第六十七話
皓の森に帰って、まず一日目はとにかく寝て、楽に過ごした。二日目は服の再生。別にそれほど拘りはないし、動きやすかったので、デザインも前のまま。拘りがない時点で押して知るべしだが、実はセンスにも若干自信ない。
そして三日目。そろそろ活動再開だ。その辺りの事も呼吸が合って来たリシュアさんが俺の部屋を訪ねてきたのも、丁度そんな頃だった。
「皓皇様。少し宜しいでしょうか」
「ああ、大丈夫だ」
扉をノックし、声を掛けて来たリシュアさんにすぐに答えて迎え入れる。
「失礼します」
入って来たリシュアさんと連れ立って来たのは、ライラではなかった。
「お初にお目に掛かります、皓皇陛下。ツィアル・フィリージアと申します」
「あ、ああ……」
年の頃は俺と同程度。緩いウェーブの掛かった肩までの淡いピンクブロンドと紅玉の瞳。スタイルもリシュアさんと並んで全く遜色ないぐらいに絶妙だ。
優雅に一礼して見せた彼女とは初対面のはずなんだが、何となく名前には聞き覚えがあるような。
俺の引っ掛かりの理由が判るのか、ツィアルは上品に微笑して見せた。
「私の先代は、皓皇様の従具精霊としてお側に召して頂いておりました」
(あ、そうか!)
どこかで聞いた覚えがあると思った。フィリージアの方だったのか。
「私は先日、皓の森にて生を受けましてございます。今はまだ経験もなく、陛下のお側に在る資格はございません。ですが、ご報告を上げる役目ぐらいは果たせます。現在皓の森で中級以上の魔術を使える者達です。どうぞ、ご確認下さいませ」
言って差し出されたのは、縁を金属で補強された石板だった。サイズは多分、B5ぐらい。
「……これって?」
「識記書、と申します。触れた者全てを登録し、任意の操作によって情報を取り分ける事が出来ます」
魔術式データベースみたいな感じか。
「レトラスに遠征されるとお聞きしました。まだ心許なくはありますが、皓の森でも正式に部隊を作っておいた方が宜しいかと存じます」
「ああ、そうか」
……そうだよな、俺がやるんだよな、それ。
微妙に気が引けた様子が伝わったのか、ツィアルはくす、と小さく笑った。
「もし宜しければ、私にお任せ下さい。後で目を通して頂ければ結構ですので」
「いや、でも、いいのかそれ」
そんな丸投げみたいな事していいのだろうか。
「把握しておくべきではありますが、陛下があえて行われる程の事ではございません。今はまだそうでもありませんが、いずれ人が増えれば大変ですよ?」
「うっ……」
「お任せ下さいませ、皓皇様」
にっこりと微笑んで、再度ツィアルはそう言った。
自ら言って来たぐらいだから、彼女は采配に自信があるんだろうし、信用してるからリシュアさんも連れて来たんだろうし、そして何より俺に自信がないんだから、任せてしまった方が良いんだろう。後で彼女が作ってくれた部隊見ながら説明がてら勉強させて貰おう、うん。
「判った。頼む」
「はい。では後程、報告に上がらせて頂きます」
「ああ」
「……」
すい、と一礼して去って行くツィアルの後ろ姿を、隣に立つリシュアさんは微妙な表情で見送っていた。少なくとも、好意的な物ではない。敵意とか悪意とか、そんなのでもない。正に微妙だ。
あえて言うなら――不安気、なのか?
