第三話
「!」
本当に、殺る気だ。
俺がこのドラゴンを気にするような理由は、別にないだろう。森を焼いて一緒に蒸し焼いてくれようとしてくれたのもこいつらしいし、それは俺がいたのを知ったところで、躊躇され足りもしなかったと思うし。
いや、ドラゴンと女の関係を思えば、むしろ積極的に殺されていたっておかしくない。
だが――ドラゴンの瞳にあったのは、常に恐れだけだった。
見捨てるな、と自分の中の何かが訴え、考える前に女の手を掴んでいた。
「あん?」
「……止せ」
「……はっ、あぁぁん?」
俺に腕を掴まれたまま、あっさりドラゴンから興味を移して振り向くと、女は楽しそうに笑う。
「お前、正気ィ?」
そう揶揄するような口調で言いながら、女の瞳は満足そうだった。予想通りの行動を取った獲物を見る、捕食者の目だ。
「こいつはぁ、私のペットで、お前の、敵だけどォ……?」
「見りゃ分かる。そいつがお前に喜んで従ってんじゃないのもな」
「くっ、は。あっはっはっははぁーっ!!」
堪えられない、というような哄笑と共に、女は俺が掴んでいるのとは逆の手に炎を生み出し、止める間もなくドラゴンへ向けて火を放った。
グゥルオオォォォッ!!
悲鳴を上げてドラゴンはのたうち、翼をばたつかせて暴れるが、全身に張り付いた黒い炎はその勢いを全く衰えさせない。
「――!!」
それは燃え盛るというには、弱い炎。
(わざと、だ……っ!)
即死はしないように、わざと。火力を押さえた。そう確信する。
「ほらァ、見ろよ、皓皇」
「痛っ!」
平手で頭を鷲掴まれ、窓の外へと顔を突き出された。
肉が半端に焼ける臭気が鼻につき、吐き気を覚える。
「あんな畜生にまで情けかける甘ぁいお前は大好きだけどぉ……。でもお前、今、何もできないんだよねえぇ……」
くす。くすくすくす。
息がかかる程の近くで笑う女の声。悪意しかない笑い声だ。
「あいつ殺したの、お前だからな……?」
「な、に、言ってんだ……」
手を下した張本人が、ふざけた事を言っている。助けられなかったのは俺かもしれないが、殺したのは――
「だって別にぃ、殺す気なんかなかったからさぁ……」
「……っ」
「でもお前が、あんなどこにでもいる畜生一匹なのに、気になんかかけるから。腹立つよねぇ。役にも立たねえ雑魚の癖に」
(嘘だ……ッ)
こいつはドラゴンを殺す気だった。絶対だ。
そうでなくたって、俺に咎はない。例え女がドラゴンを焼いた理由が、言った通りだったとしてもだ。
「あいつが今苦しんでるは、お前のせいーいーだー……」
くす。くすくすくす。
楽しそうな、悪意の笑い声。
聞くな、と思う。分かっている、理性では。
けれどもし、と考えてしまう気持ちの部分は、止められない。
その俺の目の前で、ついに力尽きたドラゴンが地上へと落下していく。その体にはもうほとんど鱗がなく、焼かれた肉から溢れた脂で滑っていた。
「――……っ……」
「あ。やっばー……。足、失くしちゃったー……」
隣でそんなふざけた事を、大した事でもないように女は呟く。
「何を……っ! テメーでやった事だろうが!」
「あァ、大丈夫大丈夫ぅー。あんなん、いくらでもいるからぁ……。つってもここじゃ呼ぶのは狭いかぁ……。っしょ、と」
「っ」
抗うようなヒマもなく、窓から飛び降りた女に引き摺られて、俺もまた窓から落ちた。
ってかここ、五階――ッ!
「んっ」
しかし地面に落下する直前、女が少し力んだ声を上げ、ふわりと一瞬の浮遊感の後、静かに着地した。
……そうか、そりゃそうだよな。いくら何でもな。
いや、こいつの身体能力なら、正直素で落ちても大丈夫そうだからそのまま行くのかな、と思ってたけど。思ったから焦ったんだけど。
「さてと――?」
のんびりとした口調で言った女の次の行動は、何気なく上空へ手をかざす、というものだった。
――どんっ!
