騒動などなかったかのように、別室に場所を移せば、そこには小ぶりなテーブルと長椅子とお茶の支度が整えてあり、自然な仕草でイリュミアがお茶を淹れ始める。

 勧められた席を断った明洋は、近くの壁に寄り掛って、その様子をじっと見つめていた。

 ひとり座っている麻衣は、自分が身につけている服の汚れも相まって、馥郁と香るお茶の香りにも気分が落ち着かなかった。

 まるで想定内の出来事であるかのように、目覚めたばかりのエセルメリアは落ち着き払って今後の計画を立てているようだ。

 どういう方法なのかは知らないが、エセルメリアは何もかもをすでに把握済みなのだろう。

 そういう静けさと揺るぎなさが、目の前のエセルメリアにはあるように麻衣は思った。

 あるいはこの状況も含めて、アクティスがあらかじめ想定していた範囲内なのかもしれない。

 だとしたら、この戦いは互いにある程度手の内が予想出来る相手との戦いなのだろう。


「麻衣も気付いていると思いますが、この争いは簡単に勝てる種類のものではないわ。だけど、アクティスの予想が正しければ女王の治世は既に破綻しているはず。彼女は自分自身に敵対した者を……殺し過ぎるわ」


 美しい形のエセルメリアの眉がひそめられ、首が緩く振られる。

 口にされたその内容に、同じように明洋の眉もひそめられ、麻衣は息を飲んでエセルメリアを凝視する。


「些細な諫言や反対意見に罰を与え、目障りだという理由で不正を捏造して粛清の対象とし、一族ことごとく幼子に至るまで隷属か死かを選ばせているようなの……以前より、明らかに苛烈になっている状況に、もはや女王は正気を保っていないという風聞まで流布しているそうよ。こうなってしまっては、わたくしに出来ることはひとつだけ」


 伏せていた瞳が、明洋と麻衣をひたと見つめる。

 美しい若葉色の瞳が、水気を含んで本物の宝石のように煌めいている。

 抑えても抑えきれない悲しみと、怒りと、後悔と。

 複雑な感情がその瞳の中に閃いて、消える。


「反乱軍を纏め上げて、エスティオーラを討つしかない」


 強い光を宿した瞳は、とうに決まっていたかのように揺るぎない力強さで宙を見据えている。


「ずっと前に、こうなることは決まってしまったのだから」


 伸ばされた背筋も、前を見つめる視線の強さも、麻衣はその姿にただただ圧倒されていた。

 自分といくらも違わない年齢に見える彼女は、堂々と立派に、役目を果たそうとしているように見える。

 その様子に感じ入ってふと隣の明洋を見ると、何かを深く考え込んでいる様子で、エセルメリアを鋭い視線で見つめていた。

 その視線の鋭さと真剣さに、何かを見落としているのだろうかと麻衣は不安になる。


「姫。貴女は、それでよろしいのですか?」


 ようやく口を開いた明洋から発せらた、重々しい調子の問いに、エセルメリアは幾重にも感情が隠された静かな視線を向ける。

 そのまま言葉もなく見つめ合う2人の発する緊張感に、麻衣は息苦しい気分になった。


「わたくしは、選択を誤ってはならないのよ」


 じっとりと手のひらに汗がにじむほどの沈黙の後、エセルメリアは口を開いた。


「何を捨て、何を選ばなければならないのか。わたくしは、自分に課せられたことを理解しているつもりだわ」


 静かに告げたエセルメリアの言葉に、明洋は苛立つ。


「それでも、他に選択肢はないのか? 気が進まないのだろう? 姫君のような深窓の令嬢に、荒事が務まるとも思えない」


「そんな理由でわたくしが今更逃げ出すことなど、許されないわ。それに、その程度の言葉で覆せる覚悟なら、そもそも戻らなければ良かっただけのこと。こうしてこの地に戻った以上、わたくしは課された役目を果たさなければならない。それが、王族であることを受け入れて生きる者の定めであり、勤めなのだから」


「だが」


「どうか、その辺にしてくださいませ」


 なおも言い募ろうとする明洋を、イリュミアが、やんわりとした口調で、それでも反論を許さない雰囲気で止める。


「姫様の決断を、鈍らせようとするようなことはお止めくださいませ。これは義務であり、誓約にも関わるところ。今の状況でエスティオーラ様を討たぬことは民も、諸侯も許しますまい」


「そうよ。これは、生きるための、生かすための闘い。わたくしをこれ以上妨げることは許しません」


 厳しい視線で明洋を見返したエセルメリアの視線がツイと流れて、イリュミア、麻衣の順に注がれる。


「誰が何と言おうと、わたくしはエスティオーラを止めるために、彼女を討たなければならない。これはもう、決まってしまって覆らないことなのです。よろしいですね?」


 エセルメリアの視線が外され、姫君はそっと目を伏せて何事かを考えているようだった。


「この話は、これ以上は必要ありません。それよりも、反乱軍にどうやって接触するか、誰を使者として立てるかの方が重要だわ」


「姫様の仰るとおりです。使者には、わたくしが参りましょう」


 エセルメリアの言葉を受けて、イリュミアが柔和な笑みを浮かべて名乗りを上げた。


「この中でわたくしが最適かと」


「そうね。あなたほどの術者なら、自分の身は自分で守れるでしょうし、反乱軍の現状についてもある程度把握しているのではなくて?」


「はい。お任せくださいませ」


 2人のやり取りに、口を開きかけた明洋が、口を閉じて深く考え込む。

 迷いがある様子で揺れていた明洋の視線が、止まる。

 グッと目を閉じ、深々と息を吐く。


「俺にも何か、指示をくれ」


 不本意そうに呟いた明洋が、壁に寄りかかっていた体を起こしてエセルメリアを見下ろす。


「そうね」


 エセルメリアは小首を傾げて明洋を見ると、いたずらっぽく微笑む。


「では、こちらにいらしてお茶をいただきながらお話ししましょうか」


 再び席を勧めるエセルメリアと、その傍らに立ってこちらを見守るイリュミアを見比べ、明洋は根負けした様子でしぶしぶ麻衣の隣に座る。

 そして、座面についた汚れを見て、分かり易く顔をしかめて首を振る。

 その後、気を取り直したようにテーブルの上のカップを取り上げて口をつけた。


「どうぞ、お茶菓子も召し上がって。急なことで、木の実と果物の蜂蜜漬しか用意がなかったのだけれど」


 軽くローストした木の実と、干した果物が金色のはちみつに浸かっているのを、麻衣は待ちきれずに手に取り、口に含む。

 その顔が輝き、自然と浮かべられた笑みにエセルメリアも柔らかな笑みを浮かべた。


「お口に合ったようで良かったわ」


 そう呟いた彼女の表情がどこか悲しげに曇ったのを、明洋は複雑な気持ちでじっと見ていた。

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