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女神の誓剣  作者: 長月遥
第五章 レトラスの魔王
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第七十六話

(――……)


 空気が湿った雨の臭いに、まず真っ先に嗅覚が反応した。そんなに強くないが、地面を叩く雨音も聞こえる。


(ああ。壁が、壊れてるからだ)


 筒抜けの空気が少し冷たい。雨に冷やされてるせいだな。


(……俺、どうしたんだっけ……)


 場所は判る。ミットフェリンの、光のエレメントで作った神殿。その一階部分だ。何度か瞬きをして――思い出した。


(そうだ。なんか、混乱して)


 あれは何だったんだ。あれも、あれが、記憶なのか?


「……ぅっ……」


 考えると、また気持ち悪くなった。止めよう。

 ……でも、止めて良いんだろうか。


(簒奪者……)


 向けられた言葉を頭の中で反芻する。あまりに不穏な単語だった。

 あんな――全身を持って叫ばれた言葉を、思い出したくないからって、無視していいのか?


 そう考えた時、かたん、と小さな物音がしてそちらに目をやると。


「――あ……」

「あ……」


 おそらく俺の様子を見にだろう、部屋に入って来たリシュアと目が合った。


「良かった。お目覚めになられて。具合はいかがですか?」


 ほうと安堵の息を付いて表情を緩めると、静かに歩み寄って俺の隣に腰を下ろす。


「……大丈夫だ」


 別に、体の調子が悪い訳じゃない。

 悪いのは――……


「皓皇様」

「っ」


 そ、と手の平で視界を塞がれて、ぎくりとする。


「リシュ、ア」

「今は何もお考えにならずに、お休み下さい」

「けど」

「お休み下さい」


 今度は少し、強い調子で繰り返される。


「――い、や、でも」


 何も考えずにいるなんて、無理だ。ただ休めるような心境でもない。


「それでは、私に少しお付き合い下さい」


 今度は有無を言わせぬ断定口調。


「私、こうしてアイルシェル以外の大陸を、自分で歩くのは初めてでした」

「あ、ぁ。そう、なんだ?」

「はい。以前は目的地へ向かってユニコーンやペガサスで駆けるだけでしたので」


 何の脈絡があるのか判らない話に相槌を打つと、そのまま続いた。それから鈍った頭が、脈絡なんかどうでもいいんだと気が付いた。


「アイルシェルも豊かですが、ミットフェリンも豊かですね」

「ミットフェリンはアイルシェルよりも草花大味なのが多いよな。レダ森林とかもそうだけど。濃いっていうか」

「この辺りは野生ですから、特にそうなのかもしれません」

「首都を取り戻したら、フィレナに案内してもらおうか」

「……」


 歴史のある国だし、きっと色々見ごたえあるだろう――と思って、世界遺産をちょろっと見るノリで言ってみるが、リシュアから帰って来たのは沈黙だった。

 ……あれ? ここは沈黙が返って来る所だったか? ――あ。


「そうか。リシュアは興味ないよな。人間の建築物とか」

「……。確かに、興味はございません」


 残念だが、興味がない所を連れ回しても退屈なだけだろう。それは良くない。


「その時は何かお土産買ってくるよ」

「ありがとうございます。けれど、その時は勿論私も参ります。皓皇様と王女を二人にするのは心配ですから」


 信用ないな。

 実力的な意味でなのか、男としての俺へなのかは不明だが、不明なままにしておきたい気もするので、触れないでおく。


 どうでもいい話をしていたら、かなり現実感が戻ってきた。

 大きく息を吐いて体を起こすと、リシュアが手を添え、手伝ってくれる。


「ありがとう」

「いいえ、当然です」


 ふわりと微笑したリシュアの顔が、意外と近くにあってぎくりとする。


 俺の事を男じゃなくて主としてしか見てないからなんだろうけど、もう少し危機感持っても……いや違うか。これも俺が人間的だからなんだな、きっと。


「おい、様子はどうだ」


 声掛けもない傍若無人っぷりで、小部屋の半壊した戸を開け入ってきたネクスは、入口辺りで一回足を止めた――が、すぐに何事もなかったように近寄って来た。


「邪魔だったか?」

「そういうんじゃないから、全く」


 見詰め合ってた間が長かったなとはちょっと俺も思うけど。

 慌てる様子の欠片もなく、添えていた手を離し、距離を取ったリシュアの冷静さが全てを物語っている。


「どっちかっつーと、俺はお前にゃケルガムを推すぞ」

「どっちかのどっちも判らないし、そういうんじゃないって言ってるだろ」

「ふん。ま、いい。大分マシにゃなったみてェだな?」

「……ああ」


 一呼吸置いてから頷く。大丈夫、だった。妙な動機もない。考えないようにしてるからだけど。


「だが一つはっきりした。テメェの記憶、放置しねェ方が良さそうだ」

「そう、だろうな」


 俺もそう思う。怖いけど。


「つっても今またブッ倒れられんのも困る。それは後でだ。お前も考えんな」

「そうする。とにかく、レトラスにケリが着くまではな」


 先延ばしにしたい、という卑怯な思いもあったが、その方が良いのも事実だった。そう思ったから、ネクスの言葉に素直に頷ける。


「今、どうなってるんだ?」

「何もねェんだから、順調なんだろ」

「そうか」

「理由はとにかく、今はこいつがあって、まァ、良かった。でなきゃ戦いに行く前にエレメント消耗しかねねェからな」


 本来なら、ネクスは風の精霊族を率いてそっちと一緒に来る予定だった。今のミットフェリンにはあまり長くいない方が絶対に良いからだ。


 行軍自体はアリストに任せて、問題無いから来たんだろうが。


「言っとくが、頼んではないからな」

「そうだな。ツラも迷惑だっつってらァ」

「別に迷惑だとも思ってないけど、悪かったとは思ってる」


 とはいえ、これから先も変わる事はないだろう。俺とネクスの間にある他種族への考え方の溝が埋まらない限り、どうしたって齟齬が出る。


 は―、と大きく溜め息をついて、ぽん、とネクスは俺の頭の上に手を置いた。

 俺を変える事は諦めてるんだろう。それでいいと、そう言ってくれてる。

 ただし、ネクスも考え方を譲る気が無いんだろうけど。


(ネクスは絶対そうだと思ってたけど、タタラギリムの言うように、俺も頑固だったんだな、多分)


 向こう(日本)での生活では、別に何も拘りなかったから、気がつかなかった。譲りたくない物は、譲らなかったんだな、俺。自分の事って、案外本当に判らないもんだ。

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