第五十八話
「お前と参ろう、皓皇よ。水の宮を守るために」
「!」
「我が同胞よ、聞けい!」
立ち上がり、疲労で蹲り、呆然としていた者の多い水景殿を、見える所までぐるりと見回し、タタラギリムは声を張り上げる。
「妾はこれより、水蛇族は精霊族と共に、魔と全面戦争を行う事に決めた! 皆の者、心せよ! 我等に流るる古竜の血の誇りに懸けて、一族最後の一匹まで、魔人を許してはならぬ! この地に眠る同胞の誇りを忘れるな!!」
おおおぉぉぉっ!!
タタラギリムの方をただ見上げていただけの水蛇達は、彼女の言葉が進むにつれ、金の瞳を爛と輝かせ、雄叫びを上げた。
「ひぁっ」
その声に驚いて、びくっ、とルーティールが身を竦める。それぐらいには殺気立ってたし、迫力もあった。
「……凄い、です」
「それだけ怒ってるって事だ」
だが、あれだけ圧倒的にやられた後で奮い立てるのは、本当に凄いと思う。
「動ける者は妾に続け! 手始めに水の宮に集る魔人共を、食らい尽くしてやるのだ!」
「――すまない、タタラギリム、一ついいか」
「何じゃ?」
演説の最中に割り込むのは、タイミングが悪いのは判ってるが、この先にもう、水蛇族全員に聞いてもらえるような場など作れないだろう。
「戦闘上、手加減しろとは言わない。水蛇族の危険性を高める事を俺が言う資格はない。ただ、過剰な攻撃はしないで欲しい。投降を認めて欲しい。奪わざるを得ない以上の命を奪わない様に」
「……何と?」
余程予想外だったんだろう、先程までの気勢もそがれてタタラギリムは俺を見下ろした。
「正気か、皓皇よ。同族を殺した連中を、助けを請われたら見逃せと言うのか。――馬鹿馬鹿しい!」
「やり返したら全滅するまで終わらないんだ」
「やらねば、妾達が滅ぶ。見たであろう、魔人共の所業を! 軍門に下らぬというだけで、一族全てを虐殺しようとする奴等ぞ!」
「奴等じゃない。――『奴』だ、タタラギリム」
――心情的には、正直、これは言いたくない。しかし言わない訳にはいかない。ディードリオンも判ってやっているはずだ。
それが上に立つ者の、判断に付き纏う責任だからだ。
「レトラスは軍隊だ。兵は上に従うだけ。水蛇族を虐殺したのは、ディードリオンだ」
「頭に付き従っただけの手足には、直接手を下しても咎が無いと申すか! それを納得せよというのか、貴様は!!」
「それが人間の軍隊だ」
「下らぬ!」
シャアッ、とタタラギリムは喉で鳴いた。これは怒った時に出る、威嚇の様な物なのだろう。
「皓皇よ、貴様は一族の恩人ではある。貴様の唱える共闘も、尤もではある。しかしそれには頷けぬ! 妾達は妾達で、勝手にやらせて貰う!」
「タタラギリム……!」
「黙りおれ!」
「っ」
避けるヒマなく、タタラギリムの持った鉾の柄が、結構な強さで頬を打った。
(痛っ……)
口の中に鉄錆の味が広がる。切ったか。
「皓皇様っ」
「よくも……っ。陛下にっ!」
「止せ」
ルーティールは動揺の声を上げ、ライラはもっと明確に敵意をもって身構えた。それを慌てて止めて強引に後ろに下げる。折角形だけは纏まったんだから、丸々ふいにしたくない。
その俺を見下し、タタラギリムはせせら笑う。
「そうであろうなあ、皓皇よ。何を言おうが、貴様等には力が無い。我等の力を当てにしか出来ぬ。なれば! 余計な口を挟むでないわ!」
「判った。なら、今回水蛇族の力は借りない」
「えっ!?」
「っ……!?」
「……何……っ、と……っ!?」
三人それぞれに、驚愕に声を上げた後、絶句する。
「馬鹿を申せ! 今の精霊族に、何が出来る! 出来ないからこそ、妾に頭を下げに来たのであろう!」
「そうだ。けど俺は虐殺に頷く訳にはいかないんだ。一度頷いたら、俺はこの先に何も言えなくなる」
命を奪うという意味は、とても重い。それは二度と、何をどうやっても取り返せないものだから。
事を起こした俺も、既に命を奪っていると言っていい。直接手に掛けた事はまだないが、俺が立ち上がらせた人々は、間違いなく俺が殺したんだ。殺した人も、殺された人も、両方共。
今は後悔はしてない。
この先もしたくない。
だから、この咎を支払って俺が死ぬ時、後悔するものまで負いたくない。
――それに。
「非道さもまた、魔人に続く道だ」
「っ!」
言外に同じだ、と言われてタタラギリムは言葉に詰まる。その瞳が再び怒りに染まるよりも前に、俺は彼女に背を向けた。
