昼休みと担任
午前の授業を終えた良太は友人の笹倉直と職員室へと呼び出されていた。正確には呼び出されたのは直だ。部活の部長になった直は、放課後の部活の連絡のため顧問に呼ばれることが多くなった。
その途中、良太は何気ない会話と不満めいたことを口にする。
「付き合うのはいいけど、昼飯の後じゃダメなのか?」
「な、俺もそう思う。でも、学食好き始めてからいけばよくね?」
「まぁ、体育の授業の後じゃなかったらな」
そう言うと直はごまかし笑いをした。元々冗談で始めた会話でそれ以上追い込みをかけることを良太はしなかった。したところで喧嘩になるしか道はない。なにより、何気なく開始された会話で良太自身そこまで思いついてすらいない。そんな会話の区切りで丁度よく職員室までたどり着いた。
ノックを数回誰かの返事を待たずに直が開ける。近くにいた教師に誰に用事があるのか尋ねられ、顧問であると同時に担任の名前を挙げると、居場所を指さされた。職員室はそこまで広くもなく言われるまでもなく担任の姿は見つけていた二人だったが、事務的なやり取りになんの疑問も抱くことなく、職員室を歩き始めた。
担任の机まで歩いてくると、奥さんが作ったであろう弁当箱を広げ昼食の時間だった。
「「ズリっ」」
呼び出しておいて先に昼食にありついている担任に二人が文句を言う。
「なんか用か?」
「いやいやいや、先生が呼んだんじゃん」
「ん? おう、そうか悪い悪い」
悪く言えばいい加減な担任だったが、その気さくさが生徒からは親しみやすいとされていた。担任が一旦食することをやめ、放課後の部活の話に入ると良太は関係なくなってしまい、周りを見渡していた。
すると、授業帰りなのか相変わらず暗い雰囲気で、科学の松村が俯きながら職員室へ入室するところだった。何気なく良太は目で追っていると、予想通りというべきか松村は教師の輪にも入っていけないのか、特に誰かに話しかけることも、話しかけられることもなく自分の席へと着座した。
そのまま様子を窺っていた松村の机の上に『脳科学』というタイトルの本が良太の目に目に入る。思わず吹き出しそうになった良太だったが、すぐに自分の勘違いだったと気づく。自分たちのクラスでいざこざが起きたことで図書室から借りてきたのかと思ったのだ。
しかし、その本は貸出のシールが張られておらず購入された物。元々松村が持っていたものだった。
そこからは良太の推測が始まる。
あの場面で松村が荒木に説明しなかった、もしくはできなかった理由。できなかったのは松村の性格だろう。だとしたら、しなかった理由は、松村の小さな抵抗だったのかもしれない。そう思うと良太は少し上からの感想を心で呟く。「大変よくできました」と。
「おい、加瀬」
そんな事に思考を巡らせている良太にふいに担任が声をかけてきた。
「はい?」
「何見てんだお前は?」
「あ、いや、別に」
不審めいた行動を取った所為で注意を受ける横で直がにやにやとしていた。「なんだよ」と言い返すと「別に~」と返事を返してくる直にいらつきを覚えながらも職員室内ともあってそれ以上は何も言い返さなかった。
良太と直に小さな不穏が見え隠れしていたところだったが、
「まぁ、いいから、用事がないならさっさと出てけよ。いつまでも生徒がいる場所じゃないんだからな」
「「あんたが言うなっ」」
担任にそう言われると良太と直の二人は示し合わせたわけでもないのに同時に声を出していた。少し大きくなった声に他の教師から注意を受け、二人は職員室から出て行った。
職員室で受けた注意に担任の文句を二人で言い合いながら、ようやく学食へとたどり着いた。昼休みも半分を過ぎた学食は学年別にちらほらと姿を見せている程度、直が減っている人数の感想を言いながら、良太は自分たちの体育着に若干の恥ずかしさを織り交ぜ相槌をつく。学食のおばちゃんに注文をして空いている席についてから遅めの昼食となった。
「そういや、荒木もくだらないことよくやるよな」
そんな会話の糸口に、良太は職員室で注意された理由に直が気付いていたことを知ったが、もう終わったことは蒸し返さなかった。
「確かにね」
「だいたい、化け学と脳科学って全然違うだろ」
「まぁ、本人もそれは分かっているとは思うけど」
