命の価値
『私にとって、死とは解放なのです』
どういう話しの流れだったのか、ラキアは麻衣にそう語ったことがある。
『死してこの世界の一部になることは、我ら竜族にとっては、どの一族であっても悲願なのです』
だから悲しくなどないのだと、ラキアは微笑んだ。
恐らく内容からして、麻衣が妹の話しをした後だろうと思う。
あれは…そう、あの夜は、星が美しかった。
炎に照らされて上気したラキアの頬はバラ色に染まり、瞳はキラキラと輝いて暗い話題を話しているようにはとても見えなかったのを、麻衣は覚えている。
実際、目を閉じてうっとりとラキアは語っていた。
いっそ恋焦がれているようなその様子は、麻衣の印象に強く残った。
『いつか私が命を終えた時には、どなたでも構いません、風還りの歌を歌って欲しいというのが唯一の願いです』
『風還りの歌、ですか?』
『はい。その歌で送られた者は、この世界に還ることが出来ると言われていますから』
麻衣は、世界が変わればいろいろな風習があるものだと、半ば関心と共に聞き流した。
地球上にも、死をタブーとしない民族もいると聞いたことがあった。それは確か宗教の教義が関係しているという話だった。ラキアもそんな感じなんだろうと、麻衣は思った。
その時は、あまり深く考えなかった。
そのことを今更のように後悔している自分に、麻衣は心底嫌気がさした。
「麻衣、もっと早く走れ!」
息も乱さず全力疾走している明洋が、行く手を阻む木の枝を払いながら、小声で叱咤する。
その声に束の間の物思いから覚めて、麻衣は震える足に力を込める。
相変わらずどこからか飛んで来る氷の刃を叩き落としながら、いつの間にか最後尾を走っていたラキアが、ピタリと足を止めた。
無言で、荷物の大半が入った道具袋を外して麻衣の肩に掛ける。
「彼らは私が足留めします。まっすぐ行った先に泉がありますので、そこから長の元へ跳べるでしょう。これを……」
今度は明洋に、小さな袋に入った何かを渡す。恐らくそれがあれば、長の元へ跳べる何かなのだろう。
明洋は無言でそれを受け取ると、力強く頷いた。
ここで別れたら、もう会えないことは誰の目にも明らかだった。無傷の麻衣に対して、明洋もラキアも傷だらけだったから。
それでも、麻衣には引き留める言葉が見つからなかった。
「ここでお別れです」
疲れきった顔で、しかしキッパリと微笑んだラキアは、晴れやかな表情をしていた。
それはいつか見た、思わず心奪われる美しさに満ちていて、麻衣は初めてあの表情の意味を知った。
最初から、ラキアの気持ちをどうこうすることなど、ごく浅い関わりしかない麻衣になど無理だったのだ。
「さようなら」
何のためらいもなく背を向け、来た方向に走り出すラキアを見送ることもなく、麻衣は明洋に強く手を引かれて走り出す。
心がしびれたように麻痺していて、ラキアの声と笑顔、後ろ姿が繰り返し幻のように通りすぎていく。
意味が上手く理解出来なかった。
早く、早くと体だけが前へと急き立てられていく。
分かっている。
叫び出したいような感情とは裏腹に、自分自身の中の冷静な部分が現実を突きつける。
振り向いて足を止めても何もならないことなど、とっくに理解している。
それでも、その手を、肩を、服の端でもつかんで引き留めたかった。
いかないで、いかないで、いかないで。
叫びたかった言葉が、麻衣の中をぐるぐると駆け巡る。
ラキアはずっと死に場所を求めていて、今ようやくたどり着いた、そういうことだと分かっている。
ラキアにとってはそれはこの上もなく喜ばしいことで、だからこそ嬉々として死地に赴いたのだろう。あれはどあっさりと麻衣たちに背を向けて。
分かっている。
そんなことは、分かっている。
それでも、理解したくなかった。
まるで息を吐いたら蝋燭を吹き消してしまったかのような、ちょっとした間違いで消されてしまったかのようなあっけなさで、命が失われるなんて。
奥歯を強く噛みしめて、衝動を耐える。
視界を遮らないように、必死に涙をこらえて目を開く。
これが当然の結果なのだと、認めてしまうのが怖かった。
この護衛任務は、ラキアだからこそ選ばれたと。
最初から、条件は決まっていたのだ。
偏見を持たずに麻衣たちに接し、しがらみや信念に左右されることなく、何の憂いもなく必要な時に冷静に命を捨てられ、死んでも誰も困らない人物。
そういう人物しか、護衛として選ぶことが出来なかった。
だからこそのラキアだと、気づいてしまった。
この道行きでほぼ間違いなくラキアが自身の目的を達成することを、あの竜族の姫君は、あるいは彼女の命令を受けてラキアを選んだ人物は、全てを分かった上で選んだに違いないという確信が麻衣の中に生まれる。
それは善意なのか、悪意なのか。
出来れば善意であってほしいと、麻衣は願う。
だって。そうでなければ、あまりにも悲しい。
こんな風に捨てられる、捨て石にされることが前提の命なんて、麻衣は考えたこともなかった。
誰かが唐突にいなくなるなんて、考えたこともなかった。
酸素が足りなくて、目の前がチカチカする。
胸が痛くて苦しくて、あふれそうな涙を振り払って必死に走り続けた。
「麻衣、息を止めろ」
明洋の言葉にとっさに従った瞬間、強い力で引き寄せられ、抱き込まれる。
視界を染め上げる眩い光に、麻衣は意識まで呑み込まれて何も分からなくなった。




