第六十六話
「……」
フィレナに会った事で、やや余計に待たせてしまったリシュアさんとライラの元へ行くと、何だか空気が妙だった。
ライラはそうでもないんだが、リシュアさんが。じっと水棲馬を見詰めたまま動かない。
「……どうかしたか?」
「! あっ。こ、皓皇様っ。失礼致しましたっ」
声を掛けられてから気が付いたらしく、慌てて俺の方に体を向けて、頭を下げる。
「いや、いいけど、どうかしたのか?」
「……いえ、あまりに緊張感のない眼に、つい……」
「確かに」
性格もまんまで、緊張感全く無いからな、こいつ。
「水棲馬と言えば、土を掻けば海を割り、一声鳴けば雷雨を呼び、その鬣は強力な毒を含む、と言われています」
「大袈裟に伝わってるだけだな」
俺はきっぱり断言した。ないって。だって来る時も海を割らずに上を走ってきたし(それも凄いが、そういう種族だから)、鬣興味があって触ったけど、何もなかった。
手触りは本当にただの水。魔気特有のピリピリした感じがあって俺にはちょっと痛かったが、水そのものはひんやり冷たくて気持ち良い。あらゆる法則無視して、水が鬣の形に維持されてるんだよ。
雷雨を呼ぶかどうかは、まだ判らないが。
「……そのようですね」
「だろう。――待たせたな。皓の森に行こう。……えっと」
今更ながら、名前を知らないのに気が付いた。本当、色々焦ってたんだな。
「お前、名前は?」
『ウルク』
「んっ」
水棲馬が喋ったのを聞いたのは初めてだったか、リシュアさんは小さく声を上げて耳を押さえる。まあ、そのうち慣れて聞けるようになるから、多分。
「良し、ウルク、行くぞ!」
『行く!』
「……ってか、三人乗って大丈夫か? お前」
ライラと二人乗りの時は気にしなかったが、流石に三人だと負担が大きいんじゃないだろうかと、今更気が付いてしまった。
ウルクは俺達三人を順番に見て、首を少し傾げ――キィン、と耳鳴りのする高い声で鳴いた。
と、水で作られたウルクそっくりの水棲馬が二頭、その場に作り上げられた。意外に器用だ!
『行く!』
元気良く答えたウルクに俺が跨ると、リシュアさんとライラも水で作られた分身に跨った。そして町の正門ではなく、城から外へと直通の、身分のある人御用達の門からマトルトークの外に出る。人目に付かなくて便利なので。
「――ちょっと聞きたい事があるんだが」
「何なりと、皓皇様」
マトルトークを出て街道に乗って、人が少なくなった頃合いを見計らって、俺はリシュアさんに話し掛けた。
ミットフェリンにいた時から気になっていたが、ネクスやフィレナの前では聞きずらかったので、三人になるのを待ってたのだ。
「俺達がいなくなった後、どうなった? あれは誰がどう見ても負けだろう」
「ええ、そうですね……」
「でも、町、大丈夫だった……。びっくり、した」
「恐慌状態に陥った者も、確かに少なくはありませんでしたが、奏皇様とフィレナ王女ですぐに鎮めたため、大事には至りませんでした」
「よく納められたな」
結果がなければ人が付いてこないのは当然の事だ。
逆風の中でも付いてきてくれる人なんて、本当に限られる。皆判っていたとは思うが、それでも目の前で絶対的な力の差を見てしまうのは、訳が違うと思ったんだが。
「奏皇様の奏でる楽には力があります。心を慰撫し、安らかにさせる神技です。それに、成す術がなかったのは遠くでも判ってしまいましたが、魔王の力を見た後ですから、皓皇様が自分達を庇って従ったのだと解釈した者も少なくはなかったようです」
確かに、遠くからだけ見たら、セ・エプリクファともまだ拮抗してた感じだろうしな。実際には、ほぼ結果が出てしまってて劣勢だった訳だが。
「王女の演説によって留まった者が多いですが、中には逃げ出した者もいます」
