第七十九話
くるくる、と肩までの緩いウェーブの髪をエレネアの細い指が弄う。やっぱり、実戦に出た事はないんだろうと思われる、学んだだけの、まだ柔らかさを残す手だった。
「……どういう事だ?」
「初めて会った時から違和感あったんだが、確信した」
理由はやっぱり、判らないけどな。それはこれから聞かせてもらう。
「魔人が魔力じゃなくエレメントを遣うのは何でだ?」
ディードリオンもそうだったんだ。
水蛇族襲撃の時も、彼は始めエレメント属性の、金属剣を使っていた。自分の魔力で作り出した魔剣の方が、遥かに強力なのにも関わらずだ。
ディードリオンが魔力を使ったのは、タタラギリムと打ち合って彼女が手強いと判った後と、エレネアが不意打ちを食らいそうになった時。やむを得なかった時と、咄嗟の速さが必要だった時だけだ。
二人は魔力を使いたくないんだ。
「魔人でありたくないんじゃないのか。そして何か、タイミングを見てる」
二人共に、水蛇族襲撃の時は死ぬつもりなど全く見えなかった。ディードリオンも助けてた。しかし今はどうだ。
こうして二人が始めから離れた位置にいるのは、互いに助けないためじゃないのか? ただ死を見なければならないのが、苦しいから。
「これだけ経っても、一人の兵士も集まらないのはおかしいだろう」
「敗色濃厚だから、逃げたんじゃない?」
言ってからふ、とエレネアは自重する。
「なんてね。流石に説得力がないかしら」
「ないな」
「……つまり、何だ。端から死ぬつもりだったって事か?」
まだアリストの武器化は解かないものの、エレネアに戦意が無いのは認めたらしく、ネクスも構えは解いてそう言った。
【の割には、精力的に支配に駆けまわってたらしーけど?】
「本気でここで死ぬ気だったんなら、理由は一つしかねェだろーな。王都から兵を動かさなかった理由も同じか」
ここで死んで、フィレナに国を渡す事。多分、それが二人の目的だ。
それもただ渡すだけじゃない。実戦に耐えられる軍隊を付けてだ。
おそらく今中央にいるのは、ディードリオンが選んだフィレナの治世に必要のない人間達。本当の精鋭は西の――俺達が水棲馬を避けて攻撃しなかった、西の城塞にいるはずだ。
「……それが判るなら、黙って殺してくれないかしら」
フィレナに自然に国を渡すために、魔人の末路を知らしめるために、戦争中にはっきりと負けて死亡する必要があったんだ、二人には。だからエレネアがこんな所にいる。
「俺はそうしてやりてェ所だが……」
「だが?」
続きを促すエレネアには答えずに、ネクスは息を付いて俺をちらりと見てから。
「戦意のねェ奴を殺すのを嫌がる馬鹿がいてな」
「それは困るわ」
静かに答えたエレネアの表情が、変わる。その手の中に魔剣を生み出し、構えを取った。
「……止せ」
「困るの。生きていたくないのよ。生きていてはいけないの。私達の死が、レトラスの王族として果たせる最後の務め。『誰か』は奏王、きっと貴方だと思っていたけど……ふふ。フィレナだったわね」
最後の部分だけ、ほんの少し嬉しそうに口元を綻ばせ、エレネアは笑った。
「あの子の事、お願い。まだまだ子供で、心配だから」
「……テメェは、本当に魔人か? いや、魔人だ。魔人だが……」
ネクスが抱いた戸惑いはよく判る。俺が感じたのと全く同じだ。
「私は魔人よ、精霊王達。だから遠慮せず……私を殺しなさい!」
迷いのないエレネアの踏み込みは、さっきよりも格段に速い。狙いは俺か!
エレネアの力を受け止める事は出来ないので、振るわれる剣を避けながら後退し、距離を取ろうとする。向こうも判っているから、中々距離を取らせて貰えない。
「輝闇縛鎖!」
両足を狙って束縛を試みる。最低でも、防ぐリアクションの何かで距離は取れるはず!
「風衝波!」
しかしエレネアは対応を誤ってくれなかった。足元に発生させた風で拘束の鎖を吹き千切る。
「――風衝波!」
だが、間髪入れずに背後から、今度はネクスが同じくエレネアの足を狙ってただの強風にセーブした同じ術を放つ。直後だったため対応出来ずに足を取られてバランスを崩した。
「輝光閃」
「あっ!」
よろけて俺達の視界の位置からややずれたので、そのラインを光源に強い光を瞬間的に発生させる。
「大人しくしとけ!」
一時的に視力を失い、無防備になったエレネアの後頭部をアリストの柄で重いきい殴り付けた。魔人の体の強度を考えれば、腕力だけでの加減は必要ない。
「うっ……くっ」
そしてやはり、よろけたもののまだ落ちてない。
「――悪いっ!」
女性を殴るのとか、本当心的な障害が高いんで、これきりにして欲しい。力を抜きそうになる手を叱咤して、前のめりに体勢を崩したエレネアの胸部を剣の腹で殴打する。
「……かふっ」
肺の中の息が潰されて吐き出され、やっと目の焦点が失われた。力を失った身体が倒れ込んで来るのを抱きとめて、地面に横たえる。
「……さて。こいつをどうするか」
「目が覚めたら大人しく捕虜になってくれないかな」
「ならないでしょうねえ」
エレメント節約のため、早々に武器化を解除したアリストから、溜め息交じりにそう返って来た。やっぱり、そうか。
「殺してやった方が親切だと思うがね。本人も望んでたんだから余計に」
「……何の心残りもない様ならな」
死んでしまいたいのも本当だろうが、死にたくないのも本当だと思う。フィレナの事を心配している以上、それは彼女にとって心残りのはずだ。
それでも死にたいのは、そうせざるを得ない程にエレネアが追い詰められているから。
「別に、殺そうとは思ってないだろ?」
後半はネクスにも殺す気はなかった。今更やらないとは思うが、一応確認しておく。
「聞きてェ事がいくつか出来たからな。何にしろ、これで中央部隊が城を陥としゃ、終わりだ」
「ああ」
魔の支配地域である事はまだ変わらないが、少なくともフィレナの支配下に戻って来る。本当の意味でミットフェリンを何とかするには、碧皇を見付けて助け出さないと。
「頭に戦る気がないなら簡単に落ちるでしょうね。水蛇族がついてますし、被害も心配ないでしょう」
「他の城塞攻めてる部隊に無理しなくていいって通達、出した方が良くないか?」
こっちにも相手にも、被害を出したくない。そう思って言った提案にネクスは首を横に振った。
「駄目だ。全部が全部じゃヤラセにしか見えねェ。何の為にこいつ等が戦争を仕立ててその中で死ぬつもりだと思ってる。防御と敗走が上手い事をせいぜい祈っててやるんだな」
「……」
「そっちは駄目だが、中央になら行っても構わねェぞ」
「え」
全く考えていなかった事の方の許可が出て、びっくりした。




