第六十三話
水の宮を出てから五日で、俺とライラはマトルトークに帰って来た。水棲馬は速さはユニコーン程じゃないが、五日間、休憩無しで走り続けられるんだろう体力が半端ない。俺達の方がダウンして休憩入れたとも。飽きてどっか行かれるの覚悟で。
幸い、どこにも行かないで隣でぐっすり寝ててくれたけど。やれば出来るが、とにかくやる気を起こさない種族なんだな、水棲馬。
マトルトークの様子は、どうやらそう変わっていないようでほっとした。隠霧を掛けて町を抜け、真っ直ぐに城へと向かう。
ネクスやリシュアさんは、もしかしたら皓の森にいるかもしれないと思ったが、先にマトルトークに来たのは、誰もいなかった場合水棲馬を一匹で放置するのが心配だったからだ。
どんなに本人の性格が緩くても、魔属性なのに違いはないから嫌がられる可能性はある。今後の為にも、摩擦は避けたい。……気にしないかもしれないけど。
だが置いて行くのが心配だからって、皓の森に着いてからまたマトルトークに来いとか、目の前のご飯をお預けするのは可哀想だろう。なので、先にマトルトークに寄る選択をした。
(ここまでくれば、いいか)
大通りから城門前にまで移動してから隠霧を解く。黙って入るのはまずいだろう。
「――すまない」
「ん? あ! あぁっ!!」
「皓皇陛下!!」
声を掛けた俺達に気が付いて、門番二人が驚きの声を上げる。町の人にはそうでもないが、城勤めの人達には流石にもう顔で通じる。
「バウゴ候とフィレナに合いたい。入っていいか?」
「どうぞ、お通り下さい!」
「ご無事で何よりです! よくぞ、魔王の手の内から! 流石、精霊王ですね!! やはり世界の気運は我等に味方している!」
「あぁ、ありがとう。きっとな」
実際に、色々運が悪くて、しかし良かったのも確かだ。それが気運というならそうなんだろう。
水棲馬は城内に入れる訳にはいかないので、門番の人に一緒に頼む事にした。
「こいつの事、ちょっと頼む。多分餌やってたら大人しいから。――ちょっと、待っててくれな。人と会って来るから。そしたら、皓の森に行こう」
『待ってる』
首を撫でると、この五日間で大分懐いてくれた水棲馬は、顔を寄せて頬ずりしてから、大人しく門番の一人の先導に従って付いて行った。
俺とライラはもう一人の門番と共に久し振りの城の中へ。途端、城の中を行きかう人が皆目を止め、ざわっ、と入り口ホールがざわついた。
……判るけど、ちょっと嫌な空気だな、これ。
門番はやはり動きを止めていた女官の一人を呼び止め、俺達の案内を彼女に任せて戻って行った。もう一人もすぐ戻って来るだろうが、門が無人なのは良くない。
「こちらでお待ち下さいませ」
俺とライラを会議室に案内した後で、女官は優雅に、しかしやや急いた様子で部屋を後にした。気を遣ってくれたのかもしれない。
「お姉ちゃんと……会えます」
「ああ、本当、久し振りだな」
――ややあって、城の中には相応しくない慌ただしい足音が複数重なって、近付いてきた。
「皓皇様!!」
「ハルト!」
「ちょっと、無事なの!?」
リシュアさん、ネクス、フィレナの順で駆け込んで来た。皆こっちにいたのか。
「まあ、何とか無事だ」
「……酷ェ有様」
余裕なく飛び込んで来たのが、冷静になった途端恥ずかしくなったのか、すぐに声の調子を落としてネクスは皮肉気に笑ってそう言った。
「形振り構ってられなくてな。でもそのお陰で生き延びてんだから、上等だろ」
「まァな」
「皓皇様……っ。本当に、ご無事で良かった……! 一度ならず二度までも、御身の危機にお側にいられなかった事、何とお詫びすればいいか……っ!」
「いや、いいからっ。配置的に必然で、俺がやった事なんだからっ」
俺の足元に両膝を付き、床に着くんじゃないかという深さで頭を下げるリシュアさんの肩を掴んで上体を起こさせ、その手を取って立ち上がらせる。
「リシュアさんにそんな事されたら、困る」
少なくとも女性にやらせるような恰好じゃない。
「……けれど……っ」
「それに、今回はライラが守ってくれた」
「……ライラ」
「……あまり、お役に、立てなかった……です、けど。少しでも……、お役に、立てていたら、光栄です……」
立ってたどころじゃない。大変に助かってた。ライラが居なかったらもっとしんどかったはずだ。
