第六十四話
「――ディードリオンの様子が気になる。印象でしかないが、俺は彼がそんなに重度の魔人だとは思えなかった。今は、だが」
時間がないのを含ませて、そう付け加える。
「え……っ」
俺の言葉を飲み込むのに少し時間を掛けてから、こくんっ、と喉を鳴らし、勢い込んでフィレナは身を乗り出す。
「本当っ!? 兄様は帰ってこれる!?」
「それは判らない」
ディードリオンが宿す魔力はもう間違いなく魔神以上だし、自分は魔人だと、はっきり言っていたのも気に掛かる。
「……もし本当にそうなら、確かに強引にでも今のうちにレトラスを落とす意味はあるが……」
考え込んだ様子のネクスからも、そう肯定的な声が上がる――が、それには少し罪悪感を覚える。
(悪い、ネクス)
ディードリオンが魔神以上の相手だと知れば、まずネクスは頷かないだろう。ミットフェリンの魔気の濃さでは、俺達は魔神から相手取るのが辛くなる。
俺はネクスなら勝てないとは思わないが、連れて行く事になる精霊達には……より苦しい戦いになるだろう。
言った言葉は嘘じゃないが、わざと伏せて誤魔化した。
だが丸々勝算なしって訳じゃない。
エレネアとディードリオンを引き離せば、タタラギリムに任せて援護という形を取れる。どちらか一人だけでも倒してミットフェリンから引き離せば、それだけで魔気は大分薄くなるだろう。そうすれば、今度はネクスでも余裕を以って戦えるはずだ。
俺は……どうかな。全く歯が立たない程じゃないと思うが……勝てる、とまでは言えないな。
「フィレナ、レトラス攻めに関して考えがあるって言ってたよな?」
「ええ、だって私、王族だもの。脱出用の秘密通路とか、全部知ってるわよ。わざわざ城門を正面から破らなくったって、内側から開けられるわ」
「お前が逃げた事は知られてるんだろう。通路をそのままにしてるとは思えねェぞ」
「レトラスの歴史は千年を越えるわ。中には今にはもう伝えられてない通路もある。残ってる通路は兄様も全部把握してるでしょうけど、逆に伝わってない通路の事は知らないわ、絶対。そういう遊びとか、しない人だから」
確かに、そんな感じだったな。フィレナが言うなら間違いなくそうなんだろう。
「……お前はしてたんだ」
「ちょっ、ちょっとだけよっ。べっ、別に、勉強とか作法が嫌で逃げてた訳じゃないから!」
……それは墓穴掘ったって言うぞ?
「だからっ、違うわよ! 私は成績良かったって言ってるでしょっ! 逃げる必要とかないからっ。本当にちょっと、遊んだだけだからっ」
言い訳を見る感じの俺の目に焦ったようにフィレナは尚も言い募る。
これはどっちだろう。ここまでむきになられると、どっちか判らなくなってきたな。
「別にんな事ァどうでもいい」
少しいらついた様子でネクスに言われ、ようやくフィレナは言葉を収めた。不本意そうな瞳で俺を睨んで来るが、そこまで拘らなくてもどっちでもいいから、本当、別に。
「入り込んで門を開けて、攻め側の不利をなくせるとして、戦力的にはどうだ。何とかなりそうなのか?」
これは直接ミットフェリンを見てきた俺に向けられたもの。正確に全部を知っている訳じゃないが、ディードリオンとエレネアが実力的にも頂点なのは間違いないだろうから――。
「一般兵は何とかなると思う。むしろマトルトーク軍の方が不利なく戦えていいかもな。ただ、やっぱりディードリオンとエレネアは厳しい。俺がレトラス軍を見たのは水の宮での末端部隊と、二人が率いて来た小規模な騎馬隊だけだが、そっちは全員魔人の中でも中程度の魔気を持ってた。国に騎馬隊レベルのがどれだけいるかってのがな……」
「……魔人を削ってくだけでも、まァ、意味はありそうだけどなァ」
「その方法はとらない」
周りの魔人の殲滅案を仄めかしたネクスに、きっぱり拒絶する。面白くなさそうな無言の圧力が返ってきたが、譲らないからな、ここは。
「後、水蛇族は協力してくれる事になってる。水棲馬はレトラスが支配下に置いてるらしい。群れ全体が従ってるとは俺は思えないんだが」