「ライラ、ルーティール、行こう」
「はい」
「え……、ええ……っ。は、はいっ」
ライラはすぐに頷いたが、ルーティールは少しためらった。魔人を気遣うよりも、水蛇族の助力が失われるのが惜しいんだろう。
自分の宮だ。気持ちは判る。
判るけど……今は悪いが、駄目だ。
「皓皇! 正気か! 魔人のために、精霊を殺す気かえ、貴様は!」
「何とかする。そうしたら、もう一度頼みに来る。ちゃんと同等の戦力を持ってな」
「……っ……」
それ以上、タタラギリムの声は追って来なかった。水蛇達も戸惑ったように首をもたげ俺達を見上げていて、進行方向にいた水蛇達は慌ててどいて道を開けてくれた。
「あの……。皓皇様」
「ん?」
水景殿を後にして、湿地帯も抜ける頃になってから、ルーティールは俺を伺うようにやや弱い語調で口を開いた。
「どうしても……駄目なんでしょうか。水蛇族の助力があれば、きっと……」
「首領……はっ、陛下にっ、無礼を、働いた……っ。むしろ、こっちが、制裁を与える……っ、べき……っ!」
余程腹に据えかねたのか、ライラにしてはかなり強い調子でそう言った。
「嬉しいけど、滅多な事言うな、ライラ」
まだまだここ、水蛇達の勢力圏内だからな。さっきの今で群れを離れている奴はいないと思うが、一応聞かれてまずい話はしない方がいい。
「陛下……っ」
「言えば怒るって判ってて言ったんだし、タタラギリムが気ィ短いのももう判ってたし。手加減された方だと思うぞ」
「でも……っ、同じっ、です!」
言って俺を怒りで涙ぐみ、潤んだ瞳で見上げ――はっとした表情になる。
「ごっ、ごめん、なさい。治癒、します……っ」
「いや、いい、大丈夫だから。回復に適さないんだから、無駄に力使わなくていい」
俺がライラを止めて、ついその頭を撫でてしまった隣で、何かを決意したようにルーティールが俯いて考え込んでいた顔をがばっ、と上げた。
「皓皇様っ」
「何だ?」
「このまま東に向かって、南に下ればクアトートです。一週間ほどで行けると思います」
「結構掛かるな」
指差された方向を見やって、俺はそう率直な感想を呟いた。
マトルトークから人呼んだら、移動がとにかく大変そうだ。一週間に一回は雨が降るという性質も含めて。レトラス攻めの前には、兵站経路を整えないと、辿り着く前に士気ゼロだな。
「ええ、結構掛かるんですー……。じゃなくてですね! もう水蛇族の助力は期待出来ませんし、失礼ながら皓皇様も、もうお力はないでしょう。ですので、私達の事は気になさらず、アイルシェル領へお戻り下さい」
「……ルーティール」
「そしてどうか、新たに生まれてくる同胞と、何より碧皇様を、どうか助けて下さい」
言ってぺこんっ、とルーティールは勢い良く頭を下げる。
「勿論、碧皇救出を諦めるつもりはない。水の宮も」
「お気持ちは嬉しいです。でも、皓皇様を失う訳にはいきません」
「俺も捕まる気も負ける気もない。出来れば使いたくはないが、一応『力』はまだあるにはある」
言って、俺は懐からビー玉大の球体を取り出す。元はもう少し大きかったんだが……仕方ないな。ジ・ヴラデスの城にミットフェリンに、魔気の強い所で良く守ってくれた。
これはカプレスの神殿から回収した、女神のエレメントだ。
俺自身にもう力が残ってないのは、最終手段、服をエレメントに分解して使う。
や、全部じゃないから。全部じゃなくてもいけるから、多分。
今は補充出来る者じゃないし、使えば終わりの切り札だが、勿体ないとか言ってられない。必要がある時に使うのが道具ってもんだ。
「それは女神様の? どうして……。フツカセでだって全然、復活してないって聞いた事あります……」
「まあ、色々あって。ざっと見た限り、今回ぐらいはこれで凌げるだろ。魔神クラスはいないっぽいし」
「はい、いません……でした」
確認にライラを見ると、こくり、と頷いた。
「それに俺は、水蛇族が絶望的だとも思ってない」
「え……?」
「だってプライド高いだろう」
恩人、という言い方をしたタタラギリムが、黙って俺達を見捨てるとは思えないんだよな。プライド高いのは本当だから。
「とにかく、今は急いで戻ろう。――ちょっと雲行きも怪しくなってきた事だし」
午後に差し掛かるこの時間になって、空には少しずつ、雲の量が増えて来ていた。




