増殖する狂気③
田辺紀子は決して主人公にはなれない。空気を読むことはあるにしても、自分の意思で動かず場の流れに沿って歩むだけの、俗にいうモブだった。本人もそれを自覚し受け入れてしまっている。
しかし、利点はある。日常で災いに巻き込まれにくい、被害が飛び火し辛いという二点が圧倒的に大きい。その代償として目立つことができない、被害が飛び火した場合致命的に回避ができないということだった。
そして非日常という場面、阿部奈津美と熊谷志保が教室から飛び出してから一人残された紀子は窮地に立たされていた。
唐突に訪れたチームの解散。立花千鶴達に着いていく事もできず、喧嘩をする二人の間にも入れず、判断してくれる人間がいなくなってしまった。
一人でいるのは危険だということは理解している。ただ勝手に動くことが正しいのかが判断できない。加えて解決されていない黒板に描かれた図式、考える素振りはしたものの内心では答えを出そうとしていなかった問題がカウントダウンを減らし続けている。それでもなお紀子の思考は答えを見つけようとはしなかった。
ただ時が経ち待っていれば必ず事態は勝手に流れていく。
「あ、」
いつものように小さく零れた吐息。
今回もその判断が正しかったと証明された瞬間。
鈴木加奈、麻生望がいなくなった方向から鈴木孝樹が急いだ様子でやってくる。
安堵はしていない、孝樹は頼りになる人間では決してない。それでも、少なからず自分の代わりに判断をしてくれるだけの可能性を残した存在。その場に留まって合流してからまた正しい判断をしてくれる存在がいる場所まで自分を運んでくれればそれでいい。
だから紀子は待つ。
安堵も危機感もないままただその時を――。
危険が迫っているとは感じ取れずに――。
『新たな性欲(狂気)を含んでいる存在』の到着を許してしまう。
その結果、紀子自身予想していなかった変化が起きた。
最後の角を曲がり孝樹の全身が見えた時だった。髪が無造作に弧を描く勢いで紀子の首が動く。視界に黒板の文字が怒涛の勢いで脳まで到達する。
今度はゆっくりと首が動き、孝樹の存在を確かめた。
――分かってしまった。
黒板に描かれた図式を、意味を、答えを。
そして、取らなければならない行動を……。
また生まれる。
『主人公(狂気)という存在』が。