「!?」
自重と落下スピードの全てを乗せて、上から降ってきたリシュアさんと武器形態のライラを、素手の手の平で受け止める。
「出てくるのを待っていました」
【炎獄の魔王、ジ・ヴラデス……。貴女とは、距離を取って、戦う、べき……!】
「はぁ? 舐めてんのか」
苛立たしげに言うと、女――ジ・ヴラデスは素手で受け止めたライラの刀身を、そのまま握り締め、力を込めて砕こうとする。
【ぅっ……!】
刀身と手の平の接触した部分から、白煙が上がる。多分ジ・ヴラデスの手には今熱が、ライラの刀身には冷気が発生してるんだろう。
その優劣は――
「この程度で? 何すんの、お前」
【っ!】
ぐ、と更に力を入れた瞬間、ライラは西洋剣の姿を崩して少女の姿に戻り、地面を転がって俺へと手を伸ばす。
「陛、下……」
「ライラ!」
片腕はジ・ヴラデスに取られたままだが、もう片手をライラへと伸ばす。
手を取って何をする、とか正確に考えてたわけじゃない。弱々しく伸ばされた手に対する、ただの反射だ。距離が近かったのが幸いで、伸ばした手を互いに掴めた。
元からそうするつもりだったのか、ライラは俺の手に触れると再び武器へとシフトチェンジする。
「!」
生まれてこの方、真剣どころか木刀だって持った事なんかない。しかしライラの柄はしっかり手に馴染み、何を考える前に体が動いた。
染み付いた条件反射。当然の行動として。
「ちッ!」
焦ったような声を上げ、不自然な姿勢から振ったライラを、大きく飛びのいてジ・ヴラデスは避けた。
(――行けるな)
剣を水平に構え、突きの姿勢を取った俺を見て、ジ・ヴラデスははっと顔を強張らせた。自分の得意レンジをわざわざ開けてしまった愚かしさに気が付いて。
どうやらやはり、封印された恐れは体に残っているらしい。
「輝氷槍」
踏み込みは一歩。刃の届く間合いではないが、形成されたエレメントが氷の槍の形状を持ってジ・ヴラデスに貫通属性の一撃を与えた。
『俺』の眷族である光の精霊が使うエレメントは、闇のエレメントと共に少々異質。四大元素全てのエレメントを使うことができ、その属性には全て光が付加される。
代わりにコストは半端なく、上級呪文は俺でも数発扱うのが限界だ。
「くっ……、はッ! テメェでもこんなもんか、皓皇!」
嘲笑交じりで言われたその通り、貫通属性であるはずの輝氷槍は浅く肌を傷付けていただけで、手傷とも呼べない程度の掠り傷しか与えてない。
「武器が悪いんじゃねえかぁ……? なァ、皓皇」
【……っ!】
「動揺するな、ライラ」
従具精霊を使って戦うのは、同調魔法と同じ。正当な威力を発揮するには、相手と呼吸を合わせなきゃならない。精神面にブレがあればまともに威力に返って来る。
だがきちんと呼吸を合わせれば、低コストで高威力の攻撃ができる。
「ジ・ヴラデス」
「……何ィ?」
「お前一人で、本気で俺の相手をするつもりか?」
本気半分、ハッタリ半分。
さっきの輝氷槍、決して手加減したわけでも、同調が上手くいってなかったわけでもない。だからライラも動揺したのだ。
今のエレメントの濃度では、その程度の力しか出せないのだ。
――言う気はないが、リシュアとライラの力不足もジ・ヴラデスの言った通り。一昔前なら、『俺』の武器として選ばれる事などなかっただろう。
それでも、『今』は負けないだろう勝算がある。
「お前の、偉そうな物言いはァ……大嫌いだッ!」
そうだな、お前ならそうだろーな。
彼女の性格上、逆上するだろうな、と分かっていたのに口は止まらなかった。これも『つい』出た感じだ。昔からの癖のような。
何にしても、言ってしまったものは取り消せない。
取り消すつもりも別にない。
「リシュア」
「はい、皓皇様!」
俺に応え、リシュアもまた、己の能力を最大に活かす刀剣の身へと変じ、俺の手の中に収まった。