「腰ぬけ……っ」
「まあ、そう言うなって」
目を厳しく吊り上げ、ライラは中々酷い事を言う。
「勝てない相手と戦うのは馬鹿な事だし、勝てないならこっちからは行かないけど、相手に目を付けられる事も増える。残った人の方が遥かに多いって方が凄いと思うぞ」
「それは、そう、ですが……」
「けれど、やらなければ魔に蹂躙されるだけです。逃げて、どうしようというのでしょう」
「……それでも立ち向かうには勇気がいるんだよ」
ただ殴られるのだって痛い事を皆知ってる。俺が元々、ケンカを一度もした事なかったのもそれが理由だし。違う、と思ってたって掛かって行くような度胸なんかなかった。
痛いのは怖いし、怖い事はしたくない。自分に振り掛からない様にするので精一杯だ。
それは悪くない、と思う。俺は。出来ない事は出来ないし。やろうと思った時に、自分がそれでもやる必要が、価値があると思った時にだけ踏ん張ればいい。
今マトルトークに残った人達は踏ん張る理由のある人で、覚悟がある人だ。
俺はそっちの方が凄い事だと思う。俺が一市民なら、やっぱり逃げてる。多分。
「元々勇敢な二人には判らないかもしれないけどな」
「……申し訳ありません」
「いや、謝る事じゃないから。むしろ賞賛される所だから」
「けれど、皓皇様の御心に沿えないのは……」
「同じだったら別人の意味がないんだから、いいんだって」
大体、俺のが全然経験なくて間違えやすいんだから。
「リシュアさんがリシュアさんで、助かってる。無理に合わせるんじゃなくて、折り合いつけて、それで一緒にいられれば嬉しい」
「……っ」
息を詰め、言葉を失って、更に迷う間があった後。
「光栄……っ、です、陛下……」
顔を赤くし、やや俯き加減になってそう返された。
「……」
きょと、とそのリシュアさんを見て、それから俺に視線を戻し、ライラはじっと何かを見通そうとするかのように見詰めて来た。
「? どうした?」
「……陛下は、お姉ちゃんの事……、好き、ですか……?」
「え!?」
「は!?」
唐突に向けられた質問に、思わず動揺の声を上げてからしまった、と後悔する。
(何で二つ返事で好きだ、信頼してるって言えなかった、俺ッ……!!)
いや、判ってるとも。何でも何も、そういう意味で指摘された瞬間、恥ずかしさが先に来るぐらいには好き、だからだ。
ほ、本気でどうこう考えてる訳じゃないし、考えた事もないけど、つーかリシュアさんに俺が皓皇の立場から何か言うのは卑怯じゃないかと思うし、けど……ッ。
「ばッ、馬鹿な事を! 皓皇様に失礼です! 謝りなさい!」
「……っ。ご、ごめん、なさい」
しゅん、と項垂れて謝ったライラに、俺の方が慌てた。
「いやいや、謝るような事じゃないから」
大体、ライラがどっちの意味で言ったのかも判らないし、もし純粋な意味で聞かれてたんなら、即答できなかった俺はまずいと思う。
「好きだよ。二人共信頼してる」
「こっ、光栄です、陛下! ライラ、皓皇様の御心を試すような真似は、今後断じて許しません!」
「試した、とかじゃ……」
「だっ、黙りなさいっ」
リシュアさんらしからぬ横暴さで叱りつけられ、ライラはびくっ、と首を竦めた。
「……はい」
いつもはい厳しい事は厳しいけど、基本的にはリシュアさんはライラに優しいから、完全に委縮してしまっている。……お、俺のせいだろうか。
(気……っ、気まずい……っ)
三人しかいない道中でこんなに気まずくなったの、多分初めてだ。
頭上の会話何か聞いちゃなかったんなろう、それでも急に静かになったのが不思議だったらしく、ウルクが首の角度を変えてこっちを見ていた。目が『どうしたの』と言っている。
平和なその瞳に、思わず鬣に突っ伏した。濡れた。……やるんじゃなかった。




