第八十八話
「いや、別に謝られる程の事じゃ。警戒心強そうだったしな」
情報はあればあるだけ良いと思って聞いただけだったから、本当に気にする程の事じゃないんだが、無表情ながらディードリオンの空気が一回り重くなったのは、気のせいじゃないと思う。
(これは、失敗を引き摺るタイプと見た……!)
いくら誇り高いったって、一気に自殺考えて実行しちゃう奴だもんな。お前取扱危険物だろ、実は。
「話を聞くに、どう考えてもそいつァ普通じゃねェ。つってもだからってこっちに出来る事も限られてる。取り敢えずは――レーゲンガルドの奪還だな」
ミットフェリンの北、アイルシェルの北西に位置する、土の精霊王である境王の領界。閃皇は囚われたまま所在不明、刻王は未だ再生せずだから、自然な考えだろう。
「あら? でも、ネクス」
「何だ?」
「先にルトラを迎えに行ってあげた方が良くないかしら。少し前から闇のエレメントも復活してきている様よ?」
頬に手を添え、何気ない提案の様に言ったユーリィの言葉に、俺とネクスは慌ててエレメントを注意深く探ってみる、と。
「本当だ! 闇のエレメントが復活してやがる!」
「良く気付いたな?」
確かに感じられるけど、その乏しさって言ったらない。集中してようやくわかるレベルだからな。
ユーリィに言われていなければ、多分スルーしてレーゲンガルドに行ってただろう。
「何しろやる事がなかったから」
外がどうなっているか、何の情報も与えられなかったユーリィが少しでも探るには、自分の五感しかなかったから――という訳か。
「プルオーネは魔人共の巣窟だ。身動き取れなくて困ってるかもしんねェ。俺は迎えに行ってくっから、お前等は待ってろ」
お前等――というのは俺とユーリィに向けられた言葉だ。
確かに大分消耗しているし、力量的にもアレだし、迎えに行って帰って来るだけなんだから、人数はむしろ少ない方がいいかもしれない、とも思うが……。
「大丈夫か?」
「テメェに心配される程落ちぶれてねェ」
「そういう問題じゃないだろ」
プルオーネは本当、俺達にとって今最大のアウェー領域だから。ミットフェリンの比じゃないから。
「それに、ルトラの事は俺も気になる」
同じ精霊王だからとか、属性的に対だからとか、そんなんじゃなくて……何だろう。俺が目をそらしちゃいけない様な気がする。
ここでネクス一人を行かせるのは、何か間違った結果を生みそうな、そんな不安だ。
「……まァ、そりゃそうだろうが……」
しかし純粋に仲間思いであり、同族に対して絶対の信頼を置いているネクスは、俺の言葉をそのままの意味に受け取って、態度を緩めた。微妙に罪悪感がある……。
「なら、俺も行こう。どうせレトラスも離れねばならんし、丁度いい。俺ならそのままプルオーネに留まっても十分な行動ができるしな」
「それは、そのまま向こうで情報収集してくれるって事か?」
「そろそろ、魔人や魔王を相手取る事を考えて動向を気にしてもいい頃だろう。目立つ勢力となって来たからな」
それは勿論、ありがたい。プルオーネに入って動ける人員は限られるからな。
「ふざけんな。魔人となんざ行動出来るか!」
プルオーネに入れば間違いなく俺達の中で最強戦力になるディードリオンの同行は、絶対ありがたい……ん、だが、ネクスは……無理か……?
(どうすりゃいいかな)
ネクスを説得するのが一番いいんだが――
「つまらねェ提案すんなよ、ハルト。俺ァ魔人と行動なんざ、絶対にごめんだ」
「なら、考え方を変えればいい。俺を監視する、という事ならどうだ」
「あァ?」
ディードリオンの言い方が自虐的なのがまた微妙に気になるんだが、俺よりもネクスの方が不快気に顔を顰める。
「お前以外に、俺とやり合える戦力は今はないだろう。お前と皓皇が揃って留守にするなら、いよいよだな」
「……テメェ……」
「あら、じゃあついでにもう少し親しくなりましょうか」
にこにこと笑いながら続けて言ったユーリィが視線を送ったのは、ディードリオンへ。
……あの、えっと。これは、マジなのか、ユーリィ。本気で?
