第八十話
「行きたがってたろ」
「いいのか?」
「どうせ危なくもねえだろうしな。性格はともかく、水蛇の首領がいりゃ万一もねェだろう。取り敢えず今回に限っちゃな」
やっぱり、タタラギリムの事はあんまり信用してないんだな。多分タタラギリムも同じで、だからお互い協力すらぎこちないんだろう。
ただ、復讐心についてだけは信じてるっぽい。
「俺はこいつの見張りがあるから行かねェが、行くならユニコーンはそのまま使っていい。急げば間に合うかも知れねェぞ」
「……戻って来たら死んでる、とか……」
「保証はしねェ」
こういう所も優しい、んだろうな。そして誠実でもある。本当にやむを得ない必要な場合以外、ネクスは嘘で誤魔化さない。
「だろう、な」
「……皓皇様……」
どうするか、と隣に立ってリシュアが目で聞いて来る。
(俺はどうするべきなんだろうか)
皓皇として、どうするのが正しいのか。
「行って来い」
「……ネクス」
行ってきてもいい、ではなく、行って来い、に変わった。不本意そうに、呆れた溜め息交じりだったが。
「こっちは別にお前がいなくてもどうとでもなるが、お前がいた方がいい奴がそっちにはいるだろう」
「アレ、いいんですか、奏皇様」
俺もそうだが、アリストも意外だったらしい。きょと、とした間抜けな様子でそう訊ねた。
「俺は信用しねェし認めねェが、まだ役に立つ。ミットフェリンを取り戻すまでは使ってやる。それにはお前に寄らせとくのも悪くねェ」
「俺はフィレナを裏切る気はない」
期間限定ではなく、ずっとだ。
「違うね。裏切るのは人間だ」
迷いのない断言。嫌悪と怒りを滲ませた本気の敵意で、ネクスは人間全てを一括りに断じて見せた。
「そん時にゃ、お前は絶対にこっちにいる。お前は甘ェが、テメェの甘さで裏切りはやらねェ。そん時んなって後悔すんなァテメーだが、もう知らねェ。勝手にしろ」
「ああ、そうする」
ネクスが言っている事が真実だと、皓皇の記憶がない俺でも知ってる。けどそれだけじゃないと信じたい。
(俺はきっと、人間だから)
ネクスは信じなかったし、俺が皓皇でいいと言った。けど、もしただの人間が皓皇の身体を使ってるだけだったら……何て言うかな。
「エレネアと町の事、頼む」
「無事は保証しねェがな」
「それでいいさ」
もう無抵抗なのは判っている。エレネア以外は大丈夫だろう。
「――リシュア、ライラ、行こう」
「はい」
「お供……致します」
答えたリシュアとライラに頷いて、俺はユニコーンの首を巡らせ王都レトラスへ向けて走り出した。
エレネアが南にいると判った時点で、ほぼ同時に攻略を開始する予定だったから、中央攻めの部隊ももう王都に入っている。
本当なら地下を走った方がいいんだろうが、引き返しているような時間はない。
(間に合っても、何も出来ないんだけどな)
ディードリオンとエレネアの本心が判った所で、もう何も変わらないんだ。水蛇族をこっちに引き入れた以上、二人の助命嘆願は出来ない。
俺には何も出来ない。出来ない、けど……っ。
「――リシュア」
「はい、皓皇様」
「ディードリオンは本当の目的をフィレナには隠したいだろう。けどフィレナは知る方を望むだろう」
フィレナがディードリオンを嫌ってるなら、問題無い。俺だって何も言わずに黙っとくさ。
けどそうじゃないから、迷う。
助けるために殺す覚悟を決めてるあいつは、ディードリオンもちゃんと自分を愛してるんだって、知った方がいいんじゃないのか。
(何で、こうなった……?)
