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世界はまるで泡(うたかた)のように  作者: 深海聡
第二章 それぞれの事情

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18/25

長の事情と異界の巫女姫

大変長らくお待たせしました。

懐かしい方もそうじゃない方も、風の竜族の長のご登場です。

ブランクが長すぎて名前設定忘れた。。。

資料! 資料!

「ごめんね、麻衣。貴女を巻き込みたくなんかなかったの。本当よ。私は私の責任を果たすためにいずれ旅立たなければならないのは、決まっていた。それでも、1度で良い、貴女と同じ場所に生きてみたかったの。私の我儘が、こんなことになるなんて。ごめんね、麻衣。私はまた、貴女の運命を……」


 遠く近く、波に揺られているように泣きじゃくり言い募る聞き慣れた声が、近づいては遠ざかる。

 その声は壊れたスピーカーから漏れる音のようにノイズ混じりにひび割れていて、その音に麻衣の心は酷くかき乱された。

 ザラザラとした質感まで感じそうな、荒い音質。

 電波が荒れている。あるいは受信アンテナに不具合があるような、そんな感覚。

 あるべきものがあるべき場所に収まっていないような感覚だ。


「由…紀…?」


 手を彷徨わせ、麻衣はどこかずれた場所にあるそれを、つかもうとする。

 思わず空を掻いた手を、グッと少しばかり強過ぎる力で引かれる。


「いっ…おい、麻衣。大丈夫か?」


「明洋さん?」


 乱暴に揺さぶられて目を開け、初めて麻衣は自分が目を閉じていたことが分かった。

 頭の中に水でも詰まっているかのように、全ての思考が遠い。

 考えの断片がフワフワとそこら中を漂っているようで、考えなければならないはずのことが頭の中をすり抜けるばかりだ。

 何も分からない。考えられない。

 麻衣は、肩を掴んだままの明洋のシャツの袖をシワになる程強く握りしめた。

 爪が食い込む感触に明洋が息を詰めたことにも気付かず、麻衣は必死に目の前の存在に縋り付いた。

 よく分からない焦燥感と恐怖感に突き動かされるように、動かない体を起こそうともがく。

 視界が揺れて、苦しくて涙が出る。


「どうした? どこか痛いのか?」


 気遣わしげな明洋に何か言わなければと焦れば焦るほど、痺れが広がって身体中から力が抜けていく。


「彼女は、この薬香のせいで麻痺しているのでしょう。今薬の効果を消しましたから、やがて痺れが消えるはずです」


 人の気配がなかったはずの空間から声が聞こえて、明洋はとっさに麻衣を抱き起こして声の方向から距離を取る。


「申し訳ありませんが、人前に姿を表すことが出来ない事情がありましてこのまま失礼致します。……どうやら貴方がたは私の客人のようだ。ここへは、ラキアの案内がなければ来られないようにしておいたので、彼女は……見事本懐を遂げたということですね」


 ゆったりと言葉を紡ぐ耳に心地良い柔らかな響きの低音に、相手が若くも年寄りでもない年齢の男だと見当をつける。

 薄闇の中に浮かぶ影に目を凝らせば、ゆったりとした長衣に包まれた人影が見える。

 耳に心地良い揺らぎを持ちながら感情の揺れの乏しい声色に、僅かに惜しむ音が混じる。


「貴方は。いえ、御身は風の竜族の……」


「はい。如何にも、私は風の竜族の長と呼ばれる者」


 フッと、相手が笑みを浮かべた気配に明洋は頭を垂れたまま目を見張る。


「ラキアから受け取った札をいただきましょう。貴方がたには、代わりにこちらを」


 衣摺れの音がして、風の竜族の長が手を差し伸べると明洋の懐からラキアにもらった札がふわりと舞い上がって長の手に収まったらしい微かな音が聞こえる。

 代わりに、明洋の手の中には木と蔓草の紋様があしらわれた札がふわふわと舞い落ちて来る。

 それをそっと両手で受け、押し戴く明洋に、風の竜族の長は今度こそ小さく喉を鳴らして笑った。


「そんなに畏まる必要はありません。貴方がたはそうやって私を尊い存在のように扱いますが、我ら竜族とてただ少しばかり変わった力を持っているだけの存在に過ぎないのですよ。我らも貴方がたも、等しく朽ちる定めの生き物でしかない」


 相変わらず耳に心地良い抑揚を保ったままの声色に、微かに悲しみが混じるのを麻衣はぼんやりとした心地のまま聞いた。


「私も貴方も、自らが望んだのとはあまりにも違う現在(いま)を歩んでいる。違いますか?」


 長の独り言のような問い掛けに答える声はなくて、でもなぜか麻衣は、麻衣を守るために抱き込んだ明洋の腕が僅かに震えたのを不思議なほど鮮明に感じた。

 それは明洋の声にならない肯定のようで、凪いだ水面に投げ込まれた小石のように麻衣の心に波紋を起こした。


「私の手が必要になるのは、まだ先のようです。この塔は快適な滞在を約束出来るような場所ではありませんので、申し訳ありませんが」


「はい。我らはエセルメリア姫の器とアクティスの器を求めてこちらへ導かれたのみでございますれば、元より長居して御身を煩わせる意図はございません」


 麻衣を腕に抱いたまま身を縮めるようにして叩頭く明洋の、当然のようにあるはずの体温が感じられないことに麻痺が解けてきた麻衣は気付き、小さく身震いをする。

 麻衣の反応に、明洋はハッとした様子で慌てて腕を解く。

 その様子を静かに見つめていたらしい長が、スッと腕を上げて明洋の背後を指し示す。


「そこの扉をくぐれば、求める場所に出るでしょう。そうすれば、今のその器に掛かる力も軽減される。そうすれば、もう少し貴方はその状態を維持出来るはずです」


 麻衣には分からない何かを示唆する長に、明洋が息を詰め、吐く。

 ほんの少しだけ、麻衣が倒れないように肩に添えられた手からさっきまでは感じられなかった明洋の体温を感じて、麻衣もまた小さく息を吐いた。

 冷え切った皮膚のぐにゃりとした感触は、思い出したくない記憶を深い場所から掘り起こして来るようで、堪らなく嫌だった。


「ありがとう、ございます」


「貴方がたに風の加護があらんことを」


 長が柔らかな声音で言葉を紡ぐと、一陣の風が巻き起こり、背後の扉が音を立てて開く。

 声を上げる間もないまま、麻衣と明洋はその扉の中へと吸い込まれた。

 風の中で必死に薄目を開けた麻衣は、騒めく風の向こうで翻る苔色の長衣と舞い散る金の髪と、隙間なく肌に巻かれた薄汚れて血の滲む布を見た。


 マッテイル ト ツタエテ


 扉が音を立てて閉まる刹那、ぽっかりと空いた穴のような口がそう動いたのを、麻衣は見たような気がした。

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