「ありがとう。良くやってくれました」
「はい」
リシュアさんの感謝の言葉に、ライラも嬉しそうに微笑んだ。可愛い。
「しかしお前、どうやって逃げて来た。逃がしてくれる相手じゃねェだろう」
「まあ、色々あって――、黒いローブっぽいの着た魔王とジ・ヴラデスが戦闘になってな。その間に逃がされた、というか……」
逃げた、とは言えない。それは事実と異なる。微妙なニュアンスだが、ネクスは違えず受け取ってくれた。
「って事ァ、ジ・ヴラデスのが劣勢だったって事か。……また面倒なのが……」
「心当たり、ないか?」
「ねェな。ジ・ヴラデスと同等、それ以上の奴は俺が知る限り二匹だけだが、そいつ等が顔を隠す理由はねェ。違う奴だと思っといた方が良いだろう」
だとすると、割と新しく魔王になった奴なんだな。確かに、面倒なのが増えた。
「そうだ、フィレナ」
「何?」
魔王繋がりで思い出して、言わなきゃならない報告をするのに、俺はフィレナに向き直る。
「色々あって、今までミットフェリン――じゃない、清流の大陸か、そっちにいた。――それで」
「……何?」
良い予感などしなかったんだろう、先を促すフィレナの声が硬くなる。
「王が、亡くなったそうだ」
「――っ」
ひゅ、と息が喉を通る音がして、フィレナは眼を見開き、硬直した。数秒後、震え始めた全身を押さえる様に、強く拳を握って、ゆっくり時間を掛けて瞬きをして。
「……そう」
「……フィレナ」
「何も言わないで。大丈夫だから」
続く言葉など何も考えずに名を呼んだ俺に、フィレナは思いの外しっかりとした声を作って、先を拒絶した。
「時間が経てばそうなる可能性が高くなるって判ってたわ。魔人の社会に、人間の身分なんて関係ないもの。王を名乗られてたら、面白くないでしょうから……」
「今はそうでも、なさそうだぞ」
「――……?」
「ディードリオンとエレネアに会った」
「――っ!」
二度目の絶句。いきなりいっぺんに知らされるのは心の許容値がしんどいかもしれないが、だからこそ、今受け入れて整理してくれ。
――すぐにレトラスを、攻めるために。
「二人はレトラスに魔人の軍を作り上げてた。セ・エプリクファがやってたような急増の寄せ集めじゃない。錬度の高い本物だ」
「軍を……だと」
ショックを受けてるフィレナよりも、ネクスの方が理解が早かった。
「ネクス、俺は、魔人の在りようが六百年前と変わったんだと思う」
「二回続けて偶然はねェな。人間ってなぁ、本当、姑息だ」
何故今、魔人が軍を作るのか、おそらく俺が思ったそのままをネクスも思ったんだろう、言って荒々しく舌打ちをする。
「けれど、やろうと思って機能する物なのでしょうか」
「出来ない奴は出来ないだろうな。でも、出来る奴が魔人になったのは確かだ。有効性を認めて真似しようとした奴が、何割脅威になる軍隊を作れるかは判らない。けど、これから覚悟をしておくべきだ」
魔神を、魔王を、集団で相手どる覚悟を。
「今のミットフェリンの支配者は、ディードリオンだ。大陸全域をほぼ手中に収めている」
ミットフェリンの魔気を弱らせるのに、絶対に避けて通れない。むしろ中核を落とさない限り効果は薄いだろう。
「……面倒くせえな」
眉を寄せ、ネクスは呻くようにそう言った。
「ハルト、ミットフェリンは後回しにして、先にレーゲンガルドに行かねェか。境皇が宮に残ってる分、ミットフェリンよりゃ戦りやすいかも知れねェ」
「……」
ネクスの言葉に、フィレナは表情を曇らせる。マトルトークの戦力だけでは、レトラスに太刀打ちできない。
そして状況的に厳しいのも判っているから、戦力的な理由で後に回す――と言われれば、抗う事は出来ないんだろう。
状況だけ見れば、俺も先に境皇と合流した方がいいと思う。俺みたいに半端なのじゃなくて、境皇であれば、ネクスにクリスタルを与えて手を貸す事も出来るだろう。それをしてミットフェリンに向かった方が、無難ではある。
しかし――
「俺は先にレトラスのケリを着けたい」
「テメェ、もし王女の為だけに言ってんなら、殴んぞ」
「……別に、そういう訳じゃない」
目が本気で怒っている。普段ネクスは俺には甘いから、真剣に怒気を向けられたのは初めてだが、怖い。半端ないぞ威圧感が。