「水棲馬を制御すんなァ魔王でも無理だろ。あいつ等命掛かってても一時間後には忘れて本能に生きてるから。捕まった分だけだと思っていいし、戦争なんざやる気はねえだろうから、なるべく手ェ出さない様にすりゃ問題ねェだろう」
俺もそう思う。俺が傷付けた奴も水の宮にはいたけど、恨みや何かっていう負の感情が全く見えなかった。基本、何も気にしない性質なんだ、きっと。自分の本能の欲求以外。
「後ァ、水蛇が戦力か。あの性格悪い三姉妹だろう。種族上は魔にも一応耐性あるが、信用出来んのか。性質だけで言やァ、あいつ等は魔人と変わらねェぞ」
やはり予想通り、ネクスは懐疑的な評価をする。性格はまあ、そうかもな。
「彼等は魔に浸食されてる訳じゃないから、自分のルールは裏切らない。誇り高いのも本当だから、嘘もつかない。それは信じられる」
「……まァ、嘘はつかねェな。清々しいぐらい」
「水蛇族の元に、行って来たのですか?」
「ああ。水の宮を守るのに手を借りた」
「何という無茶を……いえ、皓皇様が無茶を成されなければならないのは私の……」
目眩がしたのか、リシュアさんは呻いてテーブルに手を付き、体を支えた。また俺の傍から離れた事を食い始めそうだったので、話を進めてしまう事にする。
『しっかりしている』とは損なもので、そうなれば自身の事よりも後々人に(というか、多分俺に)迷惑をかけないよう、情報はしっかり把握しようとしてくれるので。
「タタラギリムは裏切らない。自分の一族の半数と、妹二人を魔人によって奪われた。心配する事があるなら、先行し過ぎないかって事だが……」
これも心配はないだろう。タタラギリムも自分達だけでディードリオンとエレネア、レトラス軍を相手にするのはもう避けるはずだ。
「その程度なら問題ねェな。水蛇どもが死ぬだけだ」
「問題はあるけどな。多分、大丈夫だと思うけど。――まあ、そんな感じだ」
「いいだろう。支配者が真実、取り返しのつかない魔人になる前に、レトラスを落とす方向で進める」
「決まりだな。――じゃあ、悪いが俺はバウゴ候に挨拶して皓の森に戻る」
何かこの台詞、物凄いデジャヴだ。デジャヴっつーか、つい先日ほぼ同じ事を言ったな、水の宮で。
強行軍……してるよな。皓皇の身体の体力に任せて結構無理してるけど。
「そうしろ。俺も一回フツカセに戻る。レトラスを攻めるならそれなりの準備もいるしな。伝令送んなァマトルトークでいいか。お前もそうしとけ。ギリギリまで皓の森にいた方が調子いいだろうから」
「そうする」
今回は皓の森からも精霊達を戦力として連れていく必要があるだろうが、俺も含め実際に行動するまでは皓の森から動く必要はない。ミットフェリンは本当にエレメント阻害されるから、何人連れて行けるか判らないが。
「何かあれば風の擬似精霊を送る。これだ」
手の平の上にネクスが作り出したのは、青い肌に金の瞳、頭頂部からちょろっと生えた白髪。恰幅の良い太鼓腹に、白い袋を持って雲に乗った――ミニサイズの風神様だ、コレ。あらゆる部位が丸くて可愛いけど。
「何か、似合わない……」
「俺のセンスじゃねェよ。擬似精霊作ると風のエレメントはこうなんだよ」
やや不本意なのか、擬似精霊を消してあまりに率直な感想を述べたフィレナに、多少不機嫌にそう言った。
「じゃあ、またな」
「って、おい?」
ネクスが向かったのは本来の出入り口の廊下に続く扉ではなく、窓。閉め切られた窓を大きく開き、すう、と息を吸うと『Ah』だけの澄んだ声で音階を奏でる。
何をしているのか問うまでもなく、歌い始めて数秒で、皓の森で見た青竜が飛んで来た。本当にもう帰るのか!
「おいっ、アリストは!?」
「どーせ町で遊んでっからこいつ見りゃ俺追って戻ってくんよ。じゃあな」
大雑把な主従だ。アリスト慌てるぞ、多分。でも言うからにはアリストも追い掛ける手段持ってるんだろうし、大丈夫なのか。
「じゃ、俺も挨拶して来る。リシュアさん、ライラ、ちょっと待っててくれ」
「はい」
「お待ち、してます……」