「ユーリィ! テメェな!!」
「鬼の目を盗む訳ではないけれど、ね」
「く……っ」
「諦めろ、ネクス。お前の負けだから」
ユーリィが本気かどうかはともかくとして、ネクスとしては万一にも避けたい事態だろう。ギリギリッ、と噛み砕かないか心配になる勢いで歯を噛み締めて――
「くそ、覚えてやがれ、ユーリィ、ハルト!」
「俺もか!?」
「たりめーだ! つか、この流れんなったのは、そもそもテメェがクソ甘ェからだ! ――ディードリオン!」
荒い語調のまま、ネクスはディードリオンの名を呼ぶ。そこに肯定的な感情は見えなかったが――
(でも、『ディードリオン』なんだな)
『ハ・イグジェラ』ではなくて。
それはちょっと――聞いてて嬉しかった。
「……何だ」
散々『魔人が』とか言ってたネクスが、普通に自分の人としての名を呼んだ事に少し驚いた表情をしつつ、実際そのせいで少し無用な間を開けてしまってから、ディードリオンは答えた。
「テメェで言ったんだ、忘れんな。妙な真似したら叩っ殺す!」
「ああ」
「それと、ユーリィに手ェ出してもやっぱ殺す!」
「……それは、絶対ない」
「あらあら」
ちょっとためらった後の否定が怪しかったりとか、笑顔が微妙に怖い感じのするユーリィとか。
……恋愛は二人が納得してれば自由だと思うんだ、うん。
はっきり言って、今のプルオーネは俺達が手を出せる状態じゃない。実体験して来た俺が言うんだから間違いない。だから、本当にルトラを迎えに行って帰って来るだけだ。
そして今回も足を貸してくれるのはフツカセ生息の青竜達。
ネクスとアリスト、俺とリシュア、そしてディードリオンの三組に別れて騎乗する事になった。主の影響だろう、青竜達はディードリオンが乗るのを嫌がったが、逆にネクスの命を受けると大人しく従った。
今は疲労状態と健康チェックを兼ね、最後のケアの最中だ。それが終わったら、出立する。
「あんたって本当、忙しないわよね」
早めの見送りに来てくれた――のはいいんだが、フィレナの言葉も態度も不機嫌そうだ。というか、不機嫌だ。
理由も判る。ついて来ようとしてディードリオンとネクスに止められ、全員一致で二人が支持されたから。
ユーリィによってフィレナの傷も完治していたが、わざわざ大勢で危ない所に行く理由もないからな。
「俺が忙しなく動いてるのは、俺のせいじゃないぞ、多分。それにルトラは早く迎えに行ってやらないと。プルオーネじゃ息苦しくて仕方ないだろ」
本来なら自分の領界内の方が楽なはずだが、プルオーネに関しては絶対に例外だ。躊躇ってもこっちに連れて来てしまった方が良いだろう。
魔力の濃さというのもそうだが、敵の多さというのもきっと世界でズバ抜けている。
(……ルトラ……)
どんな奴なんだろう。
「でもあんた、覚えてないのよね?」
「覚えてないけど、多分会えば判る。ネクスもユーリィもそうだったし」
どんな奴なんだ、とかって聞くのもなんか違和感がある。俺以上に多分聞かれたネクスやユーリィの方がそう思うだろう。
聞いた所で所詮情報でしかないし、会えばわかるんだし、まあいっか、と思って何も聞いてないからどんな奴なのかほとんど知らない。
知ってると言えば、せいぜいが人間嫌いらしい、って事ぐらいか。
「……ふうん」
「何だよ?」
「精霊皇同士って、やっぱ仲良い訳?」
「記憶ないっつってる俺にそれを聞くのか? まあ、悪くはないんじゃないか?」
今の所、ネクスともユーリィとも上手くやって行ける自信がある。やっぱりより『同族』っていう感覚が強いからかな。
「……碧皇ってさ、兄様の事、本気なのかしら」
「さあ。流石にそれは本人に聞いてみないと」
不躾な質問だし、聞こうとか思わないけどな、他人の色恋沙汰なんて。あ、フィレナには他人じゃなくなるのか。
「……」
「俺は聞かないぞ」
「わ、判ってるわよ!」
慌ててフィレナは同意したが、でも多分、期待してたっぽい。
「……でも、もし本気だったら――あんたは、どう思う?」