エレネアもそうだが、彼等は魔人としての成り方がおかしい。今の彼等の精神性なら、たとえ魔に憑かれても軽度で済むはずだ。
だが間違いなく、二人は魔神で、魔王だ。
「……どうするべきだと思う」
「判りません。……けれど」
「けど?」
「気持ちが失われるのは、悲しい事だと思います。ただの、私情ですけれど」
長い睫毛を伏せ気味にして言ったリシュアの答えは、俺の望むものと同じだった。これも俺が望んだから言わせてしまったのか――と思ったが、すぐに思い直す。
(本気の、表情だ)
これは自分自身の感情から来る表情だ、きっと。
「そうだよな」
知られないままの気持ちは悲しい。お互い想っているんだから尚更だ。
知れば苦しい、お互い。それは間違いない。
(それでもきっと、知った方がいい)
「決めた」
「どう……しますか?」
「フィレナに話す! 知らない方がいい事もあるだろうが、これは知った方がいい事だ!」
色々迷ったが、決めた。決めたからもう考えない事にする。ぐだぐだ悩んでたらまた迷いそうだから。
「皓皇様のお望みのままに」
そう言いつつ、リシュアも少し嬉しそうだ。俺も彼女に笑って返して、後はただひたすらユニコーンに頑張ってもらう。
城塞と、くっついている町を一気に駆け抜けて行く。
四方を城塞で守っているレトラスはその内側が全て町みたいなものだった。途中民家が疎らになったりと発展の差は見えるものの、道と一緒に途切れる事はなかった。
農業から酪農、工業に至るまで、全てがある。
(これは便利だ)
これがレトラスの大国たりえる理由なんだな。
城塞近くにあった民家の戸はほぼすべて閉め切られていたが、城塞からも王都からも中途半端なこの辺は、守られている安心感から危機意識が低いらしく、どう見ても一般の民間人が、普通に日常生活を送っている。
ユニコーンで疾走する俺達を呑気に指差して見物する有様だ。あっという間に通り過ぎたけど。
(この辺が慌てるのは、城塞が破られた跡なんだろうな)
それだけ自分達の防御力を信じてるって事だろう。この辺も……魔人にしちゃ、本当、冷静だ。
中心部に近付くにつれ、今度は少しずつ、慌ただしい雰囲気になる。まだ交戦中だな。
「このまま行くのですか?」
「行く。どうせディードリオンとの戦闘はないから、多少力を消耗しても問題ないだろう」
「承知しました」
馬上から手を伸ばしたリシュアの手を取る。と同時に剣へと変化し、俺の手の中に収まった。
「ライラ」
「はい、陛下」
同じようにして、左手にライラを持つ。
二人が乗ってたユニコーン二頭はは騎獣としての役目を果たし終えたが、そのまま俺に従って並走してくれる。行ける所まで一緒に戦ってくれるつもりなんだろう。
(ネクスからの借り物だから、中央部隊に合流するまで無事に守らないとな)
ディードリオンにやる気がなくても、王都に残っている軍隊は間違いなくやる気がある。大将がここにいる以上、一番苛烈になるのはここだ。こっちもそのつもりで、主力である水蛇族を送ってる。
だが実際の所は――引き場のない最後の砦である王城、被害が一番出る所に、戦死して欲しい駒を置いているという、だけだ。
(見えた)
首都レトラスを守る、最後の外壁だ。
「風陣の砲衝!」
やや遠いが、突入の速さを損なわなくて済む距離から、開閉部のため他よりは幾分か弱所である扉へ向けて、風の大砲を打ち込んだ。
ごばっ。
一方向からの強風に、耐えられずに門が口を開ける。同時に風精霊の笛がテンポの早いジングルを奏でるのが聞こえた。緊急事態の警告だろう。
(立て直す前に、突っ切る!)
「戦闘はいらない、続け!」
両脇のユニコーン二頭にそう指示し、門を一気に突破した。後ろから『どこが破られた!』『何騎だ!』『もう駄目だ!』とか、かなり混乱した声が聞こえてきた。
(やった俺が言うのアレだが、『緊急』を知らせたのはちょっと愚策だったぞ?)
外は南以外まだ防衛が続いていて、安心しているせいか門からも中央侵攻部隊へと人を送ってしまっていたらしい。城門を守るにしては若干人数が少なく見える。
つまり、ここで『緊急』なんかを門が知らせてしまうと、内側全てが混乱する。しかも侵入したの俺達だけだから、余計だろう。
通り過ぎてから向こうも気が付いて、上官が叱る声が後ろから聞こえて、修正のための音色が奏でられる。
【これは、また混乱しますね】
「するだろうなあ」
こっちには有利だからありがたいけど。
市街地を戦場にしないのは王都としての矜持なのか、兵の姿はない。なので俺も黙って通過させてもらう――と。