「どうかしたのか?」
「えっ!?」
「気掛りがありそうな顔してる」
「いっ、いえ! そのような事はありません!」
それにしては慌てているし、強過ぎる口調で否定する。自分でもすぐに勢いの不自然さに気が付いたんだろう、肩を落として息をつく。
「……私事ですので、どうぞ、お気になさらず」
「……言いたくないなら訊かないけど」
女性だし、何かデリケートな部分の事だと、何が地雷か判らないから聞くのも怖いし。
「しかし、不思議な感じだな」
「何が、ですか?」
話しを逸らした俺にちょっとほっとした様子を見せて、リシュアさんも乗って来てくれた。
「皓の森から生を受けたって事は、彼女、前のフィリージアの血縁って訳じゃあないんだろ。でも『先代』っていう言い方って事は、繋がりはあるんだよな?」
「偶然ですが、一部、過去と同系統の構成で生まれてくる者もいます。その場合、多くは先代と近い能力を持っているのです。とはいえ仰る通り先代と関わりがある訳ではありませんし、全くの別人です。私とライラのように、同期で生まれれば兄弟姉妹という括りになるのと感覚的には同じようなものです」
「じゃあ、彼女も従具精霊か」
武器化能力のない精霊と、従具精霊の割合は百対一ぐらいらしい。今皓の森全体の精霊の数は百人いるかどうかって所だから、ツィアルが生まれたのは中々奇跡的だ。
「はい」
リシュアさんとライラで判るように、従具精霊と言い分けてはいても、精霊としての在りようには何も違いはない。
従具精霊は別に精霊王だけしか使えない訳じゃないし、その威力は通常の物質とは格段の差がある。人数が増えてくれれば戦力的には心強くなるんだが、この数の差はみだりに使うなっていう女神の意思なのかとも思う。
(しかし……皓皇の元の従具精霊か)
とは言ってもその系統ってだけで、彼女は別人だし、そもそも記憶のない俺には感慨もほぼない。
「何か、思い出されますか?」
「いや、全く」
「そう、ですか」
歯切れの悪い言い方だ。何を思っているか見せない様にしているから、俺にリシュアさんの心が判るはずがない。判らないけど、察する事は、出来るよな。
「悪いな」
「え!?」
「何も思い出さなくて」
思い出さなくて――と言いつつ、前にも増して最近俺は思い出す事なんかないんじゃないだろうか、と思ってる。
……俺じゃ、ないんじゃないかな、と、思ってる。
女神だって、入れる相手を間違う事が絶対にないとは言えないだろ?
「え、い、いえ! とんでもありません! そのような事!!」
力を込めてそう言ってから、はっとした表情になって口を押さえ、勢い良く頭を下げる。何故リシュアさんの方が謝るんだ。
「か、重ね重ね、申し訳ありません! 皓皇様の御記憶を軽んじる様な事を……」
あ、それか。
「思い出されないのは、やはりご不安だと思います。けれど皓皇様は創世の女神に嘉されし方。きっと意味がある事なのだと思います。だから、どうぞお気に病まないでください」
言って止める間もなく膝を付き、両手で俺の手を捧げ持つと、ごく自然に手の甲に口付けられた。
「――っ!!」
「御記憶がなくとも、何も変わりありません。皓皇様は私の唯一の主です」
そして俺の手を包んだまま顔を上げ、微笑った。穏やかに和らいだ青の瞳には、最初の頃俺が見た様な切羽詰まった狂信の色はない。
「陛下のお側にある事を許された事、私にとって、この上ない喜びです」
「――……ありがとう」
彼女の忠誠は真実で、俺が受け入れなければリシュアさんは傷付くだろう。
――……けど……
「皓皇様?」
微笑ったつもりだったけど、一緒にいる時間が長いせいか、本当に笑っている訳ではないのに気付かれてしまった。
表情を翳らせてしまったのも判ったけど、駄目だ。やっぱり上手く繕えない。
「どう……なさいました?」
「いや、何でもないんだ。気にしないでくれ」
「……はい」
俺が気にするなと言えば、リシュアさんが尚も追及して来る事はない。
でも結局、これで傷付けてしまったのに変わりないな。
(けど――……)
判ってるけど、言えない。言えば否定してくれる気はするけど、でも俺が受け入れられない以上、また傷付けるだけだ。
皆が忠誠を捧げるべき皓皇は俺じゃなくて、今の俺は、騙してる事になるんじゃないか、とか。
断じて、俺のせいじゃない。気が付いたらこの姿でここにいたんだから、俺の意思は何一つ介在してない。
でもそんなの、もう関係ない所まで来てるんじゃないだろうか。
(大体そうなら、俺は一体何なんだろう)
このまま俺が皓皇で、いいんだろうか。俺が皓皇じゃなかったら、その内致命的な事が起こる気がする。
精霊王が『王』なのは、名前だけじゃないんだから――。