「こないだの事件からまだ一週間も経ってねぇのに」
「そっちか」
直が妙に感情を露わにするのには原因があった。それは三日ほど前に起きた事件。隣クラスの女子が変死体で発見されたのだ。死因は『過労』『栄養失調』『餓死』という耳にしても現代社会であてはまるものは一つだけの珍しい事件。
それから数日して学校は通常通りに動き始めている。それが直のイラつきを増幅させているのだろう。だが、誰しもが普段通りに戻ったわけでもない。その事件をきっかけにまだ学校を休んでいる生徒も多かった。
良太も少なからず影響を受けている。しかし、その事件を気にしても何かするわけでも、何かしたいわけでもなかった。できることがあるとすれば、平穏を装いいつもの暮らしに戻ること、それは大多数の生徒、教師、親が思っていることだろう。
きっと直もそれは分かっている。だから、直は良太と二人になった時だけ感情を素直に出していた。
「うちのクラス三人だっけ」
「一応な」
直が言う一応には理由がある。欠席者のうちに二人は荒木と仲がいいグループの人間だ。普段から欠席は多い。つまるところ、事件という体のいい言い訳に託けた休み。
それも直の不機嫌の理由だった。
「佐々木さんは大丈夫かな?」
残った一人のクラスメイトはおそらく学校全体で気にしている。事件後から一度も登校できず、噂では何度も警察の事情徴収を受けている。『仲が良かった』たったそれだけの理由で、当たり前だった生活は様々な理由で視線を浴びている。
「学校に来れるようになればいいけどな」
「しばらくは無理そうだけどね」
少なからず佐々木と一度同じクラスになった人間なら、悪い意味での視線を送らないだろう。佐々木という女子生徒はどちらかといえば大人しい方の生徒だ。だからと言って、暗いというわけでもない。良太と直も一度は話したことぐらいある、普通の女子生徒だ。
それでいても突き刺さる視線は佐々木を苦しめるだろう。
良太と直はお互いに佐々木を思い考え耽った。
しばらく無言のまま食事が進む。
「あー、やっぱ腹立つ」
だが、やっぱり直の執着地点は荒木たちの行動に戻された。
「良太から見てあいつらってどう見えるわけ?」
少し、その声には敵意と悪意が混ざる。
「なんで俺に訊く?」
「俺、荒木と相性悪いから、それに人を見る目なら良太の方がある気がする」
良太は仕方なさそうに肩を竦め。率直な意見を述べる。
「言うのはいいけど、俺に当たるなよ」
直が無言で頷くが信用はできなかった。それでも良太は訊かれたことは答えざるを得ず、始めた。
「本質的な部分で言えば悪い人間ではない」
「でたっ、GAP、ギャップ! 悪い人間がごみ一つ拾えばいい人に見える理論な」
「そこに異論はないけど、俺が言いたいのは、仲が良い奴には普通で、悪いというより……相性が悪いやつには高圧的な態度にでる」
「それって悪くない?」
「悪いとは言えないだろ。あからさまなのが問題なだけで」
「じゃあさ、お前は仲良くて俺が悪いのは?」
「いや別に仲良い訳じゃないけど、何、仲良くしたいの?」
言うと直は鼻で笑った。
「ただの疑問」
おそらく本心だろう。だからむやみに良太は突っ込まない。
「単純に充実感の差だろ。直は部活の部長で日々が楽しく見える。逆に荒木は足りないものが多すぎで、充実感がある奴が嫌い」
「そこまで充実感に溢れてるわけじゃねぇけど」
「人が他人に抱く感情なんて色々だよ。実際、荒木の気持ちわからなくもないし」
「部活やればいいじゃん」
「そういう問題でもないんだけど」
「あれだろ、自分に熱中できるものがあるかとか」
「まぁ……」
「そんなの他人に当たることかよ」
「それは本人に言ってくれ。俺は理解してるつもり」
言っていて良太は自己嫌悪に陥る。正論だけに腹立たしく思う気持ちと、不良じゃなくとも抱える問題を自分に重ね、荒木を擁護するような発言をする自分にも。
するとまた沈黙が流れた。お互いに人間模様で理解できる部分はある。しかし、納得ができないのもまた人間だった。結局、結論が出ないことを知っているからこそ、二人はそれ以上何も言わず黙々と昼食に集中し食べ終わると、どちらからともなく二人で教室に戻る事を伝え戻っていった。
それが、最後だとは知らず。
その時はやってくる